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日本の女性史
但馬皇女
但馬皇女の母は、藤原不比等の姉でした
母は天武天皇の妻の一人でしたが、但馬皇女が幼い頃に死んでしまい、藤原不比等に引き取られ育てられました
そんな但馬皇女に結婚話が出てきました
お相手は高市皇子です
高市皇子は34歳で、朝廷での信頼も厚い人でした
こうして但馬皇女は16歳の時に、34歳の高市皇子と結婚することとなったのです
ですが、高市皇子には忘れられない女性がいました
それが
十市皇女
です
十市皇女は、天武天皇と額田王との間にできた娘で、高市が若い頃とても好きだった女性でした
が、十市皇女は死んでしまったのです
高市皇子の心の中には、ずっと十市皇女の面影が残っていました
高市皇子には他にも妻がいましたが、誰も高市皇子の心を癒すことはできなかったのです
当然、但馬皇女は高市皇子にとって別に欲しくもない妻でした
そのため、但馬皇女は宮殿の片隅で、侍女たちと寂しく暮らしていたのです
そんな但馬皇女でしたが、ある日となる男性に出会いました
それが穂積皇子です
但馬皇女と穂積皇子の母は同じでしたが、2人とも寂しく時を過ごしていたためお互い愛し合うようになってきたのです
但馬皇女は、夜宮殿を抜け出して穂積皇子に会いにいくようになりました
ですがそれが噂になり、「時の権力者・高市皇子の妻が、若い男と不倫している」というスキャンダルになっていったのです
ですが但馬皇女は、穂積皇子が愛しくて愛しくてたまりませんでした
人々はますます但馬皇女を非難したのです
が、但馬皇女をかばってくれた人がいました
なんと夫である高市皇子です
高市皇子は、妻の不倫をかばい、そして許したのです
ですが、離婚して但馬皇女が穂積皇子と結婚することはできませんでした
そうなってしまうと、穂積皇子の男としての出世人生が終わってしまうからです
最後2人の愛はどうなったのかはわかりませんが、但馬皇女が穂積皇子の元へ行くことはありませんでした
きっと最後まで忍ぶ愛を育んでいたのかもしれません
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