江戸八百八町             



江戸八百八町ってどんなトコ?

名所案内もあるヨ



日本橋界隈

江戸発展の原点であります

東海道五十三次の出発点であり、家康が江戸城を築いた時に最初にできた町人の町も日本橋

商品取引の中心地で、日本橋という大きな橋がありました

今でも道路標識には「東京まで○キロ」とありますよね。コレは日本橋のことを指しているのであります








上野界隈

上野といえば寛永寺

将軍ご用達のお寺であります

不忍池周辺には出合茶屋が数多く存在し、ラブホ街となっていました

上野広小路には、呉服店の松坂屋もありました

「けころ」という、上野を仕切っていた売春婦もいました。安いらしい





神田界隈 

江戸の下町といえば神田

ここには平将門を祀った神田明神があったため、神田の人たちは「俺たちは神田明神の氏子の町だぜ!」という熱い人たちが多かった

威勢のいい江戸弁もここらへんの人の言葉

商売人も多く、ここで職人気質の江戸っ子が生まれる







深川界隈

深川は芸者町として有名

女性が男性の洋服を着て名前も男の名前をつけて、性を売りました

キップも良く、お客さんにこびない芸者が多かったため、吉原をもおびやかす存在にまでなってました







浅草界隈

ここは出合い茶屋や見世物小屋が立ち並ぶ繁華街

浅草寺もあり、参拝する人も多かった

浅草寺の裏には芝居小屋なんかもあって、江戸庶民の遊び場でした

ちなみにこのへんの遊び場、明治以降は浅草六区となる

浅草ノリもこの当時から名物として売っていた





向島界隈

このあたりは田園地域ですが、隅田川沿いの土手は桜の名所でした







本所界隈

もともと湿地帯でしたが、大火事のあと両国橋を作ってこのあたりを埋め立てました

江戸野半ばになってから、江戸市中に加えられ、旗本の家などが建てられるように

ココで有名なのが「本所の七不思議」

置いてけ掘や消えずの行灯など、こわーい七不思議があります





品川界隈

東海道で一番の宿町!

そのための遊び場がたくさんありました

品川の宿にいる飯盛女(めしもりおんな)は江戸でも有名で、旅人相手に性を売ってました

飯盛女という名前はなんとなく格下っぽい感じがしますが、ここの遊女は結構美人が多く、吉原の次と言われていたようです

とにかく、東海道を旅してきて江戸へ入る前にくつろぐ人が多かった町であります






芝界隈

このあたりは漁師の町で、江戸前の魚を獲っていた場所です

芝で獲れた魚が「江戸前の魚」と言われてました

高輪あたりには海の素材を使った料理茶屋が並んでおり、行楽客がたくさんやってきました


有名な「め組みのケンカ」は、芝明神での事件です





山の手

山の手というのは、麹町・四谷・赤坂・小石川・本郷など高台にある場所

セレブな人々(大名や旗本)の武家屋敷が立ち並ぶとこでした






お江戸の名所



隅田川

隅田川は江戸っ子の行楽地

春はお花見・夏は納涼・秋は紅葉・冬は雪見と、四季を感じることのできる場所でした

また隅田川は大切な交通網で、数多くの船が荷物を運んでいました





上野寛永寺

江戸第一の大寺で、京都の比叡山延暦寺と同じく「鬼門」にあり、江戸城と将軍家を守るという役目のお寺

1625年に徳川家康の晩年の側近・天海が作り、以後、代々将軍家の菩提所となります

ここにある山は庶民に人気の行楽地で、花見の時は人がわんさか

ちなみに夕方になると、黒門が閉められちゃうので、どんちゃん騒ぎはできなかった


また、寛永寺の山といえば幕末の彰義隊ですねー

ちなみに寛永寺に埋葬されているのは、家綱・綱吉・吉宗・家治・家斉・家定の六人





不忍池

不忍池(しのばずのいけ)は、寛永寺のすぐ近くにある池

不忍池のあたりは、出合茶屋(ラブホ街)がひしめいていた

ナゼこんなとこに?というと、寛永寺の領地は取り締まりがなかったから






芝増上寺

上の寛永寺と同じく、将軍家の菩提所

ここには秀忠・家宣・家継・家重・家慶・家茂の六人が埋葬されてます

すぐ近くに愛宕山があって、ここは江戸っ子の大人気スポット

一番見晴らしがいい高台なので、人気の行楽地でした






両国橋

隅田川にかかっている箸

1659年に出来上がった橋で、西側にある両国広小路はすごい盛り場になっていました

見世物小屋や屋台で大賑わい

川開きの時はすごい人が集まってきていました

また、両国で行われていた花火大会は大人気





神田明神

関東のヒーロー平将門を祀ったところ

どうやら将門が処刑された時に、首が飛んできて落ちたのが大手町で、胴体を葬ったのが神田明神らしい

神田明神のお祭りは、山王権現の祭りと並ぶ「天下祭」

両方とも将軍が来ていたので「天下祭」と言います






山王権現

正しい名前は日吉王神社

明治時代になってから日枝神社と改名されました

太田道灌が作ったと言われており、神田明神と並ぶ江戸の二大名社

山王祭りは6月15日に行われ、江戸っ子大フィーバーでした





富岡(深川)八幡

1627年にできた八幡宮

ここに岡場所ができたため、八幡宮も人気となりました

8月15日は深川祭がありmこちらも大人気

ちなみにこの祭りを見ようと、すごい人数が詰め掛けて永大橋が崩れ落ちるという大事件が起きた





浅草寺

推古天皇の時代に、隅田川で網を入れていると観音像が網にひっかかったらしい

で、この観音像は浅草観音として祀られるように

その観音像のある場所が浅草寺であります

このあたりは繁華街となり、水茶屋や見世物小屋で賑わっていました


有名な雷門は何度も火事で焼けてしまい、戦後やっと作り直してもらえました