性と愛の日本史



         



女性同性愛の日本史

はじめにお断りしておきますが、ワタクシは同性愛者ではないです
ケド、歴史好きなために同性愛に関してはそれほど嫌悪感を持っておりません
同性愛とゆーのは、歴史を勉強していく上で避けて通れない部分ですからね〜
言いたいことは、偏見を持ってる人にはこれ以上先に進んで欲しくないってコトであります
男色は歴史通の人ならば、ある程度理解できる事実だと思うんですが、女性の同性愛というのは秘められた部分が多いんですよね
だから馬鹿にしたような思いとか、汚らわしい思いで読んで欲しくないってのが本音です

といっても、あまり詳しく書いてないんですけどね・・・

以上のことを踏まえて、下に進んでくださいね




日本の歴史において、男色についての文献はかなりあるんですが、残念なことに女性同士の性愛についてはワタクシが今まで読んだ中ではほとんどありませんでした

ただ、確実に女性同士のいわゆるレズビアンというのはあったと思います
が、昔は男性上位の国だったので、女性同士というのはあまり文字として残っていなかったんでしょうね

ですが昔の宮中には張方が残っていたりと、女性しかいることのできない場所にこういったバイブ的な物体が残っていたというのは、たぶん女性同士でもアレコレとあったんじゃないかな?と思われます

では、ワタクシのつたない知識の中から、少しづつ日本史の中の女性同性愛について紹介していきますね


そもそも日本において女性は「穢れ」たものだったので、綺麗な女性より綺麗な男性の方がいいという考え方があったと思われます(推定ばかりでスミマセン〜)

江戸時代になると、だんだん女性も着飾るようになってくるんですが、それまでの女性はほんっとに身分の高い女性以外はあんまり綺麗じゃなかった感があります

男色は世の中において思いっきり公認されてましたが、女性同士というのは嫌悪されてたっぽいですね

何かの本で「紫式部は同性愛者だった」というのを読んだ事があるんですが、これは「ほんとかいな〜」って感じでしたね〜
ネタ的にはおもしろいんだけど、根拠があまりないんですよね

鎌倉時代になると「我身にたどる姫君」という物語の中で女性同性愛と思われる文献が出てきます

内容をちょこっと紹介すると・・・

右大将という男性が、前斎宮という女性の家にやってきます
で、中をのぞくと二人の女性が薄い衣を着て、抱き合っていました
「何やってんだ??」と不思議な右大将
たぶん女性同士が抱き合うっていうのが不思議だったのかもしれませんね

前斎宮と抱き合っていたのは小宰相の君という女性でした

実は前斎宮には中将の君という恋人(こちらも女性ね)がいたんですが、小宰相の君が女御としてやってきてからというもの前斎宮は小宰相の君に夢中
元彼女である中将の君は嫉妬して怒り狂いますが、そんな態度に飽き飽きした前斎宮は、小宰相と二人っきりで部屋にこもってしまいます
結果、中将の君は追い出されてしまうんですが、この物語では前斎宮のことを「気が狂った女・罰当たりな女」と書いてあるそうですよ

江戸時代になると、遊郭の中で女性同士の性行為がありました
どうやら遊女として働くための技術を教え込むためにだそうです
恋愛感情があった上での行為ではなくて、仕事のための性行為なんですねぇ

また、江戸時代は「大奥」という伏魔殿ができあがります
ここも男子禁制の女性だけの空間なので、やはり女性同士の性行為はありました
張形を使って行うんですが、張形に紐がついているものが残されています
これは自分ひとりで行為を行うんじゃなく、女同士で行うためのものであります

艶本にも大奥女中の性生活をおもしろおかしく書いたものもあります
何かの本でちょこっと読んだことがあるんですが、結構迫力ありました(笑)

ちなみに大奥女中にとって最高級の張形は「べっこう」で作ったもの
水牛で作ったものや木製のものもあったそうです

さてさて明治になって「新しい女たち」と呼ばれる青鞜のメンバーたちが登場
そのリーダーである平塚らいてうは、尾竹紅吉と同性愛だったのでは?という噂があります

大正時代になると出てくるのが吉屋信子
昔の日本で「同性愛者です」というカミングアウトを堂々とした人はいないんじゃないかな?
吉屋信子は少女小説家であります
信子は新潟出身で、お父さんがものすごい男尊女卑な考えを持った人
お母さんは女は良妻賢母でなければいけないという考えを持った人
信子はそれがずっと嫌だった
そして「良妻賢母になるより、一人の人間として生きなければならない」という新渡戸稲造の演説を聞いて、目覚めます
大正12年・27歳の時に生涯の伴侶となる門馬千代と出会います

昭和30年に湯浅真沙子が書いた「秘集」が発売されました
が、あまりの内容に発禁されてしまいました
湯浅真沙子は謎の歌人なんですが、ここに自らが体験した同性愛についてが書かれているそうです

昭和の小説家・宮本百合子は、肉体的ではなく精神的な同性愛関係があったようです
レズビアンという言葉は歴史背景的に差別的な言葉でもありますので、レズビアンのことを「百合」と言ったりしますが、「百合」という言葉は宮本百合子からきたんじゃないか??という説もあります
ちなみに男性のゲイのことを「薔薇族」と言ったりしますが、こちらもゲイだった三島由紀夫の「血と薔薇」から来てるんじゃないか??との説もあり

で、この宮本百合子の恋人だったのが湯浅芳子
14歳の時に義父から性的嫌がらせを受けたという過去がある女性
そして19歳の時に田村俊子と恋人同士になります
この田村俊子も有名な小説家で、「青鞜」にも小説を発表してます
それから宮本百合子と愛し合うんですが、百合子は後に結婚
芳子は生涯独身を貫きます


とまぁ、女性同性愛者についてはあまり日本の歴史的な部分で紹介することができなくて残念ですが・・・
最後にレズビアンという言葉の語源を紹介しますね

紀元前7世紀に、ギリシャのレスボス島に女性だけの学校を開いた詩人・サッフォー
サッフォーが生徒達にものすごい情熱を注いで教育したことを「レスボス風」と呼ぶようになりました
ちなみに異常なほど情熱を燃やしたため、「レスボス島出身者はみんな同性愛」と言われるようになったとか
この言葉が「レズビアン」になっていくのであります



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