現在の日本史上、最後の女帝となる後桜町天皇
1740年に生まれ、天皇になる前は智子(としこ)内親王でした
弟が桃園天皇となっていたんですが、なんと弟が22歳で死んでしまったのです
桃園天皇の息子(後の後桃園天皇)はまだ5歳
こうして中継ぎとして桃園天皇の一歳年上の姉であった智子内親王が天皇になることになったのです
そして息子の英仁親王が1770年に天皇になるまでの8年間、最後の女帝として天皇となっていました
さて、この頃の朝廷といえば、形式だけのものでした
政治の実権は徳川幕府が握っていましたし(ちなみにこの頃の将軍は八代将軍吉宗だよ)、儀礼的なもの以外はほとんど幕府にまかせっきり
後桜町天皇は一体どんなことをやったのか?というのがほとんど明らかになっていません
英仁親王が後桃園天皇となり、とりあえず役目を果たしましたが、後桃園天皇に天皇としての教育をしたのは彼女だといわれています
が、この後桃園天皇も1779年に22歳の若さで死んでしまいました
後桃園天皇には子供は一人。欣子(きんし)内親王という女の子だけです
次の天皇がおらず困った朝廷
後桃園の死は今までの皇室の維持を困難にさせちゃいました
ここで朝廷は、後桜町天皇の又従兄弟(四親王家のひとつ)から次期天皇を出したのです
しかも年齢は9歳
後桜町天皇はかなり心配していたそうです
心配は的中し、後桃園天皇との血縁を薄く、周囲はあまり大事に扱わず、さらに幕府も適当な扱いをしていたらしい
このため、天皇となった光格天皇は、のちに後桃園天皇のただ一人の娘だった欣子内親王と結婚したのです
が、残念なことにこの2人には子供が生まれませんでした
当時思われていた「正統」な血筋はついに消え去ったのであります
こうして後桜町天皇は、不婚のまま74歳で生涯を終えました
無断転載禁止だよ!ハガク
これが日本史上、最後の女帝となります
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