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              江戸の社会体制             



まずはじめに幕府の職制から見てみましょう




幕府の職種

一番偉い人・・・もちろん将軍


二番目に偉い人・・・大老(たいろう) 大老は、いっつもいる職種じゃなく、非常時にできる職種で、一人のみ


三番目に偉い人・・・側用人(そばようにん) 将軍の側近中の側近 柳沢吉安が最初の側用人。こちらも常にいるわけではない職。役目は老中と将軍の取り次ぎ役


四番目に偉い人・・・老中(ろうじゅう) だいたい4・5人いる。エリート譜代代表から選ばれる。幕府の政治全般を見る仕事


老中の支配下にある職


御側衆(おそばしゅう)・・・将軍の側近 だいたい5人くらいで、エリート旗本から選ばれる


大目付(おおめつけ)・・・幕府の政治の観察や大名が悪いことしてないかどうかの監視役。これも5名ほどで旗本から選ばれる


町奉行(まちぶぎょう)・・・江戸の町を統括する人。定員2人で、当番制。旗本から選ばれる。南町奉行所と北町奉行所がある


勘定奉行(かんじょうぶぎょう)・・・幕府の金銭係。今でいう経理。定員4名で、旗本から選ばれる


五番目に偉い人・・・若年寄(わかどしより)  旗本や御家人を統括する人。だいたい4人くらいで、こちらは禄高が低い大名から選ばれる


若年寄の支配下にある職


目付(めつけ)・・・旗本や御家人を観察する人。江戸城の警備もやっている。定員10人で、旗本から選ばれる


火付盗賊改(ひつけとうぞくあらため)・・・有名な長谷川平蔵がやった職。いつもある職ではない。江戸の市中巡回と、犯罪撲滅の仕事をする。旗本から選ばれ、人数制限特にナシ


他の偉い人・・・寺社奉行  全国のお寺を統括 譜代大名から5人ほど選ばれる







譜代と外様

徳川家康は、江戸幕府を開く時に大名を大きく3つに分別しました

徳川一族は親藩

家康に三河時代から仕えていた人は 譜代大名

関が原の合戦の後から徳川に従った  外様大名


一番つらい思いをしたのは、もちろん外様大名です

幕府に「お家取り潰し」されないよう、徳川幕府のいうコトをキチンと守りました・・・というか、守らざるをえなかったのであります






武家諸法度

徳川家康が各大名達に出した法律です

大阪の陣も終わって、戦国時代は幕を閉じ、徳川の世がスタートしました

手始めに出したのが一国一城令

これは大名が住んでるお城以外は全てを壊すというもので、壊された城は全部で400城くらい

よく自分の家の近くに「○○城跡」とかがあると思いますが、それはこの時に壊されたお城の跡地です

さらに「武家諸法度」という大名を取り締まるための法律を作成

これは秀忠の名前で出して、完璧に完成したのは家光の時

内容は・・・

・ 大名同士が幕府に内緒で勝手に結婚しちゃダメ(勢力増大を防ぐため)
・ 幕府の許可なしに城を新築・改築しちゃダメ(幕府への謀反防止のため)
・ 幕府にたてつく奴をかくまっちゃダメ

などなどでした

で、諸大名たちはお家取り潰しや改易されないよう、この武家諸法度を守ったのであります





武士の種類

武士というのは、一応二種類あります

一つは将軍家に仕える武士

もう一つは、諸大名に仕えていて、藩邸にいる武士


将軍直参の武士のうち、知行が一万石以上が譜代大名

一万石未満は直参(じきさん)といいます

直参のうち将軍に御目見え(会うことができる)することができるのが旗本

会うことができないのが御家人となります


「武士」だけでも、ランクがあるんです





藩 邸

藩邸というのは、地方の諸大名が江戸に構えている家のこと

江戸時代は「県」ではなく「藩」で、参勤交代(下で説明してます)により、江戸にしょっちゅう来なければいけなかった

藩邸で一番偉い人は江戸家老

そして外交員として働くのが留守居役(るすいやく)

この留守居役とういのは、ある意味とってもラッキー(?)な職

情報を仕入れたりするのが仕事なので、吉原遊郭なんかで豪遊することもできました

現代でいう銀座のクラブなんかで、他の会社の人と情報交換するみたいな感じ

ちなみに藩邸には、諸大名らの妻子が住んでいる






参勤交代

1635年に作られた幕府による「他の藩をビンボーにさせよう作戦」

幕府は一年おきに諸大名らを江戸に来させた

そのため大名らは江戸へ行くたびに多額のお金がかかった

参勤交代により、大名行列ができ、東海道や他の道もかなり発展した

上にも書いたけど、諸大名の奥さんや子供は江戸の藩邸にずっといる

これはある意味、幕府の人質

遠いトコで幕府に謀反を起こさないようにするため






御三家

家康は親藩の最高位である徳川御三家を作りました

尾張家・・・家康9男 義直(よしなお)

紀伊家・・・家康10男 頼宣(よりのぶ)

水戸家・・・家康11男 頼房(よりふさ)

御三家と呼ばれ、将軍家につぐ地位でした

家康の真ん中の息子達が怒りそうですねー「なんで末っ子が御三家やねん!」とね・・・

というのは、家康は晩年になってから生まれたこの3人をすごい可愛がっていたのであります

以後は親藩の中でも別格とされ、将軍に後継ぎがいない時には御三家から後継ぎを出すことに

ちなみに水戸家は江戸常勤だったので「副将軍」と呼ばれます「副将軍」っていう役職はないですからねー

のちの話になりますが、本家・将軍家にとって「尾張家」は嫌われまくります

将軍の座を狙う家として、要注意の家と見られてしまうのでした





御三卿

御三卿というのは、八代将軍吉宗が自分の血が入った人を将軍にしようとした作戦(?)です

吉宗には三人の男児がいましたが、長男の家重は体が弱くそのうえ酒とかが大好きなだらしない男でした

その点次男の宗武は武術・学問に優れた子供で、吉宗は本当は宗武に跡を継がせたかった

だけど家康以来徳川家は嫡男が継ぐと決まっていたので仕方なく家重に決めました

で、次男と四男を養子には出さず、16歳になった宗武に江戸城田安門内に屋敷を与え「田安家」を作らせました

そし1741年に21歳の四男宗尹に一ツ橋家を作らせました

御三家のように大名ではなく「身内」の扱いでした

時代とともに将軍家と御三家との縁は薄れていたので、吉宗はよりつながりの強い分家を作ったのです

その後、吉宗の嫡男で9代将軍となった家重が次男に「清水家」を作らせ、以後「御三卿」として御三家を凌ぐようになっていくのです







町奉行所

町奉行所というのは、警察みたいなもの

でも人数はすっごく少ない

というのは、民間の自治体におまかせしていることが多かったから

町奉行の下に、町年寄という奈良屋・樽屋・喜多村という三つの家があり、その下に町名主がいる

民間の役人がたくさんいたので、奉行所の人数はそんなにいなかったのであります

ちなみに与力が二十五騎で、同心が120人くらいだよ


町奉行所にいるのは


与力(よりき)  町奉行所のすぐ下につく職で、禄高が200石くらいの武士がなる。だいたい世襲で、手柄をたてても出世することができない職種

同心(どうしん) 与力のサポート役。与力一人に二人同心をつけてもらえる。こちらは三十俵・二人扶持の武士がなり、これまた世襲が多い

小物(こもの) 同心の家にいる奉公人 十手を持つお手伝い役

手先(てさき)  岡っ引きなんかもこれ。同心のお手伝い役で、民間人の協力者。商売人が多かった

手下(てした)  下っぴきとも呼ぶ。上に書いた岡っ引きの子分






捕り物

時代劇で悪人を捕まるたちまわりが捕り物

捕り物を行うのは、同心や手先の人々

捕まえた後取り調べするのは吟味与力

で、判決をするのが町奉行

町奉行といえば、遠山の金さんや大岡越前が有名ですねぇ

さてさて、取調べですが、現代とちがってこの時代は「拷問」中心

聞くだけで痛そうなので、ここでは説明しません〜






江戸の拘置所

江戸時代における刑務所は牢屋敷

小伝馬町に幕府最大の牢屋があり、いろーんな罪人が送られてきました

ここにいる人は、みんなこれからどうなるかわかんない人たち

ここで半年ほど刑罰が決まるまで待ちます

牢屋敷で一番エライのは牢名主

牢名主は一度やったらやめられない〜てくらい、えばり腐っている

牢名主にご挨拶をしない罪人はかなりイジメにあう






罪人の刑罰

身分によって刑罰が違います

例えばお偉いさんは蟄居や改易などなど

もちろん切腹もあります

お坊さんで悪いことした人は、追院や晒し者

一般人は罰金や刺青・晒し者などなど




死 刑

死刑といえば鈴ヶ森や小塚原が出てきますね

死刑には六種類あって、聞くだけでもこれまたコワイ

重い死刑のやり方を順番に言うと 


鋸挽(のこぎりびき) 字でわかるでしょ。体を土に埋めて、顔だけを出してノコギリでゴリゴリ・・・・。痛そう

磔(はりつけ)  柱に縛られ、槍で突き殺される

獄門  首を斬られる。そののち処刑場に晒される

火罪  火あぶり。放火犯にだけ行われる

死罪  こちらも首を斬られる。その後死体は試し斬り用にされる

下手人  こちらも首を斬られるんだけど、埋葬されることが許される


武士の場合は、切腹か斬首。


首を斬る人は山田浅右衛門といって、死刑囚の首を切り落とす家として代々続いていた・・・・