江戸の「フツーーーの武士」はどんな生活を送っていたのでしょう?
天下泰平時代 |
「武士」というと、鎧をきて刀を振り回し・・・・・というイメージですよね
確かに戦国時代までの武士は、「合戦」という脚光を浴びるステージがありました
が、江戸時代になって安定してくると、「合戦」なんて一切無し
平和で安定した時代到来!!
武士は武力をふるえないから尊敬される場所がなくなってきてしまいました
次第に町人や商人が活発化してきて、武士はいくら「武士」という肩書きは持ってても、尊敬される場がないんで辛い立場に追い込まれちゃってました
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武士のランク&給料 |
武士は「藩」の家臣であります
簡単にいうと、「幕府」が本社で、「藩」が各支店
で、武士は各支店の社員であります
徳川家康は、自分に対してちゃんと仕事してくれた人にいっぱい領地をあげました
そーいった藩の武士たちはそこそこラッキーでしたが、徳川家康に軽く見られてた藩の武士たちは超貧乏
お給料は「石高」で支払われていましたが、150石あればそこそこの高級武士
ちなみに幕末の有名人・板垣退助は220石武士。高杉晋作は150石武士
かなりいいお給料貰ってる家柄です
50石武士くらいになると、とりあえず中級武士。乃木希典は80石武士でした
下級武士と呼ばれるる武士は10石〜20石
福沢諭吉のお父さんは13石武士でありました
10石以下になると、超下ランク
中間(ちゅうげん)と呼ばれ、武士の使用人みたいなことをやらされ、さらに武士なのに名字ももらえなかった
山県有朋はこのクラス出身の武士です
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福沢諭吉にみる身分制度 |
「学問のススメ」で有名な福沢諭吉は「旧藩情」という本を書いてました
そこには下武士たちの悲惨な生活がアレコレと書いてあります
簡単に紹介しましょう
・下級武士はいーーーーーっくら才能があって、いーーーーーーーっくら功績を残しても、上級武士になることはできない!!!
・下級武士はどんなに嫌な上級武士であっても、その身分だけでペコペコしなくちゃならない
・上級武士は馬に乗れるけど、下級武士は歩かされる
・下級武士は文学なんかやっても仕方ないといわれ、遊学(他の藩へ勉強したりしにいくこと)を許してもらえない
・「武士道」なんて偉そうなことをいうのは、上級武士だけの世界の話だ!
最後は・・・「上級と下級の差別は数え切れない!!!」
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武士の一大イベント「元服」 |
武士にとって人生でいっちばん大事なのが「元服」であります
7歳くらいの時、赤ちゃんからちょっとだけ大人になりましたよ〜というイベント「袴着(はかまぎ)」があります
ここで初めて袴を着ることに
袴着が終わると、書の手習いや武道の稽古がスタート
馬術なんかも習ったりします
10歳過ぎると兵法なども習いはじめ、文武ともにOKかな・・・と言う頃に元服します
元服する時に親が50歳くらいだったら隠居をしたり、家督を譲ったり・・・
ちなみにこれは長男の場合だけで、次男以降は元服後跡継ぎのいない武家に養子に行ったりします
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武士の結婚 |
元服が終わるとすぐさま結婚へGO!
相手の身分との釣り合いを考え、周囲があれこれ決めちゃいます
で、双方の親(本人たちの意見は関係なし)がOKサインを出せば結納
で、結婚
武家では、嫁入りは夕方に行われます
迎える家の両親は正装し、家は門を開け放って幕を張り巡らせます
で、花嫁&花婿が顔をあわせて、親戚一同の前で三々九度を行うのでした〜
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お城つとめ |
武士は親の役職をそのまんま譲り受けることができます
定年もないので、だいたい40歳〜50歳の間に息子に家督を譲りました
でもって息子は、お父さんがやってた仕事&給料をそのまんま受け継ぐのであります
お仕事は一日仕事したら次の日は休み(-_-)zzz…
お気楽っていえばお気楽ですが、悩みのたねは「イジメ」
新人ともなると、先輩のいうコトは絶対なので、差し入れなんかをしなくちゃならない
ビンボー武士はめっちゃ大変でした
が、ここをケチるとイジメがひどくなるので、ケチることはできないのでした
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武士は内職が当たり前 |
下級武士になると、「内職」はあったりまえのことでした
お城づとめは楽だけど、めっちゃ安月給なのであります
ということで、手細工の稼ぎで家族を養っていました
機織りや番傘作り・障子作り・小鳥の飼育・楊枝削りなどをしており、中には内職が本業となり、「武士」が副業といったパターンも
でも、農民と比べると武士の生活はまだまだレベル高でしたけどね
ちなみに、脱サラする人もいました
本を書いたり絵を書いたりして、いつしかそれが売れるようになってきちゃったといったパターンであります
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出世するには |
江戸時代の武士は出世するチャンスが滅多になし
戦国時代だったら、戦で首をとってくればガンガン出世できたけど、江戸時代は平和になっちゃったので戦なんてない
でもって、家老の家に生まれれば息子は家老・・・といった世襲制がとられていたのであります
が、出世したい!!と思う人は現代も江戸時代もかわんない
ということで、出世しようと思った人は、「武士としての心得」をきちんとしよう!ということになりました
そんな武士たちの愛読書は「武士初心集」
若い武士たちのための世渡りのコツを書いたものであります
まず大事なのは「身だしなみ」
いっつも綺麗にして、礼儀正しくいなさいということ
他には・・・
・つつしみぶかくしていなさい。口論なんてもってのほか
・義理堅い武士とは友達になりなさい
・主君の役に立ちたいとずっと思っていなさい
・気の合う仲間であっても、悪口や噂話はしちゃだめ
・妻とケンカはするな
などなど
こーして、きちんと礼儀正しくしていればいつかは・・・といった内容なのでありました
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サムライルック |
基本的なアイテムは「チョンマゲ」「羽織袴」「刀三点セット」
正装は「裃(かみしも)」です
どんどん工夫されて、いろんなデザインや機能がされるようになっていきましたけどね
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武芸四門 |
「刀」「弓」「馬」「槍」が武士の武芸四門と呼ばれています
幕府の規定で、100石取り以上は槍持ちと草履とりを持つように決められていました
ちなみに五代将軍綱吉の時に、史上最悪の「生類憐みの令」が出たとき、馬術はかなり衰えちゃいました
また八代将軍・吉宗は武士たちにもっと武芸を磨け!!と口うるさく言ってましたが、武芸を磨いても披露する場がないので、あまり皆さん真剣にやらなかったようです
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武士の座り方 |
武士には座り方にもアレコレあります
ワタクシなんぞは、ちゃんとした座り方=正座のイメージがありますが、正座は江戸時代くらいから一般化されてきました
正座ってかしこまった座り方だし、足がしびれるから、襲われてもすぐに対応できないから武士向きじゃないんじゃないの!?と思いますが、これは逆に相手に「あんたを信頼してますよ」というメッセージでもあるんです
あえて正座をすることで、「ワタシは何もやましい気持ちはないですよ。だから襲われてもすぐに対応できないような座り方してるんですよ」ってワケです
ちなみに、武士による「正しく美しい正座」とは・・・
足の親指を重ね、足の裏を自然に寝かせるようにする
両方の膝頭の間は握りこぶし一つ分開き、上体の重心は太ももの真ん中にくるように
あごを引きすぎず、かといってそらしすぎもダメ
耳が肩にたれるような気持ちで、首をまっすぐにする
背筋をぴんと伸ばし、肩は落とし、ひじは体につけ、手は指先を閉じた状態にし、太ももの上にそっと置く
さらに付け加えると、立ち上がるときは「煙が立ち上がるように立つ」
難しいです・・・・
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美しい切腹方法 |
天下泰平の世では、戦国時代のように戦って討死などがなくなりました
武士が武士らしく死ぬという行動自体がなくなったんで、せめて切腹の時くらいは「かっこよく死にたい」というのが一般的になってきました
「凶礼式」という本に「うつくしー切腹の作法」の手順が紹介されちゃうほど
ここでは省きますが、興味がある人は調べてみてください
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