十代将軍の家治の時代



九代将軍家重は、ろれつがまわらなくなり仕方なく隠居

こうして息子の家治が24歳で新将軍に

吉宗は九代将軍家重より、孫の家治に帝王学を学ばせたため、家治は品行方正なお坊ちゃまに育っていました

が、どんどんと出世してきた九代将軍家重の小姓だった田沼意次の出現により家治は変わっていく


田沼意次は家重の小姓で、家重に気に入られ一万石の領主になっていました。

名門の出ではないのに異例の出世をしており、家治も注目したのです。

家治は意次と話すうちに意次の政治感覚や,これまでにない異質の能力を高く評価していくことに

大御所も死に、父も死ぬと家治はだんだん政治から遠ざかるように

あんなに期待されていた青年将軍は、家臣らの派閥等に嫌気がさし、将棋ばかり打つように

さらに子供たちが全て死ぬという不幸にみまわれる

こうして家治はやる気がなくなり、代わって歴史上悪名高い賄賂官僚として名を残す田沼意次の時代になっていくのでした

家治の時代は賄賂が横行し、浅間山噴火や不作など民を苦しめる事柄が発生

そのため幕府に不満を持つ声があがり始める時代となっていくのです


御台所 五十宮倫子
倫子が17歳の時、18歳の家治と結婚

結婚した頃は吉宗が大御所として健在していた

長女千代姫を出産するもすぐに死去

続いて次女万寿姫を出産

家治は倫子を大切にしたので、不幸な一生を送ることが多い「御台所」の中では幸せな方だった

が、35歳で病気になり死去

その後すぐに万寿姫も13歳で死去した

娘が死ぬ前に死ねてよかったのかもしれない

お知保の方
九代家重の側室であるお逸の方の知り合いといわれている

そのためお知保は大奥内においてスピード出世し、家治のお手つきになった

長男竹千代(のちの家基)を出産する

が、家治は御台所・倫子に男児が生まれないため、家基を御台所の子とさせる

が、御台所が死んだため、お知保の方は晴れて将軍跡継ぎの生母に

だが事件が起きる

家基が18歳の時鷹狩に行き、急に気分が悪くなり死んでしまったのです

急に気分が悪くなりもだえ苦しみながら死ぬという変死で、毒殺説も出ました

これにより継嗣問題も浮上してきてしまうのです

11代将軍を決める時、御三家・御三卿がてんやわんやの大騒ぎだった

が、お知保の方はその争いに加わらず冷ややかな目で見ていた

そして55歳で死去

お品の方
御台所が江戸へ嫁ぐ時、一緒についてきた女性

この頃、権力をふるっていた田沼意次が、大奥権力者NO1の松島とさらなる権力ゲットを計画し、お品を無理やり家治の側室にさせたと言われている

お知保の方と仲が悪く、たびたび女のバトルを繰り広げていた

お品の方は次男の貞次郎を出産するも生後三ヶ月で死去

それがショックで病気がちになり、その後すぐに死んでしまった