性と愛の日本史


         


義母がセックスフレンド!?

50代目桓武天皇は義母と性関係を続けていたと言われています

桓武天皇が36歳の時のことであります

父親の光仁天皇と、その妻井上皇后が博打をしていた時のこと
何か賭けをしよう!ということに

で、光仁が
「俺が負けたらお前にいい男とセックスさせてやるよ。でも俺が買ったら美人とセックスさせてもらうぜ」ということに

勝負は妻の井上が勝ちました
で、「私に男をちょうだいよ」ということになったのです
ちなみに井上はこの時56歳・・・

困った光仁は家臣の藤原百川に相談
すると「じゃあ息子(桓武天皇)を夜伽の相手にすればいいんじゃないですか?」とアドバイス
光仁も「そうするか」ってことになり、桓武に命令しました

さすがに桓武は「は?いやですよ。何言ってんですか?」と断りました

が、光仁は「お前は俺のいうコトが聞けないのか!!あのな、ワシはもう年老いて井上を悦ばす事ができないんだよ。だから代わりにお前が言って慰めろ!それが親孝行ってもんだろ!」と説得

桓武は仕方なく井上のとこに行くことになっちゃったのです

ここまででもすごくないですか?
今でいうと、父親が息子に自分の後妻とエッチしろって命令するってことですよ??
息子はいやだって言ってるのに、父親の命令が聞けないのかーー!!って怒られちゃうんですよ
いかにこの時代の宮中が乱れまくっているかがわかりますねー

とまぁ、桓武はしぶしぶ井上のとこに行き、一度お相手をしたわけですが、どうやら井上はこの20歳年下の桓武がめっちゃ気に入った

一度どころか、それから何度も何度もエッチしちゃって、周りの人が見苦しく思うくらい

しかもこの関係、すぐ終わるかと思いきや意外と長く続いちゃいました

するとおもしろくないのが父親の光仁
自分で行けって言ったくせに、妻の井上があまりにも「桓武ちゃんステキ♪」とラブラブなもんだから、だんだん桓武との間が険悪になってきちゃいました
元はといえば自分が悪いのにね〜


そんな桓武ですが、この人も相当の女好きで40人ほどの奥さんがおりました
子供は50人以上

しかも、70歳の時に19歳の常子という女性に子供を産ませている・・・
すごいよね

桓武天皇は武勇伝(?)が多く、家臣の妻を奪ったり、タブーとされていた同父同母の妹・酒人皇女と近親相姦もしちゃっております










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