戦国ぐるめ             


戦国時代の人々はどんなものを食べていたのか?




酒!酒!酒!

戦国武将にとって欠かせないのがお酒!

が、どの家でもお酒についてはアレコレといろんなお約束があったりしました

それだけ男をダメにしちゃうものでもあったのです

当時のお酒は今のような澄んでいるお酒ではなく、濁っていました。「どぶろく」です

濁り酒を袋でこして作る「すみ酒」というのもありましたが、飲めるのはセレブだけ

お酒タイムは夜だけではなく、朝も昼もいつでも飲んでいました

ということで、お酒は戦国時代を語るに欠かせないアイテムなのであります

酒好きといってまず出てくるのが上杉謙信

かなりの酒豪でしたが、いっくら飲んでも礼儀正しかったようですが、晩年になるとどうやらアル中になったらしい

加藤清正もかなりの大酒飲みでしたが、酒で乱れたことはありませんでした

ちなみに清正のニックネームは「トラ」 なぜかいつの間にか手に負えない酔っ払いを「トラ」と呼ぶようになりましたが、当本人はいたって礼儀正しい大酒飲みでした

毛利元就はほとんどお酒を飲みませんでした

なぜか?というと、おじいちゃん・お父さん・おにいちゃんはみーんなお酒を飲みすぎて早死にしたからです

ということで元就は禁酒を家訓にまでしちゃいました







お食事のマナー

戦国時代は食事の作法がこと細かくありました

数々のマナーをピックアップしてみましょう

・お客さんの家でお酒を出された時、全然飲まないというのはマナー違反

・また高価な魚が出た場合、真っ先に手をつけないこと。食べたいのを我慢して、1・2回ちょこちょこっと箸をつけるだけ

・お米はお箸ですくい、左の手のひらにのせて食べる!

・お客さんが米に汁モノをかけるときは、これ以上はいりませんヨというサイン

・器の飯は真ん中から食べる

・湯漬けの場合は端っこから食べてもいい

・お客様用の食事の時、梅干やしょうがなどは小鉢に入れて出す

・主人に合わせて食べる。早食いはダメ

・目上の人がお箸をとってから、自分もお箸を持つ






日の丸弁当第一号??

今でいう日の丸弁当(ご飯の中に梅干一個)がスキだったのは上杉謙信と言われています

上杉謙信はお酒大好き!

お酒のつまみは梅干が大好きでした

そんな謙信が持ち歩いていたのが、杉などの薄い枝を曲げて作ったお弁当箱にご飯を入れて、梅干を添えていたというもの

この頃はご飯の添え物は「焼き味噌」が多かったのに、あえて梅干だった謙信でした






最高のご馳走は?

最高のご馳走と言われていたのは「雉子(きじ)」

特に鷹狩りの時に捕らえた雉子は「鷹の鳥」と呼ばれ、お客様をもてなす時の最高のご馳走でした

第二位の鳥は鶴 そして三位は雁でした

お魚の最高級は鮭

姿も味もOKということでとても好まれました

鮭の血は活力増進剤として飲むことも

さらに中国の言い伝えで黄河の急流を登ってきた鮭は龍になるというものがあり、神秘的な魚であるという説もあります






ご飯は一日何食?

戦国時代は一日二食でした

朝八時にご飯を食べ、お昼は二時ごろ

そして夜なナシであります

夜は真っ暗になっちゃうので、みーんな早めに寝ていたからです






主食は?

主食は玄米や赤米・黒米

お釜で炊いたものを「姫飯(ひめいい)」と言います

ちなみに一日五合くらい食べます

せいろうを使って蒸したものは「強飯(こわいい)」

強飯をお日様にあて、乾燥させたものが「干飯(ほしいい)」

この干飯は合戦の時に持って行く兵糧として使われ、そのままよーくかんで食べてもOKだったし、お水に浸してフニャフニャにさせて食べるのもOK

ちなみに白いお米は大名や公家しか食べられません

農民たちには手の届かないモノでした

ちなみに石田三成は朝夕雑炊のことが多かった





おかずは?

おかずは野菜の煮物・納豆・梅干・海苔・かまぼこなどなど

魚や鳥肉はめったに食べれませんでした

武将たちは激しい運動をしていたため、塩辛い味付けがお好み

汁物は糠味噌汁

大豆は馬の肥料として貴重だったので、糠味噌がほとんどだった

大豆味噌はなかなか手に入らなかった





お餅も人気

お城で仕事する事務系の人たちに人気だったのがお餅

まずお餅はトイレが遠くなるということ

ということで、お仕事に身が入る!

さらに腹持ちもいい。一日二食の時代なので、おなかが空いてたら仕事に集中できない

ということで、お餅は内勤の人たちに人気の主食でした





大名の好物


織田信長・・・早食いの信長が大好きなのは湯漬け♪今で言うお茶漬けです。また味は辛めのが好きでした

徳川家康・・・美食・暴飲・暴食が嫌い。健康志向だったので麦飯・焼味噌を食べてました。

上杉謙信・・・モト坊さんだけあって粗食。食事は一汁一菜でしたが、合戦前だけはありったけの食材で家臣らに大盤振る舞いしました。またすごいお酒好き。毎日ドンブリでお酒を飲んでました。酒の肴は梅干。

伊達政宗・・・料理に対する考え方はプロ並み。粗食でもさりげない置き方とかにこだわりました。

豊臣秀吉・・・珍味大好き!豪華な食事大好き!の秀吉でしたが、ふだんは麦飯が好きだったらしい。

北条早雲・・・88歳まで生きた早雲は、老人になっても歯も抜けないくらい超健康。そんな早雲の食生活は旬の山菜をたんまり入れた味噌汁。梅干も毎日欠かしませんでした。

斉藤道三・・・モト油売りだけあって、油を使った料理をよく口にしてました




南蛮風食べ物

南蛮貿易によって数々の食べ物が日本へやってきました

宣教師は武将たちに珍味としてプレゼントしたりしました

ルイス・フロイスは織田信長に会う時、金平糖をプレゼントしました

信長が一番気に入ったのはバターやビスケットだったそうです

南蛮貿易によって大きく日本の食生活が変わったのは「砂糖」と「油」が使われた食事が出てきたこと

以後、砂糖の輸入が増え、長飴などが作られるように

油で揚げたてんぷらが登場するのもこの時代です

とはいっても、このような食べ物が食べられるのはセレブだけでしたけどね





合戦前の食事

普段は玄米しか食べてない兵士たち

が!!合戦前の準備期間だけはものすごーーーいご馳走を食べることができました

「腹が減っては戦ができぬ」という言葉があるように、大名たちは集まってきた兵士たちの士気を高める為に普段ほとんど食べれない「米」を食べさせ、魚や雉子料理・干し貝など、いつもなら口にできないような食事を食べさせてあげました

そしてみんなおなか一杯食べ、体力をつけてから合戦い挑むのであります





合戦中の食事

合戦前はご馳走三昧だった兵士たち

が、いざ合戦となるとこれまでのような夢のようなお食事は一切なし

だいたい3・4日分の兵糧を一人づつ支給されました

内容は米六合・塩と味噌少々・水一升

短期の合戦の場合は、腰兵糧と呼ばれるものを各自持参

中身は握り飯と干飯・そして味噌であります