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日本の女性史



         


勝 民子
かつ たみこ


幕末の超有名人・勝海舟の奥さんとなった人であります

民子は旗本の養女というコトになっていますが、実はモト深川芸者であります

器量がよく、とても人気があった芸者だったようです

そんな二人の馴れ初めは不明ですが、とりあえず勝海舟が23歳・民子が25歳の時に結婚しました

結婚当初は貧乏でしたが、それでも民子は一生懸命海舟を支え暮らしておりました

海舟は一応は幕府の御家人だったのですが、41石しかもらっていなかったし、さらに蘭学のお勉強に夢中

ということで、二人の新居はわずか3枚の畳があるだけで、天井の板は寒さをしのぐために燃やしてしまうという極貧ぶり

民子は一切贅沢をせずに海舟を支え続けていました

それでも二人はとても仲がよく、二男二女に恵まれ幸せに暮らしていました

海舟が28歳の時に私塾を開きますが、その時にも海舟はみんなに「オレにはもったいないくらい出来た女房なんだ」と自慢しておりました

そんな二人の仲がだんだんとおかしくなってくるのは、勝海舟が世の中に出始める頃・・・

33歳になった海舟は、幕府から海軍を率いるために長崎に派遣されます

そこで海舟は「ひさ」という妾を持ったのです

「ひさ」は、まだ14歳だというのに、すでに夫と死別しているとい女の子でした

そしてなんと、海舟との間に男の子まで出産したのであります

今までビンボー生活をしてきた海舟の何かがはじけてしまいました

こっから海舟の女遊びがめちゃくちゃ激しくなり、ひさの他にも3人の妾を作り、子供を生ませまくり

さらに海舟は妾を家に連れてきて、民子と同居させる始末

妾たちは毎朝民子のところに三つ指をたてて挨拶にきていました

海舟は「おれんとこは妻と妾が同居してるけど、なーんのトラブルもないんだぜ。これも民子が賢いからさ」と自慢していましたが、民子は民子でものすごーーーーく嫌だったことでしょう

が、民子は知人に「昔の貧乏な時のほうが幸せだった・・・」ともらしていたそうです

そんな勝海舟は脳溢血で倒れて死んでしまいました

ついでに言うと、倒れた海舟を見つけたのは妾さん

その6年後、民子も倒れ危篤状態に

その時に民子が言った言葉は「オネガイです。勝のそばに埋めないでください。死んでしまった長男の小鹿のそばに埋めてください」という言葉

死んでまで勝海舟と一緒にいたくなかったんですね・・・











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