明治時代の小説家 永井荷風はどうしてもやめられない癖がありました
それが「のぞき」
のぞき癖のことをアレコレ書く前に、まずこの方の女性遍歴をちょこっと紹介
荷風が東京で生まれ、広津柳浪に師事し明治36年にアメリカ・フランスへ
日本に戻ってきてから慶應義塾大学の教授となります
代表作は「つゆのあとさき」などなど
そんな荷風が慶応大学の教授になった頃のお話
友人と築地の料亭に行き八重次という芸者と恋仲に
が、荷風は一年ほど前から新橋芸者の富松ともできており、お互いの腕に名前を彫るほどの仲
ここで芸者同士のはげしい掴み合いのバトルが始まっちゃいますが、肝心の荷風はのほほーんとしており、実家では材木商の娘・斉藤ヨネとの縁談話が出ておりました
つまり荷風って人は、同時期にいろーんな人と交際できるタイプなのであります
結局、斉藤ヨネと結婚しますが、荷風はどうもヨネがタイプじゃなかったらしく、当時花柳界でしか使わない高級グッズだったコンドームを使ったりしてました
でもって荷風はどんどん八重次にハマリ、ヨネをほったらかして八重次のとこにいりびたり
とうとうヨネとは離婚し、八重次を落籍させ結婚
が、荷風の遊びクゼは治らず、八重次に「妻ってのは家にいるもんだ。外出するのは贅沢だ」と言い家にいさせ、自分は浮気三昧
むかついた八重次はとうとう半年後に置手紙をおいて出て行ってしまいました
さみしくなっちゃった荷風は、ずーっとほったらかしにしておいた富松とヨリを戻そうと必死
が、富松は「冗談じゃないわよ」ときっぱりお断り
そんな荷風が「のぞき」に開眼したのは49歳の時
関根歌というそんなに美人さんじゃない芸者がいたんですが、荷風はこの関根歌を落籍せ、麹町に「幾代」という待合の店を持たせました
ここで素人客の部屋を覗き見することにしたのです
小さい柄のついた細長い鋸を買って、押入れの中で穴をあける作業に夢中
小さな穴が開くと、本気で大喜びし、夢中でのぞきました
でもって、「今のはあんまりよくなかった」とか、「あの方たちはいい。席料はまけてあげなさい」なんて言ったりしてました
しだいに「幾代」では「のぞき」ができなくなり、色んなところへ出没するように
ある時、自分が肉体関係を持った芸者二人が同性愛(レズビアン)ということを知ると、「お願いだからボクの前で実演してくれ」とお願い
もちろんお断りされました
また残酷な行為がすきだったらしく、芸者が耐えられずに離れていったなんてことも
どんどんと変質になっていく荷風ですが、昭和9年に渡辺美代子という女性と出会いました
美代子は23歳くらいの女性で、どうやらまともな性癖ではないお方
ということで(?)二人は意気投合
美代子は同棲しているという男を連れてきて、荷風とその男を左右に寝かせ、交互にエッチ
「五体綿のごとくなるまで淫楽にひたりたいの」と言いました
荷風は美代子に「お願いだからカメラにとらせてくれない?」とお願い
昭和にしてはものすごい高いお値段のカメラを購入
さてそんな変質荷風ですが、年とともに性欲は減少
が、どうやらのぞき癖だけは続き、友人夫婦の寝室をのぞき見たりして怒られたりと、これだけは治らなかったようです
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