暗闇の日本史           





百鬼夜行の都・平安京

百鬼夜行とは一体何なのか?

書物にみる百鬼夜行

修験者がみた百鬼夜行

娘を鬼に食われた貴族

紫式部が見た怨霊

鬼の腕を斬りとった渡辺綱

宮中の松原に出た美男の鬼

坂上田村麻呂が倒した鬼

待ち続けた女性の怨念

后に恋焦がれ鬼となった聖人

陰陽師・阿倍晴明の幼少時

赤子を食らう鬼女

平安を守る 羅生門

鳥が集まる場所・・・清水寺




百鬼夜行の都・平安京

平安京という都がなぜ出来たかご存知でしょうか?

当サイト「ハガクレ★カフェ」の歴史の流れにも書いてありますが、桓武天皇が建てた平安京は陰陽師にお願いし、祟りがこないよう作られた都であります

桓武天皇は弟の早良親王を無実の罪で殺してしまいました

その罪の意識に絶えられず、新しい都・平安京を造ったのです

詳しくは「怨念の日本史」の早良親王の箇所をご覧ください

平安京は陰陽道によってさまざまな魔よけの工夫がされました

が、湿気が多く疫病の多い土地だったため、鬼や妖怪の居心地のいい住処になってしまったとされています

現代の私たちには信じられない出来事も、平安時代の人々にしてみれば「事実」でした

病気・地震・旱魃・雷・洪水などの災害も、全て怨霊の仕業だと信じられていました

人々にとって、怨霊は毎日の生活の中に必ず組み込まれていたのです



百鬼夜行とは一体何なのか?


平安時代は「百鬼夜行」の都と言われています

「百鬼夜行」とは、さまざまな異形の妖怪たちが列をなしてうろつきまくっていることであります

百鬼夜行をみたことを妖怪たちに見られてしまった人間は、妖怪たちにとり殺されてしまいます

さらには一族も全員殺されてしまうのです

百鬼夜行を観てしまったら、息を殺してひっそりと隠れていてください・・・・・



書物にみる百鬼夜行


「宇治拾遺物語」「今昔物語」「大鏡」などに百鬼夜行に出会ってしまった人間がいるという記録が残っています

では、百鬼夜行に出会ってしまった人のお話をしましょう

出会ってしまったのは、当時の右大臣藤原師輔(ふじわらのもろすけ)

陰陽師が「この日は百鬼夜行日ですので外出してはいけません」と言ったんですが、どうしても行かなければいけない場所があった

深夜の二条大宮を通りかかった時、師輔は恐ろしい百鬼夜行を見てしまったのです

牛車の中でひたすらお経を唱えていると、百鬼夜行は通り過ぎていきました

不思議なことに、従者たちは何もみなかったそうです



修験者がみた百鬼夜行

とある修験者が、行脚の途中に見てしまった百鬼夜行

摂津の国を歩いていた時のことである

日が暮れてしまったので、誰もいない荒れ果てた寺に泊まる事にした修験者は、本堂にある大日如来に向かって静かにしていると、なにやら怪しげな声が聞こえてきた

修験者は恐れおののきながらも、隙間から覗いてみると、そこには荒れ寺に近づく百体以上の異形の姿があった

そして「人を食いたい・・・」と話し合っていた

修験者は恐怖のあまり体が動かなくなってしまい、一心に経を唱え続けた

百鬼夜行の群れは本堂に入ってくると、とある異形のものが修験者のもとへやってきた


修験者は食われてしまう・・・と、さらに必死に経を唱えた

すると、その異形のものが「こんなところに見慣れぬ不動尊がある」と言って、修験者を本堂の外へ出したのです

修験者の祈りが通じたのであろう

外に出された修験者は一目散に逃げたという


娘を鬼に食われた貴


「鬼」の存在も平安時代には欠かせないものでした

大和の国に、とても裕福で美しい女性がおりました

たくさんの求婚がありましたが、娘はいずれも断っていました

が、とある男が結婚そ申し込んできてさまざまな品を届けてきた

その男の立ち振る舞いも上品で、両親も「あの男では問題ないだろう」と結婚を承諾したのです

そして結婚の日、男が娘の部屋へやってきました

すると夜の闇の中から

「痛やっっ」と何度も何度も叫び声が聞こえてくる

両親は心配したが、「始めての夜なので・・・」ということで遠慮した

翌朝、いつまでたっても娘と男は起きてこない

不審に思った両親が娘の部屋へいくと、そこには娘の頭と指一本だけが残っているという無残な光景であった

「娘が鬼に食われてしまった!」と、両親はいつまでも泣き続けたという・・・・



日本霊異記より

紫式部が見た怨霊


紫式部の書いた「源氏物語」にも、生霊や怨霊が出てきますが、それは物語のこと

が、「紫式部日記」の中に、自らが目撃した怨霊のことを書いているのです

紫式部が仕えていた中宮・藤原彰子(しょうし)が出産する時のこと、彰子の父親である藤原道長に恨みを持つ多くの怨霊が集まってきた

大勢の僧侶を呼び、祈祷を行って怨霊を鎮めようとしたところ、怨霊が女官にとりつき、様々なことを言い始めた

僧たちは、怨霊がついた女官を順番にしずめていったのである

紫式部は、実際に目撃した怨霊を作品の中にとりいれたのでしょうか・・・


鬼の腕を斬りとった渡辺綱


渡辺綱(わたなべつな)は、源頼光の四天王の一人であります

ある夜、綱は主君の頼光の命令で一条大宮へ使いにでました

用心のため、頼光から名刀「髭切(ひげきり)」を借りて馬に乗ってでかけました

そして無事に用事を終え、一条堀川の端へやってくると、橋のたもとに一人の美しい女性がたたずんでいた

綱は(こんな時間にお供もつけずにいるとは・・・)と心配になり、「どちらへ参られるのか?」と訪ねました

美しい女性は「実は、五条付近まで行きたいのですが、日が暮れてしまい怖くなって動けなかったのです。近くまで送っていただけますか?

「よかろう」と、綱は女性を馬に乗せ、五条へ向かいました

綱が女性を馬に乗せたとたん、その女性が綱の髻(もとどり)をがっちりとつかみ「わが行く先は愛宕山じゃ!!!」と、恐ろしい声を出して愛宕山のほうへ飛んで行こうとしたのです

突然のことに驚いた綱は、名刀「髭切」をすぐさま抜き、鬼の腕に斬りつけたのです

鬼は「ぎゃあっ」と悲鳴をあげ、怒りの形相で愛宕山へ飛び去っていきました

綱は、すぐさま鬼の腕をもって頼光のもとへ

頼光は驚き、陰陽師・安倍晴明(あべのせいめい)を呼び相談しました

晴明は「七日間の物忌み(休み)をとり、その間は誰にも会わないように」と言いました

綱は言うとおり、七日間の物忌みに入りました


六日目の夜のこと、綱の元へ叔母である老女が尋ねてきました

綱は「申し訳ありません。今は物忌み中なので誰にも会うことはできないのです」と言うと、老女は「昔あれだけ世話をしたというのになんと薄情な・・・」と泣き出しました

綱はかわいそうになって家に入れることに

そして老女とあれこれ話しをしていると、鬼の腕を切りとった話しになりました

老女はその腕をぜひ見たいとせがみます

綱は「今は厳重に封をしてあるのです。物忌がすめば見せてあげます」

すると老女は「私はもうこのような体なのでなかなか来ることができないのに」と、またも泣き出しました

綱は仕方なく封印を解くと、老女の目がカっと開き「これはわが腕である!!持って行くぞ!!」と、ガっと腕をつかむと、飛び去っていったのでした



平家物語より

宮中の松原に出た美男の鬼

光考天皇(884〜887年)の時代の話しです

8月17日の、月が明るい夜のこと

三人の女性が宮中の広場を歩いていました

すると一本の松の下から男が現れ、一人の女性の手をとり、松の木陰へ引き入れました

残っている二人はしばらく待っていましたが、なかなか女性が戻ってこない

どうしたんだろう?と不審に思い松の木の下へ行くと、おびただしい血と女の手足だけががバラバラになって落ちていたのです

驚いた女性たちは、すぐさま衛門の陣へかけつけました

現場を見ても手と足だけしか残っておらず、「鬼が女を食らった」」と、都中が恐怖したのでした


今昔物語より


坂上田村麻呂が倒した鬼


桓武天皇時代、現在の北アルプスに八つの顔を持つ鬼がいて、近くの村を荒らしまわっていました

桓武天皇は、坂上田村麻呂に鬼退治を命じました

田村麻呂はすぐさま兵を率いていきましたが、鬼は大きな石を雨のように降らせたりと、田村麻呂らの兵を寄せ付けません

田村麻呂は退治するどころか、鬼に近づくことさえもできなかったのです

ある日の夜、田村麻呂が寝ていると、夢の中に観音様が現れました

「十三の節のある山鳥の羽で矢を作りなさい。さすれば鬼を退治できることでしょう」

早速田村麻呂は十三の節がある山鳥の羽を使って屋をつくりました

すると鬼に近づくことができ、鬼の頭に矢を突き刺すことができたのです

こうして田村麻呂は鬼を退治することができたのです

鬼の遺体は、バラバラにし、各地に埋めました

その鬼の首は、現在の松本市にある筑摩神社に埋められたそうです




待ち続けた女性の怨念


平安時代は、夫が妻の住んでいる家に通うという結婚の形でした

都の片隅に、いつまでたっても通ってこない夫をじっとまっている女性がおりました

夫のことだけを思っているうちに、病気になり、目だけがぎらぎらとし、モノノケのような姿で死んでしまったのです

そんなこととは知らない夫は、ある日妻のもとへ行こうとすると、家の近くにいる老人が

「おまえの女房はずいぶん前に死んでしまったぞ。近所の者も気付かず、ワシが一月ほど前様子を見に行ったのじゃ。」

夫は驚きました

すると老人が「女房どのは白骨化しておってな、わしらは埋葬をしてやろうと思ったんじゃ・・・。が、あまりの恐ろしさに埋葬もできなんだ」

「なんですって?すると妻は埋葬もされずほったらかしにされたままなのですか!?」

「その死体は・・・・、白骨になったというのに、骨と骨がしっかりとつながっているのじゃ。普通はバラバラになるものだというのに・・・。そのうえ、その白骨は肉よりも先に抜けるはずの髪の毛がふさふさとそのままだったのじゃよ・・・。わしらは恐ろしくて・・・・」と、ブルブル震え始めたのです


夫は背筋がぞっとしました

きっと、自分を恨んでいるに違いない・・・・・

こうして夫は陰陽師のもとへいったのです

陰陽師は「これはものすごい悪霊です。助かる方法もありますが、そのためにはおそろしい思いをしなければなりません。あなたは耐えられますか?」

夫は、怨霊に取り憑かれるよりはマシだと、うなずきました

こうして夫と陰陽師は妻の白骨がある家へ向かったのです

そこにあったのは、黒々と濡れている髪の毛が生えた白骨でした

陰陽師は「この死骸の上にまたがって、両手で手綱のように髪の毛をつかんでいなさい。こうして一晩過ごすのです。朝になったら私は戻ってきますが、それまでは決して髪の毛を離してはなりません。もし放してしまったら、あなたは怨霊にバラバラに引き裂かれてしまうでしょう」

こうして陰陽師は帰って行きました


闇の中・・・・夫は妻の白骨の上にまたがり心が壊れてしまいそうな恐怖を感じていました

大丈夫・・・大丈夫・・・・自分でそう言い聞かせていたその時です

尻の下にある白骨がもぞもぞと動き出し「やけに重たいな・・・・」とつぶやいたのです

失神しそうな恐怖に襲われましたが、手を放すわけにはいきません

白骨化した妻は「やつめはどこじゃ・・・・」と、夫を背負ったまま起き上がり、闇の中をひたすら走っていきます

「やつめは都にいるはずじゃ。ちくしょう。ちくしょう。どこにいるのじゃ」

夫はあまりの恐ろしさに絶えられなくなってきました


すると闇の中からうっすらと夜明けの光が・・・・

「おのれ・・・・おのれぇぇぇぇ・・・」

妻はよろよろと家に戻り、そのまま床の上にうつぶせに

こうして朝がやってきて、夫は助かったのです

朝一番で陰陽師がやってきました

白骨の上に夫の姿をみた陰陽師は安堵のため息をもらし「よかった。どうやら一度も手を放さなかったんですね」と言葉をかけました


ところが、返事がありません

陰陽師がよくよく見ると、夫の黒かった髪の毛は真っ白になり、見開いた目はうつろでした

夫は恐怖のあまり、命と引き換えに魂を失ってしまったのでした



今昔物語より

后に恋焦がれ鬼となった聖人

平安前期、文徳天皇の女御・藤原明子が鬼に獲りつかれてしまいました

明子は美人でしたが、幼い頃から物怪にとり憑かれやすかった

そして子供(後の清和天皇)を出産後、病気がちに

夫の文徳天皇や父親の藤原良房は心配し、金峰山の位の高いを呼び寄せました

僧は明子を見るなり、「侍女にとり憑いた物怪が后に悪さをしている」と、加持祈祷を行い后を治したのです

ところが、この僧はなんと明子のことを好きになってしまいました

ある晩、后の寝所に忍び込んだのです

明子は驚き、叫びました

そして僧は獄中へ

が、明子への思いは募るばかり・・・・。「このうえは、鬼となって后と睦むしかない」

そして僧は食事を断ち、息絶えたのです

それと同時に、なんと鬼になって甦ったのです

その姿はまがまがしく、身の丈は2メートル40センチ 肌は黒く、黒漆を塗ったよう。そして目は鋭く口は大きく剣のような歯がはみ出していたのです

そして鬼となった僧は明子のもとへ

女官たちは鬼の姿をして逃げ惑いました

鬼は不思議な力で明子の心を操り、明子を我が物にしたのです

鬼は毎晩明子のもとへ現れました

明子が鬼に睦みあっていることを知った天皇と父親は激怒し、新たに別の僧に祈祷させましたが効き目がなかった

そして明子の誕生日の日

天皇は盛大な祝宴を開きました

その時、またも鬼がやってきたのです

そして鬼は明子の隣へ座り、祝宴の間ずっとたわむれていたのでした

・・・・これがホントの話なら前代未聞のお話ですよね

が、この話しは政治的な陰謀が絡んでいると言われています

明子の父親である藤原良房の権力があまりにも大きくなったため、それを妬んだ人たちがこのような噂をしたとも言われています



今昔物語より

陰陽師・阿倍晴明の幼少時

平安時代は多くの陰陽師が活躍しました

その中でも最強の陰陽師と言われているが安倍晴明(あべのせいめい)

晴明は921年生まれと言われており、幼い頃から陰陽師の賀茂忠行の弟子となり修行をしていました

ある日、師の忠行が出かけるので晴明はお供についていくことに

すると前から恐ろしい鬼たちが近づいてきたのです

晴明は慌てて忠行のもとへ行き「前から鬼がやってきます」と告げました

忠行が牛車から外を見ると、確かに鬼が

すばやく術を使い、一行の姿を消しました

そして鬼たちは忠行らの姿に気がつかず通り過ぎて言ったのです

忠行は「こんな幼い子に鬼の姿が見えるとは!!」と、以後晴明に陰陽道の全てを教え込んだのです

一般的に陰陽師は数々の修行をし、やっと術を見につけるというのに、晴明は幼い頃から鬼が見えるといったように、陰陽師として抜群の素質があったのです


今昔物語より

赤子を食らう鬼女


ある身寄りのない屋敷奉公をしている若い女性がいました

その女性は、結婚をしていないのに妊娠してしまいました

「こんなことがばれてしまったら大変なことになる・・・」

悩んだ末、産気づいた時はどこか深い山の中へ行き、一人で産もう・・・と心に決めました


そして、とうとう産気づいてきてしまいました

女性はどこか人がいないところへ・・・と歩いていると、山科(やましな)の崖のそばに古い家がありました

「ここで産もう。そして子供は捨ててしまおう」

女性は中に入り座っていると、奥から人の足音が・・・

それは一人の老女でした

その老女はにっこりと微笑み、「どうしたのです?」とたずねました

女性が事情を話すと、老女は「それはお気の毒なことです。私も身内がいないので、ここでゆっくりお産しなされ」と優しく言ってくれたのです

こうして女性は無事出産しました

最初は捨てようと思っていましたが、いざ産んでみると可愛くてなりません

女性はこの子供と生きていく決心をし、老女にお礼を言いました

すると老女は「ずっとここにいてもいいのですよ・・・・」


何日か過ぎた頃、女性が赤子と昼寝をしていると
「なんとうまそうな赤子じゃ・・・。ただ一口じゃ」という声が聞こえました

女性がそっと目を開けてみると、老女が妖気を漂わせながら赤子を見ているのです

「鬼だったのか!」そう思った女性は、老女が寝ている間にひたすら走って逃げました

これを聞いた人々は恐怖で震えました

平安の都では、人里はなれたところに鬼がひっそりと住んでいたのです・・・・




今昔物語より

平安を守る 羅生門

羅生門(羅城門と言った)は、平安京の南を守る為に作られた門でした

唐の長安にある羅城を模して、桓武天皇が作りました

とても大きく、堂々とした門でしたが台風で何度も倒壊してしまい、現在は碑が残っています

桓武天皇はこの門を魔の世界の境目として考えていました

魔界には鬼がいるので、都に入ってくるのを防ぐ為に建てたのです

平安の人々は羅生門をとても気味悪がりました

ある日、摂津の国の盗人が京に入ろうとしました

が、人が多かったため羅生門の上に隠れようと二階にあがりました

するとそこでは、細々としたあかりの中、老婆が死んだ女の髪の毛をゆっくりと抜き取っていたという話しも伝わっています



鳥が集まる場所・・・清水寺


京都の観光地として人気の清水寺

清水の舞台の下は深い谷になっており、音羽の瀧が涼しげな音を出しています

この音羽川が流れる舞台下のことを、昔は「鳥辺野(とりべの)」と言いました

鳥が集まってくる場所という意味です・・・


平安時代の庶民の死骸処理は風葬が多かった

風葬というのは、死骸を風いさらして風化させるというものです

そして、この場所が庶民たちの死骸を捨て置く場所だったのです

鳥が多く集まり死骸をついばみました

飢饉の時はさらに死骸が多くなり、鳥や野犬が死骸を食い漁ったのです

鳥たちにとって、絶好の餌場だったのです



さて、都では風葬の他に「水葬」もありました

鴨川に死骸を流すのです

ですが急に大雨が降り鴨川が氾濫してしまうと、死体が街中をゆらゆらと流れてしまいました

そしてゆらゆらと流れた死体は色々なところに行ってしまいます

水が引き、残されたその死骸は腐乱し、疫病などの原因にもなったりしたのでした