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歴史人物辞典
あ行   か行   さ行   た行   な行   は行   ま行   や・わ行   ら行 

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鑑 真 飛鳥
(がんじん)
春日局
(かすがのつぼね)
加藤清正 戦国
(かとう きよまさ)
蒲生氏郷 戦国
(がもう うじさと)


片倉景綱 戦国
(かたくら かげつな)
狩野永徳 戦国
(かのう えいとく)
加藤明成 戦国
(かとう あきなり)
葛飾北斎 江戸
(かつしか ほくさい)


貝原益軒 江戸
(かいばら えきけん)
加藤嘉明 戦国
(かとう よしあき)
可児才蔵 戦国
(かに さいぞう)
片桐且元 戦国
(かたぎり かつもと)


川路聖謨 幕末
(かわじ としあきら)



北政所 戦国
(きたのまんどころ)
霧隠才蔵 戦国
(きりがくれ さいぞう)
北原白秋 明治
(きたはら はくしゅう)
紀伊国屋文左衛門 江戸
(きのくにやぶんざえもん)


吉川広家 戦国
(きっかわ ひろいえ)
桐野利秋 幕末 
(きりの としあき)
京極高次 戦国
(きょうごく たかつぐ)



黒田如水 戦国
(くろだ じょすい)
黒田長政 戦国
(くろだ ながまさ)
楠木正成 室町
(くすのき まさしげ)
九鬼嘉隆 戦国
(くき よしたか)


九戸政実 戦国
(くのへ まさざね)
栗本鋤雲 幕末
(くりもと じょうん)



慶ァ尼 戦国
(けいぎんに)



近藤勇 幕末
(こんどう いさみ)
後藤又兵衛 戦国
(ごとう またべえ)
高坂昌信 戦国
(こうさか まさのぶ)
後醍醐天皇 室町
(ごだいごてんのう)


小早川隆景 戦国
(こばやかわ たかかげ)
小早川秀秋 戦国
(こばやかわ ひであき)
小西行長 戦国
(こにし ゆきなが)
児玉源太郎 明治
(こだま げんたろう)


小林一茶 江戸
(こばやし いっさ)



鑑真  がんじん
飛鳥時代〜奈良時代の中国のエライお坊さん

日本ではお坊さんになる人が増え始め、仏教界バブルとなっていた。

で、「ここらで本当のエライお坊さんを呼んできちっと戒律を授けてくれる人にきてもらおう」と計画

そこで呼ばれたのが鑑真

が、昔は船の旅は命がけ。

何度も嵐にあい、5回の失敗を繰り返し、10年以上かけてやっとこさ日本に着くことが出来た

しかもその間に目が見えなくなるというハプニングも発生

それでも日本に来てくれたということで、とても日本で大事にされた

鑑真が最初に戒律を授けたのは聖武天皇


おもひで・・・「この頃、唐(中国)では政府の許しがなく勝手に海外旅行へ行くことは禁止でした。ですがワタシはその法律を乗り越え、さらに嵐にも会い日本へやってきたのです。辛かったですぞ」

マイホーム・・・唐招提寺(とうしょうだいじ)

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★ 

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春日局  かすがのつぼね
戦国時代〜江戸時代の人

明智光秀の重臣・斉藤利三の娘

幼い頃疱瘡にかかり、顔面がアバタ顔になったらしい

お嬢様だったのですくすくと育ったが、お父さんが明智光秀とともに主君・織田信長を本能寺で殺したため大変なことに

お父さんは豊臣秀吉に捕まり、処刑

お福(春日局の娘時代の名前)は、お父さんと仲良しだった長宗我部元親のところに逃げ、成人式を祝ってもらった

その後、稲葉正成と結婚するも、この男、浮気三昧

ぶちきれたお福は愛人を殺し家を出て行った

フラフラさまよっているところを「徳川の嫡男・家光の乳母モトム」の立て札を見て応募

なんと採用され、生まれたばかりの家光の乳母に

が、家光は病気がちで気弱な子供だったため、父親の二代将軍・秀忠と妻・お江与は家光より弟のほうがいいわ♪と弟を将軍にしようとする

可愛い家光のために、お福は駿府にいる大御所「家康」のもとへ「家光殿が長男です!将軍は家光殿にしてください」と直談判

家康は「OK」と、家光を正式な跡取りと発表する

こうして家光は、お福のおかげで三代将軍の座をゲット

それからもお福は「春日局」として「大奥」を作り、家光のために側室をスカウトしたりと大忙しの日々を送った



宝 物・・・家光様

嫌いな人・・・お江与

ポリシー・・・なんとしても家光殿と側室との間に男の子を生ませます

ヒトコト・・・「家光様がホモと知ったときは焦りました・・・」

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★ 「かわいそうだけど、なんかねー」



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加藤清正  かとうきよまさ
戦国時代の武将  秀吉恩顧の家臣

1562年に生まれた清正は、子供のいない豊臣秀吉のもとで育てられました

秀吉の奥さん・おねに可愛がられ、同じく子飼いの将である福島正則とともに育った

歴史デビューは秀吉VS柴田勝家の賤ケ岳の戦い

その時大活躍し、賤ケ岳七本槍の一人に数えられる

それからも秀吉の天下統一のためにずーっと秀吉を支え続けるが、大嫌いな奴が登場する

それが石田三成

どうやら「武力」で勝負する加藤清正にとって、「頭脳」で勝負する石田三成はうざい存在だった

さらに秀吉が石田三成をやたら可愛がるので「俺らは前線で命賭けて戦ってんのに、なーんで安全なトコでアレコレ指図してる三成にいいとこどりされにゃならんのだ!」と激怒

その怒りが我慢の限界に達したのが「朝鮮出兵」のとき

この時は朝鮮で死ぬ思いをしたっていうのに、ぬくぬくと食料調達とかやってる三成が許せなかった

が、はっきり言わしてもらうと、これだけでかくなった豊臣政権を「武力」だけで引っ張っていくのはもう無理

戦い屋のバックアップをする人が必要だったのも事実

だけど当時は「褒美=戦功をたてた人」という考えが抜けず、縁の下の力持ち的存在の三成らは軽く見られてた

不仲が決定的になったのは秀吉が死んでから

秀吉というストッパーがいなくなった清正らは、大嫌いな三成を殺そうぜ!と、武功派仲間を募り、三成を攻撃

慌てた三成は大嫌いな家康のとこに逃げ込んだ

こうして三成と家康の全国規模の大喧嘩「関ヶ原の合戦」が始まると、憎っくき三成!の思いには勝てず家康の味方をする

アンダーグラウンドで動き回った「謀略」「保身作戦」によって、家康の味方をする人が多い中、清正はただ単に「三成が嫌い」という理由

三成は破れ、処刑に

清正スッキリ!

が、この後、家康が「オレッチの大嫌いな秀吉の家来は信用できないぜ」と、豊臣家に世話になった大名つぶしをスタートさせる

もちろん秀吉子飼いの将である清正はターゲットNO1

それでもダイスキだった秀吉の息子・秀頼を守るために頑張ったが、秀頼のもとから自宅に戻る時に急死

豊臣家を潰したい家康が、清正を邪魔に思い毒殺したという説もある

実際、清正が死んだ後 「やれやれ、うるさいのがいなくなった」と、家康は大坂の陣を勃発することになる


ニックネーム・・・地震加藤

嫌いな人・・・三成!!「なんでアイツが太閤サマにあんなに気に入られてるんだ!!」 小西行長 

好きな人・・・おね様・秀吉様・秀頼様

自 慢・・・筋肉

オモヒデ・・・朝鮮で虎をやっつけたこと 「ダイスキな秀吉様に虎の肉をプレゼントしたかったのです」

嫌いな人たち・・・キリシタン 

特 技・・・城造り 「朝鮮に行った時、技術を盗みました。フフ」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★ 



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蒲生氏郷 がもう うじさと 1556年〜1595年
戦国時代の大名

六角家の重臣だった蒲生家。が、六角家が織田信長に攻め落とされた時、父の賢秀は、13歳の氏郷を人質に渡した。

信長は氏郷を小姓に加えることに

氏郷は賢かったため、瞬く間に信長のお気に入りに

娘の冬姫と結婚させるほど氏郷を気にいってた

が、本能寺の変で信長が死んでしまった

以後は秀吉に仕えるが、あまりにも賢いため秀吉から危険視される

そしてとうとう、会津へ行かされることに

領地経営にも優れていて、会津は発展しまくったが、突然40歳で死んでしまった

どうやら石田三成が、氏郷のあまりの賢さを危険と思い、秀吉の命令で毒殺したという説がある


信長談・・・「あいつの目の輝きはフツウではない!それにワシは毎晩、近習を呼び、武功話を話していたのだが、氏郷だけが必死で聞いておった」

秀吉談・・・「あいつはワシに似ている・・・・。気をつけなければ・・・」

千利休談・・・「日本で1人か2人しかいないくらい、文武両道に優れた武将でございました」

悔しかったこと・・・「会津に行かされたこと。領地は増えたけど、都から近ければ天下取りの望みがあったというのに・・・」

自慢・・・銀色の兜「よく目立つのです。目立つので狙われやすかったですが、ワシは全然平気でしたぞ」

ヒミツ・・・実はキリシタン

歴史メジャー度・・・★★★★

管理人お気に入り度・・・★★★★



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葛飾北斎 かつしかほくさい 1760年〜1849年
江戸時代の浮世絵師

江戸に生まれ、あらゆる画法をお勉強した北斎

どうやら6歳くらいから「絵」が大好きだったらしい

青年になってから、洒落本(エロ本)などの表紙を書くようになり徐々に有名に

そして読本の第一人者となっていく

北斎は2回結婚して6人の子供を産んだが、死ぬ前まで一緒に住んでたのは三女のお栄

お栄も北斎の画才を受け継ぎ「応為(おうい)」という名前でデビュー

ちなみに「応為」という名前は、いつも北斎がお栄のことを「おーい!」と呼んでいたから

また北斎は異常な引越し大好き人間でいつもビンボー

死ぬまでに92回も引越ししたらしい



代表作・・・「富獄百景」

滝沢馬琴談・・・「あいつ引越ししすぎて金がないからってオレんとこに来てさー。まいるよ」

目 標・・・生涯現役

外国人よりヒトコト・・・「ブラボー!」

友人談・・・「彼は掃除が大嫌いみたいだよ。だから汚くなる前に引っ越したらしいんだよ」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★

キャッチフレーズ 江戸の引越し魔


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片倉景綱 かたくらかげつな 1557年〜1615年
戦国時代の武将 伊達政宗の軍師 片倉小十郎という名も有名

景綱の父は神職をしている人だった。が、賢かったため伊達政宗の父である輝宗にスカウトされる

最初は小姓だったが、19歳の時に9歳だった政宗の側近に大抜擢

が、この頃の政宗はひねくれ坊ちゃん。疱瘡にかかり片目が飛び出るという醜い姿に。
そのため実母に嫌われ、母は弟をかわいがってばかり
政宗はイジイジしたかわいくない子だった

そしてある日政宗は、家臣の目を自分と同じようにえぐりとろうとした

それを見た景綱は「そんな人の心が見えない目なら取ってしまいなさい!」と、なんと政宗の目をえぐりとってしまった

以後、政宗は景綱を信頼し始め、何でも相談するようになる

そして伊達政宗は東北地方において名をとどろかせるようになる

が、天下は豊臣秀吉がゲットしていた

秀吉の「小田原攻めに参加しろ」という命令に対し、積極的に行くように指示したのは景綱
ちなみにもう一人の功労者である伊達成実は大反対していた

そして後も政宗の軍師として大活躍

何度政宗を助けたかはわからないくらいのナイスな軍師として幕を閉じた



ニックネーム・・・天下の陪臣

豊臣秀吉談・・・「いやぁ、ワシの直臣にスカウトしたんじゃが、断れらたよ。欲しかったにゃー」

徳川家康談・・・「いやぁ、江戸に屋敷を与えるから来いといったが断れたぞよ。欲しかったぞよ」

片倉家の掟・・・「ワシの次から、嫡男は必ず小十郎と呼ぶのじゃ」

伊達家家臣談・・・「景綱様は智の人。そして伊達成実様は武の人。お二人がいれば伊達に怖いもんはなしじゃ!」

ヒトコト・・・「わが殿、政宗様はあと10年早く生まれていれば天下を取れたお方じゃ!」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★


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狩野永徳 かのう えいとく 1543年〜1590年
戦国時代の天才画家

もともと狩野派は、室町時代の狩野元信が作った

元信には三人の息子がいたけど、みんな芸術的才能がイマイチ

そんな元信が「こいつはっ!!」と、ピカリと光る才能を見つけたのが孫の永徳

永徳はおじいちゃんのもとで画を習い、その才能は花開きまくった

元信は将軍足利義輝のトコにも、息子ではなく孫の永徳を連れて行った

おかげで永徳はメジャーになっていく

あの織田信長が「俺は城を作る!俺の最高にイカした城には最高の画を飾る!!」ってことで、安土城の画を描く人として選んだのが永徳

永徳は豪華絢爛な障壁画をつくり、信長にめちゃくちゃ気に入られる

さらに次の天下ゲッター秀吉も、聚楽第や大阪城に永徳の画をチョイス

が、残念なことに時代が戦国だったため、多くの画は焼かれてしまった


代表作・・・洛中洛外図屏風  唐獅子図屏風

上杉謙信談・・・「フン。信長から永徳の書いた洛中洛外図屏風ってのを貰ったよ。アレは自分の城下町がいかに栄えているかを俺に自慢するための画だぜ?イヤミなヤツだぜ」

豊臣秀吉談・・・「毛利家に唐獅子図屏風をプレゼントしたにゃぁ!喜んでくれたかにゃぁ」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★



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加藤明成 かとうあきなり

江戸時代の大名 賤ヶ岳の七本槍で有名な加藤嘉明の息子

父・加藤嘉明が死に、40歳で会津40万石の大名となった明成には気に入らないヤツがいた

それは堀主水(ほりもんど)
主水は父の時代からの忠臣で、明成にとっては煙たい存在だった

その主水が明成が参勤交代で江戸に行ってる間に、一族郎党300人を引きつれ逃げ出してしまったのだ

その際、明成の城(鶴ヶ城)に向かって鉄砲で一斉射撃をし、さらには橋を焼いてしまった

逃走の理由は「明成の政治方針に、主水が口うるさく言う」「主水がいつまでも昔の軍功を自慢し、偉そうにしている」「主水が自分の妾と小姓がデキちゃったから、妾を殺害した」などなどよくわからない

とにかく明成は主水に対しめちゃくちゃ激怒し、探しまくった。
主水は妻を鎌倉の東慶寺(駆け込み寺)に送り、自分は高野山へ逃げていった

そして主水は江戸幕府に対し、明成の悪政を全て暴露

三代将軍家光の出した答えは「明成も悪いけど、主水も家臣でありながら主君の城に向かって鉄砲を撃ち、橋を焼くのはやりすぎである!」というものだった

ってことで、主水とその弟二人は明成のもとへ引き渡されることとなった

明成は「積年の恨み!!!」と、この三人に陰湿な拷問(書くのも嫌だ〜)を繰り返す

そして拷問してすっきりしたのか、4日後に主水を斬首し、弟二人を切腹させた

が、明成自身もこれだけ大きな問題を起こしてお咎めなしというわけにはいかない。「いずれ幕府が何かしら言ってくるだろう。どうせ40万石の大名でいられないなら、そんなもんこっちからくれてやるわ!」と、40万石を幕府に返しちゃった

こうして明成は隠居し、加藤家は取り潰しとなり70歳までのんびりと生きた


ニックネーム・・・加藤一分様  どうやら大判小判が嫌いで、一分金を好んだらしい

家臣A談・・・お家存続より復讐を選ぶなんて、主君として最悪です!!!我ら家臣、路頭に迷いましたよ!

天秀尼談(豊臣秀吉の孫)・・・「ワタクシ、東慶寺で尼をしていましたんですけどね、主水殿の妻が逃げてきたのです。幕府は何度も引き渡すよう要請してきましたが、ここは駆け込み寺。困った女性を助ける場でございます。逃げてきた女性を引き渡すなんて非道なマネはできませんわ。ま、高野山は権力に屈して主水を引き渡したようでございますけどね。ほほほほ」

諸大名A談・・・「いや〜、40万石ですヨ!?それをポイっと捨てるなんて信じられませんな〜」

諸大名B談・・・「幕府は邪魔なお家取り潰しのチャンスを虎視眈々と狙ってますからなぁ。おおこわ・・・」


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★

キャッチフレーズ ねちっこさレベル100


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貝原益軒 かいばらえきけん 1630年〜1714年

江戸時代の儒学者

幼い頃から病弱で、いっつも色んな病気に悩まされ続けた

それでもなんとか39歳の時に17歳の女性と結婚

子供が生まれず養子を貰うんだけど、あまりにも益軒が口うるさいので出ていってしまった

とにかく細かい男で、病気だらけのくせになぜか84歳まで生きた

死ぬ前に「養生訓」という長寿の秘訣本を出してベストセラーに

今でも長寿を願う人々の間ではカリスマ的存在であーる


養子A・・・「まじでうるさいんですよ!寝てる時のねぞうにまでイチャモンつけるんですよ!寝てる時のことなんかわかんないですよ!!」

養子B・・・「まじでうるさいんですよ!!だからオレ、反抗して遊びまくってやりましたよ!そしたらオヤジのヤツ、家道訓とかゆー本書いたんですよ!あーーうぜぇ」

言いたいこと・・・「あまり寝るな・昼寝するな・冷酒は飲むな。生ぬるい酒を飲め・辛いものは食べるな・性欲と食欲はつつしめ・40歳以上はあまり性欲を出すな・とにかく欲をむさぶるな・朝早くおきて掃除しろ・忍を忘れるな・倹約しろ・派手な服を着るな・みだらな歌を聞くな・女は夫に腹をたてるな・尿意をがまんするな・・・・・・・・」

今までかかったことのある病気・・・痔・眼病モロモロ・頭痛・淋病 「ありとあらゆる病気にかかりました。そしてそれらと戦い、84歳まで生きたのであります」


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★

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加藤嘉明 かとう よしあき 1563〜1631年

戦国時代の武将

もともとは徳川家康の家臣の家に生まれたんだけど、お父さんが家康に背いたため流浪の身に

で、豊臣秀吉にチェックされて小姓になる

活躍したのは秀吉VS柴田勝家のバトル「賤ヶ岳の合戦」

加藤清正・福島政則らとともに「賤ヶ岳の七本槍」の一人になるくらい活躍

その後も秀吉の天下取りに活躍して10万石の大名に

関ヶ原の戦いでは東軍に入ってこれまた武功をあげ、最後は40万石ゲット

豊臣恩顧の武将でありながら、なんとか生き延びていくことができた


性 格・・・余計なことは口出ししない。寡黙。冷静

特 技・・・築城「自慢は松山城です」

嫌いなタイプ・・・豪傑な人 「壇団右衛門みたいな家臣は嫌ですな」

家臣A談・・・「朝鮮出兵した時なんですけどね、捕まえた虎が逃げたんですよ。みんな大騒ぎで逃げまくったんですが殿は平気で居眠りしてたんです。いや〜度肝が座ってますよ」

徳川家康談・・・「奴は何事につけ巧者なんじゃよ」

息子談・・・「せっかく頑張ってくれたのに、御家騒動で領地没収されてしまい、すいません」


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★


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可児才蔵 かに さいぞう 1554〜1613年

戦国時代の武将 渡り歩きの名人

出生は??

槍の名手で最初は斉藤龍興に仕え、以後主君を変えまくる

わかってるだけでも、柴田勝家・明智光秀・前田利家・織田信孝・森長可・豊臣秀次・佐々成政などなど

武士はニ君に仕えずとゆーのは江戸時代になってからのことで、戦国時代は少しでも自分を高く評価してくれる人のとこに行くのは当たり前のことだった

でも才蔵の場合は、主家を変えたことで立身出世してないので、なんのために主君を渡り歩いたのかは謎

でも常に生き残ってきているので、かなりの腕前だったと思う

さてさて、才蔵が有名になるのは関ヶ原の合戦の時

この頃は福島政則の陣にいたんだけど、めっちゃ首を取り、首を持ちきれないので口の中に「笹の葉っぱ」を目印として入れた

首実験のとき、才蔵の武功に徳川家康は大喜び

こっから「笹の才蔵」と呼ばれる

最後は福島家の家臣として生涯を終えた



信じているもの・・・愛宕権現

夢・・・愛宕権現の縁日に死ぬこと

嫌だった主君・・・豊臣秀次

嫌いな奴・・・井伊直正

嬉しかったこと・・・関ヶ原の首実験の時、家康にめっちゃ誉められたこと

藤堂高虎談・・・「あいつだって主君をコロコロ変えてるのに、なんで俺ばっか悪者?ずりぃよなぁ」

ラッキーな数字・・・17


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★


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片桐且元 かたぎり かつもと 1556〜1615年

戦国時代の武将

浅井家の家臣の家に生まれ、同じ近江生まれの石田三成らと一緒に、長浜城にやってきた豊臣秀吉に仕える

有名になったのは秀吉VS柴田勝家の賤ヶ岳の戦い

ここで頑張って奮闘し、「賤ヶ岳七本槍」の一人になった

その後も頑張ってんだけど、賤ヶ岳の時のような派手な戦功はなかったんだけど、頭が良かったので事務系として秀吉に重宝されていく

そして秀吉に念願の子供・秀頼が生まれると後見人をまかされ、ようやく大名に

且元の苦労は秀吉が死んでから始まる

豊臣家を滅亡させようと動きまくる家康に対し、必死で豊臣家を守るべく動きまくった

が、この動きまくりが豊臣家内で「且元って徳川のスパイじゃないの?」と疑われるように

そしてとうとう1614年の「方広寺の鐘事件」が起きる

これは豊臣家が建てた方広寺の鐘に「国家安康」「君臣豊楽」という文字を見た家康が「徳川を呪ってる!」と難癖をつけ、豊臣家と戦おうとしてるとゆー事件

慌てた且元は必死で家康を説得しようとするんだけど、家康には会えずじまい

でもって淀殿(秀頼のおかん)がもう一人使者を送るんだけど、家康はこの使者にはきちんと会って丁寧にもてなし、甘い言葉も言いまくった

これにより豊臣家では「もう一人の使者は家康に会ったというのに!且元とは言ってることが全然違うじゃないか!やはり且元は家康の回し者だ」ということになり、且元暗殺計画まで出てしまう

豊臣家のために必死で工作しまくったとゆーのに、家康の策略によりスパイ容疑をかけられた且元は泣く泣く豊臣家を離れる

そして大阪夏の陣によって豊臣家は滅亡

大阪城落城後の20日後に且元は病死するが、噂では豊臣家に忠義をたて自殺したとも言われている


悔しいこと・・・スパイ容疑をかけられたこと 「秀吉様の恩に報いるため、豊臣家存続のためあれほど頑張ったというのに・・・」

悲しいこと・・・スパイ容疑をかけられたこと 「家康殿の策略により、これだけ豊臣家のために頑張ってきたこの私がスパイと言われるとは・・・」

切ないこと・・・スパイ容疑をかけられたこと 「豊臣家存続のため、関ヶ原の合戦では私の子供を人質に送ったというのに」

泣きたいこと・・・スパイ容疑をかけられたこと 「豊臣家がいざと言う時の交渉窓口確保のために、私は自分の身内を徳川方の縁者と結婚させたりしました。そこまでしたというのに・・・」

大切だったもの・・・豊臣家

嫌いな人・・・徳川家康・本多正信・金地院崇伝

家臣の心配事・・・「いつかストレスで過労死するんじゃないかと、ヒヤヒヤしてました」

遠い日の栄光・・・賤ヶ岳七本槍 「あの頃が一番輝いていました」

最後にヒトコト・・・「私は逆臣ではありません!!」


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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川路聖謨  かわじ としあきら 1801〜1868年

大分で生まれ、12歳で小普請組の川路三佐衛門の養子になる

その後、下っ端からスタートしたんだけど優秀だったのでどんどん出世

24歳で評定所溜役・27歳で寺社奉行吟味物調役、41歳で朝散大夫と、老中たちに可愛がられ順調に出世階段を登った

ペリーがやってきた後にロシアのプチャーチンがやってきたんだけど、川路はプチャーチンと会談し日露和親条約を締結

で、ハリスがやってきてあーだこーだやっている間に、大老・井伊直弼によって左遷されてしまう

その後、薩摩藩の島津久光が「生麦事件・薩摩藩士がイギリス人を殺しちゃうこと」を起こした時、急遽事後処理のために狩り出される

が、3年間も政務から離されてたため、時勢についていけず失敗

大ショックを受けていた川路にさらなるショックが

それが病気

中風になった川路は療養してるんだけど、その間に幕府が鳥羽伏見の戦いに負けて、江戸城を明け渡すことになった

68歳になっていた川路は、江戸城明け渡しの日に、腹を斬り短銃で喉を撃って自殺した


プチャーチン談・・・私タチハ、ミンナ川路ガ大好キネ!!

思うこと・・・私は一介の浪人の子です。その私をこんなに重宝してくれた徳川幕府には一生恩を感じております

近所の人談・・・「えぇえぇ、そりゃあ寂しいお葬式でしたよ。あれだけ幕府内で出世したとは思えないくらいの寂しさでした」

参加サークル・・・尚歯会

妻談・・・「夫は幕府と命運を共にしたのです」


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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北政所  きたのまんどころ
戦国時代の女性  

本名は「おね」「ねね」「ね」のうちのどれか

尾張の杉原家の次女として生まれ、浅野家に養女に行く

13歳の時に木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)と結婚

持ち前の口のうまさでダンナはガンガン出世。ずーっと糟糠の妻として秀吉を支え続ける。

秀吉は出世するごとに女性関係も派手に。

怒ったおねは社長の信長に愚痴る。すると信長「まったくあのハゲネズミめ!そなたといういい妻がいながら浮気とは!!そなたはどーんと構えていていいからな」という手紙を送る

これにより「あのオッソロシイ信長から、あんな優しい手紙を貰うとは・・・」と、おねは一目置かれるようになる

が、おねには悩みが

それは「子供が生まれない」というもの

養子をたくさんもらい育てて実子の生まれない寂しさを紛らわせる

そんな中、側室NO1の淀君が男児を出産。が、1歳になるかならないうちに死去。

が、次も男児を出産する。それが「秀頼」

秀吉は他のモノが見えなくなるくらい秀頼を溺愛。

おねの女としての屈辱の日々がスタートする。が、秀吉は子供を産まずとも苦労して一緒にやってきたおねを大事にする。

それが淀君からしてみればカチンとくるツボ。

「なに?あんたなんて子供も産めない女じゃないの」と、バカにしくさった

そのため豊臣家内に「おねVS淀君」の空気が漂い始める

さらにタイミングの悪いことに秀吉が死去

おねは跡取り秀頼が大阪城に住むことになったので、大坂城を追い出される

それに怒った子飼いの加藤清正・福島正則ら。そんな時、家康VS石田三成の関ヶ原の合戦がスタート

おねは迷わず加藤清正らに「あんな女のいる豊臣家なんて、もーどーでもいいわ。あんた達は家康の味方をしちゃいなさいよ」とアドバイス

このアドバイスのおかげで家康は関ヶ原に勝利する。

のちにおねは高台院となり、秀吉の菩提を弔うエブリディをすごす

女の戦いに勝ったことは勝ったが、可愛い養子たち(清正・正則・小早川秀秋)らはみーんな不幸になり、寂しい晩年となった


好きな人・・・秀吉 「ハゲネズミでも優しい人なの」

嫌いな人・・・淀殿 「ほんっとに失礼な女なのよね」

親 友・・・まつ 「よく家族で遊びました。養女もくれるくらいなのヨ」

宝 物・・・可愛い子供達

オモヒデ・・・結婚式 「貧乏だったのでゴザをひいて行いましたの。あの頃が懐かしいですわ」

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★★ 

キャッチフレーズ・・・影で天下を動かした女



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霧隠才蔵  きりがくれさいぞう
戦国時代の人 伊賀忍者

いたのかいないのか不明の人

「真田十勇士」で有名

どうやら真田幸村に仕えていたらしい

猿飛佐助と並ぶ、忍者界のスター

実際に霧を幕にした忍者がいたため、これがモデルなのかもしれないという説がある


特技・・・壁にへばりつくこと

得意な術・・・火薬で霧を作ること

ナイスなライバル・・・猿飛佐助

好きな人・・・幸村っちですよ!

活躍の場・・・大坂の陣

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★



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北原白秋 きたはら はくしゅう 明治18年〜昭和17年
詩人

酒造屋に生まれたが、後を継ぎたくないので早稲田大学へ行った

そして石川啄木らと侵攻を深め「邪宗門」という詩集を発表しブレイク

明治41年(23歳の時)には「パンの会」という文学者や画家達のサークルを作った

若くして名声をゲットした白秋

が、25歳の時思いがけない出来事が起こる

白秋は千駄ヶ谷の貸家へお引越しした

この時、隣の家に「俊子」という若い美人妻と出会う

白秋はこの俊子が気になりまくっていた

ある日俊子が白秋の家にやってきて「あたし、20でダンナの松下と結婚したけど、彼は愛人はいるし、あたしのことを殴る蹴るの暴行をするの。もう死んでしまいたい」と告白

白秋は「よし!オレが守ってやる!」と美人妻にメロメロに

が、ダンナの松下が「よくもこのオレの女房を寝取ったな!」と裁判沙汰にしてしまう

若い人気詩人北原白秋はいっきに「人妻と不倫した男」というレッテルを貼られる

それでも白秋は俊子が大好きで、なんとか俊子と結婚

が、ビンボー詩人になってしまった白秋に、俊子は嫌気がさし「話しがちがうじゃないの!もっと贅沢させてくれると思ったのに!」と、出て行ってしまう

それでも白秋は「俊子が出て行くとき、なんてヤツだと張り倒してやりたかったが、後ろを振り返った時の顔を見たら抱きしめたくなった」と未練タラタラ

白秋は俊子が出て行ってから酒に溺れる

そんなころ「北原センセの大ファンなんですぅ」という江口章子(あきこ)という女性が登場

この子とラブラブになりまたも結婚

が、この章子も別の男と不倫をし駆け落ちしてしまった

ボロボロの白秋

海に行って自殺しようとしたが、友達に止められた

その後知り合いの紹介で佐藤菊子という女性と知り合い、結婚

この女性とはフツーに幸せに暮らすことができた

こうして心の安定をゲットした白秋は、国民的詩人として全盛期を向かえたのでした


性 格・・・ナイーブ

ビビったこと・・・関東大震災

つくづく思うこと・・・「貧乏は嫌ですね」

自 慢・・・「詩だけではなく、色んな童謡を作りまくりましたよ!」

歴史メジャー度  ★★★

管理人お気に入り度 ★★


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紀伊国屋文左衛門 きのくにやぶんざえもん

江戸時代(元禄)のスーパーセレブ

5代将軍・綱吉の時代は「元禄バブル」と言われていた時代

その元禄バブルの申し子がこの人

文左衛門は謎が多い人ですが、どーやら紀州の有田ミカンで儲けた人

当時、有田みかんは色・味・形がとってもよくって江戸で大人気

11月にはミカンをまくお祭りがあり、この時期は特に人気だったんだけど、海は暴風雨シーズン

そこで決死の覚悟で暴風雨の中ミカンを運び込んだのが文左衛門

これにより文左衛門は一気に上昇していきます

また、この頃の江戸は火事が多くって建築ラッシュだった

そこで材木商をやって大当り

老中の柳沢吉保らにとりいって、幕府の土木工事を一手に引き受けた

そして儲けたお金を湯水のように使いまくった

が、5代将軍綱吉が死に、柳沢吉保らも失脚

文左衛門もバブル崩壊後、お金を使い果たしてしまったため浅草の小さい家でひっそりと暮らしたといいます



ニックネーム・・・紀文

紀文伝説・・・吉原一日貸切 「吉原の大門を閉めさせ、遊女を全員買ったのじゃ。これを大尽遊びとゆーのじゃ」

ライバル・・・奈良屋茂左衛門

奈良屋との勝負・・・「ある日、奈良屋が向かいの茶屋でしっとりと遊女らと雪見をするってんで、邪魔してやろうと思って雪の代わりに小判をまいてやったのサ。遊女たちは急いで小判を拾いにいって、奈良屋の雪見はめちゃめちゃになったのさ。わはは〜」

遊女談・・・「紀文さん?ん・もーーーサイッコーよ!あんな粋でイナセな男いないわよぅ」

遊郭の支配人談・・・「紀文さん?もお最高です!あの人が使うお金は、ハンパじゃないですから!江戸庶民が束になってやってきても、あの人一人で使う金より少ないですよ!」

成功の秘訣・・・「賄賂じゃ。賄賂」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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吉川広家 きっかわひろいえ 1561〜1625年

戦国時代の武将。吉川元春の三男

おかーさんはブサイクで有名なお人

小さな頃から「うつけ」と言われてて、お父さんの元春がいっつも困ってた

でもって豊臣秀吉のもとへ人質として差し出される(すぐ帰ってきた)

そのうちお父さんとお兄ちゃんが死んだため、当主となり月山富田城の城主になる

関ヶ原の戦いで、本家の毛利家が西軍の総大将に担ぎ出されると、めっちゃ焦って裏工作しまくり

なんとか毛利家を存続させねば!!と、家康と密に連絡しまくる


性 格・・・計画好き

大事なもの・・・本家

嫌いな人・・・石田三成・安国寺 恵瓊

言いたいこと・・・ワシがいなかったら毛利家は潰れてたかもしれんのじゃぞ!!

むかつく言葉・・・「宰相殿の空弁当」 西軍の人たちが「早く動け!」と何度も使者を送ったんだけど、広家は動きたくないから「これからうちの軍は弁当を食べるんじゃ!!」と退けた。こっから生まれた言葉

ショックだったこと・・・軍を動かさなかったら家康は所領を安泰すると言ったのに、めっちゃ減らされたこと

毛利本家談・・・「勝手な事をしやがって!!」こーして吉川家は毛利本家からめちゃくちゃ冷たくされ、それは幕末まで続いた

広家の側近談・・・「だって関ヶ原にきていた毛利本家の秀元殿はまだ22歳ですよ?わが殿は、秀元様をはじめとする毛利本家をなんとしてでもお守りせねば!と、必死だったのです。それなのに裏切り者扱いされてしまい、お気の毒で仕方ありません!」

最後にヒトコト・・・「うちのおかーさんはブスじゃないぞ!」


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★


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桐野利秋 きりの としあき 1838〜1877

幕末〜明治時代の人・軍人 別名は「中村半次郎」

薩摩藩の最下級武士の次男として生まれたが、お父さんが娘(桐野の妹)の治療費のために公金を横領したため流罪に

でもってその後すぐにお兄ちゃんが死んでしまい、一家は利秋が守ることに

なんとか家族に生活をさせ、やっと落ち着いた頃西郷隆盛と出会う

剣の腕が良かったので、西郷は利秋を人斬りとして育てる

戊辰戦争が起きると西郷の腹心として働き、「人斬り半次郎」とみんなに恐がられる

明治4年になると陸軍に入るが、西郷隆盛が征韓論に破れると西郷について薩摩へ戻る

そして西南戦争で戦い死亡してしまう


ビンボー時代の生活・・・昼は畑仕事をし、夜は1日8000回ほど刀で立ち木打ちをしてました

尊敬する人・・・西郷隆盛

コンプレックス・・・学校に行くお金もなかったので、学が全然なかったこと

気にしてること・・・みだしなみ 「いつも身だしなみだけはきちんとしてるんですよ。軍服はフランス製のオーダーメイドであります。香水はフランスからとりよせました」

安心したこと・・・「私が死んだ後、西南戦争の賊軍の将ということで官位剥奪されたんですが、大正五年に正5位を贈られ、名誉回復できました〜♪」

噂・・・西南戦争で実際に指揮してたのは桐野利秋らしい

勝海舟談・・・「あいつはなかなか優秀な男だ」

大隈重信談・・・「あいつは派手な男だった。体も大きいし、着物をきちんと着ていたんだ」

西南戦争の兵士A談・・・「彼の遺体をみたんですが、香水のにおいがしました」

西南戦争の兵士B談・・・「か・・・彼は人斬り半次郎でしょ?幕末の三大人斬りですよね??こわ・・」


歴史メジャー度・・・★★★

管理人お気に入り度・・・★★★★

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京極高次 きょうごくたかつぐ 1563〜1609

京極家は近江の守護だった佐々木信綱の四男が信綱が京極に持っていた家を貰ったことから「京極」と名乗ることに

高次のおじいちゃんの時に、家臣だった浅井家に近江を奪われてしまったため、高次は織田信長のもとへ人質として送られてた

で、浅井氏が織田信長に逆らって滅亡してしまい高次は昔の家臣を集めて信長から五千石貰う

高次の狙いはなんといっても「京極家再興」

が、読みを外してしまう

とゆーのも、本能寺の変の時に明智光秀についちゃった

明智光秀が負けちゃったので、高次は次々と逃げ隠れすることに

でもって妹の龍子が嫁いでいる武田元明のとこに逃げるんだけど、元明が豊臣秀吉にやっつけられちゃった

すると高次は妹の龍子を側室として差し出し何とかセーフ。ちなみにこの龍子が側室NO2の松の丸

そして念願の京極家再興することができ、奥さんに淀殿の妹・お初を迎える

秀吉が死んでからは徳川家康にくっつき京極家を守ることができた


ニックネーム・・・「尻蛍大名」

言いたいこと・・・なんとでも言うがいいさ!京極家のためさ!

妻・お初談・・・「はぁ・・・。なんで私だけ・・・。私は姉(秀吉の側室)や妹(徳川秀忠の正妻)より貧乏くじをひきましたわ!」

知り合いA・・・「けっ。ラッキーな奴だよな。妹と妻のケツのおかげで出世できたよーなもんだぜ」

知り合いB・・・「あいつんちって浅井家に滅ぼされたけど、浅井家の娘のおかげで再興できたよな〜。縁って不思議だよな〜」

一番頑張ったこと・・・「大津城で戦ったこと」

眼に見えないが持っているもの・・・「女運」


歴史メジャー度・・・★★★

管理人お気に入り度・・・★★

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黒田如水  くろだじょすい
戦国時代の軍師  黒田官兵衛・考高 

1546年に生まれた官兵衛は、最初姫路城の小寺家に仕えていた

が、織田信長が勢力をガンガン伸ばし、姫路城のある播磨までやってくると、城主の小寺に「もう信長に従ったほうがいいですよー。時代は信長ですよ」とアドバイス

ちょーど攻め込んできてた秀吉に話しをつけ、以後秀吉の家臣となる

そんな頃、荒木村重が信長に謀反を起こす

荒木村重は、官兵衛を秀吉に引き合わせてくれた人なので、官兵衛は思いなおすよう村重を説得しにいく

が、村重は官兵衛を信用できず、牢屋に閉じ込める

この時、暗いじめじめした牢屋に長いこと閉じ込められ皮膚病になってしまい、足を悪くし、頭も禿げた

それでも頭が良かったため、同じく秀吉からスカウトされた竹中半兵衛とともに秀吉を天下にのしあげていく

が!! 秀吉と一緒に中国地方で毛利家と戦っていた最中に、なんと主君の織田信長が本能寺の変で明智光秀に殺されてしまった

ギャーギャー泣き喚く秀吉

そこへ官兵衛が「殿!何をいつまでも泣いてるんですか!信長殿の仇をとりに早く明智光秀をやっつけに行きましょう!これは殿が天下を取るチャンスですぞ!」

この官兵衛のヒトコトに我に返った秀吉は、すぐさま明智光秀をやっつけにいく

が、この時の官兵衛のヒコトコによって、秀吉は「あいつめ・・・。危ないヤツだな・・・」と思うように

それから秀吉は天下を取るも、なぜか官兵衛にはあまりご褒美をあげなかった

他の人たちが「秀吉さまぁ、官兵衛はあんなに活躍したんですよー。もうちょっとご褒美をあげたほうがいいですよ」とアドバイスするも、秀吉は「あいつに褒美(所領)をたくさんあげたら、何しでかすかわからん」と信用しなくなった

こんなこともあり、官兵衛は関ヶ原の戦いで石田三成(豊臣家)と、徳川家康がバトルになった時、「オレ、天下ゲットしちゃおうかな。まずは九州を統一して中央へ乗り込むか!」と野望に燃える

が、関ヶ原は1日で決着がつき、官兵衛の野望は消えた

よっぽど悔しかったのか、嫡男の黒田長政が関ヶ原にてかなりの活躍をしたことを聞くと、「オマエは何をやっとんじゃ!」とキレた

晩年は偏屈じじぃに

長政が「お父さん、もうちょっと穏やかにしてくださいヨ。家来たちがビビってますよ」とお願い

すると官兵衛 「このバカ!オレが偏屈じじぃになって死んだら、みんなオマエが新当主になった時、喜ぶだろうが!オマエのためだっつーの!」と怒った

死ぬ間際まで策士だった


欲しかったもの・・・天下

親 友・・・竹中半兵衛 「息子の命の恩人です。よく言い争いしましたが、いいヤツでした」

ヒトコト・・・「まさか関ヶ原が1日で終わってしまうとは・・・」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★ 

キャッチフレーズ・・・天下をこぼした男



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田長政  くろだながまさ
戦国時代の武将  ↑の黒田如水の息子

黒田如水の嫡男として生まれた長政は、幼い頃信長に殺されかかった

お父さんの如水が、織田信長を裏切った荒木村重謀反の説得に行ったところ、捕らえられ牢獄に入れられた

そのとき長政は人質になっており、如水が戻ってこないので村重の味方をしたと思いブチ切れた信長は「黒田如水の息子をブッ殺せ!」と命令

それを親友の竹中半兵衛が「あの官兵衛が裏切るわけがない」と、信長には長政を殺しましたとウソを言って、長政を助けた

あとから如水が裏切ってないと知った信長は大慌て

そこで竹中半兵衛が「実は・・・」とホントのことを言うと、信長はめちゃくちゃ喜んだ

こうして半兵衛のおかげで命拾いした長政は大きくなって武功派として成長

いっつも「オレッチの黒田家はオレが死んでもお父さんがいるからダイジョーブさ」と言ってた

だけどお父さんに色々教えてもらったのか、秀吉が死んだ頃から知謀を発揮しだす

関ヶ原では家康の東軍についた

理由は「秀吉てさ、オレのお父さんがアレだけ活躍したってのに、全然ご褒美くれないんだもん。ひどいよな」というもの

が、お父さんは密かに天下を狙ってたというのに、息子の長政はそんなこと露知らず関ヶ原にて大活躍

家康は長政の手をとり「徳川家は子孫代々 黒田家を大事にするからな!」といわれ大喜び

「お父さん褒めてくれるかな♪」とウキウキで報告

するとお父さん 「オマエは家康に手を出された時、どっちの手を出した?」と聞かれた

長政 「ん?右手だけど?」

お父さん 「その時、おまえの左手は何をしてたのだ!」と怒られた

どうやら、なんでそのとき、左手で家康をぶっ殺さなかったのかという意味らしい

長政「えぇー。そうだったの??」と、ショック・・・

が、黒田家は家康の言葉どおり、明治まで続く家柄となったのでした


尊敬する人・・・お父さん「ボクのお父さんはすごいんだぜ!」

大嫌いな人・・・後藤又兵衛 「小さい頃からあいつのことが大嫌い!ほんっとムカツクんだよアイツ!お父さんにも気に入られてたしさぁ!」

命の恩人・・・竹中半兵衛 「竹中家とはずーっと仲良くやっていくつもりです」

おっかなかった人・・・島左近 「だって死に物狂いなんだもん」

不思議なオモヒデ・・・島左近の着てた鎧の色を覚えてないこと 

今思うとゾッとすること・・・
「ボク、あの家康を怒鳴ったことがあるんですよ。だってね、関ヶ原の合戦の最中にね、ボクが裏切るように話ししといた小早川秀秋がいつまでたったも動かないんです。そしたらね、家康がね、ボクのとこにきて「どうなっとんじゃ!」と怒鳴ってきたんですよ。ボクだってね、そのとき目の前に敵がいて必死だったの。だからね「戦いが始まる前のことを今グチグチ言ってんじゃねーよ!」って言っちゃったの。あとから冷静になって考えたらどーしょーって思っちゃったけど、だいじょうぶだった!よかったぁ」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★




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楠木 正成 くすのき まさしげ
鎌倉時代〜室町時代初期の武士 戦前のヒーロー

河内に生まれた正成は悪党として有名人になっていた

ちょうどそのころ時の天皇・後醍醐天皇は「武士の世になぞしてたまるか!天皇が一番えばれる世の中にするぞ!」と鎌倉幕府に反旗を翻していた

そこで後醍醐天皇夢をみた

その夢とは「大きな木があって、南側には葉っぱがたくさん茂っていた。すると空から2人の天使が舞い降りて、今アナタを助けてくれる人がいますよと言った」

目覚めた後醍醐天皇は「オレを助けてくれる人??ムム?確か木の南側だけが葉が生い茂っていたなぁ。木に南・・・ん?楠?この辺に楠木って名前がつく人いるんか?」

こうして呼び出されたのが楠木正成だったのでした

それからというもの、正成はなんと言われようと天皇一筋

千早城のゲリラ戦では数少ない兵で鎌倉幕府の兵たちをやっつけまくった

こうして天皇一筋で頑張ってきた正成

が、時代は「武士」を犬同然と扱う時代だったので、後醍醐天皇のまわりのお偉いさんたちに「武士のくせにエラソーにするなでおじゃる!だまってマロたちの言うコト聞いてりゃいいんでおじゃる!」などなどブーイング

ちょっとでも意見を言おうもんなら避難ゴウゴウだった

戦いのプロとして最後の最後まで意見を言うもことごとく却下

負けるとわかっていた湊川の戦いで息子と涙のお別れをし、最後まで天皇のために戦って死んだ


特技・・・ゲリラ戦

願い・・・七回生まれ変わっても朝敵をやっつける

悲しかったこと・・・息子と桜井で訣別したこと「無理やり帰らせた息子の背中が涙で見えなくなりました」

ヒミツ・・・実はライバル足利尊氏を認めている。実は仲間の新田義貞をバカにしている

公卿A談・・・「ヤツは仲間の新田義貞と手を切れと言ったんでおじゃるよ?信じられないでおじゃる」

公卿B談・・・「だいたい武士なんぞはマロたちのために汗水たらして働いていればいいんでおじゃるよ」

公卿C談・・・「あやつは京都に兵を入れようとしたんでおじゃるよ?まったく。マロの家が焼かれたらどうするでおじゃるか!」

足利尊氏談・・・「ヤツは敵でしたが、敵ながら天晴れでござる」

徳川光圀(水戸黄門)談・・・「ヤツは石田三成と同じく、忠臣の第一じゃ」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★

キャッチフレーズ 太平記のドリーマー


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九鬼嘉隆 くき よしたか ?〜1600年
戦国時代の海賊大名

伊勢・志摩を拠点としていた海賊水軍のリーダー

織田信長とツルみ、超巨大戦艦を作ることに成功し、ライバルの村上水軍や雑賀水軍をコテンパンにやっつけ、信長から所領をもらい海賊大名となった

その後、秀吉による朝鮮出兵の時、水軍大将に任命され、参戦

が、朝鮮水軍に惨敗し、ショックで隠居した

そこへ関ヶ原の合戦が始まる

嘉隆は徳川家康が大嫌いだったので、西軍についた

隠居してたのに参戦したのは、どうやら朝鮮出兵でボロ負けしたのが悔しかったらしく「九鬼嘉隆ここに健在!」というのをもう一度アピールしたかったかららしい

ちなみに、九鬼家を存続させるため、息子の守隆は東軍に入れた

結果、西軍は負けた

息子の守隆は家康に「褒美はいらないから、父の命を助けてください!」とオネガイ

家康はOKし、守隆はウッキウキでお父さんのもとへ

が、すでに嘉隆は自刃した後だったのでした


自慢・・・巨大戦艦 「鉄砲も装備しております」

テヘへ話・・・「海賊なのに陸にお城作っちゃいました」

悔しいこと・・・「朝鮮水軍に負けたこと」

息子・守隆談・・・「あとちょっと早く父の所に行っていれば・・・。本当に悔しいです!悔しすぎです!」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★



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九戸政実 くのへ まさざね ?〜1591
戦国時代の人

東北地方の名門南部氏の支族

支族の中でもメチャクチャ強い人で、それでい支族の中で一番お金持ちだった

そん中、南部宗家(本家のことね)が、暗殺され後継者選びが始まる

有力候補は田子信直

が、九戸政実は自分の弟の実親をプッシュ

だけど家臣談が反対し、信直が当主となる。これが南部信直

それ以来、九戸一族は本家に対してむかつくように

とうとう戦となっちゃいました

九戸政実はメチャ強だったので、焦った南部信直は天下ゲッターの豊臣秀吉に「たすけて〜」と連絡

こーして秀吉が奥州仕置として、大軍を派遣

さすがの九戸政実も勝てず、とうとう城を明け渡し、斬首となってしまった


野 望・・・主家のっとり

ポリシー・・・ワシに逆らうヤツは撫で斬り

浅野長政談・・・「いや、わしが降伏したら命は助けてやるって約束したんですけどね、秀吉様が殺せって・・・。政実殿、ワシを恨むなよ」

南部信直談・・・「ほぁ〜。秀吉様のおかげで助かったよ〜。ったく、俺の一族こんなヤツばっかだよ!」

九戸家の人々談・・・「いやー、喜怒哀楽のあまりない冷静沈着な人だったんですけどねぇ・・・」

最後にヒトコト・・・「豊臣がなんぼのもんじゃぁ!!」


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★

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栗本鋤雲 くりもと じょうん 1822〜1897年

幕府の医者をやっていた家に生まれる

で、幕府の学校・昌平坂学問所に入るんだけど、めちゃめちゃ優秀な成績を収める

だけど昌平坂学問所のやり方にいちゃもんをつけたため退学

どうやらむかついたらしく、鋤雲は昌平坂のすぐ近くに塾を開いた

弟子は15人くらいいたんだけど、めっちゃビンボーで大変だったらしい

27歳の時に栗本家の養子になり、幕府の医者になるとやっとビンボーから脱出することができた

で、医者として生活してくんだけど、政治にめっちゃ興味津々で、ある日オランダの船に試し乗りしちゃった

すると将軍家のNO1医療責任者がめっちゃ激怒!

なぜかとゆーと、「我らの主流は漢方じゃ!オランダ医学に接触するなんてダメじゃ!」とゆーもの

こうして左遷された鋤雲でしたが、これをきっかけに色々と勉強しまくり

そして41歳の時に医師から官僚に変身しちゃった

でもってフランスと仲良くなり、パリ万博へ

そこで大政奉還を知って、帰国後引退

後は悠々自適の生活を送った


憧れの地・・・フランス

マブダチ・・・小栗忠順

ビックリしたこと・・・パリにいる時に大政奉還が行われたことを知った時

楽しかった仕事・・・報知新聞の記事を書いてたこと

幕府の官僚談・・・「ホントは鋤雲を新撰組の頭取にするつもりだったんだよな〜。だけどタイミングが合わなくって昌平坂頭取にさせたんだよ」

新政府の一人・・・「鋤雲さんには是非新政府に出仕して欲しかったんですが、徳川に恩義があるということで来ていただけませんでした」



歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★

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慶ァ尼 けいぎんに
戦国時代の女性 龍造寺隆信の母

肥前国の龍造寺周家の正室となり、隆信を出産する

が、この頃九州では戦の雨嵐。とうとうダンナの周家が殺されてしまう

こうして隆信が龍家の跡取りとなる

隆信は慶ァ尼のアドバイスをよく聞き、九州において勢力を伸ばし始めるように

そこでとんでもないコトが起きた

なんと突然慶ァ尼が、家臣である鍋島清房を呼び出し「あんた奥さん死んじゃったんでしょ?私もよ。だから私があなたの妻になるから、適当にいい日を選んでちょーだい」

これには清房もビックリ

「お言葉、承りましたが、思いもよらないことでございます」と答えるのが精一杯

驚く家臣たちを尻目に、慶ァ尼はとある吉日に勝手に清房の家へやってきてしまった

鍋島家は大パニック

が、だーーーれも文句が言えず、慶ァ尼は清房と結婚した

「賢女である慶ァ尼がナゼこんなことを!?」とみんなビックリ

が、慶ァ尼の考えはこうであった
「この乱世、能力のある人材を隆信につけなければならない。清房の次男は私が見た中ではピカイチ。私と清房が結婚すれば兄弟の縁ができるであろう」

そう、慶ァ尼が目をつけた息子というのは、当時12歳の鍋島直茂だったのです

こう考えるとホント見る眼がありますね

さて、息子の隆信はどんどん勢力を増してきたが、息子政家に家督を譲り始めた頃からちょっとづつおかしくなり始めた

お酒をよく飲み家臣らを殺し始めたりしはじめたため、家臣の心は離れ始めてしまったのです

理由は不明ですが、勇猛な武将の面影が全く無くなってきてしまった

そんな中、島津が九州制圧をしに戦いを挑んできたのです!

ここに九州の覇者を賭け、島津義久と龍造寺隆信のバトルがスタートしたのです

それが沖田畷の戦い

ここで隆信は、鍋島直茂の意見を聞かず、突っ込んでしまったため龍軍は総崩れとなり、隆信はとうとう討ち取られてしまったのです

この後、島津はチャンスとばかり備前佐嘉城にたてこもっている龍家を包囲

当主である隆信も、名だたる武将もことごとく討ち死にしてしまい、もはや抵抗する力は全く残っていませんでした

島津総大将の家久は無駄な争いはしたくないな・・・ってことで隆信の首を塩漬けにし、篭城してるやつらに持って行ったのです

そして「こーなる前に降伏したほうがいいんじゃないの?」と言いました

これを見た70歳すぎた慶闇尼

「敗将の首などいらんわ!この抜けた首を持ってさっさと薩摩に帰れや!」と怒鳴ったのです

ビックリしたのは島津家久。

家久は「葉隠れの精神(武士道は死ぬこととみつけたり)」に非常に感心し、行き場のなくなった隆信の首を丁重に埋葬しました

覚悟を決めたその潔さを重んじ、軍を撤退

龍家は慶ァ尼のおかげで、かろうじて首がつながったのでした


ニックネーム・・・尼御前

実家の家臣談・・・「姫様は幼い頃から懐に刀を差しておいででした。お珍しい姫様でございました」

豊臣秀吉談・・・「龍造寺隆信は名将に違いない。なぜなら鍋島直茂に国を任せているからだ。人を見る眼がある男であるな。え?鍋島直茂を取り立てたのは慶ァ尼!?そりゃ知らなかった!」

鍋島清房談・・・「いや、ほんと、ほんっっっとに驚きました。まさか押しかけてくるとは・・・。ねぇ?」

家臣A談・・・「当主の正室でありながら、家臣のところへ押しかけるとは前代未聞ですよ!!」

家臣B談・・・「実は奇襲作戦の多くは慶ァ尼のアドバイスなんですよ。すごいですよあの人の頭の良さは」

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★★★

キャッチフレーズ 日本一の押しかけ女房


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近藤勇 こんどういさみ
幕末の人  人斬り集団「新撰組」の局長

1834年 今の東京・調布市で生まれる

幼い頃お父さんに「三国志」などの英雄モノをよく聞かされたためヒーローに憧れる

15歳の時に近藤周助の道場に入門し、メキメキと上達。近藤周助に気に入られ天然理心流というマイナーな流派の養子となる。

ある時、幕府が剣の先生を募集。勇も応募するが有名な道場の人が先生に選ばれ「世の中なんてこんなもんだよな」とブルーに。

ちょうどその頃、14代将軍家茂の警備員を募集してたので、「今度こそ天然理心流を広めたい」と、親友の土方歳三らとともに応募。

こうして京都へ向かうが、京都に行ったら「実は、あんたたちは幕府の雇われじゃなくって、朝廷警護をしてほしいだよね」と言われビックリ!

みんな江戸へ戻ってしまったが、何人かが会津藩預りとして京都に残ることに。この時に残ったのが新撰組のメンバーとなる

こうして勇たちは京都で幕府にたてつくヤツラを斬るという人斬り集団に成長していく

が、薩摩・長州などの志士達が「幕府はだらしないからダメじゃ!これからの世の中は天皇中心とした国にしなきゃダメじゃ!」と言い出し、倒幕に向けて動き出す

そんな怪しいヤツラを「池田屋」などで滅多斬りし、新撰組は京都で最高にオッソロシイ集団となる

が、時代は幕府の味方をしてくれなかった

新撰組が人を斬っている間に、お偉いさんたちはなんやかんやと動き出し、新撰組のわけのわかんないうちに大政奉還してたりと、時代は急激に動いた

新撰組は居場所がなくなり、いつのまにか「賊軍」(天皇に逆らう人たち)になっていた

勇らは鳥羽伏見の戦いで薩長軍に負け、甲陽鎮撫隊を新たに作るもまた負け

最後は千葉の流山まで逃げるも、勇の顔は知れ渡っており斬首となった



親 友・・・土方歳三

嫌いな人・・・薩摩・長州のヤツラ

苦手なタイプ・・・勝海舟 「どうも、うまく丸め込まれてしまう感じがします」

特 技・・・グーが口の中に入る 「尊敬する加藤清正の真似をするため練習しました」

好きなもの・・・女 「お気に入りは美雪太夫です」

妻を選ぶ決め手・・・「ブスです。ブスなら隊士の心を惑わさないだろう?」

宝 物・・・愛刀の虎徹

悔しいこと・・・「武士として切腹して果てたかった・・・・。斬首とは悔しい限りです」

渋沢栄一談・・・「温厚な人物で無鉄砲なことはしない人でしたねぇ」

福地桜痴談・・・「いやー彼は頼み甲斐のある男でしたよ!」

松本良順談・・・「皆さん暴力的な男だと言いますが、決してそんなことはなかったですねぇ」

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★



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後藤又兵衛 ごとうまたべえ
戦国時代の武将  後藤基次ともいう

お父さんが別所家の家臣だったんが、別所家が滅んだので黒田如水の家臣となる

小さい頃から利口だった又兵衛は、如水にめちゃくちゃ気に入られ、自分の息子・黒田長政と一緒に育てる

が、長政は自分よりも何でも出来て、如水に可愛がられている長政にライバル心メラメラ

長政のほうも、「こいつたいしたことないくせに・・・」と思うように

こんな2人の大事件は朝鮮出兵の時

長政が朝鮮の敵将と取っ組み合いのケンカに!

それを見ていた家臣たちが慌てて又兵衛のトコにきて「おたくんとこの長政さんが、敵将と取っ組み合いをして河に落ちちゃいましたよ!早く助けたほうがいいですよ!」とやってきた

すると又兵衛は、河まできて日の丸の扇を片手に2人のケンカ見物をしだした

まわりの家臣は「えっ??助けないの??」とビックリ

長政はなんとか敵をやっつけ、岸にあがってきた

すると又兵衛みんなに向かって「ほらな?俺らの主君は武勇に優れてるからあんな敵なんてなーんともないのじゃ。だから助けなかったんじゃ」と言った

正直、死にそうだった長政は、苦笑いしつつも「こいつ、一生許さねえ」と心に中ではかなりムカついてた

が、とうとうこの2人の訣別の時がやってきた

又兵衛の次男・佐門が長政の小姓になることに

すると長政が佐門に対して「おまえ、小鼓やれよ」と命令。佐門は「ボクは武士です!能楽師のようなことはできません」と拒否

長政は「うぬーーー!親子揃って主君の言うコトを聞かないヤツらめ!このボクがやれって言ったらやるんだよ!」と無理やりやらせた

これを聞いた又兵衛は「なにぃーーー!武士の心を知らぬ男め!」と激怒し、とうとう黒田家をやめてしまいました

が、優秀な武将だった又兵衛のもとにはスカウトがガンガン

福島正則や細川忠興・前田利家・結城秀康という超有名大名からも「ぜひオレのとこに!黒田家にいた時よりいいお給料払うから!」とやってきた

実際、長政のとこにいたときは1600石だったのに、福島正則は3万石出すとまで言った

が、それがめちゃくちゃ気に入らない長政は「又兵衛を雇ったら、黒田家とは絶縁!!」と言い出した

細川忠興にいたっては、雇う・雇わないで裁判沙汰になるほど

が、あまりの長政の執念に、とうとうみんな諦め、又兵衛は軍学を教えたりして生活することに

一時は乞食にまでなるほど大変な生活に

そんな又兵衛にグッドニュースが

なんと豊臣家VS徳川家がバトルすることになり、大阪城から「強い人・徳川が嫌いな人、雇ってあげますよ」という話しが

これに又兵衛は参加

大阪城の幹部たちはは「えっ!?後藤又兵衛が来たの?マジ?マジ?うっわーーーー!あんな強い人が来てくれたんだぁー」と大喜び

こうして大坂城に集まった浪人の中で、又兵衛・真田幸村・長宗我部盛親・明石全登・毛利勝永の5人は「大坂五人衆」と呼ばれ、期待のエースに

そして大坂の陣に突入するも、いざ戦いとなったら大阪城幹部がギャーギャー口を出し、ことごとく作戦を邪魔され、とうとう又兵衛は鉄砲に撃たれ死んでしまった



嫌いな人・・・黒田長政 「フン。器の小さい男よ」

尊敬する人・・・黒田如水 「本当にすばらしいお方でした。なぜあんなすばらしい人から、長政のような息子が生まれたのか・・・」

真田幸村談・・・「あの人は本当にイイヒトでした。このオレに真田丸を譲ってくれたし、オレのことを色々庇ってくれたし・・・。大坂の陣で負けたのは全部お偉いさんたちのせいですよ」

木村重成談・・・「又兵衛さん最高です!あんな男らしくって逞しい人初めて会いました!一生ついていきます」

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★★ 



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高坂昌信 こうさか まさのぶ 1527年〜1578年
戦国時代の武将 武田二十四将の1人

武田軍団の中ではダントツの美男子といわれた昌信

もとは甲斐の豪農で生まれ、武田軍の台所をまかなっていた

が、19歳の武田信玄が13歳の昌信にひとめぼれ

以後、昌信を小姓にし寵愛しまくった

そんな中、信玄が他の小姓と浮気!!

昌信は嫌味の手紙を信玄に書いた

すると信玄「ゴメン!本当にゴメン!そなたに対する心は変わることはない!そたなに対する愛は変わることはない!だから安心してくれ。な?」というラブレターを書いたほど昌信のことがスキだった

そんな昌信も元服し、侍大将に昇格

信玄の小姓時代に、信玄に色々教わったため優れた武将に成長

信玄はそんな昌信を上杉謙信の備え役にした

謙信も昌信のことを「アイツは侮れんやつだからな・・・」と警戒しまくりだった

が、大好きな信玄が死んでしまった

後を継いだ勝頼は、重臣達の意見も聞かず長篠の戦に突入

この時、昌信は信州の境で控えていた

すると勝頼らが血まみれ・泥まみれになって逃げ帰ってきた

昌信は帰ってきた勝頼らにきれいな鎧に着替えさえ、「たとえ負け戦であろうとも、きちんと身支度を整えて帰らねば領民は心配するだろう!」と言った

勝頼は涙を流しながら昌信に感謝した

そんな昌信も病気になってしまう

武田家の衰退を最後まで心配しながら52歳で死んでしまった

滅亡を見なかったのがせめてもの救いかもしれない


外 見・・・武田軍NO1の美少年

ニックネーム・・・逃げの弾正

尊敬する人・・・信玄様!一筋!

武田信玄談・・・「ホント、昌信は可愛いの!ワシ、大好きなの!」

武田勝頼談・・・「あの人はイイヒトです。死んだ時はショックでした・・・」

上杉謙信談・・・「あやつは敵に敗れたときも堂々として逃げるんだよな。まったく見事である」

病気時のうわごと・・・「信玄様今おそばに・・・はぁ・・・武田家は大丈夫であろうか・・・・勝頼殿は大丈夫であろうか・・・・心配でたまらぬ・・・はぁ」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★★



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後醍醐天皇 ごだいごてんのう 1288年〜1339年
鎌倉・室町時代の天皇

鎌倉幕府は、元寇によりボロボロになっており、武士たちの不満はたまりまくっていた

この時代の天皇が後醍醐天皇

天皇になったときすでに31歳で、1321年から実権を握り始め、身分に関係なく有能な人をドンドン出世させるタイプで人気急上昇

そしてちょうど、鎌倉幕府に不満を持っていた足利尊氏・新田義貞らとタッグを組み、鎌倉幕府を滅亡させることになった

幕府を潰して大喜びの後醍醐天皇

「天皇中心の政治を作るぜ」と張り切ったが、時代はもののふの時代

武士を犬同然に扱う政治のやり方に我慢できなくなり、足利尊氏らが反乱を起こし、朝廷は南朝と北朝(南北朝)に別れることに

死ぬ最後まで、足利尊氏のことを恨みまくっていた



外 見・・・体もたくましい・うりざね顔だけど目が鋭い・濃い眉毛に意志の強そうな口元・ヒゲの跡が青々していて、天皇系にしては珍しくエネルギッシュで男性的な風貌・手がめちゃくちゃ大きかったらしい。

スキな家臣・・・身分の低いヤツラ 日野資朝(すけとも)・日野俊基・吉田定房・北畠親房など 

スキな悪党・・・楠木正成

嫌いな奴・・・足利尊氏・直義ブラザース・高師直

スキな女性・・・阿野廉子

オモヒデの場所・・・讃岐

ポリシー・・・「武士なんぞは我らの言うことだけを聞いてりゃいいんじゃ!」

推し進めたかったこと・・・建武の新政

反省してること・・・護良親王を見捨てたこと・楠木正成を手助けしなかったこと

ヒトコト・・・「三種の神器はワシのもんじゃ!バーカバーカ!」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★



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小早川隆景 こばやかわ たかかげ 1533〜1597年

戦国時代の武将。毛利元就の三男

お父さんの毛利元就の姪っ子が嫁いだ小早川家に跡継ぎがいなかったので、養子となる

でもって小早川家の当主に

その頃、織田信長が毛利攻めを行ってて、やってきたのは豊臣秀吉

高松城攻めされてたんだけど、本能寺の変で信長が死んだというニュースが

秀吉は急いで和睦をして引き返す

翌日本能寺の変を知った毛利チームは、「京都へ急いでる秀吉を追っかけてやっつけようぜ!」ということに

その時隆景が「いやいや、約束を破るのは毛利家のポリシーに反する」とストップ

でもって、秀吉が天下を取るんだけど、この時の隆景のことを感謝して以後毛利家を優遇する

で、五大老の一人に任命される

そんな秀吉が、養子の秀秋を「毛利本家には子供がいないようじゃなぁ。秀秋を養子にして毛利家を継がせるぜ」と言い出した

隆景は「そんなことしたら毛利家はめちゃめちゃになる。こうなったら!」と、秀秋を自分の養子に

これが小早川秀秋

そーして隆景は毛利本家を守り、秀秋に家督を譲って65歳で死んだのでした


性 格・・・冷静沈着で文武両道

外見・・・美少年

自 慢・・・俺の水軍

大好きな人・・・ママと奥さん 「子はできませんでしたが、妻LOVEでしたので側室は作りませんでした」

マブダチ・・・黒田如水

兄・吉川元春談・・・「俺の自慢の弟だぜ」

兄・毛利隆元談・・・「俺も自慢の弟だぜ」

甥っ子・毛利輝元談・・・「う・・・。隆景おじちゃんはめちゃくちゃ怖いんだ・・・。ボク、怒られてばっかだよぅ」

大内義隆談・・・「フフ。隆景はボクの大のお気に入りサ。顔が可愛くってサ。もちろん大事にしたサ」

豊臣秀吉談・・・「この世で政治ができるのは、直江兼続と小早川隆景だにゃ。ケド、天下を取るには直江はちぃと知恵が足りん。小早川は勇気が足りんのじゃ」



歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★



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小早川秀秋 こばやかわ ひであき 1582〜1602年

戦国時代の武将

豊臣秀吉の妻・ねねの兄である木下家定の五男として生まれる

子供がいない秀吉とねねに引き取られ、めっちゃくちゃ可愛がられる

「金吾中納言」となり、異例のスピード出世をし、秀吉も一時は相続人にしようと思ってた

ケド、淀殿との間に秀頼が生まれると、態度が一変し、秀秋が邪魔になってきた

とゆーことで、黒田如水の計らいによって小早川秀秋の養子に行かされる

朝鮮出兵の時は総大将をまかされるんだけど、軽率な大将っぷりに秀吉に激怒される

それを石田三成が秀吉にチクッたせいだ!と思い込み、三成を憎むように

落ち込んでた秀秋を助けてくれたのが、徳川家康

家康はいろいろ取り計らってくれたので、秀秋は家康に感謝しまくる

秀吉が死ぬと、徳川家康VS石田三成のバトル・関ヶ原の戦いが始まる

ここで秀秋は「秀吉殿にはお世話になったから、豊臣方の西軍に入ろう。でも、俺、三成がダイッキライだからなんとなくむかつくんだよな。それに家康には世話になったからな〜。どーしよー」と悩みまくる

結局、西軍に入るんだけど、裏では家康に内応する交渉をしまくってた

でもって、当日合戦が始まると、西軍のほうが押し気味だった

「うっわ〜。やべぇ〜。これ、西軍勝っちゃうんじゃないの??もう少し様子みてよ」と、静観してた

いつまでも秀秋が動かないので、イライラしまくってた家康は、とうとう秀秋の陣めがけて一斉射撃!!

これにビビった秀秋は「うわぁ!家康が怒ってる!!と、突撃しなくちゃ!」と、西軍の大谷吉継めがけて襲い掛かった

ここに寝返り成立

西軍は秀秋の寝返りにより、敗北となった

家康は秀秋に約束どおり51万石を与えたんだけど、秀秋は裏切り者として精神を病み、21歳という若さで死んでしまった

小早川秀秋へのインタビューはこちら



性 格・・・ビビリ

好きな人・・・ねねサマ

嫌いな人・・・石田三成と豊臣秀頼 「秀頼が生まれたせいで、人生めちゃくちゃだよ」

苦手な人・・・徳川家康・小早川隆景

嫌いなスポット・・・松尾山

死ぬ前に見た夢・・・「大谷吉継がボクのことを恨んだような目で見るんだ・・・。あわわ」

ヒトコト・・・「ボク、愚鈍じゃないからねっ!!愚鈍だったら秀吉の養子にもなれないし、他の人を差し置いて小早川家の当主になんてなれないんだから!!ふんっ」

さらにもうヒトコト・・・「だって、家康恐いんだもん」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★


キャッチフレーズ・・・徳川の恩人(笑)

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小西行長 こにし ゆきなが ?〜1600年

戦国時代のキリシタン大名

堺の商人の次男として生まれ、宇喜多直家に仕える

商人らしく外交関係に明るかったため、後に秀吉に仕えるようになったといわれている

豊臣政権内では舟奉行に任命され、優れた語学力と経済感覚で秀吉に重宝される

朝鮮出兵の際は、何とか講和条約を締結させようと必死になり、秀吉に怒られるも、前田利長や淀殿の助けによってなんとかセーフ

でもって加藤清正とともに先鋒を命じられるんだけど、清正とめっちゃ仲が悪かったため対立しまくる

秀吉が死去し、関ヶ原の合戦が始まるとマブダチの三成と組んで西軍へ

が、小早川秀秋の裏切りにより大谷吉継隊が壊滅すると、次に小西隊が狙われ壊滅

行長は伊吹山に逃げた

でもってキリシタンだったため自害ができず、竹中重門の隊に捕らえられ、六条河原で処刑された


ホントの名前・・・アウグスティヌス 「いい名前でしょ?」

ポリシー・・・「前に出てこそ戦いである」

嫌いな人・・・加藤清正 「大」がつくほど嫌いです

好きな人・・・妻のドンナ・ジュスタ

仲良し・・・石田三成

うんざりだったこと・・・朝鮮出兵

自慢・・・マイ水軍

徳川家康談・・・「あいつの水軍、強かったから欲しかったのになぁ〜」

高山右近談・・・「彼は私のために隠れ家を用意してくれ、ずっとバテレンを保護してくれたのです」

ハンセン病患者談・・・「小西様は我々のために病院を建築してくれたり、孤児を救済するための施設を作ってくれたり、とても良い方でした」

堺の商人談・・・「あいつ、せーっかく大名にまでなったのにキリスト教信者としての事業をしまくってるからまったく蓄えができないんだよな」

ローマ法王談・・・「行長が死んだことはものすごくショックでした。彼のために市民とともに祈祷を行いました」

加藤清正談・・・「あいつと俺の領地は隣同士なわけよ。キリスト教?ふざけんなよな。俺は日蓮宗だっての!薬問屋の小倅めが」

天草の領民談・・・「あぁ、なぜ死んでしまわれたのですか・・・。行長様の死後、天草は一揆が起きてしまい地獄絵図と化しました・・・」


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★

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児玉源太郎 こだまげんたろう 1852〜1906年

明治時代の陸軍大将

徳山藩(山口県)の藩士の家に生まれたが、幼い頃に父を亡くし、家を継ぐために姉が婿養子をとるも、義兄が殺害されてしまいものすごく貧しい暮らしをして過ごす

17歳の時に戊辰戦争に参加し、ここで軍人としての素質を認められ、東京で軍事教育を受けることができるように

その後、陸軍大学の校長になったりと順調に出世するんdなけど、大山巌が陸軍大臣になると、陸軍次官兼軍務局長になり、陸軍省の細かい仕事のほとんどを源太郎がやることに

日露戦争の時は内務大臣だったんだけど、その職をやめて格下の参謀次長に志願し、満州軍総参謀長として満州へ

ここで奉天会戦などで活躍し、勝利する


性格・・・情に厚い・友達思い・短期

親友・・・乃木希典

マイ・上司・・・谷千城

疲れた場所・・・203高地

ドイツ陸軍参謀将校のメッケル談・・・「日露戦争は日本が勝つと思いましたね。だって児玉がいるんだもん」

涙の名場面・・・日露戦争で全て出し切ったのか、その後すぐに死亡。激しい雨の中でお葬式が行われた時、ずっと乃木希典が児玉の棺の側を離れなかった


歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★

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小林一茶 こばやしいっさ 1763〜1828年

江戸時代の俳人

長野県の貧しい農家の長男として生まれる

3歳の時におかーさんが死んでしまい、8歳の時に新しいおかーさんが

この新しいおかーさんとあわなかったため、江戸へ働きに行く

で、江戸で俳諧を習う

29歳の時に一度故郷に帰ってから、36歳まで俳諧の修行の旅に出て39歳で戻ってくるんだけど、病気がちだったお父さんが死んでしまい、そのあと遺産相続で継母と12年間もの凄まじいバトルをスタートさせる

で、また江戸に戻り50歳の時に再度故郷へ

そして52歳の時に28歳の妻をゲット

初めて子供を授かるが4人とも死んでしまい、妻も37歳で死んでしまう

2番目の奥さんをもらうんだけど、あまりにもじーさんだったので離婚してしまう

3番目の妻との間には女の子が生まれるんだけど、妊娠中に一茶は死んでしまった


趣 味・・・俳句

裏の趣味・・・エッチの数を記録する日記を書くこと

嫌いな人・・・もちろん継母です。あと弟も。

ショックだったこと・・・老後過ごすはずの家が火事になってしまったこと

出版した本・・・「おらが春」「七番日記」「八番日記」「父の終焉日記」などなど

幼少時代の思い出・・・継母にいじめられ続けました。子守りばかりやらされていました。

不幸自慢・・・本当に家族には恵まれませんでした


歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★

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