江戸時代、四世鶴屋南北が書いた歌舞伎「東海道四谷怪談」のヒロインお岩
「うらめしや・・・・伊右衛門様・・・」で知られるお岩さんを知らない人はいないでしょう
初めて公演されたのは1825年
以後、これを上演した江戸の中村屋には、怖いもの観たさの見物人が溢れかえりました
この四谷怪談
実は、本当にあったお話なのです・・・・・
四谷左前町(新宿区)に住んでいた田宮又左衛門の一人娘お岩
とても美しい顔をしていたのですが、19歳の時に疱瘡(天然痘)になり醜い顔になってしまいました
そして父、左又衛門が病気となってしまったのです
「このままワシが死ねば、お岩は一人で寂しく暮らし、生活にも困ってしまう。その前に何とかしてお岩にお婿さんをとってやらなけらば・・」
と考え、同僚の秋山長左衛門にお婿さんを紹介してくれるよう頼んだのです
そして長左衛門が探してきたのが浪人の伊右衛門(いえもん)でした
伊右衛門は長屋で傘張りをして暮らしており、小金持ちの田宮家の婿に入ることは非常にうれしい話でした
この時お岩21歳。伊右衛門は31歳
父は安心したのか伊右衛門が婿入りした後すぐに息を引き取ったのです
お岩は伊左衛門とともにささやかながら幸せな日々を過ごしていました
8年ほどたった頃、伊右衛門の上役(上司)である伊藤喜兵衛が伊右衛門にとあるお願いをしてきたのです
「実はオレお琴っていう若い妾がいるんだけどさ、妊娠させちゃったんだよ。でもオレ奥さんうるさいからさ。持参金あげるから、お琴&おなかの子貰ってくれないか?」と伊左衛門に言って来たのです
ここで伊左衛門は断わればいいのに
「持参金か・・・欲しいな。それにお岩はブスだけどお琴は美人だしな。オレもそろそろお岩のブス加減にうんざりしてきたしな・・・」と、なんとこの話をOKしちゃったのです
それから伊右衛門はお岩を追い出そうと、暴力を振るうようになり仕事も行かずに遊んでばかりの生活に
困ったお岩は仲人の秋山に相談
すると秋山は
「伊右衛門はできた男だ。ちょっと今は貧乏暮らしに疲れてるのかもしれん。お岩がどこかで屋敷奉公して、そのお給料を伊右衛門に渡せば、あいつもお前に申し訳ないと思い心を入れ替えるかもしれんぞ」とアドバイスしたのです
お岩は素直にその言葉を聞き旗本屋敷に住みこみで働きに出ました
すると伊右衛門は「ラッキー!」とばかりにお琴を家に入れたのです
その後2人の間には3人の子供も生まれました
そして月日が経ちました
お岩の元に商人がやってきて懐かしい伊右衛門の話を聞きました
「伊右衛門様は元気にやっておりますか?」
するとその商人が「アレ?伊右衛門は美人の女房と4人の子供と一緒に暮らしてるよ?」といったのです。
お岩は愕然
夫のために住みこみで働き、毎月お金を送っていたのに、そのお金で伊右衛門は新しい家族と楽しく暮らしていたのです
お岩は「この怨み、きっと晴らしてやる」と去っていったのです
それから田宮家では不吉な出来事が相次ぎました
お琴と4人の子供達が次々変死していったのです
伊右衛門は難病にかかり最後は狂死
秋山も病死し、伊藤喜兵衛は悪いことをしたため処刑されてしまったのです
お岩に関わる全ての人が死んだので江戸庶民は「お岩のタタリだ」と噂しあいました
庶民はお岩に同情し、この話をもとに四世鶴屋南北が「東海道四谷怪談」として上演
この「東海道四谷怪談」はカラクリを見事に使い、江戸庶民は怖いもの見たさで大人気となったのです
実は今でもテレビで「四谷怪談」を放映する時には、必ず出演者は妙行寺にあるお岩のお墓におまいりにいくそうです
お岩に祟られないように・・・・・・
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