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歴史人物辞典
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武田信玄 戦国
(たけだ しんげん)
武田勝頼 戦国
(たけだ かつより)
竹中半兵衛 戦国
(たけなか はんべえ)
伊達政宗 戦国
(だて まさむね)


平清盛 平安
(たいらのきよもり)
平重盛 平安
(たいらのしげもり)
平宗盛 平安
(たいらのむねもり)
種子島時堯 戦国
(たねがしまときたか)


武田信廉 戦国
(たけだ のぶかど)
武田信繁 戦国
(たけだ のぶしげ)
太原雪斎 戦国
(たいげん せっさい)
平将門 平安
(たいらのまさかど)


大黒屋光太夫 幕末
(だいこくやこうだゆう)
伊達成実 戦国
(だて しげざね)
鷹司孝子 江戸
(たかつかさ たかこ)
高村光太郎 明治
(たかむら こうたろう)


田沼意次 江戸
(たぬま おきつぐ)
田中吉政 戦国
(たなか よしまさ)
立花宗茂 戦国
(たちばな むねしげ)
谷干城 幕末
(たに たてき)


滝川一益 戦国
(たきがわ かずます)
高山右近 戦国
(たかやま うこん)
高野長英 幕末
(たかの ちょうえい)
高島秋帆 幕末
(たかしま しゅうはん)


武市半平太 幕末
(たけち はんぺいた)



長宗我部元親 戦国
(ちょうそかべ もとちか)
長宗我部盛親 戦国
(ちょうそかべ もりちか)
茶屋四郎次郎 戦国
(ちゃやしろうじろう)
近松門左衛門 江戸
(ちかまつもんざえもん)



津田梅子 明治
(つだ うめこ)
築山殿 戦国
(つきやまどの)
筒井順慶 戦国
(つつい じゅんけい)
津軽為信 戦国
(つがる ためのぶ)


鶴屋南北四代目江戸
(つるやなんぼく)



天武天皇 飛鳥
(てんむてんのう)



豊臣秀吉 戦国
(とよとみ ひでよし)
豊臣秀頼 戦国
(とよとみ ひでより)
徳川家康 戦国
(とくがわ いえやす)
徳川秀忠 戦国
(とくがわ ひでただ)


徳川家光 江戸
(とくがわ いえみつ)
徳川綱吉 江戸
(とくがわつなよし)
藤堂高虎 戦国
(とうどう たかとら)
徳川家茂 幕末
(とくがわ いえもち)


徳川吉宗 江戸
(とくがわ よしむね)
豊臣秀長 戦国
(とよとみ ひでなが)
豊臣秀次 戦国
(とよとみ ひでつぐ)
東郷平八郎 明治
(とうごう へいはちろう)


鳥居元忠 戦国
(とりい もとただ)
徳川斉昭 幕末
(とくがわ なりあき)





武田信玄  たけだしんげん
戦国時代の大名

幼い頃はグズでのろま。お父さんから嫌われてた。が、そのお父さんも家臣から嫌われていたため、信玄は家臣たちとタッグを組んでお父さんを追放。

信玄は甲斐の新当主となった

それからの信玄は猪突猛進。領地を次々とゲットする。

が、ココでつまづきが。信濃を攻略してたんだけど、信濃の村上家と小笠原家が越後の龍として名を轟かせていた上杉謙信にヘルプを出した

「上杉さん!あの武田さんどうにかしてくださいよ!」

これに謙信「あい、わかった!」とOK。こうして5回に渡る川中島の合戦がスタート

が、これは最後まで決着がつかず、信玄は「おっ、今川義元が死んだのか?上杉謙信とケンカすると被害がデカイから今川を攻略しよう」と方向転換

ガンガンと領地を広げました。

するとまたツマヅキが。今度は織田信長が将軍と一緒に京都へ上洛しちゃいました

「ウヌヌ。生意気なガキめ!ワシが京都に上洛して天下を取ろうとしていたっつーのに!ようし!今度は織田のガキをひとひねりじゃぁ!」と京都上洛を決意。

上洛途中に徳川家康と三方が原で戦い完勝! 信長はマジ焦り

が、なんと肝心の信玄が上洛途中に病気となり、とうとう死んでしまった。

信長は小躍り♪信玄はあと一歩で夢を果たせず、跡を継いだ武田勝頼によって武田家は滅亡となるのでした



ニックネーム・・・オヤカタ様・甲斐の虎

好きな言葉・・・風林火山

お気に入り・・・諏訪姫・高坂弾正

嫌いな人・・・上杉謙信・織田の小僧・おとん

苦手なもの・・・毛虫

欲しいもの・・・海のある国

自 慢・・・武田二十四将・武田の騎馬隊・ワシの金山

上杉謙信談・・・あやつが死んだと聞いた時、思わず涙が出てしもうたわい

織田信長談・・・やったぜ!死んだぜ!わはははっは!ざまぁみろ!これでご機嫌とらなくてすむぜ!

山本勘助談・・・オヤカタ様は最高でござる

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★★ 信玄餅もうまい!


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武田勝頼  たけだかつより
戦国時代の大名  名将・武田信玄の跡取り

信玄の四男。四男だったため、一度「諏訪家」に行かされたが、お兄ちゃんたちが死んだり盲目だったため、新当主に抜擢

が、古くからいる家臣たちは「勝頼?あぁダメダメ!まだ若いからサ、信玄殿の十分の一の器量しかないぞな」とバカにしまくり

それに反抗した勝頼は老臣たちの忠告を聞かず、「見返したるぜぃ!」とガンガン攻撃を開始

さらに諏訪家時代の家臣達をごっそり連れてきて出世させたため、信玄時代の家臣達と険悪なムードに

武田家暗雲の決め手は「長篠の戦」

この時も信玄時代の老臣が「この陣構えはなんか怪しい。今回はやめときましょう」とアドバイスするも「臆病ジジィどもめ!」と罵りまくり、無理やり合戦

武田の騎馬隊は織田・徳川連合軍の鉄砲隊の前にガンガン倒れていき、この時の戦いで強い武将達がほぼ討死

その後の武田家は坂の上から転がり落ちるようにボロボロ

いい家臣はみんな徳川や織田に願えるし、最後は「もうダメだ」っというkとになり、どうしよう・・・って所に家臣の小山田信茂が「ぜひワシの城に来てもう一度やりなおしましょう」という案にのり小山田の城へ

が、小山田はすでに勝頼を見限って織田・徳川に寝返っていたのでした

それを知った勝頼は天目山に逃げ込み、もはやこれまでと自刃。

勝頼37才でした。こうして名門・武田家は滅亡してしまったのでした



嫌いな人・・・織田信長・徳川家康・北条氏政 「たくさんいすぎて書けないぜ」

性 格・・・実は強い。大名としては決して悪くはない。ただお父さんがあまりにも偉大すぎただけ

目 標・・・オヤジの代の家臣たちに認めてもらうこと

嫌いなもの・・・鉄砲「あの音を聞くとうなされる」

見たくないもの・・・織田信長が長篠の戦の後に上杉謙信に書いた手紙 「どうせオレのことクソミソにバカにしてんだろ?」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★★

キャッチコピー・・・父の後を追い続けた男


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竹中半兵衛  たけなかはんべえ
戦国時代の武将 名軍師

美濃出身で、父親は斉藤道三に仕えていた。

半兵衛は道三の孫・斉藤龍興に仕えました。

小さい頃から勉強好きでしたが、見た目がひ弱タイプだったため、龍興の家臣にイジメにあいまくり

とうとう小便をひっかけられ半兵衛は怒った!

なんと策略によって斉藤家の稲葉山城を乗っ取ったのです。

が、乗っ取っただけですっきりしたのか、さっさと明け渡して浪人生活に

そこに目をつけたのが信長の家臣だった豊臣秀吉

「あんな賢い男ならワシの家来になってほしいな」としつこくスカウトしまくり、とうとう半兵衛は秀吉の家臣になったのでした

そして黒田如水とともに秀吉の右腕に

どうやら純粋に軍略がすきだったらしく、あまり褒美を欲しがらなかった。この辺が黒田如水とは違うとこ

秀吉のもとで大活躍しまくったが、なんと36歳の若さで死んでしまいました



好きな人・・・秀吉・黒田如水

欲しいもの・・・強そうな体・軍事シュミレーションゲーム

嫌いな人・・・斉藤家の人々

黒田長政談・・・「ボク、織田信長に殺されそうだったんだけど、半兵衛おじちゃんのお陰で命を助けてもらったんだ。だから竹中家とはずーっと仲良くやっていくつもり。だって命の恩人だもん」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★★ 

キャッチフレーズ・・・欲無し


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伊達政宗  だてまさむね
戦国時代の大名 生まれるのがちょっと遅かったツイてない人

伊達家の長男として生まれたが、5才の時に疱瘡になり片目が見えなくなる

わが子の醜い姿を嫌った母親は、なんと自分の息子を毒殺しようとしたが失敗して追い出された

天下を取る器があったが、なんせ生まれるのが遅すぎた

暴れだした頃には豊臣秀吉が天下をゲットする寸前。

「ワシのトコに挨拶にこい」と言われたが、母親に毒を飲まされちゃったため行けなかったので秀吉に激怒される

そこでパフォーマー政宗は秀吉のトコに白装束(切腹スタイル)で登場

秀吉はその度胸を褒め、許してあげた

その後、伊達政宗は徳川家康と仲良くなり関ヶ原の戦い・大坂の陣において全て徳川チームへ

頑張ったかいがあって、江戸幕府が開かれた時はかなりいい待遇となりました



ニックネーム・・・独眼流・天下のご意見番

好きな人・・・片倉小十郎

尊敬する人・・・お父さん

かなわぬ夢・・・ママンに抱きしめてもらうこと

嫌いな人・・・最上義光・直江兼続

特 技・・・ギリギリのところで人様のハートを掴むこと

流行らせたい言葉・・・伊達男

怖かった人・・・豊臣秀吉

夢・・・天下を取りたかった「いや、俺はあと30年早く生まれてれば絶対天下を取れた。伊達幕府を作れた」

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★



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平清盛  たいらのきよもり

平安時代の権力者

平氏の平忠常の息子として育ち、トントン拍子で出世

保元の乱で源氏の棟梁・源義朝とともに後白河天皇の味方をし勝利を掴む

が、たいした活躍をしてないのに褒美は清盛の方が多かった。

これに腹をたてた源義朝が清盛にケンカをふっかけ、平治の乱に発展する

清盛はこのバトルに勝利し、義朝を殺すも、嫡男・頼朝は殺さず伊豆へ流し、九男・義経を母の常盤御前とペアで助ける。どうやら常盤御前の美しさにノックアウトされたらしい

その後は、平氏の世が続き、栄華を極めるも、だんだんと「平家ばっかりえばりやがって!」という空気が生まれる

さらに後白河法皇も「このままじゃ平家が強くなりすぎてヤバイな。でも天皇家には武力がないしな・・・。この際源氏の生き残りたちに平家やっつけてくれるよう頼むかな」と企み始める

清盛は天皇家をも凌ぐ勢いだったが、病気には勝てなかった

平家打倒の空気の中、とうとう病気で死んだ。

遺言は「わが墓前に頼朝の首を置け」


性 格・・・頭がいい・ヘンなとこで優しい

嫌いな人・・・後白河法皇

オモヒデの場所・・・福原

心配事・・・三男・宗盛のこと。「あやつはちょっと脳みそが足りんので、ワシの後の棟梁が務まるかどうか心配じゃ」

嫌いなタイプ・・・しつこい女

ヒミツ・・・実は白河法皇の隠し子 「だからトントン拍子で出世できたのじゃ」

後悔してること・・・源氏を根絶やしにしなかったこと

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★★

キャッチフレーズ・・・見かけは怖いが心はスイート


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平重盛  たいらのしげもり
平安時代の人  

平清盛の長男。頭脳明晰で優秀な後継ぎで、優しすぎる清盛を支えた

平安時代のどの本にもブッチギリで褒めまくれられている珍しい人

が、残念なことに清盛より先に病気で死んでしまう

これにより清盛は、ストッパーがいなくなりだんだんとやることがおかしくなり始める


性 格・・・慎重・優しい・思いやりがある

好きな人・・・父上

尊敬する人・・・父上

ヒトコト・・・「父上を支え続けることが出来なかったのが悔しいです」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★

キャッチフレーズ・・・まともすぎる男


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平宗盛  たいらのむねもり
平安時代の人

平清盛の三男。

父親が死んだ後、平家の棟梁(ボス)となる。

が、政治の才能がなく、後白河法皇にいいようにされまくる

しまいには源氏の木曽義仲に京都を追い出され、都落ちという屈辱的な目にあう

その後も、一の谷の戦い・屋島の戦いと源氏VS平氏でバトルするもボロ負け

とうとう最終決戦「壇ノ浦の戦い」でも負けてしまい、家臣に「総大将がいつまでもボーっとするな!潔く死ね!」と海に突き落とされるも、泳ぎがうまくスイスイ泳いでしまい、源氏に捕らえられる

その後、鎌倉の頼朝の前につれて来られるが、そこで助かりたいがために頼朝にお世辞を言い、周りからはため息が漏れる

もちろん頼朝は許さず、宗盛を処刑した

最後にちょっと気の毒なので、宗盛のイイトコを紹介

頼朝に捕まったのは宗盛だけじゃなく、宗盛の息子「清宗」も捕らえられた。宗盛は自分が死ぬ最後の瞬間まで「清宗を助けてくだされ」とお願いしながら死んでいった。その姿に見物人は涙したという


性格・・・見栄っぱり・自己顕示欲が強い・短絡的

嫌いな人・・・義経 「昔からアイツのことは大嫌いだった!」

自慢・・・「後白河法皇はボクのことを良い子といつも言ってくれたんだぜ」

後白河談・・・「宗盛は清盛・重盛と違って簡単よのぉ。ウホホホ」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★ 

キャッチフレーズ・・・京都の呪縛に絡まれ続けた人生


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種子島時堯 たねがしま ときたか 1582年〜1579年
戦国時代の大名

漂流した一隻のポルトガル船によって運命を変えられちゃった人

どうやらポルトガル人たちはシャムから中国に貿易をする途中、台風にあい種子島へ漂流しちゃったらしい

で、この人たち、キミョーなものを持っていた

それは長さ1メートルほどのまっすぐな筒

なんじゃこりゃ?と16才の好奇心旺盛な時堯は「ねぇねぇ何それ?見せて見せて!どわあ!何コレ!何この音!すげえ!」と大興奮

「こんなおもしろいもんが世の中にあるんだ!ねぇ!ちょうだい!いや、売ってぇ!1億円でどお?」と、二つの鉄砲を買ったのであった

これを刀鍛冶の八坂金兵衛と、火薬調合約の笹川小四郎に「同じの作って!」と命令

が、ネジのところがどーしてもわからず、金兵衛は自分の娘をポルトガル人に売ってまで、ネジの作り方を教えてもらった

こうして試行錯誤を繰り返し、やっとこさ完成

好奇心旺盛だった16才の少年大名が、日本を変える「鉄砲」を広めることとなった



オモヒデ・・・初めて見た鉄砲「すごかった!バーン!って音がしたんだよ!」

ヒトコト・・・こんなに鉄砲が普及するとは思わなかった!

うれしかったこと・・・あのね、僕の娘があの島津義久の正室になったんだよ?すごいでしょ!

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★ 「鉄砲伝来以外あまりよくわからん」


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武田信廉 たけだ のぶかど  ??〜1582年
戦国時代の武将  武田信玄の弟

武田信虎と正室・大井夫人との間に生まれた三男

信玄の実の弟

が、病弱で合戦向きではなかった

芸術方面が得意だった

ほとんど合戦に出なかったが、信玄にそっくりなので「影武者」をやらされてた

信玄が死ぬ時、遺言が「三年間信玄の死を隠せ」というものだったため、その後信玄のフリをしていたらしい

が、武田家は衰弱していき、とうとう織田信長の息子・信忠に捕らえられ処刑されてしまった


趣味・・・絵を描くこと

自慢・・・字がうまいこと

特技・・・詩歌を作ること

やりたくないこと・・・お兄ちゃんの影武者をやらされること

嫌なこと・・・二人のお兄ちゃんに比べられること・合戦に出ること

ビックリしたこと・・・突然「影武者」に任命されたこと

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★

キャッチフレーズ 悲運の影武者


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武田信繁 たけだ のぶしげ 1525年〜1561年
戦国時代の武将 武田信玄の弟

信虎の次男として生まれた

幼い頃から賢く、父・信虎は長男信玄より、次男の信繁を可愛がった

そして「信繁を次期当主にしたい」と思うように

が、信玄が父・信虎を追放

信繁は信玄が大好きだったので、その時まっさきに信玄に忠誠を誓った

以後、信玄の右腕として活躍

家臣はもとより、信玄からも信頼される

が、1561年の川中島の合戦において、山本勘助の「啄木鳥作戦」の失敗で、窮地に追い込まれた信玄を助けに行き、みずからの命と引き換えに信玄を救った


性 格・・・まじめ・誠実・お兄ちゃん大好きっ子

武田信玄談・・・「なぜ死んだ・・・・・」

山本勘助談・・・「信繁様をこのような目に合わせたのはワシの責任でござる。死をもって償いいたす」

北条氏康談・・・「信繁は武田の真の副将である!」

真田昌幸談・・・「ワシの次男には信繁の武勇にあやかろうと同じ名前を付けさせていただきました。これがのちの真田幸村でござる」

室鳩巣談・・・「信繁殿は真の武士である。武士の鑑でござる」

ラストセリフ・・・「討死覚悟のため援軍無用!兄を頼む!」

家臣談・・・「信繁殿が生きていれば武田家は滅亡せずにすんだかもしれぬ・・・」

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★★

キャッチフレーズ 戦国一のお兄ちゃんっ子


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太原 雪斎 たいげん せっさい 1496年〜1555
戦国時代の坊さん 今川家の強烈軍師

今川家の家臣だった太源家の雪斎は18歳まで京都で修行をする僧だった

そこに、後の主君となる今川義元がやってくる

義元は五男だったので、後継ぎになれなかったため、寺に行かされたのでした

ここで雪斎は、義元の面倒を見る役目をすることに

が、義元の兄が立て続けに死に、残っているのは三男と義元だけに

ここで三男と五男・義元の家督争いが始まる

雪斎はこの時、出せる知恵を全て出し切り、花倉の乱というバトルを繰り広げ、見事義元を今川家の跡取りにさせることに成功

以後、義元と雪斎はタッグを組み、今川家を強力にしていく

徳川家康が今川家に人質になった時も、全て雪斎プロデュースのもと行われた

さらに雪斎は「今川・北条・武田」との間に三国同盟を締結させ、今川家に繁栄をもたらしまくった

義元は「海道一の弓取り」と言われるほどに成長していく

が、そんな雪斎も病魔には勝てなかった

義元のことを心配しながら死んでいった

この後すぐ、義元は桶狭間において織田信長に殺されてしまう

戦い上手な雪斎が生きていたら、歴史は変わっていたかもしれない


今川義元談・・・「雪斎がボクちゃんより早く死んだからいけないんだよ!雪斎のせいだよ!」

徳川家康談・・・「雪斎殿はすばらしいお方でした。人質時代に様々なことを教えていただきました」

山本勘助談・・・「今川家は雪斎殿を頼りすぎておりましたな。義元殿が討ち取られたと聞いた時は、やはり・・・といった感じでしたな」

大変だったこと・・・「三国同盟プロデュース」

ヒトコト・・・「義元殿を海道一の弓取りにしてみせますぞ!だからもう少しダイエットを・・・」

悔しいこと・・・「ワシがあともう少し生きていれば織田信長などに・・・」

悪巧み仲間・・・今川寿桂尼

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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平将門 たいらのまさかど ??〜940年
平安時代のカリスマ武士

桓武天皇の血を引く下総地方(茨城県)豪族の名門に生まれた将門

若い頃「検非違使」という、京都の警察官みたいなのになりたくって上京

が、「関東の田舎モノめが!」とバカにされ「何だよ!くそー!今に見てろ!」と、すごすごと実家に帰る

そんな傷ついた少年将門を待ち受けてたのは、叔父さんの平国香(たいらくにか)が、将門の領地を奪い取っているというニュース

怒った将門は叔父さんと大喧嘩

叔父さんを殺して、下総地方を支配していくようになった

こうして将門は下総地方でヤクザの親分みたいな感じになっていた

そんな頃、藤原玄明という豪族が「朝廷に追われてるんだ!助けて」とやってきた

親びん将門は「よっしゃ!オレにまかせろ」と、玄明を匿う

これにより、将門は要注意人物とチェックされるように

そんなある晩、女官が「あなたにお告げがありました!菅原道真のお告げです!天皇の位をあなたに授けるとのことです」と言ってきた

将門は自分のことを「親皇」と名乗り京都に反乱することに

これを知った朝廷は将門追討の命令を下した

が、朝廷軍が関東に着く前に、以前将門が殺した平国香の息子である貞盛が平将門を殺してしまっていた

将門は殺されたとき、白羽の矢が眉間に刺さり、首を斬られ晒された

その首は目を見開いたままで、なんと東京大手町のビル街の一角まで「今一度合戦を!」と叫びながら飛んで行ったらしい


性 格・・・豪快・正義感強し・親分肌

夢・・・新しい国を作ること

ヒミツの親友・・・藤原純友

大手町のOL談・・・「将門の首塚に背中を向けてると、会社が潰れるらしいわヨ」

大手町のサラリーマン談・・・「将門の首塚の写真を撮ると変な写真になるんだよネ・・・おぉ怖」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★

キャッチフレーズ・・・ミスター関東


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大黒屋光太夫 だいこくやこうだゆう 1751年〜1828年
幕末の漂流者

伊勢生まれの光太夫は、32歳のときに米を運ぶため船で江戸へ

ところがおおシケにあってしまい、漂流すること五ヶ月間

なんとかアムトチカ(ロシア)にたどり着いた。ここで4年間過ごし、カムチャッカへ

この頃16人いた仲間は9人になっていた

日本へ帰る許可を得るためシベリア総督に合いにオホーツク海を渡るが、やっと会えたシベリア総督に
「キョカ出せまセーン!チョード日本ゴ教師が居ないノデ、アナタタチはココで教師になりなサーイ!」と言われる

ショックの光太夫

そこへラッキーなことに、学者のラスクマンと出会う

ラスクマンは女帝に会って頼めば許可もらえるヨとアドバイス

光太夫はエカテリーナ二世に会いにまたも旅にでる

無事エカテリーナ二世に会うことができ、「ベンセシコー」(かわいそうに・・・という意味)と言われ日本に帰る許可を得ることができた

正直ロシアはこれを機会に日本との間で貿易を始めたかった

こうして光太夫は念願の日本へ!

が、このころ幕府は外国を敵視していた時代

せっかく帰ってきたというのに光太夫はすっごいしつこく取り調べされる毎日

故郷に帰ることも許してもらえなかった

何のためにこんな辛い思いをして日本へ帰ってきたのかよくわからない人となってしまった

せめてもうちょっと帰ってくるのが遅ければ、ジョン万次郎のようになれたかもしれない


自 慢・・・日本人で初めてフォークとナイフで食事をしたこと

さらに自慢・・・「あのエカテリーナ二世に謁見したんですよ!」

さらにさらに自慢・・・「僕の映画があるんですよ!「おろしや国酔夢譚」というんですよ!」

幕府の声・・・「ロシアに行っていたような危険人物を野放しにするわけにはいかん!」

歴史メジャー度  ★★
 
管理人お気に入り度 ★★★


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伊達成実 だてしげざね 1568年〜1646年
戦国時代の武将 伊達政宗の親戚

伊達政宗の親戚で、一才年下

政宗が18歳で当主になった翌年、成実も大森城の城主となる
伊達家で一番の武勇の人となり、大活躍する豪傑であります

秀吉の小田原攻めの時、当主である伊達政宗は実の母に毒を盛られ死にそうになった
なんとか助かったものの、小田原攻めの時は大遅刻

この時成実は「政宗に何かあったら秀吉と一戦を交えてやる!!」と、言い張った

が、この後、政宗がみんなの役職を決める会議の時、成実の上に2人の上役を置いたことに不満タラタラ

我慢できなくなり、伊達家を出て行き浪人となってしまった
この時、越後の上杉景勝から破格のスカウト料で「うちに来てくれ〜」と言われるも断った

後に伊達家は舞い戻り、城主となり、79歳で死んだ


自慢・・・「伊達家で一番強いぜ!」

自慢その2・・・「常に政宗軍団の主力部隊だぜ!」

自慢その3・・・「あの徳川三代将軍家光が俺の武勇伝を聞きたいっつって俺を招いたんだぜ?」

匿名希望の家臣・・・「武勇は確かに優れてますけどネ、イマイチ政治感覚がないというか・・・。あっ、内緒ですよコレは!!」

匿名希望の上司・・・「武勇に頼りすぎなんですよ彼は!だからいっつもワシは彼の作戦には反対しておりましたぞ。猪突猛進とはヤツのことですわい!」


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★


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鷹司孝子 たかつかさ たかこ 1602年〜1674年
江戸時代の人 三代将軍家光の御台所(正室)

関白鷹司信房の娘
生まれながらの将軍じゃー!という家光の将軍としての威光を高めるため、そして幕府と朝廷との関係をスムーズにするために政略結婚させられた女性

摂関家から将軍家へ嫁ぐのはこれが初めて

孝子のいる京都では「箱根の山を越えると鬼が住んでいる」と言ってたくらい、東国というのは野蛮なイメージだった

そのため結婚をめちゃくちゃ嫌がった

結婚したものの、家光はホモだし、やっと家光が女に興味を持ち始めたと思ったら側室を作りまくるしと、本当に孤独で気の毒な生活を送ることに

さらには御台所だというのに隔離された場所に家を建てられ、屈辱の日々を送る

73歳まで幕府と朝廷の仲を取り持つためだけに生きて、死んだ



春日局談・・・「とりあえず京の摂関家の娘を貰えばよいのです。家光殿の威厳が上がりますでしょう?」

ダンナ家光談・・・「だって気取ってんだもん」

大奥女中A談・・・「京風・京風って、ここは江戸だというのに!」

大奥女中B談・・・「いっつもボーっとして何考えてるのかわかんないの。京都の人ってあんななのぉ?」

ヒトコト・・・「さみしい・・・」

歴史メジャー度 ★

管理人お気に入り度 ★★

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高村光太郎  たかむら こうたろう  1883年〜1955年
明治生まれの小説家

お父さんは有名な彫刻家「高村光雲(たかむらこううん・西郷隆盛像を作った人)

そのため光太郎も将来を期待され、彫刻家の道へ

東京芸術大学へ進学し、卒業後欧米へ留学

そこでロダンの影響を受け、人々が人生を楽しみながら自由に前向きで生きているということにカルチャーショックを受けちゃう

日本に帰った光太郎はそのギャップに悶々とする

お父さんは厳しいし、日本の伝統を守ろうとするその社会の仕組みにしだいにやる気がなくなってきた

そんな頃、長沼智恵子という女性と出会う

こうして智恵子と光太郎はラブラブになり、光太郎は道を踏みはずさずにすんだ

が、彫刻よりも詩人としてのほうが有名になっていく

そんな幸せな生活もつかの間、ダイスキな智恵子が精神的に病気になる

精神病を抱えたまま、七年後に結核で死んでしまった

光太郎大ショック

こうして智恵子のために作った「智恵子抄」が出来上がった

光太郎は死ぬ一年前に自らが選んだ「高村光太郎詩集」を発行すると、翌年72歳で死んだ


有名言葉・・・「そんなにもあなたはレモンを待っていた」

好きな人・・・「智恵子智恵子智恵子智恵子智恵子智恵子」

ショックだったこと・・・「智恵子が死んだこと」

ショックだったことその2・・・「空襲でアトリエが燃えたこと」

仲良し・・・宮沢賢治

ヒトコト・・・「彫刻方面でもかなりの有名人なのですぞ」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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田沼意次 たぬま おきつぐ 1719年〜1788年

江戸時代の老中

父親は紀伊藩の足軽

八代将軍吉宗が将軍になった時、紀伊から呼び寄せました

意次は9代将軍家重の小姓となり、出世
が、昔からいる家臣たちは意次が出世していくのがおもしろくなかった

10代将軍家重の時代になると、ガンガン表舞台へ
この頃になると、家臣同士のバトルはヒートアップ
家重はなんだか嫌になっちゃって、将棋ばっかうつように

やる気のなくなった将軍家治に代わって権力を握りまくった田沼意次

意次は歴史上悪名高いワイロ官僚として名を残すこととなっていくのです
とはいっても最近は評価がだいぶ変わってきましたけどネ。

そして権力をつけるにしたがって、誰も彼もが意次とその息子意知(おきとも)にお願いしなければ出世できなくなってきた

意次の家の30畳ある大広間はワイロを持ってやってきたお客さんで溢れかえり盛況しまくり

が、相次ぐ天災や意次を恨む人の策謀が重なりあい、とうとう失脚

そしてライバル・松平定信が表舞台へ登場し、意次の時代は終わったのでした



きらいなヤツ・・・松平定信

意次賄賂伝説@・・・意次が自分の池を眺めながら「この池に鯉でも泳いでいたらさぞかし見事であろうな」とつぶやくと、その日のうちに池には無数の鯉が泳いでいた

意次賄賂伝説A・・・ある大名からは大きな人形箱が送られてきて、開けてみると生きた人間である京美人が入っていた

意次賄賂発言・・・老中となった時に「金銀は人の命にも代えがたいほどの大事な宝である。その宝をワシに贈ってまでも上へ行きたいなら、その者は忠臣であろう。したがって志の高い人ほど贈り物(賄賂)の多い少ないによってわかるのだ」

意次賄賂もうけ額・・・老中の間に集めた賄賂は、現在のお金になおすと2000億円もあったらしい

言いたいこと・・・この頃「賄賂」は当たり前!!ワシの「悪徳政治家」のイメージは、失脚後に松平定信がさんざん意次をこき下ろしたためだ!!

意次がやったこと・・・これ以上年貢の増収は見込めない!って状態だったので、今までの農業を基盤とした主義に代わって株仲間を公認して商業による幕府財政の増収をはかった
貿易拡大策や格式に関係なく有能な人材を登用した
「色々やってんだよ!!」

ポリシー・・・、伝統・格式を無視した政策

困ったこと・・・天明の大飢饉 「浅間山が噴火したのじゃ・・・。ワシのせいじゃないのに」

松平定信談・・・「田沼を見るたび、殺したくなるぜ!」

江戸庶民の歌・・・「田や沼や 濁れる御世をあらためて 清く澄ませや 白河の水」
「世の中に蚊ほどうるさきものはなし ぶんぶぶんぶ(文武)と夜もねむれず」
「白河の(定信は白河藩主)清きに魚すみかねて もとの濁りの田沼こいしき」
「孫の手の痒きところへ届きすぎ 足の裏までかきさがすなり」

江戸庶民の声A・・・「最初はさ、田沼の汚れきった政治を治してくれる定信さんに期待してたけどさ、文武をやれだの何だかんだうるさいったらねぇんだよ。元の田沼さんの方が良かったな」
江戸庶民の声B・・・「キレイすぎる沼に魚(わしら)は住まないんですよ!」
江戸庶民の声C・・・「多少の汚れには目をつぶってもらわないとねぇ」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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田中吉政 たなか よしまさ 1548〜1609年

戦国時代のキリシタン大名

織田信長の家臣・宮部善祥坊(ぜんしょうぼう)に仕えてたんだけど、賢かったので信長に引き立てられた

で、秀吉の弟・秀次に仕えてお堀や道を作成

築城や城下町作りがうまかったので、そっち方面で活躍してた

その一方で、キリスト教を信じ、家臣830人と集団で洗礼を受けた

関ヶ原の戦いでは東軍へ

この時、石田三成のいる大垣城を攻めるんだけど、ここでも優しさがチラホラ

大砲を撃つ時は事前に「撃つよ」と報告してあげたり、女性が城を逃げる時は見逃してあげたり

で、逃げている三成を捕らえたんだけど、この時も優しさがチラホラ

おなかが痛い三成にニラ粥を与え、お礼に三成は秀吉から貰った脇差をプレゼント

でもって、三成は「ほかの物に捕らえられるなら、お前に捕らえられたほうがいい」と言ったそうな

その後、家康から32万石を与られた


性 格・・・優しい

洗礼名・・・バルトロメヨ

特 技・・・街整備

お仲間・・・黒田長政

ヒトコト・・・「三成とは20年以来の仲なんです。なんというか・・・切なかったです」

幕府より・・・・「あいつは、キリスト教を禁止しているというのに、多くのキリシタンを保護しているんです。そのうちどうにかしなければ・・・」


歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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立花宗茂 たちばな むねしげ 1569〜1642年

戦国時代の武将

実のお父さんが高橋紹運で、養父が立花道雪とゆー大友家の2大有力家臣を父に持つ人

立花道雪に男児がいなかったので、高橋紹運のとこに「跡継ぎとして宗茂をくれ」と言ってきた

高橋紹運は賢い宗茂が気に入ってたので断ったんだけど、道雪は何度もお願いしてきたのでとうとう養子に

で、道雪の娘・ァ千代と結婚させ家督を継いだ

宗茂は誠実で勇猛果敢・でもって律儀で領民を大事にするため、みんなから好かれた

あの豊臣秀吉もめっちゃ気に入ってた

関ヶ原の戦いでは、秀吉の恩に報いようと西軍に

が、西軍は惨敗

ここで宗茂らしいエピソードが

逃げる途中に、お父さんの高橋紹運を殺した島津軍に出くわしちゃった

家臣たちが「今こそ仇を討つチャンスです!」と言ったんだけど、宗茂は「窮地に陥っている者の足をすくうなど武士のやることではない。我々は同じ西軍同士ではないか」と、島津義弘に使者を出して助けながら帰国しようと伝えた

義弘はこれにめっちゃ感激し、「もし東軍によって籠城となった場合は、援軍を出します!」と言いました

でもって、宗茂の城は東軍に取り囲まれたんだけど、やってきたのが同じ九州で朝鮮出兵を一緒にやった加藤清正だったので、「絶対に家臣たちの身の安全は保証するから」と言ってきた

そして宗茂は18人の従者とともに京都で放浪生活

その日のご飯にも困る貧乏生活が続くも、徳川家康が「あんないい人を捨て置くのはもったいない」と、カムバックさせた


性 格・・・誠実

弱 点・・・妻のァ千代 「あやつは、強すぎるんですヨ」

マブダチ・・・加藤清正・細川忠興

剣術師範・・・丸目長慶 「センス抜群の生徒でした」

スカウトマン・前田利長・・・「流浪人になったとゆーから是非うちに!とスカウトしたんだけど、断られてしまいました」

領民A・・・「本当に素晴らしい殿様でした。あの殿様のためなら命は惜しくありません」

豊臣秀吉談・・・「東は本多忠勝、西は立花宗茂が天下無双の勇士である」

宗茂にメロメロだった人たち・・・豊臣秀吉・徳川家康・徳川秀忠・加藤清正・島津義弘・細川忠興・前田利長・小早川隆景


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★ これでァ千代とのエピソードがもちょっとあればパーフェクトな武将!


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谷干城 たに たてき 1837〜1911

幕末〜明治の軍人

土佐藩出身で、有名になってきたのは西南戦争のときから

が、異常なおこりんぼのため、陸軍のお偉いさんである山県有朋に嫌われまくる

ケド山県有朋に反対する勢力が拾ってくれるんだけど、ここでも反骨精神たんまりで、イマイチ出世することができない

一方、裏では故郷の偉人だった坂本龍馬研究をしまくってて、「誰が殺したんだろう??」といった謎を解こうと、必死

が、大好きな奥さんが死んでしまってからというもの、めっちゃ元気がなくなり2年後に死去した


マブダチ・・・武市半平太

リスペクトする人・・・坂本龍馬

坂本龍馬暗殺事件について・・・「犯人は絶対に新撰組だ!!」

ショックだったこと・・・「新聞に京都見廻組の奴が坂本龍馬を暗殺したという記事が載っていたんです・・・。本当でしょうか??私は思わず犯人と名乗った今井信郎に向かって、お前ごときに坂本龍馬が斬れるか!!と言ってやりましたよ」

すっきりしたこと・・・近藤勇(新撰組)の処刑に手を下したこと「尊敬する坂本龍馬の仇をとることができました!!」

反骨物語@・・・陸軍士官学校長になるも、台湾出兵で死んだ将兵の遺体を乱暴に取り扱ったということを知ると抗議しまくり、起こって辞任!

反骨物語A・・・伊藤博文内閣になった時、西洋化にしよーとする日本のやり方に不満を抱いて辞任!

友人A・・・「あいつの癇癪もちにはほとほと疲れたよ」

友人B・・・「あんなに怒りんぼのくせに、奥さんには優しいんだよ」


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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滝川一益 たきがわかずます 1525〜1586年

戦国時代の武将 織田信長の家臣

甲賀で生まれ、少年の頃に六角義賢に仕えるが、ささいなことで人を殺したため追放される

で、叔父さんのとこに身を寄せるんだけど叔父さんの側室とラブラブになり、それがバレて殺されそうになり、逆に叔父さんを殺害

その後はフラフラと流浪の身となり、堺へ出て鉄砲商人の家に住み着く

ここで鉄砲製造や撃ち方を学ぶ

そこに現れたのが、鉄砲に興味津々の織田信長

一益は「仕官させて!」とお願いし、信長の目の前で火縄銃を100発撃って72発を命中させた

信長はめっちゃ気に入り、部下にする

一益は甲賀忍者を率いてガンガン武功を重ね、順調に出世していくも、ライバルの豊臣秀吉に蹴落とされ晩年は寂しい日々を送る


嫌いな人・・・豊臣秀吉

お仲間・・・柴田勝家

大活躍した場所・・・伊勢

欲しかったもの・・・茶器 「国よりも茶器が欲しかったのにぃ」

口グゼ・・・「鳥はいいよなぁ。自由で・・・」

後悔してること・・・清洲会議に欠席してしまったこと

夢・・・思う存分茶会を開きまくること


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★


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高山右近 たかやまうこん 1552〜1615

戦国時代を代表するキリシタン大名

高山家は最初三好氏に仕え、その後松永久秀に仕えた

お父さんがキリシタンだったので、右近も12歳の時に洗礼を受ける

でもって織田信長に仕えることになるんだけど、右近が与力としてしたがっていた荒木村重が信長に謀反しちゃった

で、信長が右近に「お前こんにゃろう!降伏しなければお前の領地のキリシタン皆殺しすんぞ!」と脅したので右近は悩みまくり、信長に降伏

信長は「よーし!」と、右近を高槻城主に

その後、豊臣秀吉が天下をゲットし、キリシタン禁止令を出す

どーしても信仰を捨てられない右近は、大名の地位を捨てた

で、前田利家の客将として金沢へ移り住むんだけど、今度は新たに天下をゲットした徳川家康の江戸幕府が「バテレン追放礼」を出す

右近は26年間住んだ金沢を捨て、家族とともに国外追放されちゃう

ということで右近はマニラに追放されちゃった

右近は信仰を貫いたってことでキリスト教界でめっちゃ有名だったので、マニラでは街をあげて大歓迎!

が、船旅がつらかったのか、マニラ到着後40日で死んでしまった


譲れないもの・・・キリスト教

ホントの名前・・・ユスト

プチ・自慢・・・千利休の利休七哲に選ばれました♪

特 技・・・鉱山採掘や設計 「キリスト教だけじゃなく、ヨーロッパの最新技術も学んでいるんですよ」

言いたいこと・・・このような戦国乱世、信じるものがなければ生きていけません

ビックリしたこと・・・マニラに国外追放されたこと 「処刑かと思ってました」

苦手な人・・・織田信長 「サタンかと思いました」

徳川家康談・・・「くぅっ!いまいましい!本当は処刑してやりたかったが、あやつを殺すと日本全国のキリシタンが暴徒と化してしまうので殺せんかったわい」

徳川秀忠談・・・「なぁんか、右近っていろんな人に好かれてんだよね。父上もやりにくかったと思います」

前田利家談・・・「え?おれ?おれ意外とキリシタンには好意的なんだけどなぁ」

黒田如水談・・・「右近殿は人徳あるお方です。ワシも洗礼を受けさせていただきました」

蒲生氏郷談・・・「右近殿はいい人ですよ!ぼくも洗礼受けました!」

領民談・・・「われわれを慈しんでくれていいた、素晴らしい領主様でした」

とある僧談・・・「あいつは最悪じゃい!!なぁにがキリシタンじゃ!われらの領地はあいつが来たばっかりに神社仏閣を全てぶっ壊されたんじゃぞ!!」


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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高野長英 たかのちょうえい 1804〜1850

幕末の有名な蘭学者

仙台藩士の三男に生まれ、養子に出される

17歳の時に養父の大反対を押し切って仙台藩を出る

その5年後にオランダ人医師のシーボルトが「鳴滝塾」を開くという噂を聞くと門人になる

が、シーボルト事件に巻き込まれてしまう

あ、シーボルト事件とゆーのは、シーボルトがオランダに帰るときに荷物の中に日本地図など国外持ち出し禁止グッズが入ってたとゆーもの

長英はなんとか逃げ切り江戸へ

そこで蘭学塾をオープン

ココで藤田東湖や渡辺華山らと仲良しに

1839年にモリソン号事件が起きる

モリソン号事件とゆーのは、幕府が「イギリスの船がやってきた!打ち払え!!」とゆーもの

ここで長英らは幕府を批判!!

でもって、幕府に捕らえられてしまう。これが「蛮社の獄」

捕らえられた長英でしたが、獄舎が火事になりドサクサ紛れに脱出成功

以後、逃亡生活がスタート

逃亡中は島津斉彬・伊達宗城・鍋島閑叟といった超大物が手助けしてくれた

が、とうとう幕府に見つかってしまい、自殺してした


嫌だったこと・・・幕府に追われている逃亡生活中、薬品で顔を焼いて他人になりすましたこと

勝海舟談・・・「彼は本当に有識の士だ」

特技・・・オランダ語

尊敬する人・・・シーボルト

苦手な奴・・・鳥居 耀蔵

ガリレオについて言いたいこと・・・「わし、天動説より地動説の方がいいと思うよ」

幕府について思うこと・・・「ほんと、やめとけって!このご時勢外国の船をみただけで焼き払うとかさ、無謀ですよ無謀!」

入会してたサークル・・・尚歯会(しょうしかい)


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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高島秋帆 たかしましゅうはん 1798〜1866

長崎の町年寄の子として生まれる

お父さんの影響で「外国から攻められちゃう!日本危ないよー!」と危機感を持って育つ

で、お父さんと一緒に砲術を勉強し、さらに洋式の砲術も学ぶ

日本で始めて臼砲(きゅうほう・口径に対して砲身が短くて射角が大きい火砲)の鋳造に成功して「高島流」」を確立した

そして幕府に「日本は危ないです!今すぐ洋式砲術を導入するべきです!」と訴え、砲術技術を佐久間象山や川路聖謨(かわじとしあきら)らに教える

が、欧米の考えが大嫌いなこの時代の悪役・鳥居 耀蔵に告発され牢獄入りとなる

11年間獄中にいたんだけど、ペリー率いる黒船軍団がやってくると必要とされるように

こうして幕府の講武所師範役となり、現職中の69歳で病死した


江川太郎左衛門談・・・「彼の知識は先見性に富み、素晴らしいものでした」

家族談・・・「最新の武器や研究書があると、家の物全て売っぱらってでも手に入れるんですよ〜」

危機感を感じた事件・・・アヘン戦争

嬉しいこと・・・東京都板橋区にある「高島平」は、ワシが初めて洋式砲術と洋式銃陣の公開演習を行ったからつけられた地名なんですゾ


歴史メジャー度 ★

管理人お気に入り度 ★★★


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武市半平太 たけちはんぺいた 
幕末の土佐藩の志士

土佐で生まれる

剣術が上手かったので、25歳の時に城下で剣道の道場を開く

その後江戸へ出て高杉晋作や桂小五郎ら長州藩士とも仲良しに

そしてついに坂本龍馬や中岡慎太郎ら同志を集め、土佐勤王党を結成

が、土佐藩の藩主・山内容堂は思いっきり徳川派のため土佐勤王党を嫌う

武市らは同じ土佐藩内で幕府派VS朝廷派のバトルを繰り広げ、公武合体を支持してた吉田東洋を暗殺したりした

が、とうとう捕らえられ36歳の時に処刑となる


外見・・・色白で美形・身長180センチ

ポリシー・・・武士道こそが男の道

愛し続けた人・・・奥さんの富子

好きなもの・・・スィーツ 「土佐出身だが酒はあまり好きではないんです」

道場の生徒・・・岡田以蔵・中岡慎太郎

自 慢・・・「月影半平太」のモデルはこの俺

吉村寅太郎談・・・「いや〜、半平太んとこはいつまでたっても子供ができないから、世話係として女を送り込んだんだよ。だけど全然手を出さないんだよな。奥さんのことがマジでスキらしいぜ」

坂本龍馬談・・・「小さい頃から世話になってました。ですが途中でわしゃ勝海舟先生と一緒に行動することになったんです。あの時半平太さんについてたらわしゃも捕まって殺されてたでしょうなぁ」

藩主・山内容堂談・・・「だいた下士らが土佐藩の名で動き回ること自体が許せん。じゃがヤツを見殺しにしたことをちょびっとばかし後悔しておるんじゃ」

マイ・手足・・・岡田以蔵 「最後はすまないことをした」

投獄期間・・・1年9ヶ月 「妻の富子が毎日会いにきてくれました」


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★★


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長宗我部元親  ちょうそかべもとちか
戦国時代の大名

土佐で生まれた元親は幼い頃から女の子みたいでした

そのため「姫若子(ひめわこ)」と呼ばれ、父親をはじめ、家臣たちも「あんなナヨナヨしたのが後継ぎじゃヤバイよ」と心配しまくり

あまりにも頼りなかったため初陣も20歳を過ぎてからと超遅咲き

が、この初陣で近くにいた家臣に「槍ってどうやって使うの?」と質問。家臣は呆れ果て「こうこう、こうやるんですよ」と即席で教えたら、その場ですぐ突撃し、ガンガン首を取ってきた

びっくりしたのは家臣。「この人、実はスゴイ人?」と元親を認めるようになりました

その後も怒涛の勢いで勢力を伸ばし四国を統一

が、時代は豊臣秀吉の味方をしました。秀吉は四国統一をした元親のいる四国を攻めてきたのです。

が、なんとこの2人、妙に気があい、元親は土佐一国を安堵してもらえることに。

ですが元親は期待の星である長男・信親が、九州の島津攻めの時に死んでからおかしくなりはじめた

どうでもよくなってしまったらしく、偏屈な老人に盛親に家督を譲って病気のため死んでしまいました



ニックネーム・・・姫若子

好きな人・・・信親「はっきりいってものすごく優秀な息子でした」

嫌いな人・・・十河存保

仲良し・・・明智光秀「これで中央の情報もばっちり」

驚いたこと・・・光秀がサルに殺されたこと。光秀の家臣の斉藤利三の娘(春日の局)がワシを頼って逃げてきたこと

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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長宗我部盛親  ちょうそがべもりちか
戦国時代の大名  ↑の元親の四男

お父さんが長男・信親を溺愛していたため、恵まれない子供時代を過ごす

家督を継いでからも、一生懸命お兄ちゃんを抜こうと頑張ったが認めてもらえないままお父さんが死んじゃった。

領地の土佐を経営してたが、ここに運命の決断が!

石田三成と徳川家康がケンカをおっぱじめ、とつとう関ヶ原の戦いに突入することに

「いま、時代は家康だろぉ?俺らは東軍につくぜ!」と土佐を出発したが、途中足止めをくらいなぜか西軍に入っちゃうことに

関ヶ原では西軍に入ったものの、どう動いていいかわからずボーっとしてる間に東軍が勝っちゃった。

おかげで盛親は土佐を没収され、追い出されてしまいました

食べるものもなく困った盛親は大坂で寺子屋の師匠をして生活費を稼ぐように

この時に「豊臣家と徳川家がケンカおっぱじめるよ。大阪城で浪人募集してるよ」というニュースが

盛親は「今こそ長宗我部家を復活させるチャンス!」と大坂城へ。

大阪城では元・大名だっただけあり、VIP扱い

が、大坂冬の陣では出番がほとんどなかった

夏の陣で出番があったものの、その時はすでに勝敗がほぼ決まってた

かなり活躍したが時すでに遅し。

最終決戦では前日の戦いの疲れのため出陣できず、「長宗我部家再興」のため大阪城を脱出

が、京都に隠れているところを見つかり、一族全員が首を斬られ長宗我部家は滅亡した

余談だが新たに土佐に入ったのは山内一豊

山内一豊は長宗我部家の家臣たちを差別しまくった。山内家ゆかりの人は「上士」長宗我部家ゆかりの人は「下士」

そのため幕末、坂本龍馬や武市半平太など土佐藩の「下士」は徳川家康に恨みを持ってたので激動の嵐の中に入ることに。



嫌いな人・・・徳川家康!!!山内一豊

外見・・・でかい。この時代に珍しく身長180センチ以上

言いたくないこと・・・大名だったのに寺子屋の師匠をやってたこと・元家臣から食い扶持をもらってたこと

夢・・・長宗我部を再興させること・お兄ちゃんを超えること・お父さんに認めてもらえること

ヒトコト・・・「オレ、最初は家康殿の味方をするつもりだったんだぜ?関ヶ原では手も出さなかったんだぜ?なのにさぁ、家康ひどくない?領地とりあげることないじゃん。むかつくタヌキオヤジだぜ!」

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★★★ 


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茶屋四郎次郎 ちゃやしろうじろう 1542年〜1596年
江戸時代の商人

茶屋家はもともとは小笠原家の家臣だった
四郎次郎のお父さんが京都に移り住み「茶屋」と名乗るようになった

で、徳川に仕ええるようになり、四郎次郎は一応合戦なんかも出て活躍している

四郎次郎の名が一躍有名になるのは「伊賀超え」

明智光秀が織田信長を討った本能寺の変の時、家康は堺見物をしていた

で、信長が殺されてしまったのでマブダチである家康も命を狙われることに

ここで四郎次郎がお金をばらまいて、伊賀忍者達とともに家康を無事に三河へ到着させた

これで四郎次郎は家康の信頼を得て、江戸幕府を開いた時に「幕府御用達」の商人となるのであります




名前の由来・・・「もともと中島という名前だったんだけど、室町十三代将軍の足利義輝がよく茶を飲みにきたから茶屋って名乗るようになったんですよ」

自 慢・・・「家康殿から橘の家紋を頂きました」

一番の儲け・・・ミャンマーと貿易

言いたいコト・・・「ええ。確かに家康殿に今はやりの鯛のてんぷらをオススメしたのは僕ですよ。でも僕悪くないですよ!アレは絶対家康殿が食べ過ぎただけですよ!家康殿が死んだのは僕のせいじゃないですよ!!」

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★



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近松門左衛門 ちかまつ もんざえもん 1653年〜1724年

江戸時代の劇作家

越前藩士の次男として生まれた門左衛門は、お父さんが浪人となってしまったため生計をたてるためにずっとお仕事してました

作家になる前はどんなことしてたのかは不明

大阪で竹本義太夫が「竹本座」をつくり、そこで門左衛門の作品を上演

これが大人気に!!

でもって人気を不動にしたのが「曽根崎心中」

大阪新天地天満屋の女郎と醤油商の手代の二人が曽根崎で心中したのに基づいたもので、人々の涙を
誘いました

次々と心中ものが人気となりましたが、なんと「心中ブーム」が起こってしまった

幕府は心中が流行るのはダメってことで、上演禁止となっちゃいました

門左衛門は死ぬまでに150本もの作品を書きました


大切なこと・・・義理人情

門左衛門の三大心中モノ・・・「曽根崎心中」「恋飛脚大和往来」「心中天編島」

自 慢・・・国姓爺合戦が超ロングランを記録したこと

密かな憧れ・・・「死」

言いたいこと・・・「オレの作品全部が辞世の句だ!」

ショックだったこと・・・「将軍の吉宗が、オレの作品11本を上演禁止にしたこと」

キャッチフレーズ・・・東洋のシェークスピア

歴史メジャー度 ★★★★★ 教科書に載ってる

管理人お気に入り度 ★★★ 謎が多い


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津田梅子  つだうめこ
幕末〜明治の人  日本人初の女性留学生

江戸生まれの梅子は洋学者の教育パパのもとで育ちました

そして岩倉具視(いわくらともみ)がアメリカ・ヨーロッパ視察団として出発する一行に初めて5人女性の留学生が同乗することに。

この1人が津田梅子 最年少の6歳でした。他の子は9歳・12歳・15歳が2人。

アメリカに行った梅子はランメン夫妻の家で大事に育てられ、洗礼も受けました。

18歳になってようやく日本に帰国することに。

ところが!!なんと日本語を忘れてしまうというハプニングがおきてしまいました。

帰国した梅子はアメリカンナイズされまくっていたので、祖国日本を見て「ナニ?この国?なんか日本の女性の教育って全然ダメじゃないの!だいたい女性の地位低すぎじゃない?よーし!こうなったらワタシが日本女性の自立した女性に育てようではないの!」ということに

とりあえずはお金持ちのお嬢さん相手に英語を教えてたんですが、またもアメリカ留学へ。

帰国後はアメリカンナイズ感覚の新しい学校づくりに専念!そしてとうとう1900年に女子英学塾を設立。

これが現在の津田塾大学となるのでした


恥ずかしかったこと・・・「アメリカで和服で歩いたらじろじろ見られたこと。洋服を買ってもらいました」

嫌いな言葉・・・男尊女卑

目標・・・日本を世界一女性が自立した国にしてみせます!

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★ 


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築山殿  つきやまどの
戦国時代の女性 徳川家康の正妻

今川家の名門・関口家の娘

今川義元の妹とも叔母とも言われている。とにかく一族

今川家の人質となっていた徳川家康と結婚する

運命が狂いだしたのは桶狭間の合戦から。今川義元が織田信長で殺されてしまうと、ダンナの家康は織田信長と仲良くし始めた

「まぁ!なんてこと!ワタシの実家をめちゃくちゃにした織田家と仲良くするなんて!」と夫婦仲が冷め始める

築山殿と、家康との間にできた息子・信康は岡崎城に残り、家康は浜松城へ・・・という別居結婚をしだした

時代は信長と読んだ家康は、自分の長男・信康と、信長の娘・徳姫を結婚させた

信康と徳姫は思いのほか仲が良く、2人の女の子を産んだ

が、これが気に入らないのは築山殿

自分の実家をボロボロにした織田の娘と、可愛い息子信康がラブラブなんて許せないわ!と、徳姫イジメをスタートさせる

信康と徳姫に女の子しか生まれてないことから、「アンタ、男を産まないなんて徳川を潰す気?信康にはいい男児が産めそうな側室をあてがいますからねっ!」と、信康に側室をガンガン紹介した

嫁・姑バトルにだんだん嫌気が差してきた信康は、自然に徳姫のもとを離れていく

こうなるとムカつくのが徳姫

なんとお父さんの信長に手紙を書いた

内容は「聞いてよお父さん!築山殿って最悪よ!信康だって浮気ばっかり!それにね、どうやら築山殿のトコに来てる医者って、武田家のスパイっぽいのよ!ちょっと問題じゃない?」

これを読んだ信長は超激怒

なんと信康と築山殿に切腹を命じたのでした

築山殿は死ぬ前に「これは家康の命令か?それとも徳姫の策略か!?」と怒鳴った

こうして戦国嫁・姑バトルは命を張ったバトルとなった


嫌いなヒト・・・信長!徳姫!「織田家なんぞ滅びてしまえばよいのじゃ!」

徳姫談・・・「まさか殺されちゃうとは・・・。ちょっとお灸すえようと思っただけだったのにぃ。どうしよう」

酒井忠次談・・・「いや、わし、家康殿にどうか切腹だけは許してくれとお願いしてくれって命令されて信長殿のとこに行ったんですけどね。信長殿が怖くて怖くて何もいえませんでした」

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★


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筒井順慶 つつい じゅんけい 1549年〜1584年
戦国時代の大名

3歳で筒井家の当主となった順慶は、モノ心ついた頃から近くにいる松長久秀にいっつも攻撃されまくっていた

ライバル松永家とドタバタしている間に、なんと織田信長と松長久秀が大喧嘩

とうとう松永久秀は織田信長に服従することに

このスキに順慶は、信長の重臣・明智光秀と仲良くなり、信長の家臣にしてもらっちゃった

こうして順慶は明智光秀に感謝しまくる

これがおもしろくないのが松長久秀

が、久秀は信長に謀反し、爆死してしまった

超スッキリした順慶

これでオレの人生絶好調♪かと思いきや、なんと大好きな恩人・明智光秀が本能寺の変で織田信長を殺しちゃった

順慶大パニック

さらに光秀をやっつけに豊臣秀吉が動き出した

迷いまくって洞ヶ峠で光秀と秀吉、勝ちそうな方につこうとしているという日和見話しまで作られた

光秀は順慶に何度も「助けてくれ」と使者を送った

が、順慶が選んだのは秀吉だった

こうして筒井順慶は、恩人・光秀を見捨て、家を残すこととなった


ニックネーム 日和見順慶

ヒトコト・・・「だってまさか、光秀さんが信長殿を殺すなんて・・・オロオロ・・・・オロオロ・・・」

重臣談・・・「順慶殿は秀吉殿のご機嫌をとるため、筒井家の名茶碗をプレゼントしたんですよ。まったく」

スッキリしたこと・・・松長久秀が死んだこと 「子供の頃から大嫌いでした」

気分の悪くなる場所・・・洞ヶ峠

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★


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津軽為信 つがる ためのぶ 1550年〜1607年

戦国時代の人

陸奥の名門・南部家の支族(大浦家)

当時の南部本家の当主は26代信直

為信は主家から独立したくてたまんなかった。同じ一族で、主家の乗っ取りを狙っている九戸政実と仲良くなり「オレが挙兵しても動くなよ」という約束をしちゃった

こーして為信は信直の家臣を毒殺したりなんだりと、がんばって津軽をゲット

でもって、南部家より先に豊臣秀吉にプレゼント攻撃をし、「領地安堵」のお墨付きをもらった

そのため南部家では「一生津軽は敵と思え!!」がポリシーに

さらに九戸政実が反乱を起こしたときは、ちゃっかり討伐軍へ参加

関ヶ原でも東軍に参加し、大垣城を落城させた

立ち回りがうまかったため、津軽家の立場か完璧なものとなった


残念なこと・・・「作りかけの弘前城を見ることができなかったこと」

オレ様の言葉・・・「戦は兵の多い少ないではなぁーーーい!!主将の知略じゃぁぁぁ」

南部の人々談A・・・「悪逆非道の陰謀家ですよ!!」
南部の人々談B・・・「一生津軽の人間は許せませぬ!!!」

津軽の人々談A・・・「あんないい主君はいませんよ!!最高の名将です!」
津軽の人々談B・・・「毒殺とか侵略とか人聞きの悪いこと言いますねぇ。南部の人々ってのは。フン」

嬉しかったこと・・・そりゃもちろん津軽統一じゃい

特技・・・奇襲 「防衛は苦手じゃ」

領民の声・・・「年貢も少ないし、本当に我ら百姓にとっては素晴らしいお方です」

キャッチフレーズ・・・津軽の英雄

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★


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鶴屋南北四代目 つるやなんぼく 1755〜1829

江戸時代の歌舞伎狂言の作者

鶴屋南北とゆーのは5代目まであるんだけど、この四代目が一番有名

江戸の日本橋にある染物屋さんで生まれたんだけど、幼い頃から芝居が大好きでその世界へ

色んな人に師事して30年もの下積み生活を送る

49歳の時に初めて立作者となる

50歳の時の「天竺徳兵衛韓噺」が大当りし、以後大ヒットを飛ばしまくる

有名なのは東海道四谷怪談


性格・・・気難しい

奥さん・・・お吉 「三代目鶴屋南北の娘さんなんです」

得意な分野・・・生世話(きぜわ)モノ

秘密・・・実は字が書けない

好きなアイテム・・・棺桶

言いたいこと・・・3代目までの鶴屋南北は歌舞伎役者ですからねっ。ワシと息子(5代目鶴屋南北)が狂言作家ですからね

江戸庶民A談・・・「モチロン観たわよ!すっごい話題ですもん!あの舞台装置すごいんだから!」

江戸庶民B談・・・「なんせ奇抜な趣向なんです。あんな舞台みたことないですね」

江戸庶民C談・・・「あの早変わりはまるでキリシタンの妖術です!」



歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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天武天皇 てんむてんのう 631〜686

40代目の天皇 若い頃の名前は大海人皇子

中大兄皇子(天智天皇)の弟として生まれる

小さい頃から優秀だったんだけど、どーもお兄ちゃんの中大兄皇子には逆らえず生きてく

でもって、「自分は次の天皇♪」と思ってたんだけど、中大兄皇子が「次は俺の息子・大友皇子」と宣言したため険悪に

それでも天智天皇(中大兄皇子)が生きてる間は我慢してたんだけど、死んでからすぐさま反旗を翻す

で、大海人皇子VS大友皇子のバトルが勃発!これが壬申の乱

結果、大海人皇子が勝利し、天皇の座をゲット

周囲に信頼する人しか置かず、独裁政治を行うも、けっこーいろんなことをやった


奥さん・・・鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ・後の持統天皇)

思い出の人・・・額田王 「兄に奪われた時は涙しました」

コンプレックスを刺激する人・・・兄

目指すもの・・・律令国家

嬉しかったこと・・・壬申の乱で勝ち、天皇になれたこと

趣味・・・双六

特技・・・占い

マイ・誓い・・・肉食禁止!

やったこと・・・八色の姓の制度・飛鳥浄御原令

最後の大仕事・・・吉野の誓い 「息子達を集め、仲良くするように誓わせたんです」


歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★


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豊臣秀吉  とよとみひでよし
戦国時代の天下人

ビンボー農民生まれの藤吉郎は、一国一城の主を夢見てました

そして織田家の就職口を紹介してもらい、信長の草履係りに。ここで秀吉はいっつも信長の履く草履を懐で温っためてたため信長に「気が利くヤツ」と好印象

それからどんどん出世していく

出世してる時にお隣に住んでたのが前田利家。奥さん同士(ねねとまつ)も仲良くなり、家族ぐるみのお付き合いをするように

その後も順調に出世。口がうまく人の心をキュっと掴む何かを持っていたのか人気も出てくる

そんな頃、毛利家をやっつけろ!と信長に命令され中国地方へ

が、そこへ届いたニュースはライバル・明智光秀が主君織田信長を本能寺で殺したというもの

秀吉はギャーギャー泣き喚いたが、軍師・黒田如水が「何をぐずぐずしてるんですか!今こそ天下を取る絶好のチャンスでしょうが!」と言ったためわれに帰り、山崎の合戦にて明智光秀を殺し、天下人候補NO1に

主君の仇をとったということで一目置かれるようになり、信長重臣の柴田勝家と大喧嘩

とうとう賤が岳の合戦を引き起こし、秀吉は勝利。名実ともに織田家をゲットした

が、信長と同盟を組んでた徳川家康と険悪に。家康からしてみれば「なんでワシが会ったこともないようなサルの言うことを聞かにゃならんのだ?」というもの

小牧・長久手の戦いに発展し、秀吉はここで負けをくらうも、得意の人たらしで家康を丸め込む

そして家康をも味方につけ、九州の島津攻め・小田原の北条攻めも成功させ、とうとう天下を統一させた

が、秀吉に悩みが。何十人も側室がいたのに、誰一人子供を産まなかったのです。

そこへ側室・淀君が秀頼を出産。

こっから秀吉はおかしくなった。やっと出来たわが子可愛さにワケのわかんない朝鮮出兵をやりだしたりと、日本中が大迷惑

とうとう朝鮮出兵してる途中に病気になり、家康や前田利家らを五大老に任命し「秀頼のことを頼むぞよ」と何度も何度も繰り返しながら死んでしまいました



ニックネーム・・・サル・はげネズミ

性格・・・派手好き・人の心を動かすのがうまい・マメ・気が利く

嫌いな人・・・家康・柴田勝家・佐々成政・秀頼をイジめるヤツ全員

怖い人・・・信長・ねね

アコガレの君・・・お市の方

スキなタイプ・・・上流階級のお嬢様

スキな家臣・・・蜂須賀小六・前田利家

秘密・・・本当はワシは天皇の落としだねじゃー!!!!

自慢・・・ワシの黄金の茶室

スキなもの・・・ブランド品

特技・・・兵糧攻め・人の心を動かすこと

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★ 「農民からここまできたのはスゴイ」

キャッチフレーズ・・・現代サラリーマンの見本



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豊臣秀頼  とよとみひでより
戦国時代の大名  豊臣秀吉の唯一の子供

天下人・豊臣秀吉と側室・淀君との間に生まれた男児

ホントはお兄ちゃんがいたが、早く死んでしまった。秀吉は子宝に恵まれず、誰1人秀吉の子供を産んでいなかったので、秀頼が生まれたときは狂喜乱舞した

が、秀頼は淀君が別の男と浮気して生んだ疑惑も残っている

まぁとにかく、「秀吉唯一の子」として、天下人人生を約束された秀頼

が、秀吉死後に徳川家康が天下を狙い始める。もちろん邪魔なのは秀頼

そうこうしているうちに豊臣VS徳川の関が原の合戦が勃発

この時は大阪城でママ(淀君)侍女に囲まれブクブクと太ってる最中で何も動かなかった

豊臣代表の石田三成が負け、秀頼は所領を減らされてしまい淀君はブーイングだった

その後家康が「征夷大将軍」となり江戸幕府を作る

もちろん秀頼たちは「家康は秀頼の代理人。秀頼が大きくなれば征夷大将軍の座は秀頼に返してくれる。だって、家康は秀吉に秀頼守り役を頼まれただけだもん」とノンキ

ところが、家康は二代目将軍の座を息子の秀忠へ

焦った豊臣と家康との間に不穏な空気が漂いはじめる

家康曰く「もう天下はオレのもの。でも豊臣はいつまでたっても目の上のタンコブ。こうなったらオレの元気なうちに豊臣をぶっ潰しとくか」ということでバトルスタート

このバトルが「大坂の陣」

大坂冬の陣では豊臣方の武将達が頑張りまくったが、家康が淀君ルームに大砲を打ち込み、それにビビッた淀君が徳川方と仲直りしちゃう

さらに家康は約束を破り、大阪城の堀を埋めしまう。もはや堅城・大坂城は丸裸同然

またも険悪ムード漂い、今度は大坂夏の陣が勃発

大坂方武将の真田幸村らは「秀頼殿が出陣すれば、徳川チームの武将がひるむかもしれないので出陣してくれ」と頼むも、淀君らに「あんな危ないとこに可愛い秀頼ちゃんを出せないわ!」と却下される

もはや勝負は徳川方の勝ちが決まった

すると秀頼。「ボク、戦う!」と立ち上がる。が、もはや真田幸村などの有力武将は全て死んでて、戦う兵がいない。
ちょっと動くのが遅すぎた。(デブだからか?)

最後は再起をかけ逃げようとし、奥さんの千姫に「家康に秀頼を助けるようにいってよ」とお願いするも家康に却下され淀君とともに自刃した。



性 格・・・決断力がない・お坊ちゃま育ち

外 見・・・デブ

好きな人・・・ママン・パパン

嫌いな人・・・タヌキのおじさん

唯一の友達・・・木村重成

ママンより・・・「秀頼ちゃん、大丈夫よ。ママンがついてるからね」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★

キャッチフレーズ・・・温室育ちのプリンス


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徳川家康  とくがわいえやす
戦国時代〜江戸時代  江戸幕府初代将軍

松平家に生まれた家康

生まれたときは群雄割拠の時代。その頃の松平家はかなり弱小で、強いチームについたり離れたりの日々。

松平家は今川家の家来みたいな家となり、家康は今川家へ人質に

人質ライフを過ごしている頃、織田信長が今川義元を桶狭間の合戦にて殺しちゃった

今がチャンスとドサクサに紛れて、家康は独立

その後は織田信長とタッグを組み、徳川はメキメキと力をつける

が、まわりは武田・北条と怖い人たちだらけ

信長とともになんとか乗り切ってたが、肝心の信長が本能寺の変で殺されて大パニック

「信長の仇!」といきり立つも、秀吉に先に越されてしまった

秀吉と仲が悪くなり、小牧・長久手でバトルし、見事勝利をおさめるも、人たらしの秀吉に丸め込まれ服従を誓うことに

その後、秀吉によって「五大老」に任命され、秀吉の息子・秀頼を守ることを誓う

が、秀吉が死ぬとチャンス到来♪とばかり、力をつけはじめた

それに怒った石田三成とケンカになり、関ヶ原の合戦へ突入。

数々の謀略を仕込んどいたので、見事勝利をおさめ、征夷大将軍になり江戸幕府をスタート

こうなると邪魔になってくるのが、死んだ上司の息子・秀頼

難クセをつけ、豊臣ぶっ潰そう計画をスタートさせ、大坂の陣へ突入する

ここでも数々の謀略がモノをいい、見事勝利!

家康は世界でも例をみないほどの長い政権時代「江戸時代」を作ることに成功

ホトトギスが泣くまで待って耐えに耐えた天下人



性 格・・・ケチ・我慢強い

怖い人・・・武田信玄・築山殿・織田信長

嫌いな人・・・豊臣秀吉・石田三成

お気に入り・・・井伊直政 「顔が可愛かったのじゃ」

尊敬する人・・・太源雪斎

屈 辱・・・武田信玄と戦った三方が原の戦い「あまりの恐怖にウンコ漏らしました」

宝 物・・・三河時代の家臣団

欲しかったもの・・・山県の赤備え「手に入れた時は嬉しかったですぞ」

趣 味・・・薬作り

好 物・・・タイの天ぷら「でも、腹を壊して死にました」

好みの女性・・・安産型の女性・老後はピチピチギャル

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★ 「いいトコもあれば嫌なトコもある」

キャッチフレーズ・・・日本一の政治家


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徳川秀忠  とくがわひでただ

戦国時代〜江戸時代  江戸幕府二代目将軍

徳川家康の三男。

長男は死に、次男は結城家の養子にいったことから棚ボタで将軍の座をゲットした人

性格はいたってまじめ

家康があまりの秀忠のマジメさに、キレイな女性をプレゼントしたが、それを突き返すほど

奥さんはあの織田信長の妹・お市の方の三女

お江与は2度離婚し、3度目の結婚で秀忠は初婚(ちなみに17歳)

そのためお江与には頭があがらなかった

そんなお江与が長男・家光より次男忠長を可愛がったため、秀忠もお江与のいいなり

「このままじゃ家光様が危ない!」と危ぶんだ春日局によって、家光が次期将軍に任命されがっかり

ちなみに家光は自分を可愛がってくれなかった父の秀忠が嫌いだった

とにかくマジメ。マジメのヒトコト



性 格・・・まじめ・誠実

怖い人・・・お江与・お父上

嫌いな人・・・真田昌幸・本田正信

好きな人・・・「つっ妻ニ決まっテるじゃアないデすカ!変ナ質問シなイデくだサいヨ。アワワ。あわワ。変ナこト聞くカら声が変にナっちゃイまシたよ!」

秘 密・・・ただ一度っきりの浮気 「あの時は魔がさしました。本当です!本当なんです!信じてください!さらに最悪なことに子供(保科正之)まで出来てしまいました。妻にバレたら殺されます」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★ 「情けなさがいい」


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徳川家光  とくがわ いえみつ

江戸幕府三代目将軍

二代目将軍秀忠の長男として生まれたが、すぐさま乳母の春日局に育てられたため親の愛情を知らない

お母さんはお江与だが、病弱で他人の手で育った家光より、次男の忠長を可愛がった

愛情に飢えた子に育ったため、少々性格が曲がった

さらにモノ心ついた頃から、お母さんと乳母がバトルしていたため、女性恐怖症に

春日局によって、なんとか女性に目覚めた

将軍になって、お父さん・お母さんが死んでから弟を殺す。長年の恨みを晴らせてすっきり

その後、江戸幕府を頑丈なものにするべく参勤交代などを作る

「徳川三代」といわれるのは家光まで



性 格・・・ひねくれてる(幼少時代のトラウマ)

ポリシー・・・オレをバカにするヤツは許さないぜ!

好きなタイプ・・・美少年

お気に入り女性・・・お万

尊敬する人・・・おじい様

嫌いな人・・・弟 「オレ、あいつ大嫌い!死んですっきりしたぜ」

恩 人・・・春日局

口グセ・・・「オレは生まれながらの将軍だぜ!」

ヒトコト・・・「オレってただの種馬?」

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★

キャッチフレーズ・・・生まれながらの将軍


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徳川綱吉  とくがわつなよし

江戸幕府五代将軍  家光の四男

家光の四男だったため、日の目をみずに終わるとこだったが、四代目将軍家綱が死に、お兄ちゃんたちも死んでたため将軍に抜擢

まさか自分が将軍になれるとは思ってなかったので、あまりの嬉しさに飛びあがった

将軍になる手配をしてくれたのは堀田正俊。お礼に大老に任命してあげちゃいました

最初はいい政治をやってたが、そのうち自分1人でやりたくなってきて、堀田正俊が邪魔になってくる

が、ラッキーなことに堀田正俊が殺されてしまい、綱吉の独裁政治がスタート

そんな綱吉には悩み事が

それは「男の子が生まれない」

綱吉はダイスキなママに相談。ママの桂昌院は100%の信頼を寄せている「亮賢」に相談(占い)。

すると出てきた答えは「綱吉殿は前世に殺生をしたから。戌年なので犬を大事にすれば大丈夫」

ここで飛び出してきた法律が「生類憐みの令」

犬に何かしたら捕まえるぞ!という法律。が、これだけやっても男児が生まれない

「犬だけじゃダメなのかな?じゃあ生き物全部大事にして!」と言い出し、鳥や魚、しまいには蚊まで殺したら罪になるほど

江戸は火を消したように静かになった

こんなに頑張ったのに、とうとう男児は生まれず、綱吉の時代は終わった


ニックネーム・・・犬公方

好きな人・・・ママ 「ボクのママの言うことに間違いはありません」

趣 味・・・儒学の勉強

恩 人・・・堀田正俊「でも、だんだんうざくなってきました。殺された時は正直ホッとしました」

嫌いな人・・・水戸光圀 「あのじじぃ、ボクの生類憐みの令にケチつけたんだよ?将軍に向かってサ!生意気だよ!」

ケンペル談・・・「ハーイ!ボク、ケンペル!ドイツ生まれの科学者ネ!ツナヨシ?会ったヨ!ナイスなショーグンネ!だってゲンロクジダイを作ったショーグンダヨ?スバラシイヨ!」

江戸市民の声A・・・「綱吉様のことですか・・・?あまり大きな声じゃ言えませんがね、みんな犬公方と呼んでバカにしてますよ。だってアンタ、虫一匹も殺せないんですよ?近所の魚屋は倒産するし、散々でしたよ」

江戸市民の声B・・・「先日、蚊を殺した人が捕まってましたよ。アンタ、蚊ですよ!?蚊!!!」

江戸市民の声C・・・「先日、子犬を散歩させてたら捕まりましたよ。母犬も一緒に散歩させろとね。別にいいじゃないですかねえ」

江戸市民の声D・・・「犬がわしらよりいいもの食ってるんですよ。てやんでぇ」

歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★

キャッチフレーズ 動物愛護団体名誉会長


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藤堂高虎 とうどう たかとら

戦国時代の大名

浅井長政のいる近江の豪農生まれの高虎

が、豪農といっても高虎の時代になると落ちぶれてしまい、高虎は浅井家の家臣となり一国一城をめざす

姉川の戦いで武勇をあげるも、あまり評価してもらえなかったので、出て行ってしまう

その後、色んな大名に仕えたが、みんな働きに見合った評価をしてくれないので、主君をコロコロ替えまくり、なんとか秀吉の弟「羽柴秀長」のとこに落ち着いた

秀長は高虎を評価してくれたものの、病気で死んでしまう

がっかりの高虎

が、兄の豊臣秀吉からスカウトがあり、秀吉の家臣となる

ここで武功をあげ、秀吉に認めてもらおうと頑張るも、秀吉の家臣には戦上手がたくさんいた

そのため「武功では勝ち目がない。だったら別分野で!」と、築城の勉強を始める

これが大成功

「高虎の作った城は頑丈だ」ということとなり、築城の名人となっていく

が、そんな秀吉も死んでしまう

すると高虎「豊臣アブねぇな。徳川家康のほうがいいんじゃないかな」と考え出し、さっさと豊臣を捨て徳川の家臣となる

そして関ヶ原の合戦や大坂の陣では徳川方として活躍

家康は高虎を重く用いるようになる

こうして主君を8回も変え、そのたびに出世していった高虎

多分先見の目があったのでしょう


外 見・・・身長188センチ この時代ではかなりデカイ

人々の噂話A・・・「あいつ、うまいことやったよな」

人々の噂話B・・・「よくあんなに主君をコロコロ変えれるよな」

特技・・・お城を作ること

意外な一面・・・家族大好き

徳川家光談・・・「いや、ビックリしました。高虎が死にそうだと聞いたので見舞いに行ったんですよ。僕ヒトコト「あの世でオマエに会いたいが、宗教が違うから会えないな」といったんです。そしたら高虎死にそうだったのにボクと同じ宗教に変えたんですよ。いやー、うまい男ですよね」

徳川家康談・・・「あいつのような男はこれからの時代使えるであろうのー」

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★


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徳川家茂 とくがわ いえもち 1846年〜1866年

江戸時代の十四代将軍

あれよあれよという間に将軍になってしまったお人

13歳で将軍になるも、時代は幕末で大変な時代だった

将軍家に反抗する薩長らとのバトルや、幕府内でも派閥があったりと、てんやわんやの将軍

公武合体(天皇家と将軍家が仲良くする)を推し進める一派によって皇女和宮と政略結婚

17歳同士の結婚でありました

和宮はめっちゃ嫌がってたが、どーやら家茂はナイスガイだったらしく、二人の間に愛が!!

が、第二次長州征伐(幕府にたてつく生意気な長州藩をやっつけにいくというもの)の時に、大阪で急死

そのため暗殺説などがささやかれている


好きな人・・・和宮ちゃん 「最初はどうしようかと思いました。ケド、とてもいい子でした」

大好物・・・スゥィーツ

秘密・・・虫歯だらけ

苦手な人・・・慶喜

ビックリしたこと・・・将軍になっちゃったこと

和宮より・・・「絶対におかしいわ!!遺体も見せてもらえなかったのよ!!暗殺されたのよ!!」

歴史メジャー度 ★★

管理人お気に入り度 ★★★



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徳川吉宗 とくがわ よしむね 1684年〜1751年

徳川幕府の八代将軍

紀州藩主の四男として生まれました

お母さんの身分が低かったため、出世コースからは外れてましたが、兄ちゃんたちが死んでしまい紀州藩主になっちゃいました

そこで頑張ってアレコレと政治をしたもんだから、本家から「将軍になりなさい」と引っ張られ将軍に

吉宗は享保の改革という、幕府の財政立て直しにがんばりましたが、正直成功はしなかった


外見・・・身長180センチ あばた顔 色黒

好きな人・・・竹姫

きらいなヤツ・・・尾張の徳川宗春 「まじむかつく」

ポリシー・・・一汁一菜

趣 味・・・鷹狩り

信頼してるヤツ・・・大岡越前・水野忠之

焦ったこと・・・天一坊事件 「いやぁ、見に覚えがなくはなかったもんで」

気になること・・・目安箱に皆が意見を入れてくれるかどうか

新将軍になって思ったこと・・・「幕府があんなに貧乏だったとは。ありゃヤバイよ」

かなわぬ願い・・・「どうして次男の宗武が長男として生まれなかったんだろう」

大奥の美女談・・・「信じられませんわ!吉宗様が大奥の美女を集めろとおっしゃったんで、ワタクシ、側室になれるのかと思って張り切って行きましたの!そしたら貴方たちは美人だから嫁の貰い手があるだろうってことでリストラされたんですわよ!!大奥はブスぞろいになりましたのよ!」

密かな陰謀・・・御三卿を作った 「これで将軍家はずっとオレの血筋・・・フフフ」

青木昆陽談・・・「あの方は立派な人でありますぞ。ワシもサツマイモ作りに専念できました」

江戸庶民A談・・・「吉宗様はワシらのために小石川に病院を作ってくださった。ありがたやありがたや」
江戸庶民B談・・・「でもちょっと暴れん坊だよな」
江戸庶民C談・・・「心中処罰令はちょっとびびったよな。おちおち死ねないよ」

天皇家談・・・「吉宗?まっこと失礼なヤツでごじゃる!!ワシらに腐りかけた鳥を送ってきたんでおじゃる!なめきっとるでおじゃる!」

歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★


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豊臣秀長 とよとみ ひでなが 1541〜1591年

戦国時代の武将

豊臣秀吉の3歳下の弟(同じ父かどうかは不明)

小さい時、おにーちゃんの秀吉が家を出て行ったので、あまり幼いときの思い出はない

秀吉とねねが結婚したくらいから出てくる

以後、ずーっとお兄ちゃんの補佐役として活躍


おにーちゃん秀吉がガンガン出世するんだけど、縁の下の力持ちに徹して、おにーちゃんを出し抜いて俺が政権を奪ってやろうなんて考えは一切無し

そのため秀吉もめっちゃ信頼する

が、51歳で病死

秀吉はこの後から変になっていってしまう


性 格・・・まじめで温厚

信頼していた家臣・・・藤堂高虎

困ったこと・・・兄上が朝鮮出兵しようとしたこと

大友宗麟談・・・「秀吉様はいいですな。内々の義は千利休が完璧で、公のことは秀長様がおりますからなぁ〜」

徳川家康談・・・「なに?秀長が死んだ??フフフ・・・ニヤリ」

家臣A談・・・「秀長様が生きていれば、豊臣家が家康に潰されることなどなかったかもしれぬ」

家臣B談・・・「年取ってからの太閤殿は最悪でした。秀長様が生きていれば・・・・」

家臣C談・・・「いつも秀長様が太閤様とのパイプ役として事を上手く運んでくれていました」

ヒトコト・・・「兄上を猿と呼ぶのはやめてくれませんか?」


歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★★

キャッチフレーズ・・・一から百まで補佐役


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豊臣秀次 とよとみ ひでつぐ 1567〜1595年

豊臣秀吉のおねーさんの長男として生まれた

秀吉には子供もおらず縁者も少なかったため、大事にされるんだけど、秀次はポカばっかやって秀吉に怒られまくってた

で、秀吉が53歳のときに子供が生まれるんだけど、この子が死んじゃった

もうダメだ〜と思った秀吉は、秀次に関白の職を譲る

が、なんとまたも秀吉に子供が生まれた

秀吉は実の子が可愛くって可愛くって、秀次に関白職を与えたことを後悔しまくる

んで、なんとかして秀次をやめさすようアレコレ画策

秀吉は秀次に難癖をつけまくって、とうとう切腹命令を出し、秀次の一族を全員殺してしまった


ニックネーム・・・殺生関白

マブダチ・・・伊達政宗

趣 味・・・人斬り・乱交

側室の数・・・34人

お気に入りの側室・・・おまんの方 「ピッチピチの16歳なんだ。ボクと同じで血を見るのが好きなのさ」

秀吉からのメッセージ・・・「茶の湯・鷹野の鷹・女狂いするな。秀吉の真似をしないこと」

噂その1・・・秀次は妊婦のおなかを引き裂いて赤ちゃんを出すのが好きだった

噂その2・・・女が大好きで、手当たり次第手をつけてた

噂その3・・・百人くらい集めて片っ端からなで斬りしまくった

噂その4・・・鉄砲の稽古として田んぼで働く農夫を的にして撃ち殺した


歴史メジャー度 ★★★★

管理人お気に入り度 ★★


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東郷平八郎 とうごう へいはちろう 1847〜1934年

幕末〜明治の人 日本海軍の大将で日露戦争のヒーロー

薩摩藩士の子として生まれ、薩英戦争や戊辰戦争にも参加

明治になるとイギリスへ留学し、帰国後は海軍へ

日清戦争にも参加し、日露戦争が始まると連合艦隊司令長官に

ここで大活躍をする

めっちゃ強い国ロシア相手に戦い、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊にカンペキな勝利をする

この時の作戦が「T字戦法」で、「トーゴーターン」として現在まで語り継がれてる

以後、海軍での東郷の権力は絶大となり、神格化されていく


お世話になった人・・・西郷隆盛・山本権兵衛

嫌だったこと・・・留学していたイギリスでいじめられたこと「チャイニーズと言われ、からかわれました・・・」

東郷伝説@・・・東郷が旅館で忘れたふんどしを、旅館では桐箱に入れてあげめている

東郷伝説A・・・ロシアにずっといじめられてたトルコでは、日露戦争後「トーゴービール」や「トーゴー通り」ができ、子供の名前に「トーゴー」とつける親が続出

東郷伝説B・・・天皇が「なんで東郷を長官にするの?」と聞くと、山本権兵衛が「あいつは運がいい男ですから」と話した

東郷伝説C・・・日本人で初めて「タイム誌」の表紙になった

東郷伝説D・・・のちの昭和天皇の教育係になった

戦艦三笠の水兵A・・・「最初、東郷元帥が就任した時、どーしようかと思いましたよ。あんなチビで目がギョロっとしてるじーさんがナニできるんだ?とね」

戦艦三笠の水兵B・・・「我々は前長官の日高さんを尊敬していたので、彼を受け入れるのに時間がかかりました」


歴史メジャー度 ★★★★★

管理人お気に入り度 ★★★★ 若い頃はイケメン(^0^)


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鳥居元忠 とりい もとただ 1539年〜1600年

戦国時代の武将・徳川家康の親友

お父さんは家康のおじーちゃんの代から徳川家に使えていて、元忠ももちろん徳川に仕える

13歳の時に駿府に人質として送られた10歳の家康についていき、人質生活の苦労をともに味わう

以後、常に家康の側におり、家臣というより竹馬の友状態

本能寺の変の時に武田家家臣の馬場信房の娘にヒトメボレし、三男一女をもうけた

61歳になった時、関ヶ原の戦いが始まる

元忠は伏見城の留守をかって出る

ちなみに伏見城を守るということは=死ぬということ

西軍が必ず攻めるのは伏見城だから

この時の家康と元忠の会話

家康「少人数で城を守るのは苦労なことだな」
元忠「なんのなんの。少しでも多く兵を連れて行きなされ。留守は少人数で充分」
こーして2人は話し込むと、家康が思わず涙
元忠「おや、年をとって心弱くなられたか?われらが命を落とすことをなぜ悲しむことがある?」と慰めた

そして伏見城を守り命を落とした


性 格・・・律儀・義に厚い

豊臣秀吉談・・・「正直、あのような家臣がいる家康が羨ましいんじゃ」

俺・家康命談@・・・秀吉が元忠に官位をあげようとした時「わしはニ君に仕える気はありません」と断った

俺・家康命談A・・・家康が軍功の証明書である感状をあげようとした時「感状とは他家へ使える時に履歴を誇るためのもの。わしは他家に仕える気はありませんので感状はいりませぬ」と、断った

元忠DNA・・・孫の孫が大石内蔵助。でもって、滝廉太郎作曲の「箱根の山は天下の天〜♪」の作詞者も子孫

その後の伏見城リサイクル・・・めちゃめちゃ激しい戦いで、伏見城の床板は「血天井」として京都のいろんなお寺にある。ちなみにワタクシ「宝泉院」の血天井を見に行きましたっ。黒々とした手形などがあり、ちょっと恐怖ですぞ・・・

ニックネーム・・・三河武士の鑑

歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★★ 無骨だけど忠義に厚い武将はスキ


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徳川斉昭 とくがわ なりあき 1800〜1860年

水戸藩の藩主で、最後の将軍となる徳川慶喜のお父さん

小さい頃から水戸学を学んできた

水戸藩というと政治には口出ししないとゆーイメージなんだけど、この人は違った

ガンガン物事を言いまくり、積極的に政治に参加

で、息子の慶喜を将軍にしようとしたんだけど、大老の井伊直弼に負けてしまい蟄居になってしまう(安政の大獄)

これによって政治生命を絶たれ、蟄居処分がとれないまま61歳で死んだ


性 格・・・熱い・筆まめ・おせっかい

自 慢・・・子供が37人いること

ポリシー・・・開国反対!

嫌いな人・・・井伊直弼

家臣A談・・・殿は一般庶民をバカにしすぎなんですヨ。「愚民」と言っていっつもバカ呼ばわりしてるんです

家臣B談・・・噂ではお兄さんの奥さんに手を出したみたいですよ!

大奥女中A談・・・サイッテーよ!あの人!ただのスケベオヤジよ!

大奥女中B談・・・今度の将軍の慶喜って、お父さんがアレでしょ?あのエロオヤジでしょ?あのオヤジの血が流れてる息子なんて絶対将軍になってほしくないわねっ

大奥女中C談・・・だいたいケチくさいのよ!質素倹約ばっか叫んでさぁ!セクハラオヤジのくせにっ!

謎の噂・・・肺病で死んだといわれてるけど、井伊直弼のいた彦根藩の小西貞義に暗殺されたとゆー説も


歴史メジャー度 ★★★

管理人お気に入り度 ★★★

キャッチフレーズ・・・水戸の烈公


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