日本の女性史



         


鎌倉時代の女性の生活

雅な時代から武士の時代へとなっていく鎌倉時代

平安時代に比べると女性の地位は高くなっていきます

鎌倉時代の女性でひときわ威光を放ってるのは北条政子

それは別のトコで説明してますが、「尼将軍」と言われ、政治にも参加した政子の活躍によって、武家社会では女性の地位はそんなに低くなかったのでした


この時代の初めに慈円(じえん)という藤原出身の僧が「愚管抄」という歴史書を書きました

そこに「女人入眼(にょにんじゅげん)」というのを書いています

意味は「日本の歴史では、政治の重要な節目には必ず優れた女性が現れ時代を動かしている。日本の歴史は女性が作る」というものです

この時代に珍しいことを言う人ですね〜

さらに「人の生命というのは母のおなかに宿って出てくる。この時の母の苦しみたるや言いようがないほどじゃ。母は苦しみを受けて人を生み出す。これもみな、女人、すなわち母の功なのである。女性は母になる。したがって尊いものである」とも言っております

ってことは、母にならない女性はダメなんかい!?と言いたくなりますが、この時代はこういうような考えもあったんですねぇ

ちなみに慈円が言うような「女性が母となって初めて権力を握る」というのは、平安時代の後期くらいから徐所にありました


乳母の台頭

この時代、「乳母」というのが権力を持ち始めます
棟梁となる男児を育てるので、乳母の息子達は自然と棟梁と仲が良くなる
こうして乳母の一族は、棟梁に成長した男児の家臣となり、繁栄していくのであります

白拍子って?

女性芸能人として生きている女性のことです。平安時代から白拍子は出てきておりましたが、遊女とは違って「性」を売るというより「芸」を売るという色が強い女性達です
後に白拍子は性を売ることを本業とする女性としていっしょくたにされてしまいますが、まだこの頃は芸を売る女性という感じでした

商業の発達

この時代、平安時代に比べ、経済活動が活発になってきました
そのため、庶民の生活も変化していきます
庶民の女性の活躍も多くあり、女性の役割は平安時代に比べるとかなり大きくなっていきます

相続税もあった

武家社会においては、女性の地位は悪くありませんでした
政治に参加する女性もいたし、地頭に任命される女性もいたし、そして財産の相続もありました
が、鎌倉時代も終わり頃になると、財産相続は長男一人へと変わっていきます
そのためまたも女性の地位が低くなっていっちゃうのです

ところでナゼ女性の相続税がダメになっちゃったか?というと、先祖代々の土地や遺産を分割相続していたのですが、だんだんと土地が小さくなってきちゃいました。ということで、土地からの収入が少なくなり、武士が貧乏になってきてしまったのです。
ということで、武士のビンボー生活を守る為に、女性の相続権利が無くなってしまったのでした


嫁取り婚へ

鎌倉時代になると、最初から妻を夫の家に迎えるという結婚方式になってきました
それに親夫婦と同居しないというスタイルが増えてきました
が、これは武士の習慣で、貴族なんかは「嫁取り婚なんてよくない!この流行には腹が立つ!」とプリプリ怒っていました

庶民の女性は?

武士の家はある程度女性に権限がありましたが、フツーの一般庶民は?というと、板だけの簡素な住宅で草葺の家に暮らしていました

妻はダンナと一緒になって生産活動をするかたわらで、子供も育てていました
田植えや稲刈りなどもやるし、蚕の世話をしたりと、毎日が重労働
ダンナも子供をこわきに抱えて世話してました

が、そんな一般庶民でも、農業経営の主導権を握ってくるのはダンナさん。やはり体力の違いからか労働量が違うからです。こうして庶民の間でも自然に「父」が偉くなっていくのでした


それでもヤッパリ・・・

平安時代に比べ女性の地位は高くなりましたが、それでもやっぱり男性上位

祖先の偉業を受け継ぐ「家」が成立したし、「戦」の多い時代でもあったので、やはり戦闘に参加できない女性は幕府の役職にはつくことはできませんでした

こうしていい役職についた男性は、権力を確保していくので、家の中でも「家長」として権力を強めていたのでした








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