平安時代の性愛と風俗 |
教科書が教えない性と愛がらみの出来事アレコレ
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平安京は売春だらけ |
平城京から平安京へ遷都し、10万人を越える都会となった平安京
が、めちゃめちゃな政治が続いてたためみんなビンボー
そのため活気がある平安京の市場の中になんと下級役人の妻が売春婦となって出現しだしました
この頃は物々交換で商品を交換してたんだけど、人妻たちは自分の体でお支払いしていたのです
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ベストセラー!?セックス本「医心法」 |
982年に丹波康頼という人が中国の書物を編纂して書き始めた医療本
そこに書いてあることをちょこっと紹介
(ちなみにセックスのことばっか書いてるわけじゃないからねー)
・セックスは相思相愛じゃないとよくないよ!
・どっちかが苦痛になるセックスはやめたほうがいいよ
・正常位の場合、女は下半身を浮かせなよ。で、男は8回軽く入れて!で、2回ほど強く突いて!
・後ろから入れる場合、密着させてすばやくやって!
・とにかく色んな技を使って楽しんで!でも、愛は必要だよ!
うーん・・・
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「心を惑わす」赤い衣服は禁止!! |
この頃、深紅の衣服が大流行でした
「火色」と呼ばれ、縁起がいいと大人気に
ところが、「深紅は人の心を惑わす色だ」ということで、禁止されてしまいました
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大人気は江口の売春婦!? |
水上の交通のポイントだったのが江口(大阪市東淀川区)
重要な交通ポイントだったため、様々な人が集まっていました
ここを拠点に各地を流れ歩いてきた売春婦たちが集まり、娼館を作ったのであります
彼女達は小舟に乗り、舟に乗ってやってくる男性客に声をかけました
でもって、各地を渡り歩いて生きてきたテクニックで、男性客のハートをつかみまくったのであります
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インポで悩んだ天皇がいた |
59代宇多天皇には悩みがあった
それがインポテンツ
どうやら権力者の藤原基経と険悪だったらしく、神経を使いまくっていた
そのため、ストレスと疲労からインポになってしまい、悩みに悩んで左大臣に相談
ちなみにまだ22歳でした
左大臣の源融は医者と相談し、露蜂という強精薬を飲ませたらしい
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天皇の性教育係・乳母 |
天皇は元服すると一人前の男性としてみなされました
元服した数日後に「添臥(そいぶし)」という女性を与えて性教育が行われるのです
その役目に選ばれるのは乳母が多かった
江戸時代のように春画がないので、乳母は自分の体を使って指導するのであります
例えば89代目の後深草天皇のお相手は乳母で大納言・久我雅忠の妻
14歳の時に人妻と初体験したのであります
ちなみに、後深草は初体験の人妻が忘れられず、この人にソックリという14歳の二条という娘を入内させております
また、80代高倉天皇(平清盛の娘と結婚する)のお相手も乳母
が、この乳母は妊娠してしまうというスキャンダルが起きてしまいました
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初めての相手は顔見知りの叔母 |
68代目の後一条天皇は11歳の時に19歳の女性と初めてエッチさせられました
お相手は藤原威子
自分のお母さんの妹が初体験の相手であります
どうやら幼い頃から知り合いだったので、後一条はめちゃくちゃ恥かしがり、威子のほうも「なんでアタシが・・・」と不機嫌だったらしい
で、藤原道長の妻・倫子がその場に立会い無理やり二人にエッチさせたそうです
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