×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。



戦国時代は親子・兄弟みんな敵

戦国時代

天下を統一するために、各地の才ある人たちがひしめき合う時代

群雄割拠の中、飛び出してきた人たちの多くは「親・兄弟」と家督争いをしたりと、いわゆる「お家騒動」がおきていました。

兄弟・親・全てが敵!の戦国お家族間バトルを紹介します

まず、甲斐の虎・武田信玄

信玄は小さい頃はひ弱ッ子。そのため、父親の信虎は「あいつより、弟の信繁の方がいい」と、信繁ばっかり可愛がってました。

父親の信虎もかなりの独裁大名だったので、家臣団たちからも嫌われてました。

そんな信玄が突然「オレ、今まで我慢してたけどもう限界!父親を追放してオレが武田家をいただく!」と兵を挙げたのです。

信虎はビックリして、追い出されてしまいました。

こうして信玄は親を追放し、家督をゲットしたのです。

ところで、弟の信繁。これがまたいい子だった。お兄ちゃんの信玄がダイスキで「ボク、お兄ちゃんを差し置いてまで家督を貰う気はないからね」と言ってたため、信玄が家督を奪い取った後、真っ先に信玄に忠誠を誓うのでした。

その後も信玄の右腕として、信玄に欠かせない存在に。その忠誠心たるや後の人々に語り継がれるほど

さて、この信玄の「父親追放事件」をメッタメタに「悪行」として悪口を言いまくったのが「織田信長」

「信玄ってひどいよな?親を追放だぜ?信じられねーよ!」と、ボロクソに言いまくった。

信玄にとっても「親を追放」というのはイメージが悪かったため、イタイとこだったらしい

そんな悪口を言いまくっている信長は弟を殺している。

弟の信行は品行方正なおりこうさん。かたや信長は「うつけ」と呼ばれワガママ放題・やりたい放題。

食うか食われるかの戦国時代、家臣たちは「あんなうつけじゃ織田家はやばい」と、柴田勝家率いる家臣団がこぞって弟・信行の味方をし、信長を殺そうとクーデターを計画

が、信長は見事な采配でクーデターを鎮圧

「弟のくせにこんにゃろー!」と、生母・土田御前が「信行ちゃんを殺さないでぇぇぇぇ」と涙を流してのお願いを無視し、弟を殺しちゃいました。

信長、超スッキリ♪

弟殺しといえば、独眼流政宗

幼い頃に疱瘡を患い、片目がつぶれ醜くなったためお母さんの義姫に嫌われた可哀相な幼少時代

義姫は政宗のかわりに弟でおりこうさんの小次郎を溺愛

さらにお母さんは「あの子より、小次郎のほうが伊達家の当主にふさわしいわ!」と、政宗毒殺計画を実行

毒入りゴハンをモリモリ食べた政宗は三日三晩苦しみ、なんとか生還。

「小次郎がいると、いつまたお家騒動がおきるかわからん!」と、嫌いじゃなかった弟を暗殺。お母さんも追放しちゃいました。

そんな政宗、弟殺し以外に父親殺しもやってます。

といっても、父親殺しは本意ではなかった。

父親・輝宗が敵に拉致され、政宗はダイスキなお父さんが連れ去られたため必死に追いかけました。

やっと追いついたものの、お父さんが敵側にいるため攻撃できず

するとお父さん。息子政宗に向かって「わしごと撃てぇ!」と叫び、政宗はお家のため泣く泣くお父さんのいる敵チームに一斉射撃

ちなみにお父さんを連れ去った人々を、これでもか!というくらい虐殺しました

お父さんといえば斎藤道三。(無理やり持ってきました。フフ)

下剋上してのしあがったものの、最後は自分の息子に殺されちゃうという可哀相なマムシ

油売りから一国一城の主になったものの、嫡男・義龍は自分の子ではなかった。

というのも、義龍の母は妊娠したまま道三と結婚したから

おなかに赤ん坊がいた状態で、道三の妻になり義龍を生んだのです

そのため長男より、次男(自分の本当の子供)に家督を譲りたくなっちゃた。

それに感づいた義龍は「クソー!こうなったら先手必勝じゃ!」と、道三を攻撃し、家督をもぎ取ったのでした。

下剋上のマムシも、最後は自分の息子に下剋上されてしまったのでした。

戦国の世はこうした親子・兄弟のバトルだらけ

上杉謙信だってお兄ちゃんをやっつけて家督をゲットしたし、毛利家だって元就が弟2人を小早川家・吉川家の養子に行かせ、毛利家をもりたてるようにしたものの、弟2人は「なんで兄貴だけいい思いしてんの?」とムラムラしてた。いつ爆発してもおかしくなかった状態のとこに、長男が死んで輝元が後を継いだため「あのチビッコを俺たち2人で守ってやろうか」というムードになった。正直、長男が生きてたら何かあったかもしれない。

大友宗麟だって「大友二階崩れ」というド派手なバトルを繰り広げ、お父さんをやっつけて家督をもぎとった。

戦国時代、一番の敵は外ではなく、家の中だったのです。

江戸幕府を設立させた「徳川家康」は、こんなお家騒動を嫌った。

「最初っから長男に家督を継がせるってことにすればいいんじゃ。優秀な弟とかに家督を継がせようとするからお家騒動が起こるんじゃ」ということとなった

なので徳川は母親の身分が低かろうがなんだろうが「長男」が家督を継ぐということになったのです

この「長男制度」は今でも根付き、「長男」が家を継ぎ、両親の面倒を見て、本家を守る・・・ということに

男の子を産まない女はダメ女のレッテルを張られちゃうのです

現代は人気のない「長男の嫁」

そりゃーイヤだよね。だって、長男の嫁ってだけでナニからナニまで当たり前のようにやらされるんだもんねー

おっと、話しがそれてしまいましたが、そんな家康は三男の秀忠を二代将軍に抜擢した。

次男の結城秀康は生きていたが、どうやら顔が魚に似てるから嫌ったらしい

おいおい。