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日本の女性史


日本の女性天皇を紹介

         


皇極天皇・斉明天皇

最初女性天皇である推古天皇の死後、次の天皇は息子の田村皇子と山背皇子(聖徳太子の息子)のどちらか!?という問題が勃発しました

そして時の権力者は蘇我馬子の息子である蝦夷(えみし)の時代でありました

蘇我蝦夷が田村皇子をプッシュしたため舒明(じょめい)天皇となったのです

が、舒明天皇時代は13年後に死去したのです

ここでまたもや次期天皇問題が勃発

候補は山背皇子と舒明天皇の息子である古人皇子・中大兄皇子の三人

さぁ誰にするか???と朝廷内は騒然

ここで誰にしていいか決まらず、なんと次の天皇を決めるまでに・・・・ということで、欽明天皇の皇后であった財皇女が天皇になることに

これが皇極天皇です

これぞ、次の正式(?)な天皇が決まるまでの中継ぎのような感じですね〜

さて、蘇我氏ですが、この頃蝦夷の息子である蘇我入鹿が飛ぶ鳥を落とす勢いで政治の舞台へ駆け上がっていました

幼い頃から優秀で、しかも超お金持ち。そして入鹿は父の蝦夷と違って馬子(おじいちゃん)に似た勝気で傲慢タイプでした

皇極天皇が即位したと同時に、蝦夷は息子の入鹿を天皇の補佐役に置いたのであります

さてさて、次の天皇は誰がいいか?ということを考えていた朝廷

実は一番人気があったのは温厚で人望もある山背皇子でした

そこで入鹿は考えた
「蘇我氏はいくら権力を持っても、皇族ではないので天皇にはなれない。ならばバカなヤツを天皇にして、そいつを操って権力をふるう以外方法はない。山背皇子だと優秀だから困るんだよな・・・。邪魔なヤツは消したほうがいいかもな・・・」

こうして入鹿は山背皇子を殺害してしまったのです

蘇我氏のパワーはもうとどまるトコを知りませんでした

それをおもしろくないと考えていたのが31歳の中臣鎌足(なかとみのかまたり)
「ちぇっ。蘇我氏ばっか権力を握りやがって。俺たち中臣家はボロボロじゃねーか!」

こうして鎌足は、皇極天皇の息子である19歳の中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)に近づいていくのです

鎌足は中大兄皇子に「近頃の蘇我氏のやり方はヤバイと思いませんか?」と持ちかけました

実は中大兄皇子も「入鹿のヤツ、皇族である山背皇子を殺しやがって・・・。次はオレかもしれない・・・」と不安になっていたので、2人は意気投合

こうして蘇我入鹿暗殺をたくらむのです

2人は「暗殺決行は6月12日にしよう!」と決めました

この日は朝鮮から使者が来る時、手紙を取り次ぐ儀式がある
最高責任者である入鹿はもちろん出席。その時を狙おうというものでした

入鹿は、どこに行くにも剣を持ち歩く用心深い人でした

が、この時は、前もって打ち合わせしていた芸人が、パフォーマンスとして剣をが冗談でとりあげたので、入鹿も笑って剣を預け席に着いたのです

中大兄皇子らは、2人の刺客を雇い、入鹿を殺すよう命令していました
無断転載禁止だよ!ハガクレ★カフェより
蘇我石川麻呂が使者からの手紙を読む役目で、この時に入鹿を殺す手配になっていました
が、いつまでたっても2人の刺客が恐ろしさのあまり、動揺して動かないのです

蘇我石川麻呂は「おかしい・・・何をやっているんだろうか・・・・」と、だんだん緊張してきてしまいました
手紙を読む声が震え始め、体もガクガクと振るえ、抑えられなくなってきたのです

不審に思った入鹿

「なぜそんなに震えるのか?」と声をかけたその瞬間、堪えきれなくなった中大兄皇子が、柱の影からが飛び出し、入鹿に切りつけたのです

「私が一体何をした!?」と叫んだ入鹿

居合わせた皇極天皇も突然の出来事にびっくり!
入鹿は皇極天皇に助けを求めました。
皇極天皇も、「一体これは何なのだ!?」と叫びました。

すると中大兄皇子が、「入鹿は天皇家の皇子を殺そうとしている!そして天皇家の力を弱めようとしている!あなたはどっちが大事なのですか!!?」と言ったのです

すると、皇極天皇はさっさと奥に引っ込んでしまい、入鹿はそこでめった刺し

異変を知った父の蝦夷は、早急に兵を用意し人々に協力を要請しました
が、最初協力しようとしていた人も次々と蝦夷を裏切っていったのです
もはやこれまでじゃ!と悟った蝦夷は、情勢が不利とみて屋敷に火をつけ自害
これで、4代・50年以上続いた独裁者 蘇我氏は滅びました

これを乙巳(いっし)の変といいます
乙巳(いっし)の変の翌日、息子の殺人現場を見た皇極天皇は、天皇を辞めたくなっちゃいました

中大兄皇子に位を譲ろうとしましたが、中大兄皇子は聖徳太子に見習い「摂政」をやって政治を握ったほうが後々やりやすいということで、叔父の軽皇子に譲りました

ここに36代孝徳天皇が誕生しました
この時50歳であります

年号を大化に改め、これにちなんで「大化の改新」と呼びます

孝徳天皇は、都を飛鳥から大阪に移し、新しい政治の方針を発表しました
といっても、中大兄皇子に言わされてるだけなんだけどね

こうして孝徳天皇となりましたが、実権を握っているのは中大兄皇子

おもしろくない孝徳天皇と中大兄皇子はだんだん険悪なムードに
さらに自分の奥さんと中大兄皇子が不倫してるもんだから、さらにムカムカ

そんな時、突然中大兄皇子が「やっぱ都は大阪より飛鳥でしょ!」と言い出したのです

孝徳天皇は「何勝手なこと言っとんじゃ!」と激怒!

「そんなに飛鳥に行きたければ、お前1人で行けば?」と言ったのです
無断転載禁止だよ!ハガクレ★カフェより
孝徳天皇からしてみれば、いくら中大兄皇子が権力を握ってても自分は天皇だし!誰が皇太子ごときの言うことなんか聞くか!という気持ちがあったのです

が、中大兄皇子が飛鳥に引っ越すぞ!といった途端、孝徳天皇の奥さんや自分の家来の殆どが、飛鳥について行ってしまったのです

孝徳天皇は「ワシ、天皇なのに・・・」と、ショックで病気がちに
愛する奥さんにも捨てられ、翌年失意のまま死んでしまいました
孝徳天皇の息子・有馬皇子だけが、最後まで病気の父を看病をしていたのです

孝徳天皇が死んでしまったので、次の天皇候補は孝徳の息子である有馬皇子と中大兄皇子でした
無断転載禁止だよ!ハガクレ★カフェより
ですが中大兄皇子は有馬皇子に天皇を譲りたくなかった
いずれ自分がなるつもりだったし、次は自分の息子大友皇子(おおとものおうじ)をゆくゆくは天皇にさせたかった

だけど「オレ、まだ妹(孝徳天皇の奥さん、間人皇后)」がスキなんだよな。だからまだ天皇にはなれないんだよな」と、考えまくり

この時代はこういったスキャンダラスな関係はNGだったのです

だけど今の段階で間人皇后との愛を捨てるのはイヤ
それに、もし中大兄皇子が天皇になったら「皇太子」を立てなきゃいけない

息子の大友皇子はちびっ子なので、有馬皇子を差し置いてまで「皇太子」に任命するのはまだムリ

そして考えた結果は・・・

大友皇子が「皇太子」になれる年齢になるまで、母である皇極をもう一度天皇にさせよう。で、大友皇子が大きくなったらオレが天皇になって、大友皇子を皇太子にさせよう!それまで妹とイチャついてよう。と考えたのです

中大兄皇子は、母である皇極天皇を天皇に返り咲きさせたのです

ちなみに一度天皇を退位してから、もう一度皇位につくことを「じゅうそ」と言います
これは日本史上初めての出来事でした

そして元・皇極天皇は名前を変えて37代斉明(さいめい)天皇になったのです

中大兄皇子は有馬皇子が邪魔で仕方ありませんでした
とうとう658年に有馬皇子を殺害!
こうして時代は中大兄皇子の独断場となっていったのです

さてこの頃、朝鮮では戦乱の時代を迎えていました

新羅VS百済の戦いが始まっており、新羅は、唐を味方につけ百済を押すように

そしてとうとう百済が滅亡してしまうのです
朝廷では友好国である百済の滅亡に大騒ぎ
さらに百済は国家再興の意志が強く、日本に援軍を要請してきたのです

朝廷はどうしようか・・・と悩みまくり

友好国である百済を応援したいのは山々ですが、敵は新羅・唐の連合軍。苦戦するのは目に見えているし・・・。
無断転載禁止だよ!ハガクレ★カフェより
だけどこのまま百済を見捨てると、長年日本の勢力下にあった半島の経営を失うこととなるし、もしかしたら新羅・唐連合軍は百済をやっつけた後日本にやってくるかもしれない

斉明天皇は悩みに悩んで、百済に水軍を送ることに

そして661年に68歳になった女帝斉明天皇は自ら軍船に乗り、中大兄皇子・大海人皇子を率いて百済へ向かったのです

さらにこの船には天皇と両皇子のほか、鵜野讃良皇女(後の持統天皇)や額田王も同船しました
ちなみに天皇が中央を離れたのは伝説以外では初めてのことです

これが白村江の戦いです

斉明天皇はこのような歌を詠いました

「熱田津で船に乗って出発しようとお月様が出るのを待っていると、月も出始め潮もちょうどいい具合となった。さぁ、いざこぎ出よう!」

が、661年7月24日に、旅の疲れと暑さのため急死してしまいました

68歳(61歳とも言われている)と高齢だったので、疲れてしまったのでしょう

そして亡くなった筑紫朝倉の地で通夜を済ませた斉明天皇の遺体は、飛鳥に運ばれ葬送されました

皇極天皇(斉明天皇)の存在は、実質的な権力をまったく握っていなかったと思われます

乙巳(いっし)の変の計画にも何も関与しておらず、中大兄皇子に「もう一度天皇になってよ」とお願いされ、斉明天皇になったものの、実権は中大兄皇子に握られたまま

自らの意思があまりなく、政治の世界に引きずり込まれ、権力の最高地位にありながら、まったく権威をふるうことのなかった女帝でありました








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