戦国恋愛ライフ             




女性は道具

戦国時代は、スキだ!結婚しよう!とか、現代のような恋愛はまずナシ

女性は家同士の繋がりを強くするための物体であり、子供を生むための物体でありました

ヒトメボレして側室にしちゃおう!という武将もいますが、正妻となると話は別

政略結婚以外の結婚はありえない時代でした

ということで、正妻の方もいわば「スパイ」

嫁ぎ先の家の事情をアレコレと本家へ教えたりするのであります

まぁどの形にしろ、男が望めば女は断るなんてのは一切なし

女性に「選択する」なんて権利はなかったのであります

このあたりは日本の女性史とゆーコンテンツで紹介しているので、ここでは男女のおもしろネタを紹介していこうかなと思っております





女よりも男!織田信長

信長はどっちかというと森蘭丸ら小姓との関係の方が有名で、女性関係ではあんまり派手な動きはないですねぇ

とりあえず正室は斎藤道三の娘・濃姫

が、この二人にはあまり恋愛感情はなかったように思われます

側室で有名なのが吉乃(きつの)

濃姫と結婚する前からの知り合いで、離婚して戻ってきた年上の女性

どーやらお母さんに嫌われていた信長は、この年上の女性に「癒し」を求めていた感じがあります

さらに吉乃が死んだ時、あの信長が涙したという説もあり、たぶん女性の中ではこの人が一番愛されたのではないかと思われます

それでもなんだかんだいって、信長には11人の男の子と11人の女の子が生まれ、隠れ側室(文献とかには出てない女性)が数多くいたと思われます







お嬢様大好き!豊臣秀吉

女性関係をあげるとキリがないのがこの人

自分が農民出身だからか?なぜか名門のお嬢様がスキ
ブスでも名門がスキ

ってことで、秀吉の女性関係をざーっと紹介

正室はねね
側室は淀君(浅井長政とお市の方の娘・織田信長の姪でもある)
ほかにも側室が数多くおり、わかっているだけでも 三の丸殿(織田信長の娘)松の丸殿(京極家の娘)加賀殿(前田利家の娘)三条殿(蒲生氏郷の娘)姫路殿(信長の弟・織田信包の娘)甲斐姫(成田氏長の娘)備前殿(宇喜田直家の未亡人)

などなど、どれもこれもお嬢様ばかり

さらに秀吉はみーんなにご機嫌伺いをしたりと、かなりマメ男だった

が、やはり糟糠の妻・ねねだけは別格扱いをしていたらしい

ちなみに天下人・秀吉をシカトした女性も紹介

まず信長の妹・お市の方。さすがの秀吉も信長様の妹には気安く手を出せなかった

そして信長の娘・冬姫。最初は蒲生氏郷と結婚してたんだけど、氏郷が死んだため未亡人になり、秀吉がお誘いするもNO!!だった

細川ガラシャは細川忠興の奥さんで、評判の美人。秀吉はガラシャに手を出そうとしたが、そのときガラシャが胸元から短刀をポトリと落とした
意味は「あたしに手を出したら殺すわよ?」のサイン

お次は千利休の娘
秀吉はこの娘を側室に!と欲しがったが、千利休はNO!!
千利休が切腹させられたのは、これが絡んでいるとも言われている





女は子を産む道具!徳川家康

徳川家康は、秀吉と違い「実用的」な女性を好みました

とにかく「子供を産める安産体型」を好みました

全部で15人以上側室がいましたが、そのうち5人が後家さん

つまり前のダンナと子供を生み終わってる人。そーゆー女性はまた子供を産めるという理由で、熟女を側室にしていました

身分にもあまりこだわらず、使用人出身の側室も3人おります

そんな実用的な女性ばかりを側室にしていた家康ですが、50歳過ぎた頃から好みがガラリと変わりました

今まで熟女ばかりだったのに、今度はピチピチギャルばかりを側室に

50歳過ぎてから新しく側室にした女性はみんな10代。最年少はなんと12歳!!

ちなみに家康は、2度「正妻」を迎えましたが、どちらとも上手くいきませんでした






女は顔じゃ!武田信玄

とにかく面食いなのが信玄

数多くいる側室は、みーーーんな美女ぞろい

正室の三条夫人も才色兼備の美女

そしてほかの側室は全員、近隣に名を轟かすほど噂になるほどの美人さんでした

有名なのは諏訪姫(武田勝頼を生んだ人)

敵の娘でありましたが、あまりにも美人だったので側室にしちゃいました





生涯不犯!?上杉謙信

上杉謙信は一人も妻を娶らず、側室さえも持たなかった戦国時代にはすっごーーーく珍しい人

もともと僧だったから?とか、ホモだったから?勝つためには女性はいらない?とか、いろんな説が飛び出しております

謙信が男色家だったという説についてですが、どーやら謙信の身辺を警護する少年だけの隊は、全員が美少年だったからとか、「義経」の舞いを見て感動したのはいいけど、踊ってるのが女性だとわかった瞬間に興味をなくしたからだとか、ほんっとに様々な憶測があります

まあそれでも、複数の側室を抱え込んでる武将より、ある意味潔いかもしんないですね






奥さん命!明智光秀

明智光秀はとても妻思いの人だった

まだ光秀が貧乏な頃、同僚が光秀の家に遊びに来ることに

が、貧乏なので友達をもてなす食べ物やお酒がない

どうしよう・・・と、困っている光秀に「大丈夫!私にまかせて!」と言ったのが妻のヒロコ

で、とうとうその日になり、光秀が友達を連れて家に帰ってくると、そこにはすっごい大量のお酒と食べ物が

友達はとても喜び、光秀は面子を保つことができました

「なぜこのようなことができたのか?」と光秀がたずね、そしてハタと気がついた

ヒロコは頭に手ぬぐいを巻いていたのであります

そう、ヒロコは自慢の美しい髪を売ったのでした

そしてそのお金を光秀の面子のために使ったのです

光秀はヒロコに一生感謝し、大事にしました

が、光秀はその後、本能寺の変にて織田信長を殺し、豊臣秀吉に殺されることとなります

ヒロコは自刃するのでありました






ヤキモチやきすぎ!!細川忠興

上に書いた明智光秀とヒロコの娘が細川ガラシャであります

明智光秀は忠興の父・細川幽斎ととっても仲がよかったので、その子供二人は幼い頃から知り合い同士

こうしてお年頃になると、忠興とガラシャはみーんなに祝福され結婚したのであります

が!!大事件が!!

そーです。ガラシャのお父さんの光秀が主君・織田信長を殺してしまったのです

光秀は、細川家は自分の味方をしてくれると思っていたのに、なんと幽斎・忠興親子はガラシャを幽閉し、光秀の味方をしなかったのです

こーして光秀は殺されてしまい、ガラシャは何年も幽閉されたままでした

その間に、忠興は側室を何人も作り、ガラシャが細川家へ戻ってきた時は「裏切り者の娘」とされ、居場所がなかったのです

こーしてガラシャはキリスト教に目覚めることに

ではなぜ忠興は、ガラシャの離縁しなかったのか??というと、実はガラシャのことがだーいすきだったのです

でもガラシャからしてみれば、自分がつらい時に守ってくれなかったダンナ

ということで、二人の距離は離れまくりでした

ガラシャは最後までキリスト教の教えを貫き、細川家が石田三成らに襲われた時、自刃はできないということで、家臣に自分を殺させたのです

ちなみにガラシャが死んだのを聞いた忠興は大ショック!

ガラシャを置いて逃げていった家臣を見つけ出し、皆殺しにしたそうです





正妻はブスがいいのだ!吉川元春

毛利元就の次男・元春は、超ブス!と有名な熊谷信直の娘を正妻にしました

しかも自ら望んで!

お父さんの元就や、周りの人は「あんなブスやめろよ!」と意見しまくりました

すると元春「熊谷信直は、大事な娘があまりにもブスなので貰い手がないと嘆いてます。そんな女性をワタシがもらえば、信直は感謝し、さらに毛利家に忠誠を尽くすでしょう」と言ったのです

そして元春の予想通り、熊谷信直は元春にめちゃくちゃ感謝し、忠実な家臣となったのでした




怖いのは奥さんだけ 福島正則

勇猛で知られる福島正則

わしには怖いもんなどなーい!!わっはっはーーー状態でしたが、ある日ポツリとこう漏らしました

「わしは生まれてこの方、一度も敵に背中を向けたことがない。いつも果敢に攻めてばかりおった。が、先日思わず敵に背を向けてしまったのじゃ・・・」

一同「えっ??だ・・・だれに?」状態

すると正則

「実はワシが浮気して朝帰りした時、家に入ると妻が長刀を持って待ち構えておったのじゃ。いや、さすがのワシも驚いて、必死に逃げ出したわい。敵に背を向けたのはあれが初めてじゃ・・・」







殺生関白!?豊臣秀次

豊臣秀吉に子供が生まれなかったために、関白となったのがこの人

が、実子秀頼が生まれたため、秀吉に疎まれてしまうという悲劇の人であります

後々に、悪人と評され、殺されてもしかたないと言われるようになった秀次ですが、このへんはあくまでも噂であり、ただ単に秀吉にとって邪魔になった秀次にこのような噂を出させただけとも言われています

とゆーことで、このへんは噂話となりますが、秀次は女性関係に関してはどのよーな噂があったのでしょうか

えー、まず側室は35人以上!

これも秀吉によると「ワシは女狂いはしてもいいけど、秀次はまだ未熟だから女狂いしちゃだめと言ったのに、あやつは女狂いしよった!!」とゆーことらしい

でもその側室たちの中にはすごい例もいて、たとえば一の台と言われる公家の美女をゲットしましたが、その娘(12歳)も美人だったので、母娘そろって側室にしちゃったとか・・・

が、秀次はそんな畜生ぶりを秀吉に怒られ、この側室たちはみーんな殺されてしまうのでありました





操縦されまくり?前田利家

前田利家といえば、真っ先に出てくるのが正妻の「まつ」

まつと利家は従兄弟同士で、まつが12歳の時に21歳の利家と結婚しました

利家は身長180センチもある大きな男で、しかも織田信長とツルんで遊んでばっかいたヤンキー

そんな二人でしたが、早速13歳の時にまつは長女を出産

その後も次々と出産しますが、ヤンキー利家は出世していくたびに女遊びしまくり

が、側室が生んだ女性をまつは引き取り、自分の子同様に育てていったのであります

さらにまつは、秀吉の正妻・ねねと大の仲良し

これも絡み、夫・利家はガンガン出世していったのでありました

まつの最大の活躍は、利家死後の前田家を守ったことであります

徳川家康の謀略に乗らず、自ら人質になり前田家を救ったのでありました

利家は良妻賢母のいい正妻を迎えたんですねぇ




夫より妻が有名 山内一豊

いや、ホント、ダンナの一豊より、奥さんの千代のほうが有名ですね

まさに内助の功を言葉通りやっちゃってるのがこの夫婦であります

そしてそれは大河ドラマ「功名が辻」にもとりあげられるほど

さてさて、一豊が戦国大名として変わっているというところは、千代以外の女性を近くに置かなかったこと

正妻オンリーで、珍しいパターンなのであります

キリシタンならば、妻は一人!と決めている人は数多いですが(黒田如水とかね)、キリシタンでもないのに妻は一人!というのはとーっても珍しいんですねぇ

それでも、城の前に捨てられていたという男児は、もしかしたら一豊が外で生んだ子?なんていう説もありますがね

とまぁ、一豊と千代はこの時代では珍しく、仲むつまじい夫婦だったんですが、残念だったのは子供に恵まれなかったということ

あれだけ二人が頑張ったのに、山内家は弟・康豊の筋になってしまうんですねー





妻に逆らえないヨ!徳川秀忠

徳川家康の三男・秀忠

これまたすっごい女性を奥さんにしちゃいました

奥さんは織田信長の妹・お市の方の娘・お江与(淀君のすぐしたの妹)

しかも2度の離婚経験あり

秀吉が秀忠に「お江与と結婚しなさい」と言ったため、結婚せざるを得なかった

結婚した時、秀忠は17歳

そしてお江与は23歳(しつこいよーだが2度離婚してる)と、女のプロ状態+あの織田信長の姪

そんなお江与に逆らえるはずもなく、秀忠はお江与にコントロールされまくるのでありました

でも、どっちかといと秀忠はマジメだったので、もともとたいして女性には興味がなかったらしい

そんな秀忠が一度浮気をしてしまい、そして妊娠までさせちゃいました

「妻にバレたら殺される!!」と、焦りまくった秀忠は、妊娠した女性を追い出し、出産しても一度も会わなかった

その生まれた子供が保科正之で、のちの三代将軍・家光の右腕となるのであります




とまぁ、戦国女性ガラミネタはたくさんありすぎて書ききれませんが
ここではこのへんで終わっておきましょう〜
っていうか、ノリノリで作っているうちに
なんだか日本の女性史コンテンツと
内容が同じようになってきてしまったので(笑)


もっと知りたい人は↓へ

日本の女性史 こんな女性がいた!戦国編