そもそも、遊女とはいつごろから現れたのか? それは718年頃、飛鳥寺が平城京に移される時・・・ 建築に関わった大工さんたちの気分を良くしてあげるために、近場に奴婢を集めた この奴婢が娼婦の始まりとなったといわれています 平安時代になると、白拍子が現れました 白拍子とは、芸をみせる女性のことで、「遊女」や「あそびめ」と言われていました。が、この頃の女性は体を売るだけが目的の女性ではなかった 主に踊りで貴族たちをなごませていたのであります この白拍子のスタイルがだんだん変わってきて「宴に招かれ、性を売る」の専業だけになってきた人たちがいます これがのちの「遊女」となっていくのです また、源平合戦で、平家側についていた人々が多く職を失いました 生活のために遊女になった平家の女性も多かった が、この女性達はもともと教養があったため、体を売るだけの遊女とはちょっと違った さてさて、平安時代末期に遊女屋が出現しますが、まだ「芸を売る」方が多かった これが鎌倉時代になると「性を売る」遊女屋が多くなってきました 室町時代になると、歩き巫女など、下級の遊女が出現 特定の場所にずっといない遊女が増えてきた そのため室町幕府は「治安が悪くなる!」と、遊女を集め、商売を保障することに 戦国時代になると、遊女屋も盛んになり、各地で遊女小屋ができるように 豊臣秀吉の時代になると、治安維持と風紀取締りのために税金を(店を出させてあげるかわりに、儲けの一部をよこせというもの)取る遊女街が大阪にできました こうしてとうとう日本最初の、官が許した遊女街(遊郭)が登場することとなったのです 大阪にできたのをかわきりに、お次は京都に遊女街が誕生しました 通称「二条柳」といいます ここで初めて遊女を見世に座らせ、客に選ばせるというシステムが登場しました のちに京都は島原遊郭として発展し、江戸の吉原誕生の時に大きな影響を与えることとなります |
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