吉原へ行く道


生まれては苦界 
死しては投げ込み寺 苦界十年の女たちの世界


吉原は、最初町の中心街にありましたが、幕府により市の中心から浅草寺の裏のへんぴな場所に移されました

それが「新吉原」です

そのため吉原通いにはかなりの時間がかかりました

吉原の入り口はひとつしかなく、大門という大きい門に閉ざされておりました

船や籠で吉原に向かう男性もいましたが、多くは徒歩

上野から田んぼ道をずーっと歩く道です

吉原に行く以外、何も用事のない道でした

そのため、この道を歩いていて、知り合いにあっても知らないフリをするのが礼儀となりました

さらにこの道は追いはぎに会う危険が高い道でありました

歩き続けてやっとたどり着いた吉原

目の前には大門があります

周囲を堀に囲まれた吉原遊郭の唯一の出入り口

吉原の総面積二万坪の外と内をつなぐ唯一の場所であります

大門の左側には町奉行の面番所があり、怪しい客がいないかどうかチェック

大門の右側は吉原側の監視所。これは吉原を逃げ出す遊女がいないかどうかをチェックするところです。

大門は、男の出入りは自由でしたが、女性の出入りはうるさかった

もちろん遊女の脱走を防ぐため

一般女性は通行証が必要でした

大門が開くのは朝六時から午後十時まで

午後十時以降も廓は営業していまいたが、帰りは大門の横にある木戸からとなります



吉原の近くには以下のような場所があります


見返り柳   吉原から帰ってくる客が、この柳の木のしたあたりで「また来たいなぁ・・・」と思わず振り返るため見返り柳と言われたそうです

首尾の松   隅田川にある松。船で吉原へ行く客が、「今晩はうまくいきますように」とお願いしたことからこの名前がつきました

浅草観音   男性の吉原通いの口実によく使われた

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吉原から出る?


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