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歴史人物辞典
あ行   か行   さ行   た行   な行   は行   ま行   や・わ行   ら行 

TOPへモドル 



松尾芭蕉 江戸
(まつお ばしょう)
前田利家 戦国
(まえだ としいえ)
松永久秀 戦国
(まつなが ひさひで)
松前慶広 戦国
(まつまえ よしひろ)


松平定政 江戸
(まつだいらさだまさ)
前田玄以 戦国
(まえだ げんい)
前田慶次 戦国
(まえだ けいじ)
前田利長戦国
(まえだ としなが)


まつ 戦国
(芳春院)
丸目長恵 戦国
(まるめ ながよし)



源 頼朝 鎌倉
(みなもとのよりとも)
源 義経 鎌倉
(みなもとのよしつね)
三井高利 江戸
(みつい たかとし)
妙 玖 戦国
(みょうきゅう)


宮本武蔵 戦国
(みやもと むさし)
宮部継潤 戦国
(みやべ けいじゅん)
三好長慶
(みよし ながよし)



武蔵坊弁慶 鎌倉
(むさしぼうべんけい)
紫式部 平安
(むらさきしきぶ)
武藤義氏 戦国
(むとう よしうじ)
陸奥宗光 明治
(むつ むねみつ)


村上義清 戦国
(むらかみ よしきよ)
村井貞勝 戦国
(むらい さだかつ)



毛受勝照 戦国
(めんじゅ かつてる)



森 蘭丸 戦国
(もり らんまる)
毛利元就 戦国
(もうり もとなり)
毛利隆元 戦国
(もうり たかもと)
毛利輝元 戦国
(もうり てるもと)


本居宣長 幕末
(もとおりのりなが)
森 鴎外 明治
(もり おうがい)
最上義光 戦国
(もがみ よしあき)
母里太兵衛 戦国
(もり たひょうえ)


松尾芭蕉  まつおばしょう
1644年〜1694年 江戸時代の俳人

伊賀生まれの芭蕉は、武士の家に生まれた

が、お父さんが俳諧(はいかい・洒落や笑いを題材にしたもので、当時は和歌に比べて軽く見られていた)好きだったので、かなり影響を受けた

藩主の藤堂良忠も俳諧好きだったので、2人は超仲良しに

が、良忠が死んでしまったショックで武士をやめ、俳諧ワールドへ没頭する

1680年に深川に小さな庵を建ててすんだ。庵の側に芭蕉の木があったので名前を芭蕉にした。

1684年に弟子と9ヶ月に渡って旅をし「野ざらし紀行」を書いた。が、あまりにも楽しかったので

1689年にまたも弟子とともに6ヶ月の「奥の細道」の旅へ出発

この旅で詠んだのは

平泉にて・・・夏草やつわものどもが夢の後  鎌倉時代の古戦場・平泉にて武士の気持ちを詠んじゃいました。ハガクレ個人的には一番好き


最上川にて・・・五月雨(さみだれ)を集めて早し最上川  最上川で川くだりをした時に雨で増水した川を見て詠んじゃいました


山県の立石寺にて・・・しずかさや岩にしみ入るせみの声   静かなお寺の様子を詠みました


奥の細道の旅を終えた芭蕉は、大坂で死んじゃいました。

ラストの句は・・・旅に病んで夢は枯野をかけめぐる


ポリシー・・・旅は人生

ヒミツ・・・実は忍者?

涙したコト・・・明智光秀と妻の純愛 「いやー、純愛ってホントいいですネー」

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★


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前田利家  まえだとしいえ
戦国時代〜江戸時代の人

尾張の前田家の四男

ヤンキーだったため、城主の織田信長と仲良しになりつるむ

つるむどころか、男色関係になるも、拾阿見という信長雑用係りと三角関係バトルを繰り広げ、キレた利家は拾阿見を信長の目の前で斬り殺し、信長に追い出される

ちなみにこの時、佐々成政が拾阿見をかばったことから、成政とは永遠のライバルに

その後、桶狭間の合戦に勝手に参加し、さらに斉藤家とのバトルにも許可なく参加

活躍しちゃったため、信長も仕方なく利家を許す

そんな利家は、「まつ」と結婚。お隣が秀吉・おね夫妻だったため、家族ぐるみで仲良しに

そして利家は尊敬する上司・柴田勝家とともに東北へ派遣される

が、ダイスキな織田信長が本能寺で殺されてしまい、上司・勝家と親友・秀吉が後継ぎ争いをスタートさせる

どっちの味方になろうか悩む利家。最初は勝家につくが、戦いの途中で秀吉の味方をすることに。

管理人・ハガクレから言わせてもらうと、これは関ヶ原の小早川秀秋に匹敵するくらいの「裏切り行為」

実際、勝家は利家の兵が帰ってしまったのを見て負けたと勘違いした

とまあ、あまり宣伝されていない利家の寝返りによって、秀吉は織田家の後見人となり天下人コースへ

そんな秀吉と仲のいい利家も、引っ張られるようにN02へのしあがる

が、秀吉死去。五大老に任命された利家でしたが、同じくらいの権力を持っているのは胡散臭い家康。

ですが利家は病気になり、中途半端なまま死去したのでした。

そして利家亡き後の前田家は、徳川家康の絶好のターゲットとなるも、妻・まつのおかげで何とかセーフとなったのでした。


ニックネーム・・・槍の又左・犬

尊敬する人・・・オヤジ殿(柴田勝家)

嬉しかったこと・・・大人になってから信長に「おぬしはワシの秘蔵っ子であったな」と言われ、みんなから羨望のまなざしを受けたこと 「オレは、信長様がダイスキでした。」

悲しかったこと・・・背がデカクなりすぎて、信長様の男色相手ができなくなったこと「ボクのほうが大きいんですよ・・・ハァ・・・」

親友・・・秀吉 「家族ぐるみのお付き合いです」

嫌いな人・・・佐々成政 「昔から大嫌いでした」

苦手な人・・・徳川家康 「何を考えているのかわからぬヤツです」

ヒミツ・・・「実は、秀吉より先におねちゃんに告ったんですよ。でも振られちゃいました」

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★

キャッチフレーズ・・・戦国の万年サポーター


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松永 久秀 まつなが ひさひで
戦国時代の武将

出生は不明

20歳の時から細川家の家老だった三好長慶に仕え、信頼を得始めた

経済面にも精通しているだけでなくかなりの文化人

茶人の誰もが羨む「九十九茄子(つくもなす)」や「平蜘蛛の釜」といった名物茶器を持っていた

が、久秀は野望マンマンの男だった

主君である三好長慶をうまいこと騙し、長慶の息子を毒殺し、主君・長慶をノイローゼにさせた

長慶はこの後すぐ病死したが、毒殺の噂もあり

まず久秀三大悪の一つが「主家乗っ取り」

長慶の後釜となり、京都の政治において中心人物となったものの、おりこうさん将軍・義輝が邪魔になってきた

こうして久秀は将軍・義輝を殺した

これが三大悪の二つめ「将軍殺し」

さらにこの後、仲間だった三好三人衆とケンカしはじめ、奈良でバトル

この時、大仏の首を焼き落とした

三大悪のラスト「大仏焼き討ち」

こうして常人ができないことを3つもやってのけた久秀だったが、京都へ上洛してきた織田信長には敵わず、しぶしぶ信長の下につく

が、どうやら信長の下で一武将になったのが気に入らなかったらしく、武田信玄が信長をやっつけに京都に来るというニュースを聞いて寝返ったものの、肝心の信玄が死去

この時は信長にごめんなさいして許してもらったが、その後、上杉・毛利・本願寺などが「信長包囲網」を作り出すとまたも寝返り

が、信長包囲網が崩れだし、久秀のいる城は織田家に攻められた

信長は「おまえの持ってる平蜘蛛の茶釜をくれたら命は助けてやる」と言ったが、「ふざけるな!オレの白髪頭とこの茶釜は死んでも渡すもんか!」と、茶釜を体にくくりつけ、なんと体に爆弾をくくりつけ、爆死という壮絶な死を遂げた


欲しかったもの・・・天下

特 技・・・セックスHOW TO BOOK作り

ヒトコト・・・「なぜこのワシがあんな小僧(信長)の下で大人しくせにゃならんのじゃ」

ルイス・フロイス談・・・「ヒサヒデはすごいネー!アンナすごいヒトなかなかイナイネ!ブッチギリネ!」

農民談・・・「わしら見たんです!久秀様が死ぬ日、空に赤い星が流れたんです!アレは絶対仏様のタタリです!それに久秀様が死んだ日はちょうど大仏様を焼き討ちした日なんですよ?あぁ、恐ろしや・・」

徳川家康談・・・「久秀?あぁ知ってますよ。織田信長殿に紹介してもらいました。なにやら普通の人ができないすごいことを3つもやったお人だそうで・・・。いやいや怖い方ですなぁ」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★

キャッチフレーズ  野望が爆発だ!


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松前慶広 まつまえよしひろ  1548年〜1616年
戦国時代の大名 松前藩(蝦夷地・北海道の人)

松前氏を作った祖である信広がコシャマインの乱(1457年に起きた戦い)で大活躍をしたため、急速に伸びてきた家

が、信広は安東家の家臣だったので、ずーっと地方豪族だった

そんな松前氏のドリームは「一大名」となること
「いつまでも家臣の家じゃなくって、お殿様になりたーい!」というものだった

そんな頃、天下をゲットした豊臣秀吉が朝鮮出兵をしだした

そこで慶広はこの時さっそく兵を連れてやってきた
秀吉は「あんな遠くから来てくれるなんて!」と大喜び

秀吉は蝦夷地において、一大名として認められることに

こうして蝦夷地に戻った慶広は「今後ワシの命令は、太閤秀吉殿の命令と同じことだぞ!」とアイヌの人々に宣言

こうして慶広は「松前氏」の祖となったのであります



父・季広談・・・「長年の夢がかないました!さすがワシの息子じゃ!!」

アイヌの人々・・・「秀吉が十万の兵を連れてやってくるぞと言われれば、いうコトを聞かないわけにはいかんなぁ」

家康談・・・「あやつは抜け目のないキタキツネよ。秀吉亡き後はすぐワシに挨拶にきよったわい」

ヒトコト・・・「わが地方の名産・松前漬はうまいぞよ」


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★


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松平定政 まつだいら さだまさ 1610年〜1672年

江戸時代初期の人

徳川家康の異父弟・松平定勝の六男

24歳の時に三代将軍家光の小姓となり、可愛がられた

が、家光が48歳で死んじゃったので殉死(後追い自殺)しようとするも、周囲からストップされちゃった

で、出家した

こっからすごいことに!!

「旗本が超貧乏だってのに、幕府は何にもしてくんない!ワシは貧乏な旗本のために自分の2万石を返上する」と言い出した

さらにヘンテコな衣装を着て歩きまくった

幕府はビックリ!!

相手は家康の甥なので、下手なことはできない

が、ほっらかしにすることも出来ないので「定政は気が狂った」とゆーことにして、二万石没収した


気違いスタイル・・・黒染の衣を着て、打刀をさし、自分の息子と2人のお供を連れ、鐘を叩きながら歩いた

江戸庶民A・・・「家康様の甥があんな乞食坊主のような真似を・・・」
江戸庶民B・・・「気が狂っておるのじゃ」
江戸庶民C・・・「いやいや、幕府のやり方に反旗を翻した反骨大名じゃ」
江戸庶民D・・・「そうじゃそうじゃ!できたお方なのじゃ」

幕臣A・・・「ど・・・・どうします??・・・・オロオロ。オロオロ」
幕臣B・・・「乱心ということにしましょう。それが一番です」
幕臣C・・・「そうですね。権力ある人に逆らうのはやめましょ。いつの時代も、それが一番です」

老後・・・伊予の国で蟄居。静かな晩年を過ごした


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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前田玄以 まえだ げんい 1539〜1602年

戦国時代の武将で、豊臣政権の五奉行の一人

美濃で生まれ、住職をやってたんだけど、還俗して信長の息子・信忠に仕える

信忠が本能寺の変にあうと、信忠の三男・三法師(のちの秀信)を抱き、尾張に逃げた

その後は秀吉に使え、民政部門を担当

朝廷との交渉役もやり、豊臣政権の五奉行の一人に抜擢される

秀吉が死んだ後、家康が出てきた時は、表向きは石田三成の味方をしつつ、三成挙兵をいち早く家康に教えたりとスパイちっくなことも

で、内通してくれたからってことで家康に領地を保証された


性 格・・・あまり欲がない

嫌いだったもの・・・キリシタン 「元・僧侶なんで、ヤツラが大嫌いなのです。ですが後に好意的になり、息子達が洗礼した時も反対しませんでしたよ」

一世一代の大仕事・・・後陽成天皇の聚楽第行幸を仕切ったこと

ドキドキしたこと・・・関ヶ原の戦い 

思いでスポット・・・比叡山延暦寺

徳川家康談・・・「ほんとは領地没収したかったんだけどさ、あいつ朝廷といいパイプ持ってるからさ」


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★


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前田慶次 まえだ けいじ ?〜1612?

戦国時代のリバティ武将

お父さんは織田信長の家臣・滝川一益の知り合いとの噂

義理のお父さんは前田利家のおにーさん

とゆーことで、前田利家の甥っ子とゆーことになる

慶次が有名になってくるのは、豊臣秀吉が天下をとってから

このあたりから、慶次の奇癖がニョキニョキ出てくる

慶次は武家社会の上下関係とかしきたりが嫌いで、自分の行動をいちいちチェックする前田利家がうざったくなってきた

とゆーことで、一泡ふかせてやろうと、利家を屋敷に招待して、「お風呂どーぞ!いい湯加減ですヨ〜」とすすめた

これが水風呂で、怒り狂う利家を尻目にスタコラと京都へ逃げていった

京都では浪人暮らししてたんだけど、何人かにスカウトされる

そんなスカウトの中から選んだのが直江兼続

どーやら意気投合したらしく、慶次は会津上杉家へ仕官

が、この時の条件は「禄高はたいしていらないから、気ままにやらせてよね」とゆーもの

関ヶ原の合戦では上杉家は負けちゃうんだけど、それでもずっと上杉家についていく

でもって、城下で源氏物語などの講義をして、気ままに暮らした


性格・・・変わり者・派手好き・いたずら好き

マブダチ・・・直江兼続

ほれ込んだ人・・・上杉景勝

こだわり・・・ファッション

自分をヒトコトで言うと・・・大不便者 ニヤリ

宝物・・・松風

マイ・手土産・・・大根 「俺はダイコンのよーに見かけは悪いけど、かめばかむほど味わい深い人間なのさ」

好きな本・・・源氏物語と花の慶次

前田家談・・・「養子とはいえ、本来なら前田家長男の跡取りですよ?本家を継いでもおかしくない立場だというのに、ほんと、変わった人です」

前田利家談・・・「ったく!あのこわっぱめが!いつもいつも世を斜に構えよって!!」

豊臣秀吉談・・・「あいつは天下無敵の傾奇者ぞよ!愉快!愉快!」


歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★★


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前田利長 まえだ としなが 1562〜1614

戦国時代の武将・前田利家の嫡男

お父さんは前田利家なので、生まれた時から織田信長に仕えてた

信長が死んだ後は豊臣秀吉に仕えてる

お父さんの利家は豊臣政権の五大老だったので、お父さんが死んだ後は後を受け継ぎ五大老に

こっからが大変

時の権力者・徳川家康は豊臣家をぶっ潰したかったんだけど、豊臣政権上で権力を持ってる前田家がめちゃくちゃ邪魔だった

家康は利家がやっとこさ死んでくれたので、目障りな前田家潰しにとりかかる

ということで、家康は前田家をめっちゃ挑発し、戦を仕掛けてくるよう工作しまくった

とうとう「前田家が謀反をしよーとしている」という噂が流れ、家康が「前田家を攻めるぞー!」と立ち上がった

利家は必死で「それはウソです!抵抗する気はないです!」と弁解するんだけど、前田家つぶしにメラメラと燃えている家康は聞き入れなかった

ここで出てきたのが利家の奥さん・まつ

まつは「自分を人質にして江戸へ行けば大丈夫」と、江戸へ

ここまでされると家康も前田攻めをすることができず、あきらめた

以後も利長は家康に逆らうことなく、前田家を潰さないよう守りまくり加賀百万石の基礎を作りまくった


嫌いな人・・・徳川家康 「最低です。最悪です。」

人生最大の後悔・・・大好きな母を人質として江戸に送ったこと

臨終の言葉・・・「自分が死ねば、徳川にとって最大の敵がいなくなり天下泰平が訪れるであろう」

奥さん・・・織田信長の四女・永姫

小さな抵抗・・・家康が嫌いなキリスト教を地味に保護した

頑張ったこと・・・宇喜多秀家の助命嘆願  「だって妹(豪姫)のダンナですよ?助けてあげたいじゃないですか!」

八丈島よりメッセージ・・・「前田家は八丈島に流された宇喜多家に幕末まで毎年贈り物をくださいました。ありがとうございます」


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★


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まつ(芳春院・ほうしゅんいん) 1547〜1617年

戦国大名・前田利家の奥さん

尾張で生まれ、12歳の時にイトコの利家と結婚する

長女を産んだのはなんと13歳!その後も全部で11人(男2・女9)という実子を産む

利家が織田信長に仕えてたので、安土城下に住んでるんだけど、お隣さんが後の天下人・豊臣秀吉

この頃はお互い家来同士なので、秀吉の妻・ねねとは主婦友達

毎日のようにぺちゃくちゃと喋ってたらしい

その後、夫がどんどん出世していき、秀吉の天下になっていくと実質NO2にまでのし上がる

そして秀吉が死に、利家も死ぬと、徳川家康が天下を狙いにやってくる

家康は邪魔くさい前田家にいちゃもんをつけ攻めようとするが、まつが「私が人質になって江戸へ行きます」といいなんとかセーフ

14年間江戸で人質生活を送り、長男・利家が死んだ後やっと金沢へ帰ることができた

そして金沢で静かに余生を過ごし、71歳で死去


親 友・・・「もちろん、ねね殿です。まさかファーストレディになるとは思いませんでしたけど」

侍女A談・・・「ある時、醍醐の花見という大イベントがあったんです。そこで側室NO1の淀殿とNO2の松の丸殿がケンカを始めてしまいましてね、それを仲裁したのがまつ殿だったんです。素晴らしい采配でした」

利家の側室A談・・・出来た人ですよね。私たちの子供まで引き取って面倒みてくださるんですもの

息子・利長談・・・「母上は最高で最強です!憧れの女性です」

夫について・・・「あの人は、基本ケチなんですよねぇ。まぁ、それも含めていいダンナですけどね」



歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★


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丸目長恵 まるめ ながよし 1540〜1629年

熊本の相良家の家臣

16歳の初陣の時に、父親とともに活躍したため「丸目」という苗字を貰う

本渡城の天草伊豆守より中条流を学んでたんだけど、19歳の時に上泉信綱に試合を挑んで敗北

それ以後、上泉信綱のもとで新陰流を学ぶことなり、将軍・足利義輝にもベタボメされた

で、熊本に戻るんだけど、そこで島津家とバトルになりボロ負けし、島津の軍門に下る

それから九州で新陰流を広めまくるんだけど、もっと精進したい!と、再度上泉信綱のもとへ行くが、すでに信綱が死んじゃってた

がっかりして戻り、そこから自己流のタイ捨流をあみだした

そして九州でタイ捨流を広め、隠居した


タイ捨流とはなんぞや・・・新陰流を基礎とした兵法で、自分も生かすが相手も生かすという剣法

タイ捨流の弟子・・・立花宗茂

尊敬する人・・・もちろん上泉信綱

嬉しかったこと・・・将軍・足利義輝に感状をもらったこと

裏の顔・・・実はかなりの教養人


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★


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源頼朝  みなもとのよりとも
平安時代後期〜鎌倉時代  鎌倉幕府初代将軍

源氏の棟梁・源義朝の後継ぎとして生まれる

が、平治の乱で父・義朝が平清盛に敗れてしまい、捕らわれの身となるが、清盛の義母・池禅尼の命乞いにより伊豆へ流される

伊豆ではそこそこいい暮らしをしていた。

そんな頃、北条政子と出会い結婚する。

平家の雲行きが怪しくなり、世論は「源氏にもう一度立ち上がってもらいたい」ムードに

数々の東国武士を味方につけ、源氏の棟梁として立ち上がる。

弟・義経らを平家追討に行かせ、自分は鎌倉にて武士のための政治を作る。

義経が抜群の働きをしたおかげで、平家を滅亡させるも、政治オンチの弟・義経のことをムカつき始める。

そしてとうとう兄弟決裂し、頼朝は義経をやっつけるため「守護・地頭」を全国に配置

最後は義経を奥州・平泉へ追い詰め、藤原氏の棟梁・泰衡に殺させ、ついでに泰衡をも滅ぼし、見事邪魔な人たちを一掃する。

大嫌いな後白河法皇が死んだ後、ようやく征夷大将軍をゲット

鎌倉幕府を開く

が、征夷大将軍とあろう人の最後の死に様は不明

馬に落ちたとも、北条家に殺されたとも言われる



オモヒデの女性・・・亀の前 「妻・政子に家を焼かれた後、どうしたか心配です」

嫌いな人・・・義経・藤原秀衡・平清盛・後白河法皇

好きな女性・・・ま・まさこです 「きっ、決まっているじゃあないですか!」

スキな家臣・・・梶原景時 「あいつはオレの言いたいことを全て代弁してくれるんだよね」

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★



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源義経  みなもとのよしつね
平安後期の武将

源氏の棟梁・源義朝の九男

母の常盤が美人だったため、義朝VS平清盛の平治の乱の時に命拾いする

大きくなってから、自分が「源氏の御曹司」ということを知り、「打倒平氏!」のために鞍馬寺にて訓練する

鞍馬寺を出て、奥州平泉の藤原秀衡のもとへ行くが、お兄ちゃんの頼朝が平氏をやっつけるべく立ち上がったことに刺激を受け、わずかな家臣とともにお兄ちゃんのいる鎌倉へ向かう

が、頼朝はクールな男だったので、弟であろうとも特別扱いはしない。

これにブーたれた義経と、頼朝の間に溝が出来始める

やっとこさ頼朝に出陣命令を貰った義経は、平氏をやっつけるべく上洛

そして連戦連勝するも、活躍しすぎて疎まれ始める

さらにお兄ちゃんのポリシーをまったくわかっておらず、勝手に後白河法皇にご褒美を貰ったりなど勝手なことをし、頼朝の逆鱗に触れ、とうとう殺し屋を送り込まれる。

が、殺し屋が弱いヤツだったため逆に義経に捕まり、とうとう義経は「もう兄とも思わん!」と頼朝に反旗を翻すも、時代は頼朝に流れていた

なんといっても武士のために色々頑張ってる頼朝と、戦争屋の義経とでは信用度が違う

義経は味方がいっぱいつくかと思ってたのに、全然味方ができないため静御前・弁慶らと都落ちすることに

逃げ先はもちろん奥州平泉

こうして義経の辛い奥州平泉への旅が始まる。何とかたどり着いたものの頼みの綱の藤原秀衡が死んでしまい、藤原泰衡が後を継ぐ

が、泰衡はさんざん頼朝に「義経出さなきゃ奥州攻めんぞ?おらぁ!」と言われ、とうとう義経を殺してしまうのでした。


好きな女性・・・静ちゃん・ママ

嫌いな人・・お兄ちゃん!!!「なんでお兄ちゃん怒ってんのかサッパリわかんないよ!」 梶原景時 「このボクを猪武者と言ったんですよ?」

グッドアイデア・・・鵯越の逆落とし 「アレは大成功でした。駆け落ちる時はスカっとしました」

ポリシー・・・勝つためには手段を選びません

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★ 

キャッチフレーズ・・・政治オンチの戦争屋


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三井高利 みつい たかとし 1622〜1694年
江戸時代の商売人

高利は松坂(三重)で質屋をやっていた商人の四男

高利は母を見習い立派な商人になりたいと思うようになる

大きくなった高利は江戸で呉服屋を開いた兄のお手伝いをしながら商いを覚えましたが、母が老いてしまったので看病するために松坂へ戻りました

ちなみに兄が高利の商才を妬んで追い返したという説もあります

松坂へ戻った高利は母の面倒をみながら結婚し子供も生まれ両替商をやりつつの幸せな日々

が、1673年高利53歳の時に江戸の兄が死亡

高利は今しかチャンスはないと長男を江戸の呉服屋に行かせ自分は京都へ行き仕入れを始めました。

京都は高給呉服生産地なので、ここで安く仕入れて江戸で売る

江戸の店の名前を越後屋とし、「掛け値なし」で呉服を売りまくった

掛け値なしとは現金で売る代わりにはじめっから安い値段で売ること

今までの売り方は「節季払い」といって代金を6月と12月(ボーナス時みたい)に払うシステムが主流でした

それをヤメにして「掛け値なし!現金払いじゃー」とめちゃ安で売ったのです

越後屋は大繁盛♪

さらに今までの呉服屋は反物は一反単位で売っていましたが、切り売りするシステムとしました。

ちょっとだけ反物が欲しかった人達に大人気!

さらに手代(てだい・店員の中の最高責任者)を生地別分業制にしたのです

これなら店員が品質などに詳しくなりお客様サービスも万全

また専属の細工人も置いてすぐ着物が欲しい!というお客様の声にあわせて翌日までには仕上げますというシステムも作りました

さらにキズモノ・売れ残りはバーゲンセール!もー越後屋大ブレイク!越後屋はのちに三越となるのです

今までにない商売のやり方で1687年に越後屋は幕府御用達を命じられることになったのでした


江戸の人々・・・「越後屋万歳!」

江戸の女性A・・・「小物入れとかを作りたかったんだけど、今までは一反売りだったから高くて買えなかったの。だからホント、うれしいわ♪」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★


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妙 玖 みょうきゅう  1499?-1545
戦国時代の毛利元就の妻 俗名は不明 法名が妙玖

妙玖は安芸国小倉城の吉川国経の娘

この頃弱小だった毛利家ですが、武田元繁が吉川領地へ挙兵してきた時に、応援に駆けつけたので吉川家と仲良くなったと言われてます。で、その頃お互いの関係を良くするために結婚したらしい

たぶん元就が21歳頃で妙玖が19歳頃のことです

妙玖は後々有名になる長男隆元・次男元春・三男隆景を出産

妙玖と元就の生活については資料が乏しいためあまり知られていない

とりあえず息子三人とも無事成長し、元就も中国の覇者としてこれからという時に死んでしまった

元就にとっては、れから2人で安定した老後を送ろうとしていたのに大ショック!

三人の息子にはいっつも「妙玖のために三人仲良くしろ」と言っていた

そのためホント三人の息子達は毛利家のために頑張った

死んでからも毛利家結束のためにシンボルとなった女性であった




元就談・・・「ほんとに良き妻であった・・・」

息子達談・・・「母上はほんとーーーに最高の女性でした!」

嬉しかったこと・・・「夫は側室を一人もおかなかったのでございます。私が死んだ後のことはどうでもよいのです。ホホ・・・」

長男隆元の習慣・・・朝起きて、ママのために念仏を二百回唱えること

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★★



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宮本武蔵 みやもと むさし 1584年?〜1645年

戦国時代の剣豪

前半生は謎だらけ

武蔵が書いた「五輪書」や徳川家に仕えていた渡辺幸庵が書いた本などで人物像を探るしかない

幼い頃から剣術を好み、3歳の時に大人を持ち上げて投げつけるほどの怪力の持ち主だったらしい

20歳になってからは武者修行の旅に出て、60回ほど試合をし全てビクトリー!

大小2本の刀を1本づつ手に持つという「二刀流」を編みだした

晩年になると細川忠利に登用され、剣術の先生に

で、死ぬちょっと前は洞窟にこもって「五輪書」を書いた


いいたいこと・・・「剣の道は技術だけではない!精神力を養うことも大切だ」

柳生一族談・・・「武蔵?あぁ、あいつはちょっと変人だよ。風呂に入らないから臭いのなんのって」

苦手なもの・・・風呂 「生まれてこのかた、入浴したことはありません」

マイ・ファッション・・・ズルズルと引きずるような衣服&袖なし羽織

マイ・ポリシー・・・いつも裸足

マイ・ライバル・・・佐々木小次郎 「勝ったけどな」

関ヶ原の合戦での武蔵・・・張り切って石垣登ろうとしたら、落ちて重症

オモヒデの地・・・巌流島

好みの女性・・・安い女

オモヒデの女性・・・おつう 

遊女談・・・「武蔵さんが買う女性はいっつもランクが下の下の女性なのよ。ホホホ」

歴史メジャー度 ★★★★★ 

管理人お気に入り度 ★★★



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宮部継潤 みやべ けいじゅん 1528〜1599

戦国時代の僧兵上がりの武将

近江で生まれ、比叡山で修行してたんだけど故郷に戻って浅井長政に仕えるようになる

織田信長が浅井攻めを開始すると、秀吉にそそのかされて浅井家を寝返り織田家へ

その後は秀吉の家臣となり、信頼を受けるように

本能寺の変後、秀吉が天下人となると、鳥取城と5万石を貰う

その後も活躍するが、高齢のため引退し晩年は秀吉の相談相手となり、御伽衆となった


特 技・・・数学「計算は得意なんですよ」

浅井家家臣談・・・「あのヤロウ!!寝返りやがって!悔しいから鉄砲で攻撃しまくってやったぜ!え?死ななかった?怪我しただけ?くそっ」

豊臣秀吉談・・・「アヤツのことは、かなり信用してましたな〜」

プチ自慢・・・「僧ですが、武力にも優れているんです。あの吉川元春とも互角に戦いましたからな」


歴史メジャー度 ★★ 

管理人お気に入り度 ★★



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三好長慶 みよし ながよし・ちょうけい 1522から564

戦国時代の大名

武蔵坊弁慶   むさしぼうべんけい

平安時代後期の人

義経の忠実な家臣として存在してるが、実はあまりよくわかってない人

いたことはいたらいしが、義経伝説にあるような事は実際なかったらしい

が、夢を壊したくないのでいたことにしときたい伝説の人物

比叡山の僧だった弁慶は、他人の罪をかぶせられ追放される。むしゃくしゃして平家の武士の刀を1000本集めることに熱中

最後の1000本目に義経と出会い、コテンパンにやられる。

以後、義経に惚れこみ家臣となる

有名なのは「弁慶の勧進帳」

義経に最後まで付き添い、攻められる義経の前に立ちはだかり、死んでも仁王立ちしたままだったというくらい義経がスキだったらしい


好きな人・・・義経

趣味・・・刀集め 「ですがやめました」

後悔していること・・・義経をボコボコにしたこと 「仕方ないこととはいえ、義経様を傷つけてしまうとは・・・」

嫌いな人・・・頼朝 「どうしてあの人は、義経様を目の仇にするのか?」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★ 

キャッチフレーズ・・・忠義一筋


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紫式部  むらさきしきぶ    

平安時代の売れっ子作家

藤原為時という中流貴族の娘として生まれ、幼い頃から頭がよかった

パパはいっつも「オマエが男だったらなぁ」と嘆いてた

とりあえずフツーの人と結婚し、女の子を出産したがダンナが死んでしまった

悲しくなった紫式部は現実逃避し、ポルノ小説(?)「源氏物語」を書き始めた

これが大人気となり時の権力者・藤原道長の目にとまり「娘の彰子の家庭教師になってくれない?」と紫式部をスカウト

ちなみに源氏物語はあの頃ノーベル文学賞があったら、きっと受賞してたであろう当時にしてはスゴイ作品

こうして彰子の家庭教師となった紫式部

この頃、彰子は一条天皇の奥さんだったんだけど、一条天皇にはダイスキな奥さん定子がすでにいた

この定子のお付だったのが清少納言

そのため紫式部は清少納言にライバル意識燃やしまくり

清少納言が出した宮廷ルポ「枕草子」をボロクソに自分の日記「紫式部日記」に書いた

「清少納言ってたいしたことないわよねぇ。それに、女のくせに才能をひけらかすのってどうなの?ねぇ?どうなの?アタシなんて才能を出すのが恥ずかしいから隠してるっていうのに。あんな高慢ちきな女ろくな死に方しないわよネ!」

どっちかというと、紫式部みたいな女は現代では嫌われるタイプ

紫式部へのインタビューあり


嫌いな女・・・清少納言清少納言清少納言清少納言清少納言清少納言清少納言清少納言

嫌いな言葉・・・いとをかし

与謝野晶子談・・・「源氏物語は最高ですワ!」

和泉式部・赤染衛門談・・・「うーん。なんていうかぁー、ちょっとコワイっていうかぁー。何書かれるかわかんないしぃー」

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★


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武藤 義氏 むとう よしうじ 1551年〜1583年

戦国時代の武将

出羽国の庄内地方を本拠地としてい家

近隣の最上氏や土佐林氏と領地争いばかりしていた

武藤義氏はなんとしてでも「戦国大名」にのし上がりたく、上杉謙信にバックについてもらい、領地拡大を急ぎまくった

領民や家臣は急ピッチの領地拡大や戦にあけくれヘトヘト

とうとう家臣の前森蔵人らが謀反を起こした

どうやら最上氏とツルんだらしい

こーして、不意打ちをくらった義氏は自刃して死んだ


ニックネーム・・・悪屋形

家臣A談・・・もう疲れましたよ・・・。

家臣B談・・・義氏様が優れているんじゃないんですよ。バックについてる上杉謙信殿が優れているんですよ

領民A談・・・はぁ・・・。なんなんです?あの人?

最上義光談・・・フフ。若造めが。ワシの知略に勝てるわけないであろうが!



歴史メジャー度 ★

管理人お気に入り度 ★★


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陸奥宗光 むつ むねみつ 1844年〜1897年

幕末〜明治の人

和歌山藩士の六男として生まれた

9歳の時に父親が藩の政争に巻き込まれ失脚してしまう

宗光はフラフラするも15歳で江戸に出てきて勉強!!尊皇攘夷の考え方を持つように

坂本龍馬と出会い、世界に目を向け始めた宗光

そして明治新政府に参加するも、薩長の偉そうなやり方にムカ憑き始める

1883年にはヨーロッパへ行き勉強し、後に外務大臣となる

手腕を発揮し続け、色んな問題を処理

宗光が解決した問題は「陸奥外交」と呼ばれるようになりました


幼い頃のニックネーム・・・「うそつき」

大きくなってからのニックネーム・・・「カミナリ大臣」

尊敬する人・・・坂本龍馬 「暗殺された時は本当にショックでした」

趣味・・・読書 「西南戦争の時に、反政府運動に参加して5年間刑務所に入れられたんです。いや〜。ゆっくり本が読めて嬉しかったですよ!!」

一番のポイント・・・日米間の不平等条約を変えたこと


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★


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村上義清 むらかみ よしきよ 1501〜1573年

戦国時代の武将

現在の上田市や長野市あたりを支配していた豪族

ちょうとこの頃、武田信玄が信濃ゲットを目指してて、周囲はどんどん武田家にやられまくってた

義清は絶対に降伏するか!!と、抵抗しまくり

とうとう武田勢がやってきたんだけど、義清は勇猛に戦い撃退した

再度武田勢はやってきて、戸石城攻略を目指す

ここでなんと義清が武田軍を壊滅状態にする

これが「武田の戸石崩れ」と言われるもので、義清はあの武田信玄に2度も勝利した

が、3度目の進攻を受けると、とうとう本拠地の葛尾城を奪われてしまう

逃げた義清はその足で越後で勢力を伸ばして上杉謙信に「武田をどうにかしてくれ」とお願い

これが川中島の戦いのきっかけとなる

結局、川中島の戦いは引き分けに終わってしまい、義清は旧領を取り戻すことができず越後で死んでしまった


嫌いな人・・・武田信玄 「あいつさえいなければ!!」

得意な武器・・・長やり

プチ復讐・・・川中島の合戦の時、信玄の大好きな弟・信繁を討ち取ってやったぜ!

願い・・・故郷に戻りたい・・・


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★


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村井貞勝 むらい さだかつ ?〜1582

戦国時代の武将

近江出身で行政面が優れてたので織田信長にスカウトされた

以後、織田家の政務担当として色んなことをやってる

本能寺の変の時は、すぐ向かいにある自宅にいた

ビックリしてすぐさま織田信忠のとこに駆け込み、明智光秀軍に戦いを挑むも信忠とともに戦死してしまった


やった仕事その1・・・信長の弟・信勝が謀反を起こした時の和平交渉

やった仕事その2・・・美濃三人衆スカウト全般

やった仕事その3・・・信長の将軍上洛の諸手続き

やった仕事その4・・・二条城の造営

最高の仕事・・・京都で築地塀を作った時、めちゃくちゃ盛り上がったんですよ。京都の民がみんな見に来ましてね、その評判を聞いて天皇まで見物にきたんです

ルイス・フロイス談・・・「彼は都の総督ネ!」

衝撃事件・・・本能寺の変 「ワシの家、本能寺の真向かいなんですよ。そりゃもう心臓が飛び出すほどビックリしましたよ」

娘たちの嫁ぎ先・・・佐々成政・福島高晴・前田玄以 「これで安心です」

仕事自慢・・・「京都の行政はこのワシにお任せアレ」

マイ・宗教・・・キリスト教



歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★


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毛受勝照 めんじゅ かつてる ?〜1583年

戦国時代の武将

めんじゅと読むけど、めんじょうとかめんじょとか、様々な呼び方がある

12歳の時に柴田勝家の小姓となる

伊勢長島攻めの時に死を覚悟して敵陣に飛び込み、奪われた馬印を持ち帰ってきた

柴田勝家はめっちゃ喜び、自分の名前の「勝」という字をあげた

その後の豊臣秀吉VS柴田勝家のバトル・賤ヶ岳の戦いに参加し、柴田軍の負けが決定になると、勝照は勝家の馬印を掲げ、身代わりとなった

そして勝家を逃がすと、自らは自刃した


柴田勝家談・・・マイ小姓の中では一番のお気に入りじゃ

子孫の行方・・・前田家に仕える

ポリシー・・・主君(勝家)のためなら、兄共々命を賭けます

嬉しかったこと・・・主君から一字賜ったこと



歴史メジャー度 ★

管理人お気に入り度 ★★★


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森 蘭丸  もり らんまる
戦国時代の人

信長の家臣・森可成の次男。お兄ちゃんは勇猛で知られる森長可(もりながよし)。

幼い頃から利発で、13歳の時に信長の小姓に

そのおりこうさんぶりに、瞬く間に信長のお気に入りNO1に

信長の可愛がりかたはすごいもので、「信長3つの自慢」の一つに数えられるほど

が、本能寺の変にて信長とともに行動し、明智光秀によって殺されてしまう

ちなみに蘭丸は、明智光秀の様子がおかしいと前々からチェックしており、信長に何度か忠告したらしい

が、信長は「あんな気弱なヤツに何ができる?」とそっけなかった

生きていたら、織田家臣を引っ張っていく武将になっていたであろう惜しい人物



好きな人・・・信長様

尊敬する人・・・信長様

嬉しいこと・・・信長に褒められること 「よくボクの顔を褒めてくれました」

嫌いな人・・・明智光秀 「あの人は、いっつもボク達小姓を軽蔑した目でみていました」

欲しいもの・・・光秀の所領 「ボクのお父さんが前に住んでいたので」

特 技・・・信長様の爪探し 「どこにあっても、信長様の爪はわかります」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★

キャッチフレーズ・・・戦国のジャニーズ


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毛利元就  もうりもとなり  1497年から1571年
戦国時代の大名

安芸に生まれた元就は27歳の時に家督をついだ

お父さんやお兄ちゃんが死にまくり、なぜか当主になっちゃった元就は、周りに敵だらけ

尼子家や大内家など、強い家に取り囲まれ、毛利家存続だけでも大変な状況だった

が、54歳の時に、「いつまでもおべっかばっか使ってらんねーぜ!」と、何かに目覚める

それからは敵に二重三重の罠をしかけて、知略の限りをつくしまくり

そして目をつけたのが、強い水軍を持っている小早川家

ここに自分の三男隆景を送り込み、さらに吉川家に次男の元春を送り込むという、お家乗っ取りを成功させる

こうして毛利家には「小早川家」「吉川家」という毛利本家を守る「毛利の両川」というのができあがった

さらに強敵大内家の筆頭家老・陶晴賢が大内家内でクーデターを起こすと、どさくさに紛れて陶をだまし、厳島の戦いにて勝利!

大内家の所領をいっぱいもらっちゃった

さらに強敵尼子家も、強い経久がおらずボロボロになっているのをチャンスにゲット!

この時70歳

こうして毛利家をでかくしまくった元就は、75歳まで生きた



自慢・・・自分の頭脳

好きな人・・・妻です。ウフ。

プチ自慢・・・妻が死んでからは側室をとりました。71歳で子供作りました。すごいだろ?

ポリシー・・・他人は信用しない

心配事・・・孫・輝元のこと。「あいつはイマイチ気が弱いので心配じゃ」

口癖・・・「1人じゃ弱いけど、三人力を合わせれば大丈夫だからな!三家力をあわせ、いつまでも仲良くしろよ!」

ヒトコト・・・「いつも強敵に囲まれてビクビクした生活をしていました。今、最高に幸せです!」

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★


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毛利隆元  もうりたかもと 1526年〜1563年
戦国時代の大名

毛利元就の長男

力のなかった毛利家時代の時に、大内家に人質に行かされる

この時、大内義隆は素直な隆元を気に入って、自分の字を一字あげた

が、大内家VS尼子家のバトルが始まり、さらに大内家内でお家騒動が起こり、大内義隆は家臣の陶晴賢に殺されてしまった

その陶晴賢を毛利元就が討ち、毛利家が勢力を伸ばし始める

そのころ、長男ってことで、元就から家督をゆずられる(といっても、元就が実権握りまくり)

そして弟達は吉川家・小早川家へ行かされる

弟2人はその後、華々しい活躍をしまくるが、隆元はマジメで大人しい性格なので特に活躍はなし

ただ、誠実だけがとりえ

そのため弟達は「兄ちゃんってだけで毛利本家を継げるなんてズルイよな?オレラの方が優秀なのにサ!」という空気がほんわか

が!そんな隆元が急死!どうやら尼子家攻略に向かう途中に、接待で食事を食べた後、突然死んだ

そのため毒説という噂あり

こうして隆元のあとを、息子の輝元が継ぐことになり、元就は心配しまくるのでした


性格・・・まじめ・誠実・優しい

お父さんよりヒトコト・・・「あいつ、優しすぎるんだよなぁ。それがまたイイトコなんだけどさ」

弟・元春談・・・「お兄ちゃんてオレよりケンカ弱いんだよ?」

弟・隆景談・・・「お兄ちゃんてオレより頭悪いんだよ?」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★


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毛利輝元 もうりてるもと 1553年〜1625年
戦国時代の大名 毛利元就の孫

お父さんの隆元が31歳の若さで死んでしまったので、11歳で毛利本家の新当主に

どうやらおじいちゃん(元就)には逆らえず、反抗して酒ばっか飲んでた時代もあった

その後は、オジサンである吉川元春・小早川隆景に支えられまくり

そんな毛利家も、時の魔王「織田信長」に狙われる

が、本能寺で信長が死ぬと、天下を取り始めた秀吉に忠誠を誓うことに

そして秀吉政権において五大老に任命される

が、グッドアドバイザーの叔父さん、小早川隆景が死ぬと毛利家にヤバイ風が吹いていく

隆景の代わりに輝元のアドバイザーは吉川元春の子・広家となる

関ヶ原の合戦において輝元は、石田三成に西軍の総大将に祭り上げられる

広家ビックリ!「あの家康に逆らったら毛利家やばいよ!」と、裏で裏切り工作

おかげで、西軍は負け、総大将である毛利輝元は所領をめちゃくちゃ減らされることになった


好きなもの・・・お酒

性 格・・・気が小さい・ちょっとマジメ・優柔不断

叔父・小早川隆景談 「兄さんが死んじゃったら、輝元を支えるのは俺達しかいないよ。な、兄さん」

叔父・吉川元春談 「そうだな。仕方ないから支えてやろうぜ。な、弟」

ヒトコト・・「祖父が偉大すぎたんです!僕、悪くないよ!」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★

キャッチフレーズ 小さな三代目


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本居宣長 もとおりのりなが 1730年〜1801年
幕末の国学者

宣長は京都で医学を学びながら、日本の古い文化を勉強しまくっていた

が、いい先生に恵まれず、地元の松坂(三重県)に帰って1人でコツコツと万葉集や源氏物語の研究をしていた

そこでたまたま賀茂真淵(かものまぶち)の書いた本を呼んで「なんてすばらしい本だ!自分の先生になってくれる人はこの人しかいない!」と思うように

そしてなんと、たまたま賀茂真淵が松坂に旅行に来たのです

宣長は大喜びで憧れの人に会いに行き、真夜中まで熱心にトーク

すっかり気があった2人

賀茂真淵は「日本の文化は素晴らしいんだよ!日本人は昔の心に戻らなければ!君も頑張りなさい」とエールを送り、宣長はこの言葉を聞いて「古事記の研究を一生続けます!」と誓った

この時、賀茂真淵は67歳 宣長は34歳だった

以後、この2人は会うことはなかったが、たびたび手紙を出し合った

宣長は誓ったとおり毎日勉強を続け、とうとう大作「古事記伝」を完成させた

古事記伝は44巻あり、ページ数は全部で6400ページ 積み上げた本の高さは50センチとなる

こうして宣長の研究は平田篤胤(ひらたあつたね)ら多くの人に影響を与えることとなる


尊敬する人・・・「もちろん賀茂真淵先生です!」

いいたいこと・・・「儒学というのは中国の孔子の教えですよ?日本には昔から優れた文化が沢山あるというのに、なぜ日本人は日本の心を勉強しないのでしょうか?不思議で仕方ありませんよ!」

研究結果・・・「国学」という新しいジャンルができた

研究時間・・・35年

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★


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森鴎外 もり うおがい 1862年2月17日〜1922年7月9日
明治時代の作家 本名は森林太郎

幕末の動乱の頃、島根県に生まれた
家は津和野藩主のお抱え医者だったため、鴎外も医師になるべく今の東大へ

卒業すると陸軍の医者となりドイツへ留学

そこで西欧文学に目覚めちゃった

こうして帰ってきてから「於母影(おもかげ)」という解釈本でデビュー

そしてドイツ三部作といわれている「舞姫」「うたかたの記」「文づかひ」を発表

作家をしつつ医学研究をしていたという珍しい人であります

医者方面ではなんと陸軍軍医総督という超エリートまで上り詰めた

まさに本業・副業ともに大成功を収めた人であります



ラストセリフ・・・「森鴎外ではなく、森林太郎として死にたい」

その他の代表作・・・「雁」「高瀬舟」「阿部一族」「山椒大夫」

ヒミツ・・・「2歳サバ読んで東大に入りました♪卒業したのは20歳でーす♪」

佐藤春夫談・・・「あの人の書斎っていっつも灯りがついてんですよ。寝てるんですかねぇ?」

ちょっと認めた人・・・井伏鱒二「あやつめ、なかなかやりおるわい」

ハガクレ個人的感想・・・「高瀬舟」あれはすごい!この時代において安楽死についての問題を投げかけている。さすが医者

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★

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最上義光 もがみ よしあき 1546〜1614年

最上家の長男として生まれるも、お父さんは弟ばっか可愛がり義光が大嫌いだった

義光は25歳になると、とうとうお父さんを隠居させ、弟を殺し、最上家の家督をもぎとった

でもって、ご近所とバトルに明け暮れてたんだけど、豊臣秀吉が天下をゲットしたため従うことに

以後、義光は秀吉のご機嫌取りしまくる

ある日、秀吉の甥っ子で関白となった秀次が義光の12歳の娘・駒姫を気に入っちゃった

義光は「これは仲良くなるチャンス♪」と、駒姫を秀次に差し出すも、秀次と秀吉が険悪になっちゃって、とうとう秀次は処刑される(駒姫も)

義光はめっちゃ焦ったが、なんとかセーフ

でもって関が原の合戦では東軍についたので庄内57万石の大名に大出世!

そして68歳で死ぬんだけど、その後息子達が御家騒動を起こし、最上家は取り潰されてしまった


特 技・・・はかりごと

自 慢・・・腕力

びびった人・・・豊臣秀吉

嫌いな人・・・お父さん

欲しかったもの・・・伊達の領地

好きなタイプ・・・豪傑肌

家臣A談・・・「義光様はめちゃいい人なんですよ!なんで評判が悪いんスカ??」

家臣B談・・・「義光様はめっちゃ優しいんですよ。みんなわかってませんね。伊達のヤロウより全然いいですよ!領民からも愛されてるんですよ。その証拠に一揆なんて全然ないでしょう??」

家臣C談・・・「あれですよ。最上家は義光様の死後改易になっちゃったんで、資料があまりないんですよ。ほとんど伊達家の資料から最上家を推測してるんです。伊達家は最上家が大嫌いなので、悪口ばっか書いてるんでしょうね。だから最上家の後世の評判が悪いんですよ。くそー」

ヒトコト・・・なんかワシって、いっつもドラマで悪役になってるよなぁ。地味にショックだよ


歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★

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母里太兵衛 もり たひょうえ 1556〜1615

戦国時代の武将

ホントの名前は「友信」だけど、太兵衛の方が有名

播磨で勢力を持ってた小寺家に仕えてたんだけど、この小寺家が黒田官兵衛のお父さんに仕えたので黒田家に仕えるようになる

初陣から先鋒で大活躍し、その後も官兵衛に従って戦功をあげ続けた

関ヶ原の戦いでは九州で頑張ってた

で、18000石を貰い隠居した


自 慢・・・腕力

大事だと思うこと・・・忠誠心

マブダチ・・・栗山利安

マブダチとの出会い・・・官兵衛から「この栗山利安を、以後は兄と思って兄弟一体となって活躍してほしい」といわれたから。その言葉を忠実に守った

ナイス・ライバル・・・後藤又兵衛

自慢その1・・・あげた首は76。黒田家内でトップ

自慢その2・・・石田三成が黒田長政の妻を人質にとろーとしたんだけど、うまい具合に逃亡させた

自慢その3・・・福島正則から名槍「日本号」を奪ったこと

黒田節伝説・・・京都の伏見城にいた福島正則のとこへ黒田長政の使者としてやってきた太兵衛が、お酒をすすめられるも、使者だからってことで断った。が酔っ払い正則は「黒田の武士は酒に弱いんだよな〜。酔えば役にたたないからな〜」と言った
むっとした太兵衛はめっちゃでかい盃に注がれた酒を一気に飲み干した

言いたいこと・・・黒田武士は男気があるんです

マブダチ・利安との涙話・・・死ぬ間際、利安がお見舞いにきた。太兵衛は「今まで言えなかったが、自分はお主がいたから人となることができた。閻魔大王の元に行く前にこの言葉を言えてよかった。舌を抜かれてしまっては、お主に感謝の意を伝えることができないからな」と言い、二人で号泣した

嬉しかったこと・・・黒田二十四騎に選ばれたこと


歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★

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