お江戸の基本を知りましょう
江戸の成り立ち |
1590年8月1日に徳川家康が初めて江戸に入りました
徳川家康は、豊臣秀吉によって江戸へ飛ばされたのであります
本多忠勝ら、家康の家臣たちは「このような田舎に殿を飛ばすとは!」と怒ってましたが、家康は秀吉の命令に逆らわず、江戸入りしました
はじめて見た江戸に、一同呆然
当時の江戸は、荒れ野原だったのです
武蔵野台地の東のはずれに小さな村があり、江戸城(ボロボロ)が、日比谷入江の岸辺にありました
この頃は、日比谷のあたりは海だったのです
そして日比谷入江の近くには、霞が原村・桜田村・日比谷村などの漁村がありました
まさしく、何にも無い田舎だったのです
家康は、江戸城を中心に開発を進めました
多くの地を埋め立て、のちに江戸は大都市となっていくのであります
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江戸城 |
江戸城は、もともと太田道灌が建てたお城です
が、太田道灌は殺されており、家康が入った江戸城はボロボロのお城でした
北条家の支城で、石垣も無く、屋根は草でできていました
城門も壊れており、家臣らが家康に「まずはじめに城門を直しましょう。他の大名が来たときに恥かしい」と言いました
が、家康は「いいや。まず最初にそなたらの屋敷を城の周りに作ろう」と言ったのです
こうして、家康は江戸城を中心に、家臣の屋敷を建てていったのでした
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本格的な町づくり |
家康が江戸の町づくりに本格的に取り組んだのは1603年
関が原の合戦で勝利し、征夷大将軍に命じられてからです
江戸を武家政治の中心にするべく、大掛かりな町作りが始まりました
工事をしたのは諸大名たち
いわゆる天下普請であります
諸大名らにお金を使わせるべく、工事費を出させました
諸大名らは、いまや天下をとった家康に忠誠心を示すために、多くの出費と人材を派遣したのであります
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武家屋敷と江戸城拡張 |
家康は江戸城に近い順から重臣を置いていきました
城の内堀に重臣の家を作り、現在の麹町や飯田町あたりに中級の家臣
四谷や牛込あたりに下級家臣の家を置きました
1615年になると、江戸城の拡張工事が行われました
ここで、参勤交代制度のための大名の屋敷などを配置し、さらには職人や商人の住む地域を作りました
こうして1643年に全て終了
とりあえず江戸の町はできあがったのです
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地方から都会へ |
こうして江戸が天下の将軍のお膝元となりました
さらに船が入れるよう運河もきちんと整備し、道路も舗装
都市開発がガンガンと進んでいったのです
こうなるともちろん、江戸で商売をやろうという人たちが集まってきます
こうして江戸にはどんどんと、人が入り、人口が増加していくのであります
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時間を知るには? |
時計の無い時代、庶民はどのようにして時間を知ったのか?
それは時の鐘であります
江戸市中に時の鐘をおき、二時間ごとに鐘を鳴らしました
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江戸のお金は? |
江戸時代のお金の単位は三種類
今は「円」で全部通ってますが、この時代は、両・分・朱
金貨と銀貨と銭貨があります
金貨は小判のことで、金十両分が「大判」 一両分が「小判」
銀貨は一分銀が一両の四分の一ので、一朱銀が一両の十六分の一
(あ、下にもちょっと簡単に書きました)
時代によって貨幣価値が違ってくるので、一概には言えませんケドね
ちなみに武士のお給料!
これは「石高」であらわされます
だいたい米一石=一両と考えると楽です
例えば・・・・あるところにゴンベーさんという50石の武士がいたとします
が、年貢の割合が四公六民なんで、ゴンベーさんの取り分は20石
1石=1両計算ですると、ゴンベーさんの年収は20両
ちなみにこれは、かなりの単純計算方法なので、詳しく知りたい人はご自分で調べてくだされ
お金には「両」「分」「朱」があると書きましたが・・・・
一両=4000〜6000文ほど
一両=4分
一両=16朱
では、江戸時代の「物」の値段はおいくらくらい???というと、これも時代によってまちまちなんですが、参考までに
下駄・・・50文
お風呂屋さん・・・8文
お酒一升・・・200文
髪結い・・・28文
駕籠(日本橋から吉原まで)・・・200文
番傘・・・200文
吉原遊女(最高級)・・・50両(周りの人にあげるお金も含めて)
吉原遊女(最下級)・・・50文(それ以下の場合もあり)
とゆー具合であります
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江戸の数え方は? |
ここでは簡単に計算単位を紹介します
面積
一町 = 3000坪
一坪 = 3.3u コレは今でも使われてますね!
距離
一里 = 3.93km 東海道にある一里塚なんかはこの距離だよ
一町 = 109m
一尺 = 30.3cm
長さ
一尺 = 30.3cm
一寸 = 30.3cm
一分 = 3mm
重さ
一貫 = 3.75kg
一匁 = 3.75g
容積
1石 = 0.18リットル
一升 = 1.8リットル 今でも一升瓶とかいいますね!
ちなみにこの数字はおおよそで、地域によって違いがありました
この数は明治8年のものです
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士農工商 |
色んな職種がありますが、おおまかにみて「士農工商」という四つの身分に分かれています
「士」は武士
「農」は農民
「工・商業」は商人や町人たちです
もちろん「士」である武士が一番偉い人
では次の「農」は?というと、農は工・商よりも身分が低かったケド、武士のためにお米を作っていたのでとりあえず2番目に入ってます
が、もちろんランクは一番下・・・
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