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日本の女性史



         


平安女性の生活

平安時代というと、華やかな時代というイメージがありますが、それはほーーんの一握り

貴族だけが歌を詠んだり蹴鞠をしたりと贅沢な暮らしをしていましたが、お百姓さんたちは大変でした
イイトコのお嬢さんの化粧品代だけで、何百人もの農民が生きることのできた時代なのです

そして貴族を取り巻くのは藤原氏
平安時代は藤原氏の最盛期を迎える時代となります

また女性執筆家が多く出てきた時代でもあります
紫式部や清少納言など、宮中のことがよくわかる本を書く女性も現れてきました

平安後期になると、武士が出始め、平家などの「武家」が出てきます


女性のファッション十二単

平安時代の女性ファッションといえば十二単

これはもー、重ね着しまくりです
多いときは20枚にもなったらしい
そして衣装の重さは10キロ・・・。大変だよね

何でこんなに着込んでんの?その理由はさまざまです。

まず宮廷内で女性達が他の女に負けまい!と衣装を競い合った結果こんなに膨らんでしまったとか
さらにこの時代は寒い!布団も綿が入ってない!なので男の人がやってきた時に即席ベッドとなったのです
とはいえ平安後期にはさすがに歩きづらいというので、5枚くらいになりました


お化粧について

この頃になると後継ぎは男!となってきたので女性の地位は低下しまくってました
そのため父や夫に頼って生きてくしかなかったのです
貴族の女性は外に出ちゃいけなくなり男性が通ってくるのを待つだけ
夜の家の中はあかりもあまりない時代なので真っ暗
いかに薄暗い中でいかに自分をキレイに見せるかがポイントとなってきたのです
結果「透き通るような白い肌」が美の基準になってきました
女性たちは顔の白さを強調するためにおしろいを塗りたくり、また白さを強調するためにお歯黒といって歯を黒くした
さらに鼻が低いほど美人とされていたので、鼻の周りには頬紅をつけ鼻の周囲を紅くしました
さらにさらに白塗りのノリを良くするために眉毛も抜いたのです
さらにさらにさらに、白い部分が多く見える方が美人だったため、顔のデカイ人が美人だったようです

さぁ!以上のことをすると、笑うと顔がパキっと割れる平安美人の出来上がり♪というか想像すると怖いよ〜


平安美人は笑えない

平安時代の女性は笑えませんでした
ナゼか?というと、上にも書きましたが顔に白粉を塗りまくっているので、笑うとピキっと顔面が割れてしまうからです。すごいですね〜


貴族の結婚

この時代は婿取り婚です。しかも男性は複数の奥さんを持つことがOKでした
それでも正式な結婚手続きがあります

まず最初に仲に立つ人が口を聞いて、手紙のやりとりをさせ、そして一晩だけ女性の家に泊まるという「試験」を行います
その日は女性の両親は絶対に顔を出しちゃいけません

男性は翌朝まだ夜が明けないうちに自分のおうちに帰りますが、この日にどっちがか「気に入らないなぁ」と言えばそこでおしまい

それがなければ男性は続けて三日間、夜だけ女性のもとへ通います

そして三日目になると「正式な結婚」が成立。すると三日のモチというのを2人で食べ、女性の家で用意したご馳走でパーティが開かれ、両親は初めてお婿さんと顔を合わせることができるのでした


男性パラダイス!

さてさて、結婚成立となった貴族の男女ですが、男性は婿としてそのまま女性の家に住みついてもいいし、自分の家に来てもらってもいいし、どっちでもOK
さらに結婚すると、お婿さんの洋服から何から全て女性の家で用意しなければなりません
至れりつくせりの生活が始まります

が、それほどやってあげても一ヶ月くらいで女性の家に寄り付かなくなるコトが!
そんな時でも娘を押しかけさせるようなことはしちゃダメ
お婿さんがやってくるのをただひたすらじーーーーっと待つだけ
そのため両親は、婿の足が娘のもとへ来るように、婿の靴を抱いて寝るという習慣があったのです


妻問婚は大変なのです

上で書いたように、女性の家族は婿を自分の家に引き入れることに必死!
何とか男性が女性の家に住み着いてくれるようになるために何でもやってあげちゃいます

めでたくお婿さんが住み着いてくれるようになれば、今度は出産

子供が生まれたら、男の子は婿に出して、女の子はお婿さんを貰う
現代と正反対です
「長男が跡継ぎとなる」というのはまったくなし

そして両親は、孫のためにずーーっと面倒を見てあげなければならないのです

さらに男性パラパラダイス!!

この時代には正直男女間のモラルってのがあまり重要視されてませんでした
もちろん貴族社会だけですけどね

天皇から貴族に至る間まで何人奥さんがいるのかわかんない状態!?
大勢の妻の中から、家柄や政略的に使えるかどうか・・・などなどを考え、一番自分の出世に見合う女性の家に入ることが多かった

他の妻達はあちこちにいました
藤原道長は「男が妻一人だけなどというのは愚かな人間のすることだ」とまで言い切ってます


女の出世道!

女性の出世はとにかく宮仕えから始まります
権力者である藤原一族はとにかく娘を天皇と結婚させ、皇子を産ませ、その子を天皇にさせるのに必死

となると、自分の娘を賢くさせるために争うように才媛を雇うようになりました

天皇の後宮は、まさに社交サロンのようだったのです

こうして雇われたの清少納言や紫式部などの女性たち
彼女達のほとんどは中流の出でしたが、頭がいいというだけで宮仕えをし、上流階級の仲間入りとなるのです

ちなみに一番あこがれの職業は「天皇の乳母」でした


エリート中のエリート「采女(うねめ)」

後宮には「采女」という女官がいました
この人たちは超高級OL!!
郡司などの娘の中から容姿端麗な女性だけ66名だけが選ばれるというもので、男性たちの高嶺の花でした
ちなみに「女儒(にょじゅ)」と呼ばれる女官もおり、こちらはまだ半人前扱いでした


実はあんまりいい意味じゃない?「女房」

自分の妻のことを「女房」とよくいいますよね〜
実はこの言葉、歴史上においてはあ〜んまりいいお言葉ではないのです
「女房」というのは「房」・・・いわゆる部屋を持っている女性で宮仕えの中でも高級OLの部類
つまりは天皇に仕える家臣なのであります
なぜか女房が、今では「妻」=「女房」に変化してしまいましたが、コレには「夫に仕える女房」といった意味合いもあったのかもしれませんねぇ



平安女性はかなり臭い!!

さてさて、優雅でミヤビ〜な感じのする平安女性

が!実は彼女達はめちゃくちゃ臭かった!

まずお風呂なんてほとんど入れない。さらに家から出るのがほとんどNGなため、生活すべてを自分の部屋で行っていた。もちろんトイレもね
そのため香りのきつーーーいお香をプンプンに炊いていたのです


貴族は女の子を欲しがった

貴族は初めての子に女の子を欲しがりました
それはナゼかというと、女の子を天皇の奥さんにさせるためです
ちなみに2人目の子は男児を欲しがったようです
2人目も女の子を産んだ場合は、だんなさんは怒ったようです
うまいこと天皇のもとへ嫁がせることに成功した場合は、もちろん男児を産まないとNGでした

男性の産休があった

平安時代の上流貴族の男性は、子供が生まれると、どんなに忙しくてもお休みを貰った
へぇー!子供の世話するのかな?と、思いきや、実は全然違います
男性の産休は「出産の穢れ」に触れたため、外出禁止となるのでした

賢い女は嫌われる!?

院政の時代になると「あまり才能のある女はよくない」と批判されるようになります
その辺の男性より漢籍が優れていたといわれている高階貴子も、批判されるように
「漢字=男・平仮名=女」という区別もつけられてきました

何歳から老いを感じた?

人それぞれですが、道綱母は自分のことを38歳で「私は老けたわ〜」と言っており、清少納言も30歳後半くらい。平均寿命が短かったので、30歳後半で老いを感じちゃっていたんですね
でも、元気であれば老女になっても、今まで生きてきた経験を生かし、周囲に尊敬される人もいました


平安時代の遊女たち

奈良時代の遊行女婦は「性」を売ることはありませんでしたが、この時代の遊女は「性」を売るようになってきました

遊女は推参(すいさん)と言って、呼ばれなくても貴族のパーティに押しかけることを許されていたので、大規模なパーティになると、船に乗って集団で押しかけていました

それでも「性」を売ることだけではなく、芸能奉仕だけをしたりすることも
気に入った遊女がいた場合は、男性が自分の洋服を脱いで与えるということを行っていました

さて、芸能奉仕した女性にお礼として支払うのは米や絹糸などなど
分配の時になると、遊女たちは恥じらいの気持ちも忘れ、乱闘しつつ自分の持ち前を奪い取ることもありました

そして遊女は代々芸を受け継ぐこととなるので、母から娘・そして孫娘と遊女家業が受け継がれるようになっていくのです








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