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日本の女性史



         


高橋お伝

高橋お伝は、1851年に群馬県の沼田で生まれました
お伝が生まれて一ヵ月後に母は夫に離縁され、お伝は高橋家に残されました
が、父はお伝の世話が出来ず、実兄の養女にさせました

お伝が14歳になった時、宮下要次郎という人と結婚
が、二年で離婚となりました

その後お伝は酒屋に働きに行くが、使用人の男を好きになり追い掛け回したためクビに

こうして家に戻った18歳のお伝にまたも結婚話が
今度は従兄弟の高橋波之助
が、波之助は博打が大好きな男だった
お伝は波之助が大好きだったので、波之助に尽くしまくることとなるのです

例えば、波之助が博打仲間に「次は女房を賭けろ!」と言われると、お伝は洋服を脱ぎ、豊満なヌードを披露
勝負相手はヌードのお伝が気になって勝負どころじゃなくなっちゃった
こうやって波之助のために、異常な尽くし方をしたのです

が、仕事をしてないためお金が無くなるのは当然
2人は東京に出ましたが、ここでも借金生活

お伝は波之助を養う為に売春を始めたのでした
ですが波之助が病気で死んでしまいました

自暴自棄になったお伝は、今度は吉田伊平という男の妾となります
ちなみにかなり格安で妾になりました

が、吉田が仕事で出かけてる間に、今度は小川一太郎という男がお伝に接近
こうして2人は愛人関係となるのです

お伝は小川にかなりほれ込みました
が、小川がこれまた商売下手で色んな商売に手を出したけど全部失敗
お伝は小川のために、赤子を一時的に誘拐し、その子を抱き吉田伊平の前で「あんたの子供を産んだよ」とお金を貰ったりしました

が、それでもお金が足りないのでまたも売春することに
そして今度は、昔売春した男たちのところに行き「お金を貸して」と歩きまくったのでした

さてさて、そんな中で昔お伝を買ったことのある後藤吉蔵が、妖艶な美人になったお伝を見て「お金は貸してあげるよ。だから今晩は旅館でゆっくりしようぜ」と言い出しました
そして「そしたら二百円貸してあげるからさ」ということになったのです

お伝も「どうせあたしの体目当てで、二百円なんて貸してくれないはず・・・。場合によっては殺してでもお金を奪ってやろう」と思うのです

そしてお伝は本当に後藤を殺してしまったのでした
殺した後、後藤の財布を奪うと二十五円しか入っていなかった
もともと後藤はお伝にお金など貸す気はさらさらなかったのです

お伝はその二十五円を奪い逃げましたが、半年後逮捕されました

そして裁判で「私は自分の姉を殺した男と出会いました。それが後藤です。だから私は敵討ちをしたのです」と言ったのです
そのため裁判は長引きましたが、結果はお伝の作り話ということとなり、明治12年に斬首の刑に処せられることとなったのです

刑を執行したのは八代目の山田浅右衛門
お伝は最後の最後まで恋人の小川一太郎の名前を叫び続け、必死で刀から逃れようとしたので、さすがの浅右衛門も首を切り損ねてしまい、三回目でやっとねじ切るようにお伝の首を落としたのであります

ここからがスゴイ

なんとお伝の遺体は解剖され、お伝の局部は「淫婦の標本」として性器を切り取られホルマリン漬けにされたのです
今考えれば、このこと自体がかなりの犯罪ですね
「淫乱女の性器を見てみたい」という男性の興味のためのものです

お伝は「希代の毒婦」として有名になってしまいましたが、ある意味気の毒な女性でもありますよね
好きになった男がみんなダメ男
そしてその男に尽くして尽くして尽くしまくるという女性だったんですね

ちなみに小川一太郎は、その後生きつづけましたが、最後は仏門に入りお伝のために祈る毎日となったそうです
それが救いですねぇ








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