平将門の怨霊





この時代、貴族達は農民から税金を取り放題

貴族達だけが、いい生活をしていました

平将門は、そんな京都のやり方に反抗し、関東にて新たな国を作ろうとした武士です

その活躍ぶりはすさまじく、とうとう京都の朝廷から将門を倒すために兵が送られました

それが「平将門の乱」

将門軍は奮闘したものの、なんと流れ矢が将門の額を貫き、平将門は討たれてしまったのです

将門の首は京都の三条河原に晒されました



が、将門の生首は自分が死んだことを認めず「
今一度合戦を!!!」と叫び、関東まで飛んでいったのです

その生首が落ちた場所が、現在の東京都千代田区大手町
そこに「
将門の首塚」が建てられました

さて、現在高層ビルが立ち並ぶビジネス街となった大手町

なぜこんな東京のど真ん中にこの首塚は移転されず残っているのでしょうか???



それは
将門の呪いがあるからなのです


大正十二年、関東大震災が発生しました

東京は焼け野原となり、政府は「再生のため、大蔵省を大手町に移転する」と発表

そして移転先に将門の首塚があったのです

工事する人たちは、現場監督に「この首塚は手をつけてはいけないと言われています」と反対しました

が、現場監督は「バカバカしい!京都に晒された首がなんでここに飛んでくるんだ?今の世にそんな呪いだとか祟りだとかあるものか!東京を復興しなきゃならんのだぞ!?」と大反対

それでも工事の作業者達は首塚を壊すのを嫌がった

怒った現場監督は「じゃあ俺がやる!」と首塚の石に手をかけたのです

その瞬間、現場監督は「
うぎゃあ!!」と奇声を発し、突然走り去って行ってしまったのです


不思議なことはまだ続きました

大蔵省の移転計画に関わった十四人が次々と病死していったのです

健康だった役人達の不審な死

とうとう大蔵省の移転計画は中止となりました


その後も首塚を移転しようと計画が何度もありましたが、関係者が次々と不審な死を遂げていったのです

第二次世界大戦の終戦後、アメリカ軍が将門の首塚を移転しようとしました

すると突然ブルドーザーが転覆し、数多くの負傷者を出したのです

こうして将門の首塚を壊すと祟りが起きると言われるようになりました


さらに1988年に作られた映画「帝都物語」の撮影中、将門の首塚のセットを作り、撮影しようとしたところ、スタッフがクレーンから落ちて重症を負った

さらに出演者が炎に近づくシーンは、風もなかったのに急に炎が大きくなりやけどを負ったのです

スタッフたちは将門の首塚におまいりをし、さらに将門を祭ってる「
神田明神」に手を合わせ、なんとか撮影が終了させました


そして今でも大手町のビジネス街では「将門の首塚に尻を向けてはいけない」と言われています

実際そのようにしていた○○○銀行はつぶれてしまいました

こうして将門の首塚はいつまでも大手町にあるのです・・・