戦国武将逸話集             




あいうえお順


明智光秀 浅井長政
今川義元 石田三成
上杉謙信 上杉景勝 宇喜多秀家 宇喜多直家
織田信長
加藤嘉明 加藤清正 蒲生氏郷
木村重成 吉川元春
黒田官兵衛
斎藤道三 榊原康政 真田幸村
柴田勝家
武田信玄 竹中半兵衛 武田勝頼 立花道雪
豊臣秀吉 徳川家康
直江兼続
福島正則
本田正信 本多忠勝 北条氏康 細川幽斎
前田利家 前田慶二郎
毛利元就 森蘭丸 森長可
山中鹿之助 山本勘助
結城秀康






明智光秀

光秀の妻・熙子の内助の功

光秀がまだ貧乏時代の頃、友人が家に遊びに来ることに
が、光秀の家にはお金がないのでとてもじゃないけどまともな料理を出すことができない
悩み続ける光秀
が、とうとうその日が来てしまった

暗い顔で家に帰ってきた光秀
家にはいってビックリ!
そこには素晴らしいお料理が並んでいたのです
友人たちはとても喜び、楽しい宴が開けました
皆が帰った後光秀は「なぜこのような料理を用意できたのだ?」と妻の熙子にたずねました

熙子が頭に覆っていた手ぬぐいをはずすと、美しかった髪の毛がばっさりと切られていました
そうです。熙子は当時の女性の命である髪を売り、お金を作ったのです
光秀はこの熙子の気持ちに涙し、いつまでも熙子を大事にしたのでした


光秀 大黒様を拾う

まだ光秀が若い頃、大黒様の木像を拾った
縁起がいいなぁ〜と、光秀は家に持ち帰り友人に見せた
その友人が「へぇー!すごいなぁ。大黒様は千人の上に立つ神様だから大事にしろよ」と言った
すると光秀「フーン。たった千人か。千人の上にしか立てないならいらないや」と、大黒様をその友人にあげてしまったのでした







浅井長政

長政 愛妻お市の方に裏切られる

織田信長が朝倉攻めをした時、朝倉と仲良しだった浅井長政は義兄である信長を裏切ることを決意!
これを知った信長の妹であり、長政の妻であるお市の方は、袋の中に小豆を入れ、両端をヒモでしばり信長のもとへ送ります
つまり、「両方縛られてますよ〜。小豆は信長軍のことで、敵に挟まれてますよ」という意味
長政の裏切りを知った信長は、すぐさま撤退するのでした







石田三成

季節はずれの果物

ある時、毛利輝元から豊臣秀吉にものすごく立派な桃が届いた
この季節に桃など珍しく、秀吉は大喜びするはず・・・だった
が、三成は「この時期に大変珍しいものなので、秀吉様はとても喜ぶでありましょう。が、季節はずれのものを食べて病気になっては大変です」と、桃を送り返してしまった
このエピソードは主君に対する三成の気配りを伝えるものであります


大谷吉継との友情逸話

有名な逸話であります
秀吉は茶会がダイスキで、よく武将たちを集めて茶会を開いていました
その中に大谷吉継が参加

が、この時の吉継はらい病を患い、顔中の皮膚は解け落ちそうで包帯を巻いて出席
さて、茶会が始まり秀吉がたてたお茶を、みんなで少しづつ回し飲みしていました
吉継の番になると、なんと吉継の膿(鼻水という説もあり)が茶碗にポトリと落ちてしまったのです

次の小西行長はそれを見て一瞬手が止まりました

もちろん、その茶席にいた人々も気がつき座がシーンとしたのです

すると三成がその茶碗をさっととり、ごくごく飲み干したのです
そして「いやいや、上手い茶であった」と言ったのでした

これにより吉継は「三成のためなら死んでもいい」と思ったのでした






今川義元

ほんとはいい男??

義元の容姿といえば、顔は白粉で真っ白。でもって歯はお歯黒べったり
さらには馬にも乗れないくらいデブ・・・といった義元像が出来上がってますが、実はコレ後の人たちが語ったものだという説が浮上!
やっぱ今川家を戦国を代表とする強い家にしたてあげただけあって、容貌はもっとカッコよかったとか






上杉謙信

家臣の亡霊に悩まされた!?

上杉家に仕えていた柿崎景家
景家は猛将で、常に上杉軍の先鋒として活躍していました

が、景家に謀反があるという信長の謀略にひっかかった謙信
景家を殺してしまったそうです

そんな謙信は死ぬ前、無実を訴える景家の亡霊に悩まされたと言われております


敵に塩を送る・・・の美談

謙信のライバル・武田信玄の領地は海がないため、駿府や相模から塩を買っていました
が、駿府の今川家と信玄がケンカ
怒った今川は、相模の北条と相談して「あいつのとこに塩を送るのやめようぜ!」と、塩止め作戦をスタートさせたのです

それを聞いた謙信は「信玄と争うのは弓矢である。米や塩などがなくては民が気の毒である」と、信玄のところに塩を送ったのです
まさに「敵に塩を送る」なのでした

※が!これは美談であって、ホントのところはただたんに「商売」のため。というのも、謙信のいる越後の塩はずっと前から信州の松本にも送られていた。ということで、謙信は塩止めをせず、そのまんまフツーに商売をしていたのであります





上杉景勝

笑顔が怖い!!景勝スマイル

景勝は笑ったことがない人で有名
ある日、猿まわしを見たときに思わずクスリと笑ったらしい
が!!!その笑った顔に家臣たちがかなり怖がったという


景勝 無言で杖を振り上げる

ある日景勝が富士川で船に乗りました
するとお供が多すぎたらしく、船が沈みそうに
すると景勝がさっと杖を振り上げた
それを見たお供の人たちがワラワラと川に飛び込みました
よっぽど怖かったらしい


まるで幽霊行列!?景勝の上洛スタイル

色んな大名が江戸城へ登城しますが、景勝の上洛スタイルはめちゃくちゃ怖かった
とゆーのも、誰一人喋っていない
咳なんかもNG
足音だけがするというおっそろしい一行なのでした





宇喜多秀家

秀家ぶちきれる!!が、家臣に止められる

関ヶ原の合戦で一めちゃくちゃ頑張って戦ったのがこの人!
が、小早川秀秋の裏切りにより西軍は全滅
秀秋の裏切りを知った秀家は、「くそーーー!あのバカ!!こうなったらあいつだけでもぶっ殺してやる!」と、一人敵陣に突っ込もうとした
それを何とか押しとどめたのが家臣の明石全登だったのでした

秀家 八丈島流人第一号となる

関ヶ原で負けてしまった秀家





宇喜多直家

直家、一緒に死んでくれる人募集

とうとう直家も病気になり、床に臥せってしまった
その時家臣たちに「誰かワシと一緒に殉死してくれないか?」と聞きました
すると家臣たちが「われわれは、殿が亡き後の秀家様を守っていかなければなりません。もしお供がほしいのであれば国中の僧を集めましょう」と言いました
これにより直家は一緒に死んでくれる人を諦めたようです






織田信長

家臣ドン引き 頭蓋骨で祝い酒


浅井・朝倉を滅亡させた翌年の正月
祝いの席で信長は、浅井久政・長政・朝倉義景の頭蓋骨に金箔を塗って宴の席に飾りました
そして長政の頭蓋骨から杯を作り、酒を入れて飲んだのです
これにはその場にいた家臣らも驚きを隠せなかったそうです


信長が呼ぶと100人が返事する?

家臣たちはみーんな信長のことを怖がっていたというエピソード

ルイス・フロイス談によると、信長がちょっと手をあげただけで、家臣たちはササっとすばやく立ち退き、信長が「誰か」とささやけば、部屋の外にいる100人以上の家臣がみんな一斉に返事をしたらしい

ちなみに信長の声は、かん高いとルイス・フロイスは言っていた


初めて見た黒人をゴシゴシ洗った信長

宣教師ヴァリヤーノが連れてきた黒人を見て超ビックリした信長
寒い中、裸にしゴシゴシと洗った
が、洗えば洗うほど黒い肌は輝きを増し、信長はその黒人を気に入ってしまった
ヴァリヤーノから貰いうけ、ヤスケという名前をつけて従えるようになった
ちなみに本能寺の変の時もヤスケはいた






加藤清正

清正の不思議な予言


清正といえば熊本城!
ということでこのお城に清正はイチョウの木を植えました
その時に清正が「このイチョウの木が大きくなった頃、兵乱が起きるかもしれないな」とつぶやきました
その予言は見事的中!
何百年も後になりますが、イチョウの木が大きくなった頃、幕末のヒーロー西郷隆盛が挙兵し、熊本城は戦場となったのでした・・・・





加藤嘉明

家臣ビックリ!嘉明の皿割り事件


嘉明には宝物がありました。
それは南京の陶器である10枚そろった「手塩皿」
大事なお客さんが来る時は、いつもこの手塩皿でもてなししていました

ところがある日、側近の若者が誤って皿を一枚割ってしまったのです
若者は青くなり、打ち首になるだろうと死を覚悟しました

すると嘉明、残りの9枚を持ちながらボーっとしていると思うと、なんと一枚一枚バリバリと割り始めたのです

若者は「ええっ!」とビックリ

すると嘉明「9枚残しておくと、この皿を出すたびにお前は仲間から白い目で見られる。だったら全て無くしてしまえばいいのだ」と笑ったそうです





蒲生氏郷

織田信長衝撃発言!「あいつはビックになる」

信長は武勇伝を毎晩家臣たちにペラペラと話をしていました
が、聞いているほうは毎晩のことなので眠くてしかたありませんでした
そんな中で一人だけ目をキラキラさせながら信長の話を聞いていたのが氏郷だったのです

信長は何度も同じ話をしたんですが、氏郷はその話の内容も覚えていて
「それは違います。こないだは○○ではありませんでしたか?」と指摘

信長は「あいつはいつか大物になるな〜」と言ったそうです





木村重成

家康 涙!?キムシゲの死

大阪城のトップアイドル・木村重成(略してキムシゲ)
大阪の陣で討ち取られてしまいました
重成の首は家康のところに届けられましたが、重成の髪の毛から高級な香の匂いが漂っていました
家康は「まこと惜しき若者を失った」と涙したそうです

ちなみに、重成討死のニュースを聞いた大阪城の女性たちも、みんな泣きまくったそうです






吉川元春

あえてブスと結婚しました♪

毛利家の切り込み隊長的存在だった元春
元春は結婚するってお年頃になった時に「熊谷信直の娘を貰いたい」と言いました
元就はじめみんなビックリ!熊谷信直の娘といえば「ブス」として超有名人だったのです。
いったい何を考えとんじゃ?と元就が元春に尋ねると

「昔から美女に溺れて国を傾けちゃう人が沢山いるでしょ?俺はそんなふうにはなりたくないし、誰も貰い手のないブスを嫁にもらえば熊谷信直は喜びますぜ?そして恩義を感じ、戦の時によく働いてくれるでしょう」と答えたのです

そして元春は信直の娘を貰い、信直は感激してその後戦において活躍するのでした





黒田官兵衛

あんなに活躍したのに・・・・秀吉は官兵衛が嫌いだった

豊臣の軍師として竹中半兵衛とともに大活躍していた官兵衛
が、所領はたった12万石
他の人たちが秀吉に「もう少し上げたほうがいいいのでは??」と言ったところ、秀吉は
「あやつに多くの領地をあげると、何をしでかすかわからない」と言ったそうです


官兵衛 息子にイヤミ

関ヶ原の戦いで大活躍した息子の黒田長政
実は官兵衛、この戦いは長引くと思っていた
手始めに九州を制圧し、いずれ天下をとるつもりだった・・・
が、関ヶ原の合戦はわずか1日で勝敗がついてしまい、しかも大活躍したのが息子の長政
パパのところに戻ってきた長政は「家康殿が私の手を握って、私の功労を褒めてくれたんです!」と自慢
するとパパ・官兵衛「ふ〜ん。で?その時お前の片方の手は何をしていたのだ?」と言ったのです

意味はですね、片方の手で家康と握手したけど、なぜもう片方の手で家康を殺さなかったのか?ということ


官兵衛 バカになる

官兵衛も年とってきました
するとすごくイヤなじーさんに

家臣たちも心の中では「やんなっちゃうよあのクソジジィ」とブチブチ
息子・長政はパパに「父上、あまり勝手を申されると、家臣たちが困ります」と言いました
すると官兵衛
「このバカ。言っておくがお前のためにやってるんだ。ワシのよーな優れた者の跡継ぎがお前だぞ??ワシがここでわがままじーさんになれば、皆ワシが死んだ後「やっと死んでくれたよ。これからは長政殿に忠誠を誓おう」と思うだろ??」

さすが軍師!!


官兵衛 少年を諭す

官兵衛の草履取りになった竜若という少年はものすごいいたずらっ子
とうとう官兵衛は、竜若を柱に縛り付けました
が、一時間後、官兵衛は竜若に隣村までお使いに行かせました
「許してもらえた♪」と思っていた竜若
が、官兵衛は用事がすんだ竜若をまたも柱に縛り付けました

3日間、それをずーーーーっと繰り返していると、竜若は言いつけられた用事を喜んでするようになり、しかも仕事も丁寧になっていきました

官兵衛は
「どうだ?用がなくてじっとしているのと、用があって動き回っているのとどっちがいいか?」

竜若は黙り込んでいると
「いいか?人はな、用がないのが一番つらいんだぞ。お前もいたずらばかりしていると、またこのような目にあうぞ。そうならぬよう、これからはきちんといたせよ」


酒一樽より、葉っぱがいい

休日中の官兵衛のもとに、家臣からいろんなプレゼントが届きました
五百石の家臣が超高級のお酒を一樽届けてきた
みんな「すげーー」と感心していると、二千石の家臣が手作りの菜の惣菜を少々届けてきた
みんな「二千石のくせにケチくさいヤツだな」と笑った

すると官兵衛
「小身のくせに酒一樽とは、身の程知らずの見栄っ張りじゃ。それに引き換え手作り惣菜とは、真心を感じるのう」と言った







斎藤道三

道三、娘(帰蝶)を褒める

道三が一番可愛がっていた娘が帰蝶。織田信長のもとへ嫁いだ濃姫であります
さて、道三は嫁いでいく帰蝶にこういいました

「もし信長が評判どおりのうつけものなら、この刀で殺せ」

すると帰蝶

「この刀はいつか父上に向けられるかも知れませんわよ」

これを聞いた道三は「さすが蝮(マムシ)の娘じゃ!」と、とても喜んだ
ちなみにこの受け答えをしたときの帰蝶は10歳前後。ある意味すごい(笑)





榊原康政

豊臣秀吉 康政の首に懸賞金をかける

小牧・長久手の戦いの時・・・(秀吉VS家康の初対決バトル)
康政は敵味方にこのような手紙を書きまくった

「秀吉は百姓の子だぜぇ!それを信長公に取り立ててもらったっつーのに、どうやらその恩を忘れているようだぜっ!うちのチームには信長公の息子・信雄殿がいるっつーのに弓を引くとはいったいどーゆーことだ!!神様は必ず秀吉に罰を下すだろうサ」

この手紙を見た秀吉はめちゃくちゃ怒り「にっくき榊原めぇぇl!!康政の首を持ってきたヤツには今までより多くの褒美をやるから討ち取って来い!!!」と、康政の首に懸賞金をかけたのでした

が、誰も首を討ち取ることはできませんでした




真田幸村

時代が違えば芸人か!?


幸村はとっても明るい性格だったというお話が残っています
お兄ちゃんの信幸が「幸村はサ、すっごい明るいんだ。それにちょっとしたことで怒らないんだよね」と語っていたとか
また家臣たちは「幸村殿が来ると、その場がとても和むんです」と言っていたとか
どうやら冗談を言って皆を笑わせるのがスキだったようです


家康叫ぶ!!「親のほうか!?子のほうか!?」

関ヶ原の合戦も終了し、あとは邪魔な豊臣家をぶっ潰すだけとなった家康
早速大阪の陣をスタートさせることに
そこへニュースが
「真田が大阪城に入ったそうです」
すると家康、ガバっと布団から起きて「それは親(真田昌幸)のほうか!?子(真田幸村)のほうか!?」

家臣は「親のほうは去年病死いたしました。大阪城に入ったのは息子・幸村であります」

家康はホッと一安心したのでした
・・・・が、家康の安心は思いっきりハズれることとなり、子のほうは親と同じく戦略家だったのでありました





柴田勝家

ニックネームの由来!瓶割柴田

勝家VS六角家とのバトルの時、渇攻め(水を無くす作戦)にあってしまいました
で、六角家は様子を探りに籠城している勝家のもとへ使者を送りました

すると勝家、最後に残っている水をまんべんなく使者の前で使いまくったのです
使者は主君・六角承禎に「なんかまだ水がたくさんあるみたいですよ〜」と報告
が、実はそのお水は最後の瓶に入ってる水だったのです

そして勝家は、気持ちがゆるんでいた六角家に向かい城門を開いて突撃し、勝利を得たのでした


刀狩を最初に始めたのは勝家

刀狩とゆーと、秀吉が行った政策とゆーイメージがありますが、実は刀狩を始めてやったのは勝家
その後、秀吉が天下を取ったときに、この勝家の「刀狩」を真似したのです


勝家の度量の大きさ

賤ヶ岳の戦いで負けた勝家
敗走途中に、自分の味方でありながら、秀吉に寝返った前田利家の家に立ち寄った
ほんとなら「なんで裏切った!?」と、利家のことを責めてもいいものを
そのことについてはヒトコトも触れず、今までの懐かしい思い出話しをしていった
そして「これからは秀吉に頼れよ」と言い、去っていった
前田利家はこの大先輩の度量の大きさに自分を恥じたという





武田信玄

信玄が超苦手なもの。それは・・・

あの信玄が大嫌いだったもの。それが芋虫
もー子供の頃、大の苦手だったらしく、芋虫をみると騒いでいたとか
それを知った家臣の馬場信房が芋虫を捕まえてきて信玄の眼の雨に突き出しました
すると負けず嫌いの信玄、その芋虫を握りつぶしちゃった!!
馬場信房は信玄を鍛えようと思って芋虫を差し出したのか?それともバカにして差し出したのか?
ナゾです・・・


上杉謙信をずっと旧姓で呼び続けた

上杉謙信はもともと「長尾」という名前だったけど、関東管領の上杉憲政から関東管領職を譲られ、「上杉」姓となった

信玄はそれがめちゃくちゃおもしろくない
そのため、ずーっと謙信のことを「長尾」と呼び続けた





竹中半兵衛

半兵衛、わずか17人で城をゲット

半兵衛は、女っぽいルックスだったため、稲葉山城主の斎藤龍興らにバカにされていました

そしてとうとうガマンが限界に

そんな時、弟の久作が稲葉山城にて病気になったという知らせが
半兵衛は武器をいれた長持ちを人夫にかつがせ、16人の家臣を連れてやってきた
「弟のお見舞いにきました」
そういって城内に入り、そのまま本丸へ

そして城を守っていた武将らを斬り倒したのであります
龍興は大慌てで逃げていきました

それを見て満足した半兵衛は、さっさと城を捨て、一人暮らしを始めてしまいました


木下藤吉郎三顧(さんこ)の礼

半兵衛は斉藤家を出て浪人となってました(↑上に書いた事件のせいでネ)

そこに目をつけたのが秀吉
何とか半兵衛を味方につけたいと思ったんだけど、まともにあたっても無理

秀吉は浪人の格好をし、偶然出会ったフリをして、「尾張の信長は大物らしい。ワシは信長に仕えようと思うが、そなたも一緒にどうじゃ?」と誘ったのです

が、半兵衛はその浪人が秀吉であることを見破っていてました
バレたら仕方ないと、「おぬしの才能をこのままにしておくのは惜しい」とスカウトするが2度断られました
3度目の秀吉のお願いに、とうとう半兵衛は「では、信長ではなく秀吉殿に仕えましょう」とOKしました
これが「木下藤吉郎三顧の礼(さんこ)」というエピソードです

以後、竹中半兵衛は秀吉の軍師として大活躍していきます


半兵衛 息子を叱る

ある夜、半兵衛がまだ幼い息子・重門に戦の何たるかを話していました
すると息子が席を立とうとしました
「どこへいく?この話しは国の大事な話しであるぞ」という半兵衛
息子は「だって、厠(トイレ)にいきたいんだモン」
すると半兵衛「今は大事は話しである!オシッコしたければここで垂れ流せ!」









武田勝頼

民衆の噂バナシ・・・「勝頼は呪いの子」


勝頼の母は、父・武田信玄が諏訪攻めをした時に滅ぼした諏訪家の娘であります
そのため武田家が滅亡した時、民衆は口々に「諏訪家の復讐をした呪いの子」と噂しあいました





立花道雪

陣を抜け出し、まったりと正月を迎えたヤツは殺せ!!!

ある戦の時、35人の兵が密かに陣を抜け出し、家族と正月を迎えました
すると道雪「その35人を殺せ!」と命じました
みんなビックリ!
さらに道雪は「大事な戦を抜け出した息子を怒らず受け入れた親も同罪だ!親も殺せ!」と命じたのでした






豊臣秀吉

鼻や耳のプレゼント攻撃!?

文禄の役の時のことです
朝鮮出兵した時に殺した人の「首」では重いな・・・と、島津忠豊の軍が「首」の代わりに「鼻」を秀吉に送りました。首を送るのは大変なので「鼻」を送って「俺はこれだけやっつけました」というのをアピールしたのです

みんなも慶長の役の時は、「鼻」や「耳」を送ることにしました

削ぎ取られた鼻は「塩漬け」「酢漬け」にし、秀吉のもとへ
中には非戦闘員である子供の鼻もありました
みんなわれ先に鼻や耳を送って、秀吉に褒められることを競ったのです。
そしてこの鼻や耳を埋めたのが、京都の豊国寺神社の前にある「耳塚」
ちなみに、その数10万人分もあったのです


信長の心をつかんだ懐あっため

秀吉は織田信長の草履取りとして仕えました
その時秀吉は信長が脱いだ草履を自分の洋服の中に入れてあっためました
信長はそれを見て、感心したのでありました


虎の脳みそまで食べた秀吉

朝鮮出兵の時、生け捕りにされた虎をみてみんなビックリ!
で、虎の頭の肉は滋養強壮にいいと聞くと、脳みそと一緒にモリモリ食べた





徳川家康

家康 三河武士魂に涙

今川家に人質となっていた家康
15歳の時に初めて今川義元から許しを貰い、墓参りのために岡崎へ戻りました
三河で忍耐の日々を送っていた家臣たちは、立派に成長した家康を見て涙しました
80歳になる家臣の鳥居忠吉が「若君、こちらへ・・・」と家康を自分の家の蔵に案内しました
そこには数々の兵糧や武器が置いてあったのです

「これらは若君が岡崎へ戻ってきて、兵を挙げる時のために今川の目をかすめて用意したものです。なにとぞ無事にお戻りできることを願っております」と言いました
家康はその思いに報いようと涙を流しました

またこの時、家康は岡崎城周辺を歩きました

ちょうど田植えの時期で、田んぼには大勢の領民が働いていました
家康一行が通ると、田植えをしている何人かが慌てて顔に泥を塗り、背をそむけたのです
家康は1人の男の顔を見て「あれ?あそこにいるのは近藤じゃないか?」と気がつきました
が、近藤は家康に呼ばれても知らん振り

すると家康の供の者が

「若君、彼ら松平家家臣は武士でありながら今川家にこきつかわれ、非常に貧しい思いをしております。そのため田植えをさせられているのでございます。殿の前で武士が田植えをしているなど知られたら、彼らは恥ずかしくて顔向けできません。なにとぞここは知らないフリをしてやってください」と言ったのです

家康は「ワシは何も知らなかった・・・」と、自分の無知さを知り愕然としました

そして「ワシがふがいないばかりに、苦労をかけて申し訳ない。だが、いずれ時が来る。それまで耐えしのんで欲しい。そして今の姿を決して恥と思わないで欲しい」と言い、それを聞いた家臣らは改めて結束を固くしたのです







直江兼続

マイ・ポリシーは「愛」


兼続の兜にはデカデカと「愛」という字が書いてあった。ステキ・・・


兼続 閻魔大王に手紙を書く

兼続の家臣が人を切り殺した時のこと
殺された遺族たちが怒って兼続に直訴しました
兼続は家臣に「慰謝料を払ってあげなさい」と言いましたが、遺族たちは「そんなものいらない!生き返らせろ!!」と怒り収まらず
兼続は「死人をもとに戻すことはできない」と説得しましたが、遺族たちは納得しない
とうとう兼続は「わかった。しかたないからお前たちあの世に行ってくれぬか?」と、なんと遺族たちの首をはねてしまい、その首を河原にさらし、そしてその横に立て札をたてて「閻魔殿。この者たちを使いに出すので、申し訳ないが死人を戻してもらえませんか?」とお願いしたのでありました・・・


兼続VS伊達政宗のイヤミ合戦

関ヶ原で負けてしまった兼続のいる上杉家は30万石になってしまいました
そんな兼続が大嫌いなのは伊達政宗

ある日、伊達政宗と江戸城ですれ違った時、政宗が「60万石のワシに挨拶しないとは無礼な!」とイヤミ

すると兼続「こりゃすまん!長年戦場でお目にかかってはいましたが、いつも後ろ姿ばかり(逃げる時)だったので、気がつきませんでした。正面から見るのは今日が始めててありますなぁ」とイヤミ返し!!




福島正則

敵に背中を見せてしまった

敵に背中を見せない!!というのがポリシーの清正
ところがなんと、ただ一人背中を見せてしまった相手がいるのです
友人に語ったところによると
「オレ、一度だけ背中みせちまったんだよー。それがさ、女遊びして帰ってきたら奥さんが長刀もって待ち構えててさ、オレの顔見るなり切りかかってきたんだよ〜。あれにはまいったよ」







本田正信

家康、正信の怒りにヒヤヒヤする

正信は家康の右腕として活躍しておりました
ある日、隣の部屋から主君である家康がものすごーーーい怒声で家臣を叱っていました
何をやったのかわからないけど、家康の怒りは相当なもので今にもその家臣を斬り殺しそうな勢いでした

正信は家康のもとへ行き「どうしたんですか?」と聞くと、家康は理由を述べました

すると正信「なるほど、上様のお怒りはごもっともでございます・・・」と言うや、すぐさまその家臣に向かって「お前は何て奴だ!上様が怒るのも当たり前出る!ばか者!マヌケ!!」と、烈火のごとく怒り出したのです

これに驚いたのは家康

「ま・・・正信、なにもそんなに怒らなくても・・・。よいよい、もうそのくらいにしておけ」とストップをかけました

正信の機転をきかせた逸話であります







本多忠勝

57回の合戦で刀傷をひとつも受けなかった猛将

忠勝といえば「家康に過ぎたるものがふたつあり 唐の頭に本多平八」と言われるくらい、猛将として名高いお人
このひと、生涯で57回も合戦に参加しましたが、一度も傷を受けなかったようです


真田親子を助けたのもこの人

関ヶ原の合戦後、家康は西軍について息子・秀忠の邪魔をした真田昌幸&幸村親子をどうしようかと考えていた
ここで出てきたのが忠勝
昌幸の長男が自分の娘と結婚しているため、真田親子の助命を家康にお願い
このとき、「助命してくれなければ殿と戦います!」宣言!!
あの家康に対してここまで言うとは・・・すごい


人の手柄はいりません!!

まだ若かりし頃の忠勝
武功があまりなかったので、おじさんの忠真が手柄をたてさせてあげようと
おじさんが討ち取った首を忠勝にあげようとしました
すると忠勝
「人の手を借りた武功などいりません!!」と、奮起し、単騎で敵陣に突入し
敵の首を討ち取ってきました





北条氏康

ゴミ一つない小田原シティ

氏康は城下町を発展させるために、全国から文化人を呼び寄せました
小田原の町は東国最大の都市となり、上下水道も完備されたすっごくキレイな町だったそうです


領民からは大人気だった

おじいちゃんの北条早雲&父親の言葉を守り、質素を心がけていた氏康
領民にも優しく、まさにグッド領主だった
氏康が亡くなったときは、領民はみんな泣いて死を悲しんだ






細川幽斎

芸が身を助けた

戦国のインテリ・細川幽斎
そのインテリぶりは、天皇家の中でも有名だった
さてさて、関ヶ原の戦いの時、幽斎がいる城が攻め込まれてしまった
すると幽斎がいなくなったら困る!と、後陽成天皇が「幽斎を助けてあげて」とお願いした
まさに芸が身を助けた幽斎でした






前田利家

利家、まつに嫌味を言われキレる!

佐々成政と仲が悪かった頃の利家は超ケチでした
兵を多く雇わず、自分の財テクばかりしていたのです。
妻のまつは、常日頃「もうちょっと兵を集めたほうがいいんじゃないの?」と忠告してましたが、利家はそれを無視

対するライバル・成政は兵の甲冑に金箔を入れてあげるほど、金銀惜しまず兵を雇っていたのです

そんな対照的な二人がバトルすることに!!

利家は「やべぇよ〜。全然うちらダメだよ〜」士気が下がりまくり

すると「まつ」が、
「日頃から軍勢を蓄えとけとあれほど言ったでしょう?なのにあなたは耳も貸さなかった。今度の戦では金銀に槍を持たせ働かせたらよいのでは?」と、利家に金銀の入った袋を投げつけたのです

利家は超激怒!

まつに殴りかかろうとする利家を、家臣たちが必死で止めました

まつは涼しい顔で、「なにか?」状態

こうして利家はプリプリ怒りながら「クソー!まつめ!あいつにバカにされてたまるか!」と、ものすごい勢いで出て行ったのです
このまつの一言が、利家軍の戦意を鼓舞させることとなったのでありました


実はおね(秀吉の妻)のことがスキだった

どうやら利家は、秀吉の妻となったおねのことをスキだったようです
が、おねに告るも、「ワタシは藤吉郎さん(秀吉のことね)の方がスキです〜」と言われてしまい玉砕
ですがその後、秀吉とおねがくっつくよう色々作戦をたててくれたようです







前田慶二郎

利家に一泡ふかせて逃げる!

慶二郎は自由奔放な性格
いっつもおじさんの前田利家にガミガミ怒られていた
くっそ〜と怒った慶二郎は、ある日利家を家に呼んだ
で、「叔父上、今日は寒いからお風呂に入ってきてください」と案内
利家がざぶんとお風呂に入ると、なんと水!!
激怒した利家を見た慶二郎は「へっへ〜ん」と笑って、そのままスタコラと出て行ってしまいました


慶二郎、坊さんをぶっ飛ばして逃げる!

前田家を出て行った慶二郎。お次は上杉景勝に使えました
ココに、林泉寺というお寺があったんですが、上杉謙信ゆかりの寺だったため、お坊さんはすごいエバッてた
慶二郎はその坊さんに向かって「囲碁やろーぜ!」と言いました
で、「勝ったほうが一発殴るってルールにしようぜ!!」と付け加え
で、勝負はというと・・・
一回戦目は慶二郎が負けました
坊さんは控えめに慶二郎をポコっと叩きました
二回戦は慶二郎の勝ち
すると慶二郎、思いっきり坊さんの頭をボカっとぶったたき、またもスタコラ逃げていった


トレードマークは「大ふへん者」

慶二郎は旗指物に「大ふへん者」とデカデカと書いてありました
天下の上杉家家臣はこれに激怒!!
「大ふへん者」というのは、大武辺者の意味であり、ものすごく強くて素晴らしい武士と言う意味
みんながぷんぷんと怒る中、慶二郎は
「え?違うよ。ふへんってのは(不弁)ってことサ。だから、大ばか者って意味だよ( ̄ー ̄)ニヤリ」
まさに戦国の新人類であります






森蘭丸

蘭丸「ボク、コロンじゃいました!テヘッ」事件


ある日蘭丸が、贈られて来たミカンを台に乗せて歩いていました
それをみた信長が「おい、お前の力じゃ危ない。転んでしまうぞ」と注意
すると蘭丸が部屋の真ん中でハデに転んでしまったのです
信長は「それみろ」と笑いました

次の日、蘭丸の友達が「おいおい、お前昨日は派手に転んだなぁ」と笑うと、蘭丸は「ん?あれはわざとサ。信長様が転ぶぞって注意したんだから、転んであげたのサ。信長様の判断は正しいってことを示すためなのさ」と答えました


信長の爪がない!オロオロ・・・事件

ある日信長が足の爪を切ってました
そして蘭丸に爪を捨ててくるように命令
すると蘭丸、爪がヒトツ足りないことに気がつき、入念に探し始めたのです
その爪は信長の袖から出てきました
信長が「爪ヒトツで騒ぐな」と言うと蘭丸は
「いえ。この爪で呪いをかけられては大変です。そのためワタシは爪をわざわざ堀まで捨てに行くのです」と言いました


蘭丸 「ボクはズルしません」事件

ある日信長が小姓たちに向かって「この刀に刻まれている模様の数を当てた者に、この刀をプレゼントしよう」とクイズを出しました

小姓たちは思い思いの答えを口にしましたが、蘭丸だけがそのクイズに参加しません

信長が「蘭丸、おぬしも答えてみよ」というと蘭丸は「いえ。ワタシは殿がトイレに行くといってワタシに刀を預けた時、すでに数をかぞえていたのです。そのため知っているので答えられません」と言いました


蘭丸 明智光秀をぶったたく!!

主君織田信長が、徳川家康がやってくるというので接待役に明智光秀を選んだ
が、光秀失態だらけ
怒った信長は「なにやっとんじゃ!!誰か!光秀の頭をぶったたけ!!」と命令
だけど周りの人たちは「ええっ!?そんなこと出来ない・・」とオロオロ
すると蘭丸が立ち上がり、光秀の頭を鉄扇でぶったたいたのです
光秀の烏帽子は破れ、血がダラダラ
屈辱を受けた光秀・・・
本能寺の変の半月前の出来事でした・・・




森長可

武士とは結婚するな!!

森長可は蘭丸のお兄ちゃんです
長可は遺書を書いておりました

そこには「もしオレが死んだら母は秀吉殿から生活費を貰って京都で暮らしてくれ。千丸(末弟)は今までどおり秀吉殿に仕えること。だけど城主にはなるな。妻(池田恒興の娘)は家にきちんと戻ること。おこう(娘)は武士と結婚してはダメだ。京都の町人、できれば医者と結婚してくれ」とありました。

長可は父と兄を浅井・朝倉攻めで失い、蘭丸ら弟三人を本能寺の変で失っており、残っているのは自分と末弟の千丸だけ

武士として武士の恐ろしさをわかっていただけに、このような遺書を書いたのでしょう






毛利元就

三本の矢

あまりにも有名な逸話

元就、長男隆元・次男元春・三男隆景を呼びました
3人を呼んだ元就は、矢を一本ずつ折らせました
次に、三本の矢を束ねて折らせたんだけど、これがなかなか折れない

元就は、「一本の矢は簡単に折れるけど、三本束ねればなかなか折れない。3人が協力しあえば、弱くとも強くなれるぞ。兄弟間で結束を固め、毛利家を守っていけ」と言いました

「戦国とはいえ自分は肉親や重臣を殺しまくってきた。3人の中の誰かが心が離れれば、毛利・吉川・小早川の三家も危なくなるぞ」と説いたのです


元就の「百万一心」 吉継様からの投稿逸話

当時、お城を建てるときは「人柱」を建てていました
人柱とゆーのは、お城が丈夫に建つように、生きた人間を一緒に埋めることです
が、元就は「人の命は尊いものだ」ということで、「百万一心」と書いた巨大な石を人柱の代わりに埋めたのであります
さすがですネ〜






山中鹿之助

鹿之助、母に武士の情けを教わる


少年時代の鹿之助がお友達(といっても、近所のみすぼらしい子供たち)と戦ごっこをしていました
それを見ていたお母さんが
「鹿之助、戦ごっこをするのはよろしい。が、いつもお前は身分が高いからといって尼子方ではないですか?敵の毛利方チームになったお友達はどんな気持ちでいると思いますか?」と注意しました

鹿之助は母の言葉を聞いて、自分ばかり良い役をしていたことを恥じました
こうして鹿之助は仲間たちと平等にすくすく育っていったのです

その後、尼子家は毛利元就に破れ、家臣たちはばらばらに

鹿之助は尼子家再興を目指し立ち上がりましたが、そこに集まってきてくれたのが子供の頃からずっと遊んでいた仲間たちだったのです





山本勘助

戦国一のブオトコ

勘助は片目がつぶれており、歩くのも困難
体もずんぐりむっくりで、戦国一ブサイクな男と言われてます
セレブ今川義元は、勘助の容姿だけで嫌いになっちゃって、全然いい仕事をさせなかった
でも、隠れていた才能を見出したのが武田信玄だったんですね〜






結城秀康

秀康、出雲阿国の舞に泣く

お父さんの徳川家康とともに、出雲阿国の舞を見ていた秀康
いきなりポロポロと泣き出した

どうして泣いたのか?とゆーと

「出雲阿国は女性の身でありながら、すでに天下に名をとどろかせている。ワシは家康の次男でありながら、いまだ天下に名をあげておらぬ。それが悔しいのじゃ」