|
大奥いろは |
|
大奥のいろはでございます |
|
七つ口までには帰らないといけない |
七つ口とは現在の午後4時
それまでに「七つ口」という門を通って戻らねばなりません
あの春日局も時間に間に合わず、外で夜を過ごしたこともあります
|
寝るときには監視役がいた |
将軍が奥入りし、寝泊りする場合、かならず側に監視役がいた
寵愛している愛妾や側室が、無理なお願いを言わないように、つねに隣の部屋で将軍と愛妾のやりとりを聞いていなければならない
結構辛い役目
しかもこの役目は処女限定
|
将軍のお相手は30歳まで |
将軍の夜のお相手ができるのは30歳まで
理由は高齢出産は危険だからというもの
ちなみに30歳過ぎてもお相手をすると「好女(すけべい)」と呼ばれ軽蔑された
仲間同士でいじめにもあった
|
「大奥勤め帰り」はスティタス |
大奥は「一生奉公」ですが、「部屋方」という腰掛就職もありました
江戸時代のお金持ち両親は「娘にいい縁談をさせたいから、悪い虫がつかないように」と大奥勤めに行かせた
「将軍に仕えることのできるくらい小金持ち・将軍お手つきになって子供産めばラッキー・他の男と付き合っちゃダメだから遊んでない女」というスティタスなのです
ちなみに「部屋方」でもある程度の教養が求められます
こうして数年だけ腰掛で大奥で働いた女性は、教養や気品を見につけて戻ってきたため、「ぜひ嫁に来てくれ」と、ひくてあまた状態だったのです
|
大奥の新人は裸踊りをさせられた |
大奥では年越しの夜に、新参のお末たちが踊る「新参舞」という行事がありました
新人の歓迎会ともいえるが、実際は裸になって踊る乱痴気騒ぎです
でも中には恥ずかしがって嫌がる女性も多かった
ある意味、イジメであります
ではなぜこのように裸踊りをしなければならないのか?
それは以前、大奥女中に刺青を刺した女性がいたからだそうです
|
御年寄の権力は本当にスゴイ |
表の老中に匹敵すると言われている「御年寄」
女性でありながら、幕政にまで口を出すほどの権力を持っていた
御三家や御三卿の妻達が登城してきても、へりくだらなくても良かったくらい
さらに表の人事にも口を出したりと、まさに「御年寄」は権力を持ちまくっていたのでした
|
大奥はお金がかかる |
大奥の一年間の経費は1850年頃には約20億円もかかっていた
そのお金は、長屋住まいの庶民四十万人が余裕で暮らせるほど
それを1000人ほどの女性達が使っていたのであります
それらのほとんどが化粧品や洋服など贅沢品に使われていた
中には松平定信のように「大奥はお金がかかるすぎる!節約させる!」という老中もいましたが、その時の大奥御年寄が「それは無理ですわ。ここの女性は一生を将軍家にささげているのですよ?楽しみもないのだから、せめて贅沢を楽しむくらい許されてもいいんではないです?」と反論するほど
まぁとにかく、すごいお金がかかっていたのであります
|
宿下がりって何? |
今で言う休暇のコト
一生奉公である大奥女中にとって、実家に帰って懐かしい人たちに会えることが最大の楽しみだった
といっても、宿下がりができるのは御目見得以下の下級女中だけ
3年間奉公すると、6日間の休暇が貰え、6年目で12日間、9年目で16日間お休みがもらえるのであります
ちなみに御目見得以上の上級女中は、両親が病気の時は宿下がりすることができました
|
女中達は火の番を嫌がった |
大奥で一番怖いのは「火」であります
当時火事は大変なことになっちゃいますから
もちろん大奥でも「火」にはすごく気を使っており、「火の番」というのを作っていました
が、この役目はみーんな嫌がった
なんといっても「怖い」からです
真夜中の大奥はシーンとしており、金網行灯だけがチロチロと光っていた
さらに「幽霊が出る」という噂もあったり・・・
最初は一人で巡回していましたが、途中であまりにも怖いってことで二人一組になったそうです
|
豆まきの時には男性がやってきた |
節分の日になれば、大奥でも盛大に豆まきをする
豆まきをする人は、50歳以上の男性の留守居役が年男となり大奥へ入ってきました
今のように「鬼は外!福は内!」とは声を出さず、ひたすら無言で豆をまく
そして終わると、ご挨拶をし、そそくさと部屋を出る
が、ここで女中達は帰ろうとする留守居役を取り囲み、薄い布団で包み歌を歌いながら胴上げしちゃうのです
留守居役というのは、旗本のエリート
それを簀巻きにして胴上げすることで憂さ晴らししちゃってたのでした
さらに気に入らない留守居役の場合は、さんざんみんなで小突き回したり、ダンディな留守居役の場合は盛んになでたりいじくりまわしたり
留守居役にとっては、豆まき役はとってもおっそろしーコトだったようです
|
将軍でも大奥には自由に入れない |
将軍のためのハーレム・大奥
なのに、将軍は大奥へ「今日、行くから!」と気軽に行くことはできませんでした
さらに歴代将軍の命日や、近親者の命日なんかには大奥入りできないので、最後の方になると大奥に行ける日は月に10日あるかないか
|
名前で身分がわかった |
大奥では名前によって身分が違っていました
まず大奥に入ると、「御名下され」という名前を戴くこととなります
どんなランクの女中でも本名を使うことはなく、役目が変わると名前も変わる場合もありました
三字名を使う女中、例えば音羽(おとわ)というように、仮名読みすると三字になる女中はレベルが上
また、滝川というように仮名読みで四文字の場合もレベル上
ちなみに地名をつけるのはなぜかNGだった
二字名は御中臈以下の女中がつけられた
おみよ・おとせ・おるりなど「お」がつく女性が多かった
|
|
|
|
|
|
|
|