戦国時代とは |
戦国時代とは、字のごとく戦う時代であります そうです。国同士が戦う時代、そして日本の英雄が多く出てくる時代なのであります 戦国時代とはいつからいつまでのこと???というのには様々な説があります 始まりは1467年の応仁の乱から 応仁の乱とは、室町幕府八代将軍義政の時代におきた戦いです この義政がだらしない政治をしたために、各地の守護大名(国を守る役職の人たち)が、争いを始めたのであります 戦国時代の終わりは @信長が将軍足利追放し室町幕府が滅亡した1573年 A秀吉が天下を統一した1590年 B家康が将軍になった1603年 C家康が豊臣家を滅亡させた1615年 の4つが多く取り上げられています ちなみにワタクシは、Cの家康が豊臣家を滅亡させた1615年、つまり大阪夏の陣までに一票!!といったところであります ということで、このサイトでは「戦国時代の終わり=大阪夏の陣」という感じで進めております さてさて、応仁の乱によって将軍の権威は地に落ちてしまいました(だらしないからね〜) 将軍は何度も「こんな戦いやめろー!」と言ってたんだけど、みーんな無視 京都は殺戮と略奪の修羅場となってきていました で、だらしない幕府の政治のツケが地方に飛び火していったのです 世の中は乱れまくり、地方では家来が主人を討ち、子が親を討つなど下剋上の風習が出始めました なんせ主人が京都に行っちゃってるので、その間に有力な家来が家をのっとったりしたんですね〜 世の中めちゃくちゃなので、野党や一揆・反乱も流行り、全ては自分の腕のみが頼りとなってくる時代となってきました 強くさせあれば、農民だろうがなんだろうが、富と権力を得られる時代になってきたのです さてさて、幕府は各地に「守護大名」を置いてました 守護大名というのは、幕府によって「そこの地方をおまかせしますよ」という、一国のボス そして地域の武士達を家臣とし、「地方のボス」となっていました そして「戦国大名」というのは、自分の実力によりのし上がってきた人の事をいいます 北条早雲や斉藤道三がいい例です 守護大名の中でも武田信玄や島津義久のように守護大名から戦国大名へ脱皮した例もあります ですが、守護大名から戦国大名になる過程は簡単なものではありませんでした 実力がものを言う時代になってきたので、弱い「守護」つまり「主君」には誰もつきたくない そのため有力な家臣が下克上を起こすケースもありました 下克上というのは、下の人が上の人を倒すということ 戦国大名は「幕府」の権威をまったく頼らず、独自の力のみでのし上がってきたのです 幕府の権威をたてに偉そうにしてきた守護大名は、時代の波に乗り遅れ没落していきました そして実力のある戦国大名は近隣を攻め、領地を拡大し勢力を広げていくのです こんなごちゃごちゃした時代の中、一人の男が現れました 北条早雲です 早雲は、京都にいた時、めちゃくちゃになっている京都の町をみてきました そうして自分がのしあがろうと決意したのです 一介の浪人から、謀略の数々を使い、そして小田原城を乗っ取り「戦国大名第一号」となったのです 勝つためには手段を選ばない時代の到来。それが戦国時代なのです さて、戦国大名は、争いで頑張った武将に恩賞(ご褒美)として土地を与えなければならない 武士にとって所領は命ですからね ですが、与える恩賞がなくなると、新しい土地が必要になる で、新たな土地を得るために合戦! そう、隣の国を倒して、そこを自分の領地にする そしてまた恩賞という悪循環が続くこととなるのです こうして、誰かが天下を統一するまで、国同士の戦いが続く・・・・ それが戦国時代なのです!!!! |