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十二代将軍の家慶の時代 |
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45歳で新将軍となった家慶
父である家斉が66歳まで将軍として君臨しており、また引退してからも大御所として、政務を手放さずにいたため名ばかりの将軍となりました。
老中らから相談されても実権がないため「そうせえ」としか言えなかった
そのため「そうせえ様」というあだ名がついてしまいました。
家慶は15人の側室と27人の子を産みましたが、そのほとんどが早死にしてしまうのです
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御台所・楽宮喬子 |
有栖川家の娘
9歳の時に家慶と結婚し、姫君と呼ばれ西の丸で生活
そして長男を出産するも1歳で死んでしまう
その後何人か懐妊するが、流産ばかり
家慶が将軍になる前に死去
一度も「御台所」と呼ばれることなく死んでいった
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お定の方 |
家慶の母・お楽の方の姪
お楽の方は家斉の次男を出産していた
家斉の長男が死に、家慶が「若君」と呼ばれるようになった頃から、大奥にて「時期将軍となる人の生母」ってことでかなりの権力をゲットしていた
そして「兄の娘(お定)を出世させてあげたいわ」と、早くからお定を大奥へ入れた
そのためお定はお楽の方のバックアップがあったため、すぐさま家慶の寵愛を受けるように
が、生まれた子供は全員死んでしまうのでした
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おつゆの方 |
上にかいたお定の方の姪
どうやらすごいブスだったらしい
なぜか叔母であるお定の方に猛烈なライバル意識を持っており、家慶の寵愛を争いまくった
が、一人も子供を出産せずお褥辞退となった
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お加久の方 |
18歳の時に大奥へ奉公にあがった
美人だったため、すぐさま家慶のお手つきとなり、2人の子供を生むが2人とも死んでしまう
さらに産後の経過が悪く、24才で死んでしまった
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お美津の方 |
大奥に仕えるとすぐさまお手つきに
第9子である政之助を出産。
これが後の13代将軍・家定となる
他にも何人か子供を生むが、みんな死んでしまう
お美津どころか、他の側室の子もみな早死にで、成長していったのは家定のみ
そのため「お世継ぎ候補NO1」となり、大奥で権力をゲットする
家慶が死んだ後は、本寿院として本丸に住み続けたが、1868年の江戸城明け渡しの時に本丸を出た
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お琴の方 |
家慶の晩年の寵愛をうけまくった人
美人で賢く、さらに家慶がお気に入りだった「お金の方(下にちょこっと紹介してます)」も死んでいたため、最後はまさに一人勝ち状態
家慶が61歳でなくなると、桜田御用屋敷で暮らすように
が、この屋敷に大人気役者にそっくりの大工が出入り
美男美女カップルはお互い逢引するも、これがお琴の兄にバレてしまう
「お殿様の側室だった妹が、尼になったにも関わらず男と逢引してるのがバレたらやばい!」ということで、なんとお琴の方を殺してしまうという事件が起きてしまったのであります
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その他の側室 |
お金の方・・・お菓子屋さんの娘。家慶がかなり気に入っていたらしいが、25歳で死んでしまった。お筆の方とかなり仲が悪かったらしい
お筆の方・・・上のお金の方と家慶の寵愛を受けるため、熾烈な争いをした
14年間で三男二女を出産するも全員死亡してしまう
お波奈の方・・・米姫を出産。家慶の子には珍しく6歳まで成長したが、やはり死んでしまった
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