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              合戦アレコレ             


いざ出陣!!!


日本の合戦も参考にしてみてね



兵(足軽)集め

いざ合戦!!となっても、兵士がいなけりゃどーにもならない

応仁の乱の頃は一対一の勝負が主流でしたが、戦国時代に突入すると集団戦となってきました

大人数の方がもちろん強いので、武将たちは兵士を集めるのに奔走しましした

兵の中心となるのは「足軽」と呼ばれる人たち

この人たちは普段はお百姓さんであります

日常は農民として畑を耕しておりますが、合戦となるとかり出される雇われ兵であります

大名は家臣にそれぞれの石高に応じた人数を集めるように命令しました

ノルマを達しないとお殿様に怒られるので、みんな必死で兵を集めるべく走り回りました

兵士として集められるのは、15歳から60歳くらいの人たち

でも40歳以上はだいたい城に集められ、留守番役となります

集めた兵士の人数は、決して敵に漏れてはいけません

そのため、忍者などを要チェックするのであります

こうして集められた兵士は足軽として、めちゃくちゃ簡単な武装で最前線で戦わなければならないのでした






出陣前は禁欲!

合戦前の武将たちには色々なタブーがありました

特に言われていたのが「出陣三日前は女性を近づけてはいけない」というもの

女性に関わってしまうと体力を消耗し、さらに女性に関心を抱きすぎて集中力が無くなってしまう
さらに軍神(いくさがみ)への潔斎を徹底するという目的もありました

この時代は女性は不浄のものという考えがあったので、出陣する武具や甲冑は絶対に女性には触らせませんでした






出陣式


はい、兵集めも無事終わりました

今度は勝利を願って行われる出陣式が始まります

軍師が「陰陽道」などを使って日にちなどを決めます

出陣式の場所は神社か、城の中、それかその門の前で行われます

出陣式の方角も決まっており、東から南に向いて行われました

そしてメインイベントの「三献(さんこん)の儀式」

3つ重ねた盃を置き、その盃の中には打鮑(うちあわび)勝栗(かちくり)昆布が載せられており、その間に置かれた盃に酒をそそぎ、主君が飲み干すというセレモニー

この3つには「打つ!勝つ!喜ぶ!」の意味が込められていました

ちなみに、この3つは消化が悪いため、ちょっと口にするだけ

大将が下痢ピーになったらカッコ悪いもんね

で、盃を飲み干すと、主君が「えい、えい」といい、家臣らが大きな声で「おう!」といいます

ちなみにこの「えいえいおう!」は勝ち戦の後にも言います
これは「勝鬨(かちどき)」といいます

出陣の前に連歌会を催す場合もあります

連歌会を開けば必ず勝つという言い伝えもあったので、この会を開き、出陣連歌を神に奉納しました

有名な連歌会は、明智光秀が本能寺の変を起こす数日前の愛宕で行われた会

光秀が「時は今 天が下しる 五月かな」と詠み、寺の主が「水上まさる 庭の 夏山」と受け、その後、里村という人が「花落ちる 池の流れを せきとめて」と続けました

名目は毛利征伐でしたが、集まっていた人々はこの連歌会で光秀謀反をうすうす気がついたとか・・・







軍神(いくさがみ)

武将たちは日ごろから神仏をとても信じていました

みんな自分が信じる神様に勝利祈願をしていたのです

みんなどのような「神仏」にお願いをしていたのでしょうか??


日本武尊・・・ヤマトタケルのこと

坂上田村麻呂・・・平安時代初期の武将。優等生武士として尊敬されていました

須佐雄命・・・天照大神の弟・スサノオのこと

神功皇后・・・仲哀天皇の奥さん。自らが軍勢を率いて新羅を討伐した女性

摩利支天・・・インドの神様で、月や日の光をつかさどる神様。武田信玄が信じていた

弁財天・・・インドの河川の流れを神格化した技芸の神様

不動明王・・・大日如来の仮の姿

千手観音・・・千本の慈手と慈眼を持っている菩薩





和歌

馬鹿じゃ大将にはなれないこの時代、「教養部門」で大事だったのが茶の湯と和歌でした

和歌は傷ついた心を慰めたりしてくれるものだったそうです

その教養の発表の場は「連歌」

連歌とは、数人の武士が一列に座って順番に歌を詠むもので、前の人が詠んだ歌を次の人が受けて詠むというもの

合戦の前によくやったそうで、連帯感を保つために連歌は大事なイベントとして行われました。

だけどセンスのない武将もいたので、代わりに主君に代わって歌を詠むという商売も出てきました。

ちなみに和歌のセンスが一番あったのは、戦国時代のインテリ男・細川幽斎だそうです






出陣合図

みんな集まれ!!の合図はというと

まず鐘を鳴らすというもの

鐘がなると、田畑で仕事していた人たちも急いで家に帰ってご飯を食べる

そして次

太鼓を鳴らす

太鼓がなると、武具を身に着ける。そして武器は旗指物を準備!

次はほら貝が鳴る

皆一斉に城へ向かう

こうして出陣するのであります







青田刈り

戦前に行われていたのが「青田刈り」というもの

これは敵方の領地へ侵入して、収穫間近の稲を刈り取ってしまうというもの

刈り取るヒマが無い時は、焼き働きといって全部燃やしたりした

こうして敵方の兵糧を少なくさせることによって、士気を弱めるのでした





軍紀

合戦に参加する兵たちの間ではいろんなトラブルが発生する

兵士として育ってきた人たちではなく、駆り出された農民なんかもおり、きちんと規則を決めていないと大変なことになっちゃいます

兵法とか家訓とは違って、その都度内容が変わっています

ここでは、各武将たちがどんな軍紀を作っていたかを紹介

次期や合戦によって内容は違いので、こんな感じだよというのだけを軽く・・・


徳川家康・・・ケンカ・口論は絶対禁止!喧嘩両成敗にする

豊臣秀吉・・・城攻めは決められた人だけがすること

蒲生氏郷・・・合戦中に、途中にある家に勝手に入るな

加藤清正・・・臆病者になるな。戦功には必ず報いるので必死でがんばるように

毛利元就・・・とにかく命令に従え。無視して逃げ出すような奴は処罰する





忠義の美少年たち

上にも書きましたが戦国武将にとって女性はNGでした

出陣の三日前から正室も側室も、とにかく女性を近づけるのはタブー

女性に接すれば、未練を残したり、精力を消耗したりして、戦場での働きに差し支えるからという理由からです

ということで、奥様連中の代わりに色々とお世話をするためつけられるのが小姓

10代前半の美少年で、頭がよく武勇も優れている子供が選ばれます

選ばれた小姓は、主君に対してものすごーーーーい細やかな世話をします

武具の支度から、お客様の接待・髪結い・食事のしたくなど全て小姓の役目

さらにこの時代は男性同士の性関係もごくごく普通だったので、陣中においてセックスの相手もするのでありました





性欲はどうするの?

中級・下級クラスの武士は御陣女郎のもとへ行く人もいました

もちろん陣中は女人禁制なのですが、彼女たちは戦場のはずれのほうで仮小屋を建てて夜の相手をしたのです

が、女郎の中には「九ノ一(女忍者)」が紛れていることも

さらに御陣女郎たちはご飯の支度をしたり、敵の首にお歯黒をしたりということもしてました

ほかに比丘尼という尼さんの格好をした女性もいたりします

さてさて、御陣女郎のもとへ行くことができない最下級の武士たちのアイテムが「勝絵(かちえ)」であります

勝絵とは今でいうエロ本のこと

もちろん堂々と戦場に持っていくことはできないので、具足などにこっそり入れておいたそうです





名誉ある役目

誰もが欲しい名誉が「一番槍」

戦場では先駆けがものすごーく重要な意味を持つのです

戦場への緊迫感や死ぬことへの恐怖の中で、先陣きって勇猛果敢に敵中へ突入することが、武士にとって最高の名誉だったのです

一番槍と同様、名誉ある役だったの「殿(しんがり)」

これは負け戦の時に、最後まで残って味方が逃げるのを助け、敵を交わしながら逃げるという役目

死を覚悟して望む役目なので、忠義があり、そして勇猛でなければできない役目なのでした

そして一番首

これは最初に敵将の首を討ち取った人のことをいいます

本陣へ持ち帰った早さではなく、首を取った時間の早さによって一番首・二番首という順番がつきます

が、戦場は乱れまくっているので、誰が一番か!ともめることもしばしば

ちなみに敵将の首をとるチャンスになかなか恵まれない人のことを「冥加武将」と呼びました





陣形・陣立て

合戦時に軍隊が敷く隊の形や方法を陣形・陣立てといいます

簡単に紹介!


魚鱗の陣・・・敵陣に対して「へ」の形で布陣する陣形

長蛇の陣・・・蛇のように軍勢を一本の棒のように長く布陣する陣形

鶴翼の陣・・・敵陣に対して鶴が羽を大きく広げたように布陣する陣

方円の陣・・・丸い円の陣形


ちなみに戦国時代に多く使われていたのは魚鱗(ぎょりん)と鶴翼(かくよく)であります

ほかにもたーくさんあるんですが、それはまたご自分で調べてみてください〜





合戦中の怪我

戦をするからには、もちろん怪我をするのは当然であります

怪我をすることは「名誉の負傷」と言われ、むしろ武士としての勲章でしたが、実際手当てはどうしていたでしょう??

まず一番多いのが鉄砲傷

弾が入ったところを探り、弾抜きではさんで取り出す

取れない場合は吸盤のようなものを使い、弾が出てくるのを待って玉抜きで取り出しました

次に多いのが槍傷→矢傷→刀傷

こういった傷は、温めた焼酎にひたした木綿で傷口を洗い、ヤシの油を傷口に塗り縫合する

そしてもう一度傷口を焼酎で洗い、木綿の包帯をつけました

こういった怪我の手当てをする人たちのことを「金創医(きんそうい)」と呼びます

いわば、戦場での外科医です

現代は医者といえばエリートだな〜と思いますが、戦国時代の医者は「臆病者」でした

戦うのが怖い〜という人たちが、金創医となってサポートしていたのです




アピールグッズその1 軍旗

屏風絵などに必ず出てくるのが「軍旗」

もともとは敵と味方を間違えないようにということで使われていたんですが、源平時代に兵士が白い旗に「南無阿弥陀仏」と書き、源氏が「八幡大菩薩」と書いたことから、軍旗は自分たちが信じる神の加護を得て、味方を奮い立たせ、敵を威嚇するというものになってきました

有名なのは武田信玄の「風林火山」

武田信玄の軍旗が見えた瞬間、敵方は士気が下がるとまで言われたほど、恐れられていました

上杉謙信は「毘」

謙信が信じる毘沙門天の一字を取りました。その他にも「龍」の一字を入れた軍旗も使用しました

軍旗は自分の家をアピールするものなので、目立つものが多かった

槍一本の功名で、一国一城の主となれる戦国時代、自分の活躍をアピールしなければ目にも留めてもらえない

こうして軍旗は自分をアピールするための最大のアイテムだったのであります

では、各武将の軍旗を紹介

織田信長・・・最初は家紋を使用。が、途中から永楽銭

徳川家康・・・源頼朝を意識して、真っ白無地の旗を用いた。浄土真宗の言葉を書いた軍旗もある

石田三成・・・白地に大一大万大吉。現世利益を願うとてもおめでたい言葉

藤堂高虎・・・長い白地に日の丸が5つ。他にも諸説あり

伊達政宗・・・白地に日の丸 朝鮮出兵の時は、紺色に金の日の丸だった




アピールグッズその2 指物

軍旗のほかに自分をアピールするもの

それが指物

指物とは、具足の背中にセットされている指筒の中に差し込む旗のこと

あまりにも大きいと邪魔なので、自己PRするのに邪魔にならない程度の大きさが用いられました

そしてめいっぱいの工夫をしていました

将棋の駒を書いたり、位牌の形だったり、生首や磔の絵など、様々な指物でみんなアピールしまくっていました






アピールグッズその3 馬印

馬印は、馬に乗れるくらいのレベルの人が持つものです

主人のお供の足軽が持って歩きます

旗というよりも、飾りとしてのイメージの方が強く、戦国末期には大流行しました

だいたい本陣のところに立て、軍旗とともに敵を威嚇するために用いられました

ちなみに色んな武将の馬印を紹介します〜

織田信長・・・金の傘

滝川一益・・・金の3つ団子

豊臣秀吉・・・ひょうたん

徳川家康・・・金の扇に日の丸

柴田勝家・・・金の御幣

佐々成正・・・笠を三つ棒にさすという「三階笠」





小道具たち

采配(さいはい)・・・棒の先に短冊状の布を何枚もつけて、ひらひらさせるもの

軍配は、今でもお相撲さんの行司が持ってるもので、薄い鉄や皮で作られた

また、合戦中は指示したくてもなかなか伝わらない

そんな時に使われるのが陣太鼓や法螺貝

音の出し方によって、指示が違うというサインの役目もしていた






合図・合詞・暗号

合戦中は敵味方入り乱れたり、また忍者などを使ってスパイ活動も活発

ということで、味方だけに伝えるために合図ができました

言葉でいうのが「合詞(あいことば)」

合図としてメジャーなのはのろし

煙を出す感覚や量によって、この時はこーしろよというのを前もって決めておきました

ほら貝は主に攻撃する合図として使われました

合詞は簡単なものが多かった

「だれか?」と聞いたら「224」など数字を使ったりした

「谷」と言ったら「山」は武田信玄の合言葉。山と答えられない人は敵と判断しました

おもしろいのは浅井長政

「南風吹く」といったら「攻撃しろ」という命令で、「北風吹く」と言ったら「引き上げろ」






合戦時の役職

合戦が始まると、チームをまとめるために戦専用の役職がもうけられました

ランク上から順番に紹介しますね



総大将・・・全部をまとめる人。一番偉い人

副大将・・・総大将の補佐役

脇大将・・・上の二人を補佐する人。何度も戦いを経験してきた老人が主にこの役職となる

先手大将・・・先鋒隊の大将

侍大将・・・侍の身分なんだけど、一つの軍を指揮する人

足軽大将・・・弓・鉄砲・槍など足軽の部隊をまとめる人

旗大将・・・軍の旗を管理する人

長柄大将・・・槍を持っている足軽をまとめる人

弓大将・・・弓の足軽をまとめる人


軍師もいますが、軍師は別のところで紹介してます







影武者

大名クラスになると、自分の身代わりがいました

この時代は寝返りや暗殺が日常茶飯事だったので、目をくらますために身代わりが必要でした

影武者の役目は、使える武将になりきること
そしてもちろん、ほかの人にバレてはいけない

ということで、ほとんどの名将が影武者を使っていたようですが、バレちゃいけないのが影武者の存在なので、謎に包まれている部分が多いのであります

ここえは影武者の存在がバレちゃった(笑)人を紹介します


武田信玄・・・影武者といえばこの人。弟の武田信廉や穴山梅雪・長坂閑斎などなど多くの影武者の存在がチラホラ

上杉謙信・・・荒川伊豆守 川中島の時はこの人?という説あり

伊達政宗・・・田村御前 側室の女性が影武者をしていた?

前田利家・・・前田慶次 ちなみに慶次は戦場で「我こそは利家が影武者なり!」と叫んだ。バレバレ(笑)

井伊直政・・・井伊谷政良 自分の兜をかぶせて、敵を追わせた

明智光秀・・・可児才蔵





戦いの方法

テレビや映画でよくみる合戦シーン

これが合戦のメイン!!野戦であります

平地遭遇戦で、敵味方に分かれてバトルするといういたってシンプルな戦い

野戦のポイントはいかに兵力が多いかというもの

戦いが長引けば長引くほど人数が多いほうが有利ですからね

さらに迂回したり、側面をつついたりなどの余裕も生まれる

ほかには山の勾配を利用した「山岳戦」や、織田信長が行った桶狭間の合戦のような「奇襲戦」などがある


ちなみに各武将が得意とした戦いスタイルは・・・


織田信長・・・ハイテク戦 新しいものをどんどん取り入れた

豊臣秀吉・・・兵糧攻めなど、あまり血を流さない戦い

徳川家康・・・犠牲はなるべく少なくという省エネ戦

武田信玄・・・騎馬戦 武田の騎馬隊はめちゃくちゃ強かった

伊達政宗・・・鉄砲騎馬隊

北条早雲・・・知略戦 火牛の計などを使ったこともある








城攻め

城攻めは、攻め側にとってはものすごく大変なことでした

何といっても城側にとっては、ここを奪われたら全てがおしまいなので必死に抵抗するからです

が、攻める側にとっては、城を落とさない限り、完璧な勝利ではないのです

では、どんな攻め方があるのかを紹介


力攻め・・・力を使った攻め方をする。基本的なパターン

火攻め・・・火を使って攻める。忍者を使い、内側から放火させるとか、城に向かって火矢をうちこむなど

水攻め・・・堤防を作り、川をせきとめ城の回りを水浸しにする。秀吉大得意の戦法

兵糧攻め・・・敵の城を完全包囲し、食料や武器の補給をさせなくする作戦

干殺し・・・場内の水を枯渇させる作戦。水源を破壊し、水を一切使えなくする

もぐら攻め・・・トンネルを掘り進んで攻める先方。城の下に爆弾を仕掛け破壊するなどした







お城の中の人たちは?

さてさて、上に書いた城攻めですが、籠城しているお城側の人たちは何をしてたのでしょう??

籠城が長引くと、みんなイライラしてきます

ということで、城の外へ逃れようとする人や、敵方と密かに連絡を取ったりする人などいろんな人が出てきます

城主や重臣などは、そーいった城内の人々をよーくチェックしなければなりませんでした

さらに粗食が続きます

なんせ食べ物を外から持って来れないので、城の中にある数限りある食べ物食べ続けなければなりません

ということで新鮮な食べ物がないためビタミン不足に

病気がちになったり、栄養が足りないためイライラしたり

それに糞尿が溜まるので衛生面も良くない

重臣たちはこのような状況下の中、いかに士気を高めるかに翻弄するのでした





籠城の心得

籠城するにあたって「兵法雄鑑」より心得7つを紹介


1 籠城中の食事は一汁一菜

2 必要がないのに他の人たちのとこに行ってはダメ

3 敵が城に迫ってきた時、何かを掲げたりするのはダメ

4 城の外からやってきた使者をむやみに取り次がないこと

5 矢文が飛んできたら、読まずに大将に届けること

6 縁起の良い悪いを口にしないこと

7 大声NG 歌もNG 


籠城しているお城の中には、城主や一族はもちろん、家臣の家族や領民なども多く入ったので、色々な決まりがあったのでした





海上戦

戦国時代の戦いは主に「陸」で行われていましたが、海上戦もありました

海上戦の主役は「水軍」

もともと水軍は熊野や紀州などに昔からいた「海賊衆」たち

これを戦国武将たちが雇用し、組織化したのが「水軍」であります

有名な水軍は九鬼水軍や村上水軍など

そして水軍を上手に扱ったのが加藤嘉明・長宗我部元親・藤堂高虎で、「水軍大名」とまで言われた






首実検

勝利したチームが行うのが首実検

まさに武将たちの晴れ舞台でした

合戦中に倒した相手の首を切り取り、その首に化粧を施し、首台という板の上にのせて皆で一覧するのであります

首にももちろんランクがあり、えらい人の首を討ち取った人がもちろんヒーロー
ちなみに戦ってやっつけた相手の首じゃないとダメで、逃げている途中の敵の首(追い首)を討ち取るのは、いかに偉い人の首でも評価が低かった

討ち取っった首を水で洗い、ボサボサになった髪の毛を整え、そして顔に白粉をはたいて口には紅をさします
お偉いさんにはお歯黒もします
これは女性の仕事でした

そして化粧を終えた後の首を首台にのせますが、これは身分の高い人によって板の大きさなどが違いました
足軽なんかはヒトツのところにまとめて置かれた

首には木の札がぶら下がっており、○○が討ち取った○○の首と書いてありますが、この木の札さえもランクがあり、大将クラスになると桑の木。そこそこのランクの家臣は杉とか椿の木でした

そしてみんなの前で誰が誰の首を取った!と報告するのであります

この場が武将たちにとって最高のアピールポイントなのでした

さてさて、首実検終了後はこれまたお偉いさんは綺麗に首桶に入れられて送り返しましたが、足軽なんかはそのへんに捨てられてしまいました

死んだ後の扱いも身分によって全然違うんですねぇ

ちなみに名前も知られてないどーでもいい武士のことを「葉武者」といいます




いつ恩賞をもらえるの?

メインイベントの首実験が終わり、「恩賞」をもらえるのを楽しみにしている武士たち

よくテレビなんかで首実験中に大将から刀や槍をもらったりというのがありますが、現実はそーいったのはほとんどなかったようです
ほとんど無かったため、珍しいからみんなの記憶に残り、それが書物に書かれたようですよ〜

では、実際はどうだったのか?というと、とりあえず「感状」という書類をもらい、そこにアレコレと書いてあったそうです

金品や領地・穀物なんかをあげますというのが書いてあったり、中には「お褒めの言葉」だけのものも

が、この感状は、履歴書代わりとなり、他の大名に仕える時に「ボクは○○殿からこのよーな感状をもらったことがあります!」と見せることができたのでした

ちなみに穀物などを支給するという恩賞の場合、その年の収穫が大きく左右します
さらにもらうのを待っている間に大将が死んだり変わったりすることもあったりしたので、結局なーんにも貰えなかった!というパターンもありました