性と愛の日本史


         


額田王を巡る三角関係

中大兄皇子(のちの天智天皇)は、蘇我入鹿を倒し大化の改新を成し遂げた人であります
皇子はずーっと実の妹と愛し合ってたんだけど、恋のお相手は妹の間人皇女だけじゃありません

一番有名なのが「額田王(ぬかたのおおきみ)」との恋であります

額田王は万葉集にも載っている歌人で、豪族の娘
采女として宮中で働くようになり、その美貌を大海人皇子(中大兄皇子の弟で、後の天武天皇)に見初められました

で、二人は愛しあい、十市皇女という女児も生まれました

そんなラブラブ夫婦だったんですが、額田王の美貌に目をつけたのがお兄さんの中大兄皇子

実はすでに額田王のお姉さんの鏡王女を奥さんにしてたんだけど、どーやら妹の方も欲しくなっちゃったのであります

度を越すサービスを求める中大兄皇子に、弟の大海人皇子はイヤーーな予感

で、予感は的中
中大兄皇子は毎晩毎晩額田王とこに行き、ついにモノにしちゃったのであります

大海人皇子はというと、当時権力NO1だったお兄さんに逆らえるはずもなく、泣く泣く額田王を奪われてしまったのであります
額田王が25歳の時でありました


さてさて、それから9年後のある日のこと

天智天皇となった中大兄皇子は、多くの家臣を引きつれ蒲生野で狩を行うことに

もちろん額田王は天智天皇の側にいました

久々に見る元・妻の額田王を見つめまくる大海人皇子
もーめっちゃ熱い視線を送り、手を振ったりとアピールしまくり

ここで額田王が詠ったのが

あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る

意味は・・・まったくあなたって人は・・・。ハデに俺!俺!って手をふるけど、そんな目立つやり方したら天智天皇にばれちゃうじゃないの

すると大海人皇子の返歌は

紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆえに 我恋ひめやも

意味は・・・人妻だろうと俺はお前が好きなんだぜ?あまりの美しさに恋心は抑えられないぜ!


この恋歌のやりとりは朝廷内で噂になり、天智天皇はかなりムッとしたそうです
でも実際、大海人皇子もこの頃には多くの奥さんがいましたけどね〜
ちなみに人数は10人ほどで、そのうち4人は天智天皇の娘であります


のちに大海人皇子は天武天皇となりましたが、額田王は以後歴史の表舞台に出ることはなく、飛鳥の地で余生を送りました








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