江戸時代の性愛と風俗 |
教科書が教えない性と愛がらみの出来事アレコレ
吉原遊女・大奥の女性がらみは
別コンテンツにて紹介しております
吉原細見 大奥の女性達
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徳川家康が淋病に感染した!? |
江戸に幕府を開き、大御所として天下をゲットした家康
そんな家康がある日、花柳として名高い阿部川近辺へお散歩
で、「遊女の中でピカイチの女性をつれて来い」と命令
もちろんエッチしちゃいました
するとどうやら遊女が淋病だったらしく、家康に感染してしまったのでした
治ったみたいですけどね
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後陽成天皇 女性を寝取られる |
宮中で女官5人が密通の罪で処罰される事件が起きました
そのうちの一人が、後陽成天皇の愛人
ってことで、後陽成天皇はむちゃくちゃ怒って「女5人と、それに関わった男みんな殺せーー!」と命令
そのニュースを聞いた家康
「まぁまぁ。大人気ないんじゃないの?流罪くらいにしときなよ」と忠告
天皇は「俺様に命令するなんて生意気な!!」と怒ったけど、この頃の朝廷は名前だけでほとんど権力ナシ
仕方なく家康の忠告を聞き、流罪となったのでした
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勝山髷大流行! |
女性達の間で、勝山髷というのが大流行しました
元になっているのは湯女の勝山
吉原の太夫や花魁クラスをしのぐ人気の湯女であります
勝山は裏付きの袴をはき、袖口がゆーったりした派手な着物スタイル
で、編み笠をかぶり、大小の木刀を腰に差すという男装ルック
役者までもが勝山スタイルを真似するほどの大人気に
その勝山のヘアスタイルがこれまた大流行
髪の毛を根元で結び、後ろから前にくるんと輪を作るように回して、髪先を内側に入れ、また根元で結ぶというヘアスタイル
色気がある!!ってことで、江戸中で勝山髷をする女性が増えたのでした
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旗本の娘30人が集団駆け落ち |
1737年 旗本の娘達が集団で駆け落ちし、心中するという事件が起きました
娘達はみんなエリート武士の娘
そんな娘達が若い男と駆け落ちし、雑司が谷の法明寺で心中し、江戸中を騒がせたのでした
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男大好きの母と娘 処刑される |
日本橋にある材木商の白子屋正三郎の一人娘・お熊はものすごーーーい男好き
お母さんも愛人を作っていたので、自分も手代の忠七と密通しておりました
母と娘が遊んでばっかりだったので、家はしだいにビンボーになってきました
そんなお熊は一人娘のため跡取りが必要に
ということでお父さんが選んできたのが又三郎という男性
500両もの持参金を持ってきたのであります
が、お熊は又三郎に愛情はまったくなく、持参金500両を使い切ると又三郎のことが邪魔に
そこで密通相手の忠七と一緒に又三郎を追い出そうと計画
さらにお母さんもその計画にのっかります
どうやって殺す〜?と相談した結果、又三郎と女中のお菊を密通させよう!で、その現場を見つけてドタバタしてる間に殺しちゃおう!というもの
で、お菊は「又三郎を誘惑するように!」と命令され、誘惑成功
いちゃいちゃしてる途中に、お熊と忠七が乗り込み、又三郎に斬りつけましたが、失敗
で、お菊がココでこの計画をバラしちゃったのです
これを裁判したのが有名な大岡越前
さばきはお熊・忠七は市中引き回しの上獄門。お菊は死刑。お母さんは遠島。そしてお父さんは監督不行き届きってことで江戸追放となったのでした
・・・・って、お菊、ちょっとかわいそうだよね
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十代の姉妹が仇討を果たす!! |
仙台にすみとたかという農民の姉妹がおりました
ある日、お父さんと姉妹と3人で畑の草取りをしていると、お父さんが何気なくほおり投げた雑草が、片倉家の剣術指南である田辺志摩にかかり、着物が汚れてしまったのです
3人は必死で謝りましたが、志摩は無礼者め!許さん!と、刀を抜き襲い掛かりました
お父さんは、姉妹をかばうため前へ
そして斬り殺されて死んでしまったのです
お父さんが死んだことを知った病床にいたお母さんも、すぐに死んでしまいました
父親が目の前で殺された姉妹は、敵討ちを決意
村を出て、仙台上に向かい、仙台藩の剣術指南である滝本伝八郎の屋敷で剣を学びました
ここで死ぬ思いで剣術の稽古をしたのです
そして、姉妹は藩主に仇討の許可を貰うことに成功
こうして、志摩のもとへ向かい、志摩を斬り殺したのです
父親が殺されてから5年後 すみ16歳 たか13歳のことでした
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水戸で8歳の少女が出産 |
1812年、水戸の百姓の娘・とや(8歳)がなんと男児を出産!
周囲はかなりビックリした
その土地の領主は、「これは太平の証拠だ」と、産着をプレゼントしたらしい
8歳で出産って、すごくないですか??
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大ブレイク!夜鷹おしゅん 行列の人数は360人 |
夜鷹というのは、吉原と違い個人で行う売春婦のこと
江戸時代後半になってくると、夜鷹がとても多くなってきました
そんな夜鷹の中にめちゃくちゃ美人がいました
それが「おしゅん」
毎晩柳原の土手近辺に出没し、江戸の男性は一目見たくて(お相手してもらいたくて)探しまくり
そしておしゅんを買うべく、行列が360人も出来たこともあったのでした
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男色番頭に見物客が殺到 |
小伝町の呉服屋の番頭はまじりっけナシの男色(ホモのこと)
ある日、住み込みの少年に関係を迫ったところ、その少年が気絶してしまいました
その少年が他の人にこの出来事を喋ったことから、なぜか歌が出来てしまいました
でもって、江戸っ子たちが「歌が出来るほどの男色はどいつだ?」と興味津々になり、毎日野次馬がやってきたのでした
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二代目将軍秀忠 「大事な娘をやれるか!!」事件 |
二代目将軍秀忠の娘・和子は後水尾天皇と結婚することになりました
が、この頃の朝廷は乱れまくっていて女芸人が出入りし毎日乱交パーティ三昧
さらに後水尾天皇は、結婚が決まっているというのに女性に手をつけて男児を出産させました
これに怒ったのが秀忠
「天皇がこれ以上乱行をするようだったら、うちの大事な娘はやらん!!」ということに
正直、この頃になると朝廷より幕府の力のほうがすごく、朝廷は幕府の支援ナシでは生活できない有様
後水尾天皇は「俺、天皇なのに!!」と激怒しましたが、いうコトを聞かざるを得ませんでした
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