上杉景勝
戦国時代の大名

上杉謙信の養子で、上杉家の跡継ぎとなる

そんな名門・上杉家の大名にインタビュー



上杉景勝にインタビュー
ハガクレ


今回はあの上杉謙信さんのあとを継いだ、上杉景勝さんに来ていただきました!よろしくおねがいしまーーす!

上杉景勝

コクリ

ハガクレ


上杉さんといえば!!もーーー戦国時代に欠かせないお家ですよねっ!景勝さんはあの謙信さんの後を継ぐのにプレッシャーとか無かったんですか??

上杉景勝

・・・・・・・・

ハガクレ

あのーー?

謎の男

ガラッ 失礼つかまつりまする!!

ハガクレ

え?何?誰ですかあなた

直江兼続

それがしは景勝殿の側近中の側近!直江兼続と申します

ハガクレ

えっ!直江兼続さん!!呼んでないのにどうして来たんですか!?

直江兼続


コホン。わが殿はあまり話しをするのが好きではないのでございまする!このような場はそれがしにお任せくだされ

ハガクレ

えぇっ!い、いいんですか?景勝さん

上杉景勝

コクリ

ハガクレ


あー、まぁ本人がそういうなら仕方ないですねぇ。んー、じゃあお伺いしますけど、謙信さんは子供がいなかったんですよね?景勝さんは養子だったんですか?

直江兼続


そうでございまする。わが殿のほかにもう一人養子がおりました。景虎殿と申します。ねっ殿

上杉景勝

コクリ

ハガクレ

謙信さんはどちらを跡継ぎにするつもりだったんですか?

直江兼続


それが謙信様は突然死んでしまい、跡継ぎを決めておられなかったのです。そのため、わが殿と景虎殿の間で跡継ぎバトルが勃発するのでございます。ねっ殿

上杉景勝

コクリ

ハガクレ

あー、俗にいう御館の乱ってやつですね

直江兼続


そうでございます。それがし、殿のために必死で戦い、知略の限りを尽くしました。そして見事!わが殿は景虎殿を滅ぼし、上杉家の主君となったのでございます。ねっ殿

上杉景勝

コクリ

ハガクレ


へー。でもその後すぐ豊臣秀吉が天下統一するために動き出しましたよね。そのときは上杉家は素直に従ったんですか?

直江兼続




秀吉殿の勢いはもはや止めることはできませんでした。それに秀吉殿の側近である石田三成とそれがしは妙に気が合いましてな。悪いようにはせぬということで秀吉殿に従ったのでございます。殿は120万石を安堵され、それがしまでも石高を頂戴いたしました

ハガクレ

ほー!

直江兼続



秀吉殿は、わが殿を五大老という5人のおえらいさんに選んでくださいました。ちなみに他の五大老は徳川家康・宇喜田秀家・毛利輝元・前田利家と、そうそうたるメンバーでございます

ハガクレ

すごいですね

直江兼続



とにかく秀吉殿はわれら上杉にかなり目をかけてくださっていました。ところが秀吉殿が死んでしまい、次の天下を狙おうと出てきたヤツがいるのです!それが徳川家康めにございます

ハガクレ

ほぉ

直江兼続

家康はわれら上杉に対し「徳川に忠誠を誓え」と言ってきたのでございます!ねっ殿

上杉景勝

コクリ

直江兼続


我らは名門上杉ですぞ?それがなぜ同じ五大老である家康に従わねばならぬのだ?豊臣には秀頼様という跡継ぎがおられるのに、何を勘違いしておるのか。ねっ殿

上杉景勝

コクリ

直江兼続

ということで我らは少々動き出したのでございます

ハガクレ

どんなふーに?

直江兼続

いつ攻められても大丈夫なように、領内の軍備を整えることにしたのです

ハガクレ

家康に抵抗するためですね

直江兼続



そうです。中央の情報は三成殿から全て入っておりましたからな。家康は他の五大老にイチャモンをつけて滅ぼそうとしてたんですよ。最初に目をつけられたのは前田家ですたが、利家殿の妻・まつ殿がうまくおさめましてな

ハガクレ

で、次のターゲットに上杉さんちがなっちゃったんですね

直江兼続

その通りでございます。ねっ殿

上杉景勝

コクリ

直江兼続


家康めは、我ら上杉に従うよう何度も手紙を書いてきたのです。それがしも悔しいから、返事書いてやりました

ハガクレ

どんな?

直江兼続


お前の目はどうなっとんだ?とね。我らはなーんもやっとらん。お前一人で熱くなるなとね。文句があるならいつでも来いや!と書いてやりましたよ

ハガクレ

もしかしてそれって、有名な「直江状」ってやつじゃないですか

直江兼続


そー呼ばれてるみたいですな。それがしと殿で考えたんですよ。家康めの赤く怒る顔が目に浮かびますな。わははは。ねっ殿

上杉景勝

コクリ

直江兼続


で、家康は怒り、ワシらを滅ぼすべく軍を出してきたのです。そんな時、石田三成が兵をあげていわゆる関ヶ原の戦いへと突き進んでいくのです!!

ハガクレ

じゃあお2人は、あの有名な関ヶ原の戦いのきっかけを作ったことになるんですね〜

直江兼続

まぁそうかもしれないです。ねっ殿

上杉景勝

コクリ

直江兼続




でもこっからが大変でしたよ!近くの伊達政宗なんかが家康側についていたんで、上杉は東北で伊達なんかと熾烈な戦いをすることになったのです。が、なんと中央の戦い関が原の合戦で、西軍の三成が一日で負けてしまい、決着がついちゃったんですよ。びっくりでしたよ!ねっ殿

上杉景勝

コクリ

ハガクレ

じゃあ上杉家としては、頑張ってたのにいつの間にか負けてたって感じですね

直江兼続


そうなんですよ!もー。中央が負けちゃったら、ワシらいつまでも頑張っててもしょーがないじゃないですかぁ。だから仕方なく家康に謝りにいったんですよ

ハガクレ

えっ!家康は許してくれたんですか??

直江兼続



いや一応許してくれたんですけどね、今までの120万石からいっきに30万石に減らされちゃったんですよ!おかげでそれがしらは財政立て直しのために必死でしたよ。ねっ殿

上杉景勝

コクリ

直江兼続



でもねー、上杉家は誰一人家臣が辞めなかったんですよ!給料も払えない状態になったのに、「貧乏でもいい!わしらは景勝殿についていく!」っていう家臣ばかりでね。これもうちの殿の人徳ですよ。ねっ殿

上杉景勝

コクリ