人買いに売られたりしてなりたくもないのに「遊女」となった女性たち 遊女の夢は自分を外に連れ出してくれる伴侶を見つけることでした 一般的に幼い頃、売買された少女は禿(かむろ)からスタートします 一応年季は10年です 10年働けば自由になると言われていましたが、これは表向きの話 禿時代はただ飯食いとして年季のうちに入りません 15歳になると遊女としてデビュー それから25歳まで一日に5・6人の客をとり、10年間肉体を使って働くのです 遊女は、持ち前の才能や美貌などによって、出世していきます が、遊女は仕事がら食生活も不規則で、健康面に不安を抱える人が多かった また、性病などの病気になる女性が数多くいたのです 当時、避妊具はあまり発達しておらず、「みす紙」という薄い紙を丸め膣内に挿入する方法しかなかった 吉原には病気治療の施設が大門の外にありましたが、再び見世に並べるようになった人は100人に一人か二人だった ほとんどの女性がそのまま死んでいくのです その病気治療に行くことができるのは高級遊女だけです 死んだ後の女性はどうなるのか? 遊女は売られた者がほとんどのため、死体の引き取り手がいません そのため近くの寺に埋葬されるのです それを「投げ込み寺」といいます 墓穴に投げ込んで終わりという簡単な葬式だったからです 投げ込み寺のひとつ、浄閑寺の過去帳には18歳から20代前半の遊女の名が記入されているが、その数2万人とありました では、病気にもならず生きて吉原を出ることができた女性はどうなるのでしょうか 吉原出の遊女たちは、年季を全うしても新たな借金がかさんでいた 茶屋側の巧妙なシステムにより、稼いでも稼いでも借金が減らないようになっていたからです 裸一貫で遊女となった女性は、食べるもの・着るものにもお金がかかる そして15歳でデビューするも、揚代は楼主のもの 年季を終え、吉原を出ても貯金などまったくないのです さらに10年以上も故郷から離れていた遊女はいわば「厄介者」 故郷に帰ってもただ飯食いが増えただけなのです さらに借金が残っている女性もいた 吉原で10年働いても、借金全てを返済できないのである その場合はどうなるのか 江戸時代、25歳は「年増」とされていた そのため岡場所に売られるのです いずれにしても、遊女は足を洗えず、一生肉体を切り売りしなければならなかった 商品価値がある時のみ、着せ替え人形のように色を売り続ける女性たち こうして遊女となった大半の遊女は、哀れな一生を送るのです |
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