性と愛の日本史


         


鎌倉・室町時代の性愛と風俗

教科書が教えない性と愛がらみの出来事アレコレ

後醍醐天皇の乱交パーティ作戦

後醍醐天皇は鎌倉幕府がダーーイ嫌い
何とかして幕府を潰してやろうと密かに計画
でもって、作戦会議をするんだけど、そのカモフラージュに乱交パーティをしまくった
「朝廷は遊んでばっかだよーん」というのを、六波羅探題(幕府が統括している警察みたいなもん)にアピールするためであります

その乱交パーティは飲めや歌えやのドンチャン騒ぎ
スケスケの着物を若い女の子に着させてサービス
でもって、ひそかーーに倒幕作戦会議をしていたのであります

が!倒幕計画に参加した男性が、妻にペロっとしゃべっちゃった
でもって、その妻が六波羅探題にタレこんだため、残念ながら計画はパーになってしまったのでした

欲しいものは何でもゲット!高師直

ばさら代表の高師直
足利尊氏の右腕であります
この人、ほんっとすごい
さすがバサラ!!って感じのはちゃめちゃぶりであります
気に入った女性がいたら、無理やり拉致し自分の愛人にしちゃう
欲しいもんは、どんな手を使ってでもゲットしたのであります

足利義満 天皇の愛人に手をつける

足利義満といえば、天皇をもしのぐ権力者

その義満ですが、とうとう後円融天皇のお気に入りの女性に手をつけたらしい
しかも二人
怒った天皇は二人の女性を追放したが、義満のことは怒ることもできませんでした
それどころが逆に義満に「なんで追い出したんだよ!!」と起こられる始末
天皇はビビって自殺しようとしたそうです
それくらい義満の権力は絶大だったのです

東寺 とうとう遊女買禁止命令がでる

1440年ごろの京都には売春婦が続出
遊女屋が立ち並び、男性は町を歩くだけで袖を引っ張られてた

で、女性と交わっちゃいけない僧の中にも遊女とホニャララする人が続出
とうとう東寺が「僧は絶対遊女屋にいっちゃだめ!!」という禁止令を出したのでした

梅毒上陸!!

1500年代、倭寇(海賊みたいなもの)の数人が梅毒にかかったことが判明!
どうやら大陸からもらってきたらしい

長崎に上陸し、長崎の遊女達は南蛮帰りの男性は相手にしないようになったのでした

セックス教団 真言立川流

鎌倉時代から江戸時代までの間、大流行したセックス教団がありました

それは、仁寛が開いた「真言立川流」
本来は真言密教の流れを汲んでいるんですが、ここのここの教えは性行為によって人間の魂が救われるというもの

これが大流行!
正統派の真言宗の人気ががた落ちになってしまうほど

すごいのが人間の頭蓋骨を使うというコト
頭蓋骨をご本尊にして、セックスした後の和合の水(・・・・わかるかな・・?)を頭蓋骨に塗りたくると救われるとされていました

が、次第に正統派の真言宗から「これは邪教だ!!」とブーイングの声があがり、消えていきました

足利義満は母と娘をゲット

女好きで有名な義満は母と娘とエッチしたことでも有名
義満の正妻は日野業子なんですが、なんと業子の姪である康子を側室に迎えました

でもって、お母さんも美人だよなってことで、康子の母である西向殿も側室に

母と娘・そして姪との三角関係が繰り広げられていたのであります・・・








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