日本の女性史



         


お倉

江戸の谷中で生まれたお倉
本名は浅井たけ

父親はとび職をしていましたが、浅草で茶屋を開きました

が、うまくいかず一家は離散してしまい、お倉は7歳で水茶屋を経営する家に養女になりました

お倉は美しく育ち、たちまち養父の経営する水茶屋の人気者に
お倉目当てにやってくる客が数多くでました

そのうちお倉ファンの松尾鉄五郎と付き合うように

そして2人は周りの反対を押し切って同棲をし始めたのです
が、鉄五郎はとーっても浮気者で、遊んでばかり
怒ったお倉は養父のもとへ戻ってきた

21歳になったお倉は、新宿の遊女屋「豊倉屋」に身売りされ、いきなり娼婦となる
娼婦になったお倉は、ここでも大人気で、店の客だった植木屋の亀次郎と恋仲に

が、この亀次郎もかなりの遊び男
お倉のヒモとなり、お倉が稼いだお金で遊びまわりました

お倉はエリートに妾になってくれと言われたりしたんだけど、すぐヒモ・亀次郎の存在がバレてしまい、クビになりまくり

それでもなぜか亀次郎と縁が切れず、お倉は亀次郎を養う為に吉原などに行ったりしました
が、常に亀次郎がそのお金を博打などで使ってしまう毎日となっていきました

そんなお倉の運気が変わったのが横浜へ行ってから

開港したばかりの横浜は、外国人も多く景気がよかった
そこでお倉は芸者置屋をはじめたのです
30歳過ぎてたお倉ですが、みずからお座敷にでました

ここで知り合ったのが、大蔵省の幹部だった井上馨
そして井上は伊藤博文・大久保利通・大隈重信などを紹介
さらに天下の糸平こと田中平八がお倉のパトロンになってくれたのです

田中平八は生糸とお茶を海外輸出している承認で、明治の三商と言われるほどの大金持ち
その田中平八がお倉を気に入り、料理屋を買ってくれたのです
それが「富貴楼」

この富貴楼は大物政治家の秘密商談の場所となりました

利用していたのは上に書いた井上馨らをはじめ。山県有朋・渋沢栄一・岩崎弥太郎など超大物たち

こうしてお倉は大成功を治めたのです

ところで、あのヒモ・亀太郎はというと、お倉がどんどん名声を得ていくのに嫉妬して、浮気ばかりしていました
で、死んでしまいました
お倉はとっても悲しんだそうです
どーして亀太郎のことが捨てられなかったんでしょうね

そんなお倉もとうとう年になり、お店を養子に譲って大磯に別荘を建てて悠々自適な生活

苦界から脱出し、大成功した女性となったのでした








女性史TOPに戻る?

TOPに戻る?


参考文献はすべてこちら



1