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ニッポン埋蔵金伝説
H20.4月



たまーにテレビで「徳川埋蔵金を追う!!」なーんて番組があったりしますが、ワタクシ、よく見るクチであります(笑)

「いつか私も埋蔵金を・・・( ̄ー ̄)ニヤリ」とほくそ笑むタイプでありますが、今回は日本にある埋蔵金伝説についてコラムっちゃいます★


まず!!

ワタクシが一番狙っている(笑)のは、大久保長安が隠したといわれる埋蔵金であります

大久保長安って人は、徳川家康の金山奉行をしていた人
徳川幕府の財政的基盤を作った人だけに、いっぱい隠したんじゃないの〜??な、伝説があるのであります

長安はもともと武田信玄に仕えていた人で、鉱山掘りのプロと言われていた人

で、武田家が滅びた後、徳川家康に仕えました

戦いで出世するタイプじゃなく、頭脳で出世するタイプで、佐渡・石見・伊豆などで金山を増産しまくり、まさに金山奉行の最高責任者だったのであります

で、長安はかーーーなーーーーり贅沢な暮らしをし、69歳で死んでしまいました

こっからが大問題

長安の死後、「長安が横領してたんじゃないの?」疑惑が出てきて、とうとう家康は長安の家宅捜査をすることに

結果、出るわ出るわの隠し金

蔵には70万両もあったりと、お宝満載

極めつけは 家の床下から出てきたスペインや明からの手紙
「長安が先導して明の兵士を日本に攻め入らせ、もし明が勝利したら長安は関白にしてあげる」という計画書が出てきたのであります

ということで、莫大な財産は全て没収され、子供達は全て切腹させられてしまったのです
これが有名な「大久保長安事件」でありますが、黄金伝説はどっから来たの??とゆーと・・・

これだけ色んな場所の金山をお任せしてたんだから、他にも絶対に隠しているハズ!!というもの

特に家康は箱根の仙石原をかなり探索させていたらしいのです

ちなみに「箱根仙石原から南へ行き、富士山が良く見える場所がある。そこにある黒いツツジの下に隠している」という噂があったそうですヨ〜

でも、これだけお任せさせられてたんだから、ホントにどっかに隠していそうですよね〜ニヤリ


お次は武田信玄の埋蔵金伝説

信玄も金山開発にはめっちゃ力を入れていた人で、多くの金山から黄金を採掘しまくっていました

信玄の金山で一番有名なのは「黒川金山」

多くの人夫を集め、娼館まであったというほど賑わっていました

ココに信玄は、戦いの時の軍資金として黄金を隠したといわれています

ちなみに信玄の時代の金山担当は上に書いた大久保長安でありますぞよ

さてさて、そんな賑わいを見せていた黒川金山ですが、いっきなり金山を閉鎖しちゃいました

この時、多くの人夫と遊女達を殺したとされています
軍資金のありかを知っている人たちを皆殺しにしたと言われているんですねぇ〜

信玄の埋蔵金は江戸時代から多くの人たちが発掘しようとしてたんですが、まだ出てきてないみたいですゾ・・・ニヤリ


お次は佐々成政の埋蔵金伝説

佐々成政は織田信長の家臣でした
でもって、信長が死んだ後成り上がってきた豊臣秀吉と対立し、柴田勝家とタッグを組んでました

が!!柴田勝家が秀吉に負けてしまい自害
「こりゃヤバイ!」と思った成政は、秀吉のライバルである徳川家康に望みをかけます

が、家康と秀吉が仲直りしてしまいました

成政はなんとか家康にもう一度闘うようお願いするため、越中から駿府まで行こうと決意!

が、安全なルートは秀吉が押さえていて、通ることは不可能

唯一残された道は冬の北アルプス

成政は冬の北アルプスを決死の覚悟で乗り越えることにしたのです

このとき、成政は100万両の黄金を持って出発したらしいのですが、北アルプスの山越えはものすごく辛いものでした

次々と家臣が倒れていき、60人もいたのについに7人になってしまいました

そして険しい山道で動けなくなってしまった一行

とうとう成政は黄金を置いていく事にしたのです

近くの山中に黄金を隠し、身軽になった一行はやっとの思いで駿府までたどり着いたのであります

北アルプスの秘境である黒部峡谷に眠る埋蔵金
うーん。ロマンがありますねぇ〜

が、あまりにも険しい山道なので、本格的なカッコじゃないと探せないみたいですゾ


まだまだ埋蔵金伝説はありますぞ〜

お次は結城家の埋蔵金伝説

戦国武将だった結城晴朝は、豊臣秀吉とともに小田原城を包囲しておりましたが、この時秀吉から「おみゃーんちにうちの息子を養子にやるよ」というお話が

それが家康から秀吉のとこにやってきた家康次男の秀康

結城家としては秀吉の息子を養子に・・・って話を断ることはできず、秀康を養子にすることに
これが結城秀康になるわけです

でもって、結城家としては考えた
「秀吉も家康も危ない。結城家の財産が奪われちゃうかも」ってことで、黄金を隠すことにしたのであります

どうやらかなり莫大な黄金を隠したらしく、江戸時代にも埋蔵金ハンターがわんさかいました

あの大岡越前もチャレンジしたんですが、大雨により中止
発掘を諦めたそうです

いまだ見つかっていない黄金はいったいどこにあるんでしょうね〜
ちなみに、結城城跡と、的馬城跡って説が多いらしいですぞよ


お次は江戸時代の海賊・伊藤小左衛門の埋蔵金

小左衛門は博多の人で、お金持ちの娘と結婚し頭角を現してきました
で、当時の日本は鎖国だったので、密貿易をして儲けまくっていたんですね〜

だんだん海賊のようなコトもするようになり、略奪なんかもしちゃってました

で、黒田藩の役人とも仲良くなり、黒田藩御用達の商人にまで出世

が、密貿易がバレてしまい、とうとう捕まってしまいました

黒田藩は幕府からお咎めがくるのが恐くって、この小左衛門を磔にし、関係者も殺し、証拠隠滅をしたのであります

その後、小左衛門の家宅捜査をすると、黄金がざっくざく出てきました
金額なんと250万両!

ということで、海賊行為をしていた時に隠したお金がほかにあるんじゃないか??とされているのであります

黒田藩では小左衛門を殺してから「隠し金」のことに気がつき、関係者を探しまくったんだけどみーんな殺してしまったので、いまだどこにあるかわかんないんですね〜

諸説によると小左衛門が寄贈した亀山城址の石仏に謎が隠されているとか、この石仏の200メートル東にある小左衛門の屋敷跡だとか

ちなみに大正時代になってから、小左衛門の墓跡から黄金がちょこっと出てきたらしいですぞ



最後に!

個人的にめっちゃ気になる榎本武揚の黄金伝説

幕末、鳥羽伏見の戦いで将軍の徳川慶喜は大阪城をコッソリ脱出し、江戸へ帰ってしまいました

この時、幕府の海軍副総裁だった榎本武揚は、大阪城にある蔵から18万両を運び出し、幕府の艦隊である富士丸に積み込み江戸へ向かったのです

ところが、江戸に戻ると幕府の艦隊は新政府軍に引き渡さなければいけなくなっちゃいました

富士丸に積んであった18万両は、幕府艦隊の旗艦である開陽丸に移し変えたらしいのです

この後、榎本武揚は新政府軍と戦うため開陽丸ら八隻の艦隊は蝦夷(北海道)へ向かいます

でも、江差沖で暗礁に乗り上げて沈没しちゃいました

18万両はどうなったのか??とゆーことですが、開陽丸に積み込んだという完璧な証拠はないんですねぇ〜

昭和に入ってから開陽丸の引き揚げ作業が始まり、昭和五十二年の夏、「参拾両」と書かれた金塊が発見されたのであります

ですが残念なことに、コレは本物の金の重さを量るための銅でした

他には大砲や銃などが発見されたんですが、十八万両の金塊は見つかりませんでした

「じゃあ開陽丸じゃなくって、一緒に蝦夷へ向かう時に銚子沖で沈没した美加保丸にあるんじゃないの??」とゆーことになり、こちらも引き揚げ作業が行われたんですが、葵紋の入った板なんかは出てきたんですが、金塊はありませんでした


んーー。18万両はどこにあるんでしょうねぇ〜。ロマンですね〜