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日本の女性史



         


伊藤野枝
いとうのえ

伊藤野枝は明治28年に福岡で生まれました

貧しい家で、口減らしのために野枝は長崎の叔父のもとへ養女に出される

そして実家に戻り、郵便局の事務員として働いていた

そして何とか、東京に出て勉強したいと思うようになったのであります

東京にいる叔父に三日に一度、分厚い手紙を送り、とうとう根負けした叔父が野枝の面倒を見ることに

こうして野枝は上野にある女子学院に入ったのであります

野枝は東京の洗練された女性の中では、とても田舎臭い女の子でしたが、ものすごく頭が良かった
新任英語教師の辻潤(つじじゅん)は、好奇心旺盛で負けん気の強い野枝とだんだん親しくなっていった

が、実家では野枝の結婚話が進んでいたのです

相手はアメリカ移民の青年でした
野枝は「その人と結婚すればアメリカに行けるのか・・・」と、結婚を承諾した

が、やはり気に入らなかった
花嫁衣裳を投げ捨て、結婚の翌日に帰ってきてしまったのです
そしてさっさと東京へ戻ってしまったのです

この辺が、この時代の女性としてはすごい事ですね

東京に戻った野枝は、英語教師の辻潤の家に入り込みました
辻は生徒と関係を持ったことがばれてしまい、教師をクビになってしまった

辻は野枝にかなりほれ込み、10歳年下の野枝に色んな事を教えた
「青鞜」のことを教えたのも辻であります

青鞜に興味を持った野枝は、そのパワフルな性格で早速青鞜へ行き編集手伝いをすることに

負けず嫌いでエネルギッシュな野枝はたちまち青鞜内での立場を強くしていきました

さて、青鞜の中心人物といえばらいてうですが、らいてうは年下の彼・奥村博史と同棲生活をはじめていた
が、青鞜仲間はらいてうがあの程度の男と付き合うなんて!と、博史の事が大嫌いだった

らいてうは次第に変化しつつある「青鞜」にだんだん嫌気が差してきたのです
最初に始めた仲間は皆いなくなってしまっていたので、「もうやめようか・・・」と思い悩んでいたのでした

そこへ野枝が「ぜひ私に任せてください」と言ったのです

こうして20歳の野枝が青鞜の新リーダーとなったのです

野枝の生活はものすごく忙しくなっていきました
さらに野枝は次男を産んでますます大変に

が、辻は働きもせず、毎日尺八を吹いている生活
赤ん坊にお乳を飲ませながら、深夜仕事をする
毎日イライラし、辻や一緒に暮らしている姑とも次第に険悪になっていった

そんな中、大杉栄とであったのです
大杉栄はアナーキストでした
アナーキストとは、全ての社会的権力を否定して、個人の完全な自由と独立を望む考え方をする人達です

こうして野枝は辻を、そして青鞜を捨て、社会主義者である大杉栄のもとへ行ってしまったのです
野枝は、生まれたばかりの次男を背負って辻のもとを去っていきました
辻は「幸せになりなさい」と言ったそうです

こうして野枝が去ったことで青鞜は大正五年二月号にて終了してしまいました

そして野枝は幸せになるのか?と思いきや、なんと大杉栄には内縁の妻である堀保子(ほりやすこ)と、恋人に神近市子(かみちかいちこ)という女性がいたのです

が、野枝は全くひるまなかった

この四角関係は、野枝が2人を蹴落とし、勝者となったのです
この辺のバトルは神近市子のとこで詳しく書いてあります

ですが野枝の評判はがた落ち
「女流文士を気取った淫売女」とののしられるように

それでも大杉との間に五人の子を産み、貧乏ながらも何とか暮らしていました

大杉栄は日本社会主義同盟の発起人として、活動していましたが、大正12年に関東大震災がおきました

野枝と大杉は鶴見にいる弟の見舞いに行き、6歳の甥を連れて帰る途中、東京憲兵隊に捕らえられてしまったのです

そして、野枝は大杉と甥とともに首を絞められ殺害されてしまったのです
不安定な政局の中、どさくさにまぎれて虐殺された野枝
まだ28歳でした

後日、この事件が世間に知れると、少年までも殺害したと大問題になっていったのでした










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