「色」を語らせたら、このお方は欠かせません
以前は1000円札で、まじめくさーーい顔してすましておりましたが、エロにかけては天下一品であります
博文は東京市長になった牛塚虎太郎が「女ズキさえなければ、人間として満点」と言われたほど
女癖だけはめっぽう悪かったのであります
最初の妻は松下村塾で一緒だった入江九一の妹 おすみ
山県有朋とさんざん奪い合いをした挙句、とうとうゲット
おすみを妻にしたんだけど、下関で遊んでいる時に馬関芸者の小梅と知り合いました
博文は小梅にベタボレし、おすみと離縁して小梅と結婚
これが「梅子」で、この後の人生はずーーーっと博文の好色に付き合わされるハメになります
さてさて、博文が関わりあった女性を軽く紹介していきましょう
まず玉蝶
玉蝶は新橋の芸者で、めっちゃ美人
どうやら男を喜ばせる床テクを持っていたようですが、ちょっと悪い癖が
それが「おもらし」
どうも夜になるとおもらしするらしい
ケド、博文は一緒に寝てる時に時計をセットし、おもらししないよう夜中一緒にトイレにいってあげたらしい
お次は極子
岩倉具視の次女であり、鹿鳴館の華と言われた美女
これは首相官邸で行われたパーティの時、どーやら極子のことを気に入っちゃった博文
極子は人妻だったんだけど、博文は極子を誘い庭園の茂みに消えていった
これは周囲にばれてしまい、新聞なんかでも「破廉恥男」として罵られちゃいました
お次は林屋お鉄
お鉄は赤坂人ツ木の餅屋・林勝太郎の娘お鉄
お鉄は21歳の時に博文と出会いました
博文のほかにも、岩崎弥太郎・後藤象二郎とも浮名を流した女性であります
32歳の時に芸者を退いたんだけど、この時お鉄は自分の代わりにと、増・林子・浜子の3人を博文にはべらせてあげました
お次は小雄
これはちょっと博文も困った女性でした
大阪南地の富田屋にいた13歳の少女だった小雄のことを気に入っちゃった博文は、「俺と一緒に東京に来い」といっちゃいました
で、大磯の別荘に連れて行き、正妻梅子に預けました。それもすごいよね
が、それからすーーーっかり忘れられちゃった小雄
博文が他で遊びまくっていると聞くと、むかついて梅子に当り散らしました
梅子は一生懸命なだめてたんだけど、だんだんめんどくさくなってきたらしく、博文のいる官舎に小雄を送り込んじゃいました
困ったのは博文
官舎にこられても邪魔なので、友達の桂太郎の妾・お鯉に預けることに
ここでも小雄は毎日毎日博文への恨みつらみを言ってたらしく、お鯉がとうとうノイローゼ気味になってしまいました
とうとう小雄は芸者に戻されちゃいました
が、新橋で「大阪屋文香」と名乗り、一流の売れっ妓になりました
お次は広島の芸者光菊
博文が明治天皇とともに広島に行った時に気に入って東京へつれて来ちゃいました
が、ある晩のこと、博文が馬車の運転手に自分が着ていたコートをプレゼントする約束をしました
そのコートを光菊に届けるよう命令した博文
舶来品のコートをみた光菊
「あ、これ裏に毛皮がついてる・・・」
どうやら毛皮の部分が欲しかったようで、毛皮だけを剥ぎ取って変わりに粗末な布を縫い付けて運転手にあげたのです
このことが後でバレ、博文は「お前は泥棒だ!腹が腐っている!!」と怒鳴りつけ、光菊をその日に追い出してしまいました
お次は亀田うた
16歳の時に市川権十郎の妾になったんだけど一年ちょっとで別れ、博文と出会いました
ひたすら尽くしたんだけど、あまり博文は気に入らなかったらしく一年半で捨てられちゃいました
その後銅山王の古川市兵衛の妾になるも、また捨てられ、とうとう品川の妓楼へ行かされてしまいました
お次はお福
お福は平塚の漁師の娘で、大磯の旅館で女中をしていました
そこを博文にチェックされ、「俺の別荘で働け」と連れて行かれました
が、すぐさま飽きてしまい300円の手切れ金でお別れ
が、この手切れ金に目をつけた小学生の先生だった男がすぐさまお福を妻にしました
お次は築地新喜楽の伊藤きん
もと吉原の花魁で、博文とは吉原時代からの馴染み
花魁クラスにも手を出していた博文でありました
他にもあの下田歌子と噂になったり、品川にはお春・神戸には奈良屋の看板娘お末・祇園の政千代。そして極めつけは敵だった近藤勇の娘(芸者になった)もお気に入りだった
他にも名前が知られてないだけで、わんさかおります
最後に、正妻梅子について
博文は、芸者や取り巻きをしょっちゅう梅子のいる大磯の家へつれてきました
で、遅くなったらみんな泊めちゃう
芸者さんたちは泊まる予定じゃなかったので、お化粧品とかがなくて困っちゃう
が、梅子は元・芸者なので泊まった女性たちのためにアレコレと用意をしてあげました
これにはみんなビックリすると同時に、「あそこまでされるとね・・・」と悪口を言われちゃいました
梅子はほんっとに尽くした
やりすぎってくらい尽くした
博文の女遊びには全然口出ししなかったのであります
しっかし、初代総理大臣の伊藤博文はほんっとに女好きだったんですよ〜
芸者たちは博文におねだりすると、すぐ「よろしい」と言ったので、「よろしいの御前」なんていうあだ名までついちゃいました
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