×

[PR]この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。







               武将の趣味・コレクション             


戦国武将たちはどんなことをして余暇を過ごしたのか




お 茶


「癒し空間」で静かな精神状態になりましょー!!ということで「茶の湯」がブームでした

そして度々上流階級では茶会が行われるように

そして茶会は密談するのに絶好の場だったのです

なんせ密室に数人しかいないのだから、漏らしたくない話をするのに最高の場でした

そのため「茶の湯」は、いつしか戦国武将たちになくてはならないモノとなっていくのです

さらに茶をたしなむというのは上流階級だけができること

茶の湯は武将達のスティタスシンボルとなっていったのです

ちなみに茶器コレクターで有名なのは織田信長 

茶室で有名なのは、秀吉の黄金の茶室

名器好きなのは松永久秀でした

そしてさらに、「茶の湯」を極めちゃった人は

黒田如水・織田有楽斉・荒木村重・細川忠興・蒲生氏郷などなど

ちなみに戦国三大名物茶入れは「初花」「楢柴」「新田」の「三肩衡(さんかたつき)」

この三つ、名物だったために持ち主がころころと代わっている








鷹狩り

鷹狩りとは、その名の通り狩をすることであります

家康によると、鷹狩りとは遠出をして筋肉を働かせるので体が強くなる。それにおなかも空くし、疲れるからよく眠れる。どんな薬よりもいい養生であーる

と、鷹狩りを推奨していました







和歌

馬鹿じゃ大将にはなれないこの時代、「教養部門」で大事だったのが茶の湯と和歌でした

和歌は傷ついた心を慰めたりしてくれるものだったそうです

その教養の発表の場は「連歌」

連歌とは、数人の武士が一列に座って順番に歌を詠むもので、前の人が詠んだ歌を次の人が受けて詠むというもの

合戦の前によくやったそうで、連帯感を保つために連歌は大事なイベントとして行われました。

だけどセンスのない武将もいたので、代わりに主君に代わって歌を詠むという商売も出てきました。

ちなみに和歌のセンスが一番あったのは、戦国時代のインテリ男・細川幽斎

さらに和歌の天才と呼ばれたのは今川氏真







この時代、馬を持っているということは武士の中でもある程度の階級であるということを示すスティタスシンボルでした

馬は戦国武士の宝だったのです

が、この頃の馬は「ポニーサイズ」

よくテレビではサラブレッドにまたがり、颯爽と走るシーンがありますが、アレは違います

何度もいいますが実際は「ポニーサイズ」です(笑)

武田の騎馬隊で知られる武田軍の馬が発見されたましたが、馬の高さは120cmしかありませんでした

ちなみに幕末、外国人が日本人の乗っている馬を見て「日本人は馬のようなものに乗っている」と言ったそうです

ということは、武田の騎馬隊の活躍とかはどうなの???
ということになってしまいますが、実際は馬から降りて戦ったのではないかと言われています

だけどそれじゃあロマンがないので(個人的にも信じたくないので)、ハガクレカフェでは細かいコトにこだわらず定説どおりやらせてもらいます!


ちなみに戦国時代の武器のとこでも書きましたが
各武将のお気に入りの馬を紹介

武田信玄のお気に入りの馬の名前は「黒雲」
めちゃくちゃ気性が荒く、影武者も乗りこなせなかったらしい
上杉謙信の愛馬の名前は「月毛」
徳川家康は「白石」自慢の馬だったらしいが、馬の色は黒だった
家康の息子・秀忠の馬の名前は「桜野号」
本田忠勝は「三国黒」
豊臣秀頼は「太平楽号」






馬と並んで刀も貴重品でありました

戦の褒美としてもらうことが多かった

織田信長や秀吉などがお気に入りだったのは「へしきり長谷部」という刀

振り下ろさなくても押さえるだけで切れるという刀だった

戦国時代において価値が高いとされていた刀は「義元左文字」

これは徳川家康がまだ17歳の時、初陣の褒美として今川義元からもらったもの

それを織田信長が桶狭間の戦いの時に奪い取った

その後、豊臣秀吉→秀頼の手に渡り、最後は徳川家康に戻ってきたと言われている名刀であります

さらに信長、武田信虎(信玄のお父さん)が、娘が今川家へ嫁ぐ時に「宗三左文字」という刀を持たせた

これを桶狭間の戦いの時に今川義元から奪い取り、愛刀として大事にしていた


伊達政宗がお気に入りだったのが「影秀」 かなり切れ味抜群だったらしい

石田三成が死ぬまで大事にしたのが「貞宗」と「正宗」の二つであります