日本の女性史



         


モルガンお雪

近代史上で、最高の玉の輿に乗った女性であります

雪は明治14年に、刀剣商・加藤家の四女として生まれました

が、父親が早くなくなってしまい、芸妓をしていた長女は芸者置屋「加藤楼」を始めることに

ここに雪もお抱えの芸妓としてあがることにあったのです

が、雪は大人しいタイプで座敷に出ても大騒ぎせずしっとりと座っているタイプ

胡弓が上手だったので「胡弓のお雪さん」と呼ばれておりました

そんな17歳の雪にヒトメボレしたのが川上俊介という男性
薩摩士族の京都帝大の学生という超エリートであります

雪も川上のことを好きになり、いつしか一緒になろう・・・と約束をしました


ところで、ある時ジョージ・デニソン・モルガンというアメリカ人が日本へやってきました

アメリカの大富豪モルガン家の息子で、アメリカで結婚に破れ傷ついていました

日本にやってきて日本女性のコマやかな愛情に感動したモルガンは、新橋や柳橋で遊びまくりました
社交界でも有名人となり、ついに京都へやってきたのです

そして、傷ついた心がだいぶ落ち着き、そろそろ母国に帰ろうか・・・という時、友人達と京都の加藤楼へ

ここで雪に出会ったのです

雪の弾く胡弓の美しい音色に涙してしまったモルガン
以後、モルガンは雪に会いに通い続けたのです
そしてしっとりした雪にほれ込んでいったのです

とうとう、モルガンは雪を自分だけのものにしたくなり、4万円の落籍料を支払う決意をしました
ちなみに当時の4万円とゆーのは、現在の一億円ほどです

が、雪には川上という将来を約束した恋人がおり、クビを縦にふりませんでした
悲しんだモルガンは、なんとピストルで自殺未遂を起こしたのです

これが新聞で大騒ぎとなり、川上の実家は「そんなふしだらな女と結婚は許しません!!」ということになり、川上は親が決めてきた女性と結婚してしまたのです

とうとう雪は決心し、モルガンとともに人生を歩む決意をしました

横浜で結婚式をあげ、ニューヨークへと旅立っていったのです

アメリカ社交界での雪の評判はとてもよく、気品溢れる日本の淑女として有名になっていきました
英語のほかにフランス語も学び、パリの社交界でも人気に

が、結婚して11年目モルガンがスペインで心臓発作のため急死してしまったのです

悲しんだ雪でしたが、そのままモルガン性は捨てずアメリカで暮らしていました
夫が残した莫大な財産は、すべて寄付されており残っていませんでした

が、昭和13年に第二次世界大戦が勃発すると、日本へ戻ってきたのです
ですが、帰国後は「お金に目がくらんだ女」として、冷たい仕打ちを受け続けました

そして昭和38年 82歳で波乱万丈の人生に幕を閉じたのでした









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