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              すごい戦国人             


色んな「すごさ」を持った戦国の人を紹介!




戦国料理人 坪内某

坪内某は、三好長慶に仕えていた料理人でした

が、三好家が織田信長に滅ぼされてしまいました

残された坪内某を、信長の家臣は「あいつは料理の作法とかもよく知っていますぞ。家来にしてはどうですか??」と言ったのです

信長は「そうだな。じゃ明日の朝食を作らせろ、それから決める!」と言ったのです


翌朝、坪内某が料理を作り信長の前へ持ってきました

信長は一口食べると・・・

「なんじゃこりゃ!こんな水っぽいもん食えるか!まずい!殺せ!」と怒鳴りました


すると坪内某は「申し訳ありません。もう一度作らせてください。それでもダメなら切腹いたします」と言ったのです


さて翌朝、坪内はまたも料理を作って信長の前へ

信長今度はおいしかったらしく「うん。うまい!採用じゃ」とご機嫌


すると坪内某が

「それは良かった。昨日の料理は三好家の味付けでございます。三好家は五代にわたって朝廷に仕えておりましたので、好みも高貴な一流の味付けでございました。昨日その料理を作ったんですがお気に召さなかったようでございますね。ちなみに本日は、野蛮な田舎風に作ってみました。お気に召していただいてよかったです」と言ったのです

これを聞いた信長は、ここまで言い切った坪内某をある意味気に入ったらしく、やはり召抱えたようです

あの信長に対して臆することなく料理人としての気概を貫いたってのは、まさに一流の料理人ですね〜







有田焼の祖・金ヶ江参兵衛

金ヶ江参兵衛という男・ある意味、拉致された人であります

というのも、秀吉による朝鮮出兵の時、秀吉が鍋島直茂に「朝鮮に行った時、優れた陶芸家がいたら連れて帰って来い!」と言ったのであります

鍋島直茂は命令どおり、李参平という男を捕虜として日本へ連れて帰りました

これが金ヶ江参兵衛なのです

参兵衛は磁器の原材料である磁鉱床を探すため、 備前の国を調査しまくりました

そしてと現在の上有田駅に近い場所に、質のいい磁鉱床を発見したのであります

こうして参兵衛の高度な技術の導入により、有田はたちまち磁器で有名な場所になってきました


ちなみにこの作り方はぜーーーーったいに秘密で、各行程をすべて分けてやっていたので、働いている人たちにも全ての作り方はわからなかった

さらに、ここで仕事する人はめちゃくちゃ重労働で、脱出するとすぐに首を斬られたのであります


しっかし、李参平という人も、考えてみるといきなり日本が朝鮮にやってきて、でもって捕虜として連れていかれ、磁器の製法を無理やり教えさせられ・・・

大変な人ですね・・・







あの家康に逆らった!藤堂仁右衛門

藤堂仁右衛門は藤堂高虎の甥っ子です

仁右衛門は関が原の合戦の時、東軍として戦っておりました
つかれたので、水を飲もうと川へ降りていった時、なにやら人の気配が・・・

「何者だ!」と言うと、そこへ出てきたのが湯浅五助でした
湯浅五助は西軍の大谷吉継の重臣
仁右衛門はこれはラッキー!と、すぐさま討ち取ろうとしました

すると湯浅五助が
「貴殿を見込んでお願いがある!実は今、ワシは主君・大谷吉継の首を埋めているところである。主人の容貌はご存知の通り醜く変わり果てておる。この首を掘り出されて天下に晒されては、家臣として耐え難い悲しみである。お願いだ。どうかこの場所は他言しないでほしい。ワシの願いを聞き入れてくれれば、喜んでワシの首を差し出そう」

この五郎の言葉に心打たれた仁右衛門
「あいわかった。神に誓って他言せぬ」と約束したのです

こうして五助の首を討ち取った仁右衛門

さて、首実験のときに家康は「大谷吉継の首を探し出せ」と命令した
そこで吉継の重臣・湯浅五助を討ち取った仁右衛門に「何か知っていることはないか?」と尋ねたのです

仁右衛門  「実は、吉継殿の首のありかを知っておりまする」

家康  「ほう。そうか!よし!ではすぐに吉継の首を持ってまいれ!」

仁右衛門 「いえ、それはできませぬ」

家康 「なんだと?」

仁右衛門 「それがしは討ち取った五助殿と約束を致しました。吉継殿の首のありかは教えぬと誓ったのであります。もうしわけございませぬが、教えられませぬ」

家康 「どうしても教えられぬのか?」

仁右衛門 「はい、成敗されても教えることはできませぬ。」

家康 「よし。この男を成敗しろ」

すると仁右衛門は、すぐさま頭をたれて首を出したのです

その姿をにらみつけた家康
が、しばらくたってから「仁右衛門、その心意気、忘れてはならぬぞ」と言い、仁右衛門に槍を与えたのでした






白米伝説の男・貞秀氏

貞秀氏は滋賀県にある音羽城という山城に居を構えていました

ここを攻めてきたのが細川政元の家臣

細川軍は、「音羽城は山にあるから水がないぜ。水がなくなった時を狙おうぜ」と計画

そしてそのとーり、ずっと籠城している間に、音羽城の水は無くなってきてしまったのです

ここで貞秀氏は考えた

敵側に見える場所に馬をずらっと並べ、裸の男たちに白米をかけさせ、馬を洗うしぐさをしたのであります

遠目からみたら白米が水に見えた細川軍

「え?馬を洗うくらい水があんの?こりゃダメだ」と思い、退却したのでありました


ちなみにその後、貞秀氏は攻めに転じて見事勝利したそうです






織田信長を刺した男!?安田作兵衛

安田作兵衛は色々と謎の多い人であります

いろんな書物にチョコチョコ出てきますが、実際いつ死んだか?いつ生まれたか?などなどが不明

が!この人すっごいコトをしでかしてた人なんですねぇ

一般的に織田信長は明智光秀に襲われ、本能寺で自害したことになっておりますが、ちょーどその頃安田作兵衛は光秀の家臣で、本能寺へ行ったのであります

そして槍を持って戦っている信長のわき腹を斬ったのがこのお人(・・・と、言われている)なのであります

さらに作兵衛は、本能寺のあと、蒲生氏郷に仕え、さらには立花道雪に仕え、さらにさらに寺沢広高に仕えたとなっておるのであります

ホントかどうかは謎ですが、どうやら作兵衛が本能寺で信長を最初に斬りつけたのはホントらしいです

あの信長を斬りつけるとは、すごいお人ですねっ





信長家臣・黒人のヤスケ

ある日、宣教師ヴァリヤーノが信長のもとにやってきました

その時、ヴァリヤーノが連れていたのが黒人奴隷のヤスケ

信長はヤスケを見てビックリ仰天!「なぜあいつは黒いのだ??」と、驚きまくり、なんと寒空の中、信長の目の前で水桶を持ってきて体をゴシゴシ洗ったのです

が、もちろん黒さは取れるはずがない

信長はこの珍しい黒人にとても興味を持ち、ヴァリヤーノに「譲ってくれ!」と頼んだのであります

ヴァリヤーノは「黒人奴隷はエライ人しかもてないんだよな。けど、信長だから、ま・いっか!」と、ヤスケを信長に譲ったのでした

年は27歳前後で真っ黒で牛のようにたくましいヤスケは、街中の評判になりました

どうやら本能寺の変の時も一緒にいて明智光秀軍と戦ったらしい

その後、光秀軍の捕虜になるも、光秀は「ヤスケはわけわかんないまま戦っただけだから、釈放してやろう」
と、晴れて自由の身に

が、それからのヤスケの消息は不明であります






秀吉の恩人!?松下之綱

まだ豊臣秀吉がビンボー時代の頃、松下家に仕えました

之綱は賢い秀吉をとっても気に入り、金銀の出納責任者に抜擢しました

が、同僚たちが秀吉の出世をねたみ、イジワルばかりするように

コレを見ていた之綱は秀吉が気の毒になり、退職金を多めにあげて秀吉を首にしたのであります

その後、秀吉は天下に向けてぐんぐんと出世していきます

その頃、之綱は今川家の武将となっていましたが、今川家が滅亡してしまったため細々と暮らしていました

それを知った秀吉は、昔の恩を返す時だと之綱に三千石を与えました

秀吉が天下統一を成し遂げた頃には、なんと一万六千石を与えたのであります




せめてオレだけでも!真柄直隆

姉川の合戦の時に活躍した人であります

この戦いは浅井・朝倉連合軍が負けてしまい、朝倉勢は負けがわかると皆逃げていきました

その中で、直隆だけが敗走していく味方に目もくれずに、ひたすら徳川勢をなぎ倒していったのです

もはや負け確定だというのに、ひたすら戦い続ける姿を見て徳川勢は驚きました

徳川方が5人ほどまとめて直隆に襲い掛かり、とうとう直隆は討ち取られてしまいましたが、朝倉勢にもこーいった果敢な人がいたかと思うと、ちょっとホッとします






あの信長にブレーン!?沢彦(策彦)

織田信長にはブレーンがいない・・・というのが通説ですが、実は一人だけ「このひとならブレーンとしての活躍をしてたんじゃないか?」という人がおります

それが沢彦というお坊さん

あまりメジャーな人じゃないんですが、(なんせ信長が濃すぎるんで)このお方のブレーンとしての役割をちょこっと紹介しましょう

その前に、まず沢彦がどうやって信長と知り合ったか?について

信長の守役・平手政長が信長を諫める為に自害してしまいました
さすがの信長もこれはショックだったらしく、政秀のためにお寺を建てたのです
このお寺にやってきた高僧が沢彦だったのでした

信長は政秀の菩提を弔いつつ寺に行くたびに沢彦に色々な話を聞きました

そして沢彦は信長に「天下布武」の思想を教えたのです

天下布武とは「天下を武力でゲットすること」です
あの有名な言葉はこの沢彦が信長に教えたのでした

さらに信長の拠点の名前を考えたのも沢彦

そうです。「岐阜」であります

信長は「新しい拠点の名前何がいい?」と沢彦に相談し、沢彦は「昔の中国で、悪い王様をやっつけて民衆の為に良い政治をした周王という人がいた。この周王がいた土地が岐山のふもとでした。なので、岐阜・岐山・岐陽のうちのどれかがいいでしょう。ま。語呂がいいので岐阜がいいのでは?」と答えました

そんな沢彦の素性はイマイチわかっていません

ただ、信長の進むべき道しるべを作る手伝いをしたのは、間違いなくこの人なのであります