性と愛の日本史


         


伊沢きみ子×宇野浩二

異常なほどのヒステリーを持った女性
それが伊沢きみ子

きみ子の両親は町医者で親戚には議員にもなった伊沢修二や、警視総督になった伊沢多喜男がいました
つまり、一族はとってもセレブなのであります

が、きみ子はものすごい癇癪もちで、厳格な父親と衝突し家出の日々
そしてとうとう斡旋屋に騙され、私娼となったのです

25歳の宇野浩二は東京でも三流以下と言われている花街で、21歳のきみ子を見初めました
なぜこんな女性がこんなところで??と、不思議になるほど、古風な美人で気品があったのでした

この頃浩二は小説家を目指しており、解釈の下請けや童話を書いたりして生活をしていました
そんな頃きみ子と出会い、同棲することになったのです

同棲してすぐ、きみ子の本性が現れました
とくに生理前のヒステリーはものすごく、人の目もきにせず大声で泣いたり暴力を振るったり・・・

そして同棲3ヶ月の時、きみ子は「あまりにも貧乏だから芸者になる」と言い出しました
浩二は「わかった。もうすこし稼げるようになったら迎えに行く」と約束しました

が、きみ子は芸者生活がつらかったらしく何度も会いに来るよう手紙攻撃
浩二が会いに行くと、
「なんで身請金を持ってこないの!?」
「私はいつになったら幸せになれるの?」
と、ヒステリーを起こし、しまいには自殺未遂騒動

とうとうこの生活に耐えられなくなったきみ子は逃げ出してきて、今度は浩二と浩二の母と3人で暮らすことに

生活はますます貧しくなり、きみ子はお金がなくなってくるとイライライライラ
病的発作を起こし、はだしで駆け出したり、往来の人々が立ち止まってみるほど大声で泣き出したり叫んだり・・・

そしてイライラが募ると、浩二を殴る蹴る・・・・

母は機嫌をそこねないように、炊事洗濯を必死でやるも、髪の毛をかきむしって暴れるきみ子をみて逃げ出しちゃいました

こんな生活に疲れた浩二は、きみ子と別れる決心をしました
が、なかなか言い出せない

で、考えたのが「二年後に絶対小説家になってみせる。そのとき迎えに行くから結婚しよう」

きみ子は「有名になったら呼びにきてね」と指きりをし、再び芸者になったのです

以後、きみ子は「小説書けた??」と言いながら訪れ、浩二にお金を置いていきました

浩二はというと、会うのが恐いので何度も引越しをするんだけど、引越し先をかぎつけ何度も会いにきました


そして、大正八年に、「蔵の中」という小説が注目され、初めてお金が入ったのです

次に、きみ子との悲惨な生活を書いた「苦の世界」を発表。これが絶賛され、一躍流行作家となったのです
売れっ子となった浩二は、芸者の鮎子や小竹などと遊ぶ毎日を送るように

きみ子はというと、生活のために弁護士の愛人となっていました

浩二に会おうとして何度もたずねてきたんだけど、売れっ子となった浩二にはもう会えない

悲しんだきみ子が選んだ道は自殺だったのです

きみ子は絶望と悲しみの中、猫いらずの入った毒団子を食べ、死んでしまったのでした

確かにきみ子はものすごいヒステリーで、浩二も大変だったんだろうと思います
けど、考えてみると、きみ子は二度も自分の体を売り浩二の暮らしを助け、全ての持ち物を売り生活費として使った
そして小説のモデルにもなり、浩二の作家人生を助けた
それなのに最後は捨てられてしまうという、なんだか哀れな女性ですよね・・・









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