京都の有名遊女


生まれては苦界 
死しては投げ込み寺 苦界十年の女たちの世界


有名な遊女
恋人と心中した京都祇園のお染
お染は遊女にしては初々しい、珍しい遊女でありました
当時、江戸から京都へ仕事に来ていた菊池半九郎という男性が、お染の純真さにほれ込んだのであります

菊九郎はお染を知れば知るほど好きになり、その世間の垢にまみれていないお染を何とかして身請けし、親元へ返してあげたいと思うように
こうして半九郎は家宝の刀を売ろうとしました

が、半九郎は友人と口論となり、なんとその刀で友人を切り殺してしまったのです

半九郎は後悔し、切腹しようとしました
が、お染は「半九郎様がいなくなっては、私も生きていても仕方がありません。これからずっと、死ぬまで遊女でいるならば、一緒にお供いたします」

こうして2人は鳥辺の山を死場ときめ、心中したのでした

これは「鳥辺山心中」として、世間を騒がせることとなりました

最高級の遊女 二代目 吉野太夫
吉野太夫というのは代々称された名前で、吉原の高尾太夫・大阪の夕霧太夫と並び、「最高の遊女」であります
吉野太夫は10代以上続いたといわれてますが、特に有名なのが「二代目」
本名は松田徳子といいます

京都で生まれた徳子は7歳の時に遊里へ売られた
そして林弥という禿(かむろ・遊女見習い)となりました

徳子は持ち前の美貌と、そして頭の良さでぐんぐんと美しく成長
なんと14歳にして「太夫」となったのです
「太夫」というのは最高級の遊女
その中でも「吉野太夫」という名を貰った徳子はピカイチ

茶の湯・和歌・舞などどれをとっても超一流
また思慮深く教養があり、たちまち京都中の大評判になりました

ある時、京都の鍛冶屋の弟子が吉野を見てヒトメボレ
だが吉野は最高級の遊女なため「値段」がめちゃくちゃ高い
吉野に恋焦がれたその男は、頑張って働いて大金を貯め、「一生に一度だけでも」と、吉野と一晩を過ごしたのです。そしてあまりの嬉しさに、もう思い残すことはない・・・と、その日に桂川にて入水自殺したのであります

そんな吉野太夫ですが、この吉野を巡って2人の男が対立していました
一人は豪商の跡取り息子・灰屋紹益
もう一人は芸術家本阿弥の一族であり、皇室とも繋がりのある近衛信尋

そして吉野が選んだのは灰屋のほうでした
吉野26歳・灰屋22歳でした

が、灰屋にはちゃんとした妻がいた
そのため父から勘当されてしまいました
でも妻が死んでしまったため、父は灰屋を許し、吉野太夫を正妻にすることを許したのです

ちなみにこの時のエピソードですが、吉野は所持品を売ったりしてけなげに夫に尽くしていました
ある日のこと、ある老人が雨が降ってきたので吉野の家で雨宿りさせてもらいました
そこで心ある茶のもてなしを受け、感動した老人が後日吉野のもとへたずねたところ、そこに息子がいたのでビックリ!
この老人は紹益の父だったのです
こうして2人は勘当を解かれ、正式な妻となったのでした

吉野を親戚に紹介する日、親戚の女房達は吉野なんかに負けるものか!と、競ってゴージャスな着物を身にまといやってきました
が、吉野は質素な着物で、物腰柔らかに挨拶
女房達は恥かしくなったそうです

ですが吉野は病気になってしまいました
そして38歳で死んでしまったのです
灰屋は吉野の死をすっごく悲しみ、吉野の骨を粉にして飲んだと言われています



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