十三代将軍の家定の時代



十二代将軍・家慶は27人の子を産むが、全て死去

成長したのは家定だけだった

家慶が死んだため新たに将軍となった29才の家定。

が、知的障害者であり、かぼちゃやさつまいもを煮ることに熱中。

将軍になってもあひるを追いかけて遊んでるような人

なんとしても子供だけは作らせなければ!老中の阿部正弘は頭が痛かった。

どーしても将軍の後釜だけは決めておきたかったのです。

そんな家定も結婚してました。

最初の御台所である夫人は関白鷹司家の養女任子(ただこ)・2人目も関白の娘である明宮

が、明宮は背がめちゃくちゃ小さかったらしい。この2人は相次いで死んでしまいました。

そして外様大名を巻き込み、新たな御台所を迎えるべく運動が開始されたのです。

ちなみに一応家定は大奥内にお気に入りの「おしが」という女性もいました

が、妊娠することもなかった。
どうやら、家定に肉体的欠陥があったと言われています。


こうして、世の中は幕末の動乱へと突き進んでいくことになるのでした・・・・



最初の御台所・御簾中任子

鷹司家の娘

5歳の時から家定と結婚することが決まっていた

18歳の時に正式に結婚

なかなかの美人で、家定の相手を嫌がらずにしており、仲良くしていたらしい

が、25歳の時に疱瘡になり死去

二番目の御台所・明宮

二番目の正室は、京都の左大臣の娘

背が低く、まるで子供のようだったらしい

幕府人たちは「こんなのをよこすなんて!バカにしやがって!」と怒ったらしい

が、結婚した翌年に死去

三番目の御台所・敬子

波乱万丈の人生を送ることとなる薩摩の女性

幕末、世の中は騒然としており、男たちの政治の渦に巻き込まれることとなった女性

政略結婚(このあたりは、ハガクレ★カフェ歴史の流れ幕末編にくわしーく書いてあります)させられることとなった

結婚した時、家定は33歳。敬子は21歳

大奥内において「薩摩の田舎からきた女」とバカにされ、大奥にて辛いイジメにあう

家定が死去し、天障院となる

14代将軍・家茂の正室である皇女・和宮がやってくると、大奥内において「公家風VS武家風」のバトルが始まる

が、これは結局皇女和宮が折れることとなる

鳥羽伏見の戦いにおいて、幕府は新政府に敗北し、薩長軍がやってきた

天障院は薩摩出身のため、丁寧に扱われるも「私は徳川とともに生きる」と断言

幕府が滅亡した後も、徳川の家政を切り盛りし、家達(16代将軍になるハズだった人)の養育に尽くし、47歳で死去した

幕末の動乱さえなければ、薩摩でフツーに過ごすことができた気の毒な女性である


お志賀の方

女性関係の少ない家定の唯一のお手つき

出身は不明

特に美人でもなく、いたってフツーだったらしい

が、嫉妬心が強く、家定が御台所のところに一回泊まると、自分のところには2回来なければ怒ったらしい

また、他の女性が家定に近づくだけで怒ったといわれている

幕府が滅亡した時は47歳くらいだったが、その後もずっと家定の菩提を弔い続け明治まで生きたといわれいてる