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日本の女性史


こんな女性がいた!

         


鎌倉・室町時代
新田義貞をメロメロにした匂当内侍(こうとうのないし)

時は室町初期

足利尊氏VS後醍醐天皇の戦いが始まっておりました

鎌倉攻めをし、鎌倉幕府滅亡に導いた新田義貞は、同じ武士として足利尊氏が大嫌いだったので、後醍醐天皇側についておりました

ある日、新田義貞が後醍醐天皇のもとへ行くと、そこにいたのが後醍醐天皇が寵愛していた匂当内侍

土臭い武士からしてみれば、宮中にいる女性は高嶺の花

が、後醍醐天皇は義貞が匂当内侍にヒトメボレしたと聞くと、なんと匂当内侍を義貞にあげちゃったのです

どうやら匂当内侍は、あまりにも綺麗だったため、宮中でも嫉妬の的だったそうです

「こんな美人をワシにくれるなんて!」と義貞は後醍醐天皇に感謝するとともに、匂当内侍にメロメロ

後醍醐天皇は「これで義貞は今まで以上にワシに忠誠を誓い、活躍するだろう」と思ってました
が、予想は大外れ

あまりにも義貞は匂当内侍にメロメロになり、その色香に溺れまくってしまったのです

以後、戦いぶりも散々

匂当内侍と別れるのが辛くて、戦機を逃しまくり

とうとう義貞は負けてしまい北陸へ落ち延び、討死となったのでした
これも匂当内侍に溺れすぎてしまったためですねぇ・・・

北条義時が「絶対離婚しません」と誓約書を書かされた女性・姫前

姫前は幕府に仕える女官であります

めちゃくちゃ美人で、あの源頼朝も狙いをつけました

が、頼朝の奥さんの北条政子はめちゃくちゃ怖いので、頼朝は姫前をあきらめました

で、政子の弟の義時がゲットしたのであります

頼朝は悔しかったので、2人が結婚するって時に、北条義時に「絶対に離婚しません」という誓約書を書かせました。=バレるような浮気はしちゃだめということ

まぁ頼朝は、よっぽど姫前を奪われたのが悔しかったんでしょう。また、自分が堂々と浮気できないのに、義弟が遊びまくってるのが気に入らなかったのでしょうねぇ

うつ病になってしまった源頼朝の娘・大姫

大姫は、鎌倉幕府の征夷大将軍となった源頼朝と北条政子の長女です

大姫には婚約者がいました
頼朝のライバル・木曽義仲の息子・義高です

義高はいわば人質としてやってきましたが、当の2人はとても仲が良く、5歳の大姫に11歳の義高はとっても可愛いカップルだった

が、木曽義仲がとうとう挙兵し、源頼朝と対立
結果、木曽義仲は敗れてしまいました

息子の義高は、死罪となってしまったのです

大姫は義高の死がめちゃくちゃショックでした。こうして大姫は食事も喉を通らなくなり、やつれはて、最後はうつ病になってしまったのです

こうして20歳まで病気は治らず、死んでしまいました

実家から怒られちゃった!足利尊氏の妻・登子(とうし)

室町幕府を建てた足利尊氏

その妻は、なんと北条家の娘だったのであります
足利尊氏が北条家を裏切り、後醍醐天皇チームについた時・・・登子は幼い息子・千寿王とともに夫を信じて鎌倉を脱出するトコでした

夫のことをブーブー怒る実家との間に挟まれた登子はどんな気持ちだったんでしょうねぇ

ともかく登子は夫・尊氏を信じて波乱に満ちた生涯を送りました

子供ができず寂しい生活・・・足利義満の正妻・日野業子(なりこ)

室町幕府三代将軍・義光の正妻は、義光より7歳年上女房でした

日野家出身の女性で、御所で働いており、このときから将軍家の正妻は「日野家」から・・・となりました

業子は妊娠し出産するもすぐさま死産
その後は子供が生まれないということで、だんだん義光から疎まれていくように

で、義光が他に好きな女性ができちゃったので、ずーーーーと寂しく生活し、とうとう病気で死んでしまいました

ちなみに業子が死んだ後、義光の正室になったのは業子の姪の康子

が、こちらも子供が生まれなかったようです

とはずがたり・・・愛と性に翻弄された後深草院二条

後深草院二条という女性の書いた「とはずがたり」という自伝のような日記

これは二条が、自分の人生をぽつりぽつりと語ったものであります

二条は、大納言である源雅忠の娘でした
二条の母は時の上皇である後深草院につかえており、性について色々教えた女性
つまり、初体験の相手であります

後深草院は、「源氏物語」が好きで、光源氏のように幼い姫を自分の思い通りに育て上げたいと願っていた
そして選ばれたのが、自分の初体験の相手の娘・二条だったのです

二条はその時14歳

幼い頃から自分を可愛がってくれていた後深草天皇によって、性を教え込まれることとなったのです

そんな二条には、西園寺実兼という好きな人がいました
が、実兼は後深草院の側近

実兼はもちろん、後深草院に逆らえるはずもなく、二条は後深草院の女房として宮中に入ることになりました

そして二条は院の子を出産しますが、その直後、実兼と愛が最熱し、二人は関係を持つようになるのです

以後、後深草院は二条を性の遊び道具として扱うようになりました

他の男に二条が抱かれるのを見るのが楽しくなり、色んな男と二条を寝させました

屈辱の日々に終止符を打ったのは、後深草院に正妻

正妻によって二条は宮中を追い出されたのです

30歳を超えていた二条は出家し、各地の寺を歩く生活を送るように

そんな二条のもとに後深草院が亡くなりそうだという噂が

すると二条は、京都に戻り、裸足のまま後深草院の棺のもとへ駆け寄って行ったのです

自分を破滅させた男・・・。そんな男の棺に駆け寄った二条の気持ちは、一体どのようなものだったのでしょうか
英雄・楠木正成の妻・久子

楠木正成といえば、戦前のヒーロー!
後醍醐天皇の鎌倉幕府討幕を助け、最後まで戦い抜いた武将であります

そんな楠木正成の妻はほとんど資料にありませんが、どうやらかなり強い心を持った女性と思われます

夫の正成が後醍醐天皇の家臣となり、戦いに明け暮れる毎日

そして夫は死に、足利尊氏によって夫の首が久子のもとに送られてきた

息子の正行は嘆き悲しみ、父の後を追うと自刃しようとしましたが、それを押しとどめたのは久子であります

そして息子に天皇への忠誠を尽くすことこそが、父への孝行であると、正行を生かしたのでした

バサラに狙われた塩冶判官の妻

塩冶判官(えんやほうがん)の妻は、めちゃくちゃ美人で、後醍醐天皇の奥さんの一人でした

塩冶判官は、後醍醐天皇に気に入られ、この奥さんを天皇からもらったのですが、のちに足利尊氏側に寝返った武将であります

さてさて、尊氏の側近に高師直というバサラ(はちゃめちゃ男)がいました

高師直は、この塩冶判官の妻がめちゃくちゃ美人というのを聞いて、どーーーーしても欲しくなっちゃいました

何といっても天皇から賜った美人さん。ということで、高師直は吉田兼好にラブレター代筆させたりと、あの手この手でアタックするも、全て振られてしまいました

それでも諦めることができず、高師直は塩冶判官の家に忍び込んで風呂場を覗くなど、やりたい放題

しまいには主君の足利尊氏に「塩冶判官が謀反起こそうとしてるよ」とデタラメをいい、奥さんをゲットしようとしました

すると塩冶判官は自殺してしまったのです

悲しんだ奥さんも、後を追って自害するという悲惨な結果に終わってしまいました

ちなみにこのお話は、「仮名手本忠臣蔵」によって、とても有名になりました






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