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日本雑学辞典
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だるま 七夕 凧(たこ)あげ 鷹狩り

タクシー たい焼き 大丈夫 たいこもち

啖呵(たんか) たわけ者 大学ノート


チョコレート 茶番(ちゃばん) ちやほや ちちんぷいぷい

ちんぷんかんぷん


つっけんどん 通(つう)


電話 亭主 帝王切開 てんぷら

鉄火巻き ティッシュペーパー 天王山 てぐすね

出歯亀


鳥居 土用の丑の日 豆腐 トルコ風呂

年増 泥棒 どさくさ 土左衛門

土壇場(どたんば) とことん

だるま

だるまは禅宗の始祖「達磨大師」がモデルであります

あの手足がない姿は座禅の修行をしてると子です

禅宗では赤い色の衣は大僧正だけが着れるもので、だるまさんの赤い色はそのためなんですね〜

ちなみに日本にだるまさんが伝わったのは室町時代
今のだるまさんの形になったのは江戸時代であります

江戸時代の人々は、だるさんを子供の疱瘡除けとして大事にしておりました

七夕

七夕は昔から日本にあった民間信仰+中国から伝わった牽牛(けんぎゅう)と織女(しゅくじょ)の伝説が結びついたものであります

691年の持統天皇の頃からすでに「七夕」というイベントがありました

現在のように短冊に願い事を書いて笹の葉にくっつけるという風習は江戸時代から

庶民の間で行われていたようです

凧あげ

お正月によくやったのが凧あげ

もともとは軍事用に使われていたものでした

最初に凧が日本に伝わったのは平安時代(中国からね)

で、戦国時代の墨子(ぼくし)という人が、急を知らせる手紙などを結んで飛ばすための凧を発明

江戸時代になってから、遊びで行う凧あげが流行したのでした

鷹狩り

戦国武将の趣味として出てくるのは「鷹狩り」

あの徳川家康も「鷹狩り」がダーーーイスキでした

そんな鷹狩り、実は石器時代の頃から行われていました

古墳時代になると鷹匠なんかも出てきちゃうし、昔っから鷹狩りは行われていたんですね〜

ということで、鷹狩りにちなんだ山の名前、日本には結構ありますよね
「鷹ノ巣山」とか、「鷹取山」とか・・・
これは全て鷹狩りが盛んに行われていた山なのであります

タクシー

明治40年にとある会社が、自分のとこの車にお客さんを乗せて料金をとったのがタクシーの始まり

ちゃんとしタクシー会社ができたのは大正元年で、東京に6台だけ

800メートルで60銭(おそばが3銭の時代)だから、かなり高かった

次第にタクシーは増えていきますが、当時のタクシーの運転手はモテモテ

ダブルスーツにハンティング帽で、モダンボーイでした

ちなみに個人タクシーは昭和34年からスタートであります


たい焼き

たい焼きを売り出したのは明治42年のこと

東京で一旗あげようと神戸からやってきた神戸清次郎という方がおりました
当時、今川焼きはもうあったので、何か別の形にしよう・・・と考えたのが「亀」

「亀の子焼き」を作りましたが全く売れません

で、庶民にとてなかなか口にできない高級魚の「鯛(たい)」の形にすることに

そしてリヤカーでたい焼きを売り歩きました

これが大ヒットしたのであります

ちなみに現在も、東京の麻布十番に清次郎が始めた「浪速屋」はありますよ〜

大丈夫(だいじょうぶ)

しょっちゅう使う言葉ですよね〜

この言葉は中国から日本に伝わってきたんですが、「丈夫」というのは成人した男性のことを指していました

丈夫(成人した男性)の中でも、立派な人物のことを「大丈夫」といい、みんな尊敬していたのであります

もともとは「立派な成人男性」のことを「大丈夫」と言っていたんですが、現代では「危なくない」と言った意味に使われるようになったのでした


たいこもち

たいこもちは遊郭から生まれた言葉です

江戸・吉原では遊女のほかに客の機嫌をとり座を盛り上げる男芸者がいました

男芸者は太鼓を叩いたり、鼓を叩いたりして、場をシラケさせないために客に媚を売り、懸命にサービスしたのであります

この男芸者のことを「たいこもち」と呼んでいました

今と違って、昔のたいこもちはホントにプロに徹していたのであります

啖呵(たんか)

胸のすくような歯切れのいい口調で話すことを「啖呵をきる」と言いますが、啖呵(たんか)って何なんだ?というと

ほんとに「痰」のことなのであります

風邪ひいちゃうと、咳と一緒に痰(たん)も絡んじゃいますよね

で、痰がでるとのどがすっきり

ってことで、歯切れのいい胸がすっきりする言い方を「啖呵をきる」というようになったのであります

「啖呵きってきた!!」なんてかっこいいけど、モトをたどるとあんまキレイじゃないですねw

たわけ者

昔の人はよく悪いことをしたら「このたわけ者!!」t怒りました

このたわけは「田を分ける」という言葉からきてます

昔から農家では子供に田畑を分け与えていましたが、代がかわっていくとどんどん田が小さくなってきて食べるものにも困ってきてしまいました

こうしたことから、長男だけが代々伝わる田畑を受け継ぐように

つまり田を分けるということは、馬鹿な人がすることだということで、馬鹿者=たわけ者になったのでした

大学ノート

日本で最初に大学ノートが発売されたのは明治17年

現在の東京大学(その時の名前は東京帝国大学)の近くにある文房具屋さんで売り出しされました

どうやら外国帰りの大学教授が、その文房具屋さんにノートを発売するように行ったとのこと

ちなみに小学生用のノートは明治40年に大阪で売り出しされました

チョコレート

チョコレートが初めて売り出されたのは明治8年のこと。両国にある風月堂で販売しました
漢字で「貯古齢糖」と書いてありました

が、この頃は「チョコレートには牛の血が入ってる!!」と噂され全然売れず・・・

ちなみに初めてチョコレートを食べたのは、明治6年にヨーロッパ使節団として出かけた岩倉具視らであります

茶番

茶番とは江戸時代、芝居小屋でお客さんのためにお茶の用意をする人のこと

そしてこの茶番がサービスで、即興で芝居をするように

これが「茶番狂言」といい、簡単でヘタな芝居のことを茶番と言うようになったのであります

ちやほや

ちやほやの語源は、平安時代からきています

当時、一条天皇の后だった藤原定子ですが、後から権力者・藤原道長の娘である「彰子」が中宮としてやってきました

権力者の娘だけあって、周囲はみーんな定子から彰子へとこびへつらうように

この時、定子が詠んだ歌が
「みな人の 花や蝶やと いそぐ日も わが心をば 君ぞ知りける」

この「花や蝶や」という言葉がどーやらブレイクし、江戸時代になると「蝶よ花よ」という表現が生まれ、さらにこっから変化して「ちやほや」になったとされています

ちちんぷいぷい

子供をあやす時に使う「ちちんぷいぷい」という言葉

これは春日局が使った言葉だそうです

三代将軍家光の乳母として活躍した春日局が、家光をあやす時に「智仁武勇(ちじんぶゆう)」と言ってたのが、庶民に広まる時に「ちちんぷいぷい」として広まったといわれてます

ちんぷんかんぷん

わけわかんないことを「ちんぷんかんぷんだよ〜」と言いますよね

この言葉は江戸時代に使われました

江戸時代、中国語を話す人がいた時、聞いていた江戸っ子達は「ちんぷんかん」と聞こえたようです

ここからよくわかんない事柄のことを「ちんぷんかんぷん」というようになったそうですよ〜

私は今でもニホンゴ以外はちんぷんかんぷんですww

つっけんどん

江戸時代「けんどんそば」というおそば屋さんがありました

ここで使っていた「けんどん」という器におそばを入れていたんですが、けんどんそばだけはお代わりNG
めちゃ安値だったので、店員の愛想もなし

ここから愛想がなく邪険な態度のことを「つっけんどん」と言うようになったのでした

通(つう)

ある分野に関してよく知ってる人のことを「通」と言いますよね〜

でもホントの「通」はすっごーーいんです

「通」は神通力の「通」
つまり超越的な知識や能力のことなのです

例えば「ホクは映画通だよ」というからには、何度も映画を見るのは当たり前で、役者のコトはもとより、どの俳優が何年にどの作品に出たとか、この映画の場所はココだとか、なんでもかんでも知ってる!!・・・・・って、とにかく超人レベルで知ってないと「通」とはいえないのであります

電 話

日本で初めて電話交換が始まったのは明治23年の12月16日

その前にちゃーんと実験が行われました
そのときの掛け声は「おいおい」
今は「もしもし」だけど、最初は「おいおい」だったんですネ〜

でもって、この「おいおい」に対する受け答えは「はい、ようござんす」

うーん。。。。

ちなみに、この頃電話を使っている人はお偉いさんばかり

ってことで、電話番号を持ってるのはお偉いさんだけ

177番は大隈重信 247番は後藤象二郎 158番は渋沢栄一など、番号が三桁だったんですね〜

亭主

一般的に夫のことを亭主といいますが、この亭主って言葉、実は最高ランクの尊敬語

仏典の中にある言葉なんですが、「亭」ってのはめっちゃゴージャスな邸宅のことで、その邸宅の主が「亭主」

女性でも「亭主」と呼ばれることもあるんですね〜

現在では今は夫全般を「亭主」と呼ぶようになっていますが、ゴージャスな家に住んでない人は「亭主」とは呼べないんですかねぇ
庶民はツライ(^^;)

帝王切開

出産方法の一つである帝王切開
昔は、お産中に母親が死んでしまった時だけに、おなかを開いて赤ちゃんを救うという場合のみ使われておりました
もともとは古代エジプトで行われていたそうです

日本で始めて帝王切開が行われたのは幕末

蘭医の伊古田純道(いこだじゅんどう)という人が、埼玉県の33歳の農民女性を帝王切開したそうです
で、この母親は母子ともども健康だったとのこと

てんぷら

てんぷらが日本にやってきたのは戦国時代

キリスト教を伝来するポルトガル人が教えてくれました

ポルトガル語の「テンペロ」(調理とゆー意味)が語源だそーです

さてさて、徳川家康はこのてんぷらなる食べ物を初めて食べた時、あまりのおいしさにモリモリ食べちゃいました
ちなみに「鯛のてんぷら」です

が、食べ過ぎて腹をこわし、死んでしまったんですね〜

鉄火巻き

マグロを入れて海苔巻きにしてある鉄火巻き
この言葉はバクチからきてます

江戸時代、賭博をする場所を「鉄火場」と呼んでました
ここで好んで食べられたのが鉄火巻き

手軽に腹ごしらえができるし、サイコロを振る手にご飯粒がつかないというので人気に

鉄のように張り切った気持ちで火のように熱い勝負をする!!というとこから「鉄火巻き」と呼ばれるようになってきたそーです

ィッシュペーパー

生活に欠かせないティッシュペーパーですが、実はもともと軍事用品として開発されたのです

第一次世界大戦の時、アメリカのキンバリークラーク社は軍から「綿に変わるものを作って欲しい」という依頼を受けました

で、クラーク社が研究に研究を重ねてできたのがティッシュペーパーなのです

ちなみに防毒マスクのフィルターとして使われておりました

で、クラーク社はティッシュペーパーを箱につめて「クリネックス」という名前で発売し始めたのであります

天王山

野球中継などでよく使われる「天王山」

この天王山は京都府山崎町にある天王山からきています

豊臣秀吉と明智光秀の戦い「山崎の課合戦」で、二人は天王山の占領を競いあいました

で、天王山をゲットしたのは豊臣秀吉

これにより勝敗が決定したことから、勝負の分かれ目を「天王山」と言うようになったのであります

てぐすね

「てぐすねを引いて待ってる」って言い方ありますよね

この「てぐすね」の「くすね」とは「薬練」と書きます

松脂を油で煮て練ったもので、昔は弓なんかにぬってました

さらに手にも塗って手を保護してたのであります

とゆーことで、準備万端整えて待ち構えることを「てぐすねを引く」と言うようになったのでした

出歯亀

一昔前、出歯亀といえば「ノゾキ」のこと

これは明治41年に大流行した言葉なのであります

この年、女湯のぞきの常習犯・池田亀太郎が、お風呂帰りの28歳の人妻を襲い殺害し逮捕されました

この25歳で大久保に住んでいた池田亀太郎という植木職人は、驚くほどの出っ歯だったのです

ということで、歯が出てる亀太郎=出歯亀ということに

ここから、ノゾキをする人のことを「出歯亀」というようになったのでした

ちなみに池田亀太郎は無期懲役の判決を受けました

鳥居

神社にある鳥居

さてこの鳥居の「鳥」はというとニワトリのことなんですね〜

むかーしむかし、アマテラスが怒って洞窟の中に閉じこもっちゃいました
世の中は真っ暗闇になり、悪い神様がうようよ

そこで他の神様が試行錯誤してなんとかアマテラスを外に出すことに成功

その時、いっせいにニワトリが「コケコッコー」と鳴いて夜明けをつげたのであります

悪霊に満ちていた夜の闇から明るい朝の日差しを知らせるニワトリの声は、神様の先導役となり、神社の入口にある鳥居となったのでしたっ

土用の丑の日

この日はもちろんウナギ!!

この言葉ができたのは江戸時代

東洋のダビンチと言われている平賀源内が、友達のウナギ屋さんのために、「本日土曜の丑の日」と、デカデカと書いちゃったんですね

これが大人気となり、このお店は大繁盛したようです

ちなみに万葉集に大伴家持が「夏はウナギを食べて健康を維持しようぜ」みたいなことを詠ってます
豆腐

豆腐が日本にやってきたのは平安時代

中国から伝わり、貴族たちは「御壁(おかべ)」と呼びとても貴重なものでした

そのうち貴族からお寺に広まり、鎌倉時代には一般庶民も食べるように

高野聖という僧たちが、豆腐の製造を地方に広めました

ちなみに当時の豆腐は、塩を加えて乾燥させる保存食でした
今のような豆腐は、保存食である必要がなくなってきたため、塩を入れるのをやめてにがりだけで固めるようになったのです

トルコ風呂

は?なにそれ?な人もいるかもしれませんが、トルコ風呂とはいわゆるソープランドのこと

昭和26年に銀座で「東京温泉」というのができました
お風呂に入り、健康増進!というのは建前で、ここでは女性とお風呂に入り色々サービスしてもらう・・・というもの

このお風呂で健康増進サービスというのが、トルコのターキッシュ・バスというのに似てたので「トルコ風呂」と呼ばれるように

が、本家トルコが怒っちゃいました(当たり前だよね・・・)

ということで、トルコ風呂という呼び方は禁止となったのであります

年増

あーんまいいイメージじゃない言葉なんですが(^^;)、年増というと何歳くらいのことを思いますか?

実際、江戸時代では20歳前後を年増と呼んでました

で、30歳前後を「中年増」それ以上いくと「大年増」

現代じゃまだまだ若いのに、昔は平均寿命が短かったんですね〜

泥棒

泥棒の語源は、三河土呂(みかわとろ)の一向宗らが徒党を組んで背いたことから始まります

土呂だったので、「どろ:になり、坊主だったので「ぼう」

これからどろぼうという言葉が生まれました

どさくさ

どさくさに紛れて・・・のどさくさは、佐渡(さど)をひっくり返した言葉であります

というのも、江戸時代に佐渡の金山で働く人が全然足りなかった

幕府は働く人を確保するために博徒狩りを行い、人員を確保したのであります

佐渡金山で働かせるので、サドをひっくり返して「どさ」

語呂をよくするために「くさ」をつけて「どさくさ」となったのでした

土左衛門(どざえもん)

溺死体のことを土左衛門と言いますが、土左衛門は実在の人物なのであります

江戸時代の力士・成瀬川土左衛門は体が大きくぶよぶよしていて、まるで溺死した人に似ていたんです。気の毒ですねぇ

ということで、溺死者がでるたびに「まるで土左衛門みたいだ」と言うようになり、溺死体の代名詞になってしまいました

土壇場(どたんば)

ドタキャンは「どたんばキャンセル」の略ですが、この「ドタンバ」って何かというと・・・

実は、江戸時代斬首刑をする時、罪人は土の壇の上に座らされ、首を刎ねられました

で、前に掘ってある穴にその首がゴロンと落ちるのです

ドタンバとは、土の壇があった場所のことで、ここから切羽詰った場面のことを言うように

ということで、簡単に「ドタキャンしちゃお!」なーんて、江戸時代だったら考えられない言葉の使い方なのでした

とことん

昔、踊りをする時足拍子をつかいました

で、「とことん」は、踊りの最後のキメに使うことがおおかった

ということで、踊りを最初から最後までばっちりキメることを「とことんまでする」と言うようになったのであります

それが現代では、「最後まで徹底的にやる」という意味に使われるようになったのでした