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江戸時代、政治をつかさどる「表」に対して、将軍の妻・妾のいるところを「奥」と言いました
大奥がシステム化されたのは、三代将軍家光の時代
春日局が徳川の繁栄のために作ったのです
二代将軍秀忠の頃はそれほど厳重ではなかった「大奥」は、春日局により、システム化され、「奥女中法度」という法律も定めれました
おもな内容は奥においては、外部と接触してはならないというもの
こうして大奥は謎に包まれたままで、影の勢力として、時には政治にも絡んでいくのです
江戸時代が終わりをつげると明らかになってきた大奥の中身
大奥には数多くの事件や秘密があったのでした
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